冷酷な社長の笑顔は私が独り占めさせていただきます
『よかった。後藤さんを社長に推薦したのは私なのよ』
「えっ、大迫さんが、私を……?」
『そう。でもね、実は社長もあなたを秘書に……と考えていたみたい』
私は驚いて何も言えなくなってしまった。
なぜ私が社長室秘書係に任命されたのか、まったく心当たりがなかったというのに、知らないところでは社長も大迫さんも私を推してくれていたなんて――。
でもどうしてだろう。
その疑問に答えるように、大迫さんが続けた。
『後藤さんは適切に自己主張ができる人だという点で、社長と私の意見が合致したのよ』
「自己主張、ですか?」
『自己主張ってできないのも困るし、強すぎるとマイナスに働くこともある。必要なときに、周囲に配慮して、相手に受け入れられやすい形で意見を言えるというのは、とても貴重な才能だと思うわ』
適切に自己主張をしてきた自覚はまったくないけれども、高く評価されていたことが素直にうれしかった。
でも、あくまでも適切の範囲だったとしても、社長は本当に自己主張をする秘書を求めていたのだろうか。
「社長にとっては自分の言いなりになる秘書のほうが都合がいいのではないですか?」
身も蓋もない言い方だと思ったが、大迫さんは気を悪くすることもなく、むしろ愉快そうに答えてくれた。
『そういう人もいると思う。でも社長は違うわ。裸の王様にはなりたくないはずよ』
「そうですね」
『社長をよろしくお願いいたします』
私は元気に「はい!」と返事をする。
それから社長室へ電話を転送した。
通夜参列へのお礼の電話は、私が思ったより簡潔に済んだ。社長と大迫さんは本当に業務上だけの関係なのだとわかり、私は内心ものすごくホッとする。
考えてみれば、大迫さんは社長の携帯電話に直接電話をかけることもできたと思う。
だけどわざわざ私のデスクに電話をくれたのは、私と話をするためだったのかもしれない。
(もしかして、大迫さんにはバレている……!?)
聡明な人だから、社長と私のことを察している可能性は高い。
その上で励ましてくれたのだとしたら、嬉しいような、恥ずかしいような気分になる。それが落ち着くまで私は真っ赤に火照った顔を手のひらで覆い隠していた。
時計を見るともうすぐ午後三時だった。コーヒーブレイクの時間だ。
席を立って通路の向かい側にある給湯室へ向かう。
コーヒーメーカーに粉をセットしてスイッチを入れようとした瞬間、急に私のデスク周辺が騒がしくなった。
「えっ、そちらも?」
「大野さんたちもコーヒー持ってきたの?」
「そうなんです」
私は給湯室から顔を出し、様子をうかがってみる。
驚いたことに、広報企画部と経営戦略部のチームメンバーがそれぞれコーヒーの入った袋を持って、互いのコーヒーを見比べていた。どちらも同じコーヒーショップで購入したらしく、笑い声が起きる。
「皆さん、どうしましたか?」
私は慌てて給湯室を飛び出し、社長室のドアの前に立ちふさがった。
「社長にコーヒー持ってきましたー!」
ザッと顔ぶれを見て、両チームとも今日ミーティングがあったメンