第1話 やっぱり、俺は運がいい
「派遣事業一期生抽選、当選」
その通知メールを見て、俺は思わず笑った。
やっぱり、俺は運がいい。
平行世界派遣事業――そんな突拍子もないものに応募して、しかも当たった。倍率は確か数百倍。それを引き当てたのだから、運が悪いはずがない。
スマートフォンの画面を閉じて、俺は天井を見上げた。
半年前まで、この部屋には親父と母さんがいた。
今はもういない。
事故だった。詳しい話をする気にもならない。とにかく、二人とも一瞬で逝った。
そして俺は、突然独りになった。
両親が遺してくれたのは、ささやかな保険金と、半年分くらいの生活費。
通っていた大学の学費は払えなくなり、二年生の途中で中退した。
バイトを掛け持ちすれば食ってはいける。でもそれだけだ。先がない。
俺の名前は神野隆二、二十歳。
大学ではやりたいことが特になかったから、なんとなく理学部に入った。数学だけは昔から得意だった。理科は、興味のある分野だけ覚えて、興味のないものは一切頭に入らない。
プログラミングは独学で齧った。理由はない。なんとなく面白かった。
法律にも一時期手を出した。資格を取ろうとして、結局取らなかった。
要するに俺は、興味のあることしか暗記しない男だ。
だから何かのプロにはなれない。広く浅く、興味のある範囲だけ深く。そんな歪な知識を持った、半端な大学中退者。
そんな男がまっとうに大金を稼ぐには、特殊な手段が必要だった。
派遣事業のニュースを見たのは、深夜の動画配信でだった。
『平行世界への派遣を実施いたします。一期生として、各分野のプロフェッショナル百五十名と、抽選で選ばれた一般枠百名、計二百五十名を派遣する予定です』
政府発表の中継。原理不明の発掘技術によって、平行世界への往来が可能になったらしい。ただし通信は不可能。だから人を送って、観察してもらうしかないという。
半径百キロでランダムに転移する。技術の現状ではそれが限界らしい。一年後にゲートが特定地点に出現し、そこから一年間維持される。期間内に自力でゲートまで辿り着けば、帰還できる。
報酬は、生還するだけで大金。情報を持ち帰ればさらに大金。
事前に伝えられる情報は、たった一つ。
『人間が生存可能な環境であることは確認済みです。それ以外のことは、行ってみるまで分かりません』
まともな人間なら、こんな話に応募しない。
死ぬかもしれない。帰ってこられないかもしれない。何が起きるか、誰にも分からない。
でも俺は応募した。
理由は二つある。
一つ目。金が必要だから。
俺は今、何者でもない。学歴もない、技術もない、コネもない。普通に生きていれば、たぶんずっとそのままだ。生還だけで数千万、情報次第ではそれ以上の報酬が出る派遣事業は、俺がまっとうに大金を手にできる、ほとんど唯一の手段だった。
二つ目。俺は自分の運の良さを信じている。
別に根拠があるわけじゃない。ただ、これまで生きてきて、要所で俺は運に救われてきた。親が死んだのは運が悪かったが、それを差し引いても、俺は運がいい方だと思っている。
半径百キロランダム転移? 未知の世界? 結構だ。俺の運の良さなら、そこそこマシな場所に降りられるだろう。
基本は理論で動く。でも、いざというときは運を信じる。
そう決めて応募して、当たった。
ほら、やっぱり運がいい。
選考通過者の合宿は半月ほど続いた。
会場で初めて、他の派遣者たちを見た。
プロ百五十人は分かりやすかった。元自衛隊らしい筋骨隆々の男、医療関係者だろう白衣の女、登山装備の男、地質か生物の研究者風の人物。専門家然とした人間が、見るからに専門家の顔をして並んでいた。
抽選組百人は、対照的に雑多だった。学生、フリーター、サラリーマン、主婦、年金暮らしの老人。年齢も性別も背景もバラバラ。共通点があるとすれば――たぶん全員、何らかの理由で一発逆転を欲しがっている人間だということ。
俺はその中で、たぶん一番若い部類だった。
訓練の内容は、基礎的なサバイバル技術、応急手当、護身術。それから精神面のレクチャー。
俺はその中で、応急手当だけは熱心に覚えた。傷の処置と止血の手順は、自分の命に直結する。だから興味が持てた。
サバイバル技術と護身術は、正直あまり頭に入らなかった。火の起こし方、毒草の見分け方、関節技。覚えようとはしたが、興味が薄いと脳が拒絶する。
俺はそういう男だ。仕方ない。
訓練の合間に、運営側から派遣の詳細が説明された。
「ゲート出現地点は『カランドラ高地』と呼称される地域です」
カランドラ高地。聞いたことのない地名だった。当然だ。それは平行世界での観測地点に、こちら側が便宜上つけた仮称だった。現地での名称は分からない。
「皆さんが転移されてからちょうど一年後、この高地の中央付近に帰還用のゲートが出現します。ゲートはそこから一年間維持されます。ゲートの形状や特徴は資料に記載しています」
配られた資料には、ゲート予定地点の地形図と植生、衛星観測による地理情報が載っていた。
「お伝えしておく必要があります。最大の問題は、転移直後に皆さんがご自身の現在地を把握できない点です。半径百キロのランダム転移ですので、カランドラ高地までの距離も方向も、皆さん自身で調べていただく必要があります」
担当者は淡々と続けた。
「平行世界に文明があるか、人がいるか、言葉が通じるか、私どもには分かりません。皆さんから持ち帰っていただく情報こそが、二期生以降の派遣を可能にします。生還に最善を尽くしてください。可能であれば、情報を持ち帰ってください」
二期生があるんだな、と俺は思った。
俺たちが全員死ねば、たぶん二期生は出ない。生きて帰れば、二期生が出る。生きて情報を持ち帰れば、二期生はもっと有利に行ける。
派遣事業は一回限りの試行じゃない。続いていく事業だ。
それを聞いて、俺は少しだけ安心した。
これは博打ではあるが、まったくのギャンブルではない。後ろに、ちゃんと続いていく組織がある。
出発の日が来た。
俺たちは一人ずつ、順番に転移装置の前に立った。
装置は思っていたよりも地味だった。鈍く光る金属の枠と、その中央の何もない空間。それだけ。映画に出てくるような派手な機械を期待していた自分が、少し恥ずかしくなった。
俺の番が来た。
担当者が最後の確認をする。
「神野隆二さん。準備はよろしいですか」
「はい」
俺は枠の前に立った。
持たされた装備は最低限。サバイバルキット、医療キット、地図と方位磁石、記録用の手帳、それから少量の食料と水。武器は申請したが許可されなかった。
未知の世界で生きる材料としては、心許ない。
それでも俺は、特に怖くはなかった。
最後にもう一度、自分に言い聞かせた。
基本は理論で動く。でも、運も信じる。
俺は運がいい。
枠の中の空間がふいに歪んで、視界が消えた。
目を開けると、見知らぬ風景の中に立っていた。
足元は石畳。空は青く、太陽は俺の知っているものと同じくらいの位置にある。気温も穏やかで、息苦しさもない。
正面に、白くて透明な――ガラス張りのような――大きな建物があった。建物の両脇には低い塀が左右に伸びていて、その先で別の建物群と繋がっている。建物の上部には、見たことのない文字で何かが書かれていた。
建物の前には、制服のようなものを着た人間らしき人々が数人立っていて、突然現れた俺の方を、戸惑ったような顔で見ていた。
俺は状況を理解するのに、たっぷり三秒かかった。
ここは平行世界。
俺は無事、転移した。
そして目の前にあるのは、たぶん何かの公的な施設だ。
つまり――俺はいきなり、街か国家の入り口みたいな場所に、降りた。
俺は思った。
やっぱり、俺は運がいい。
最初の関門は、突破だ。
問題は、ここからどうやって言葉を通じさせるか、なのだが。




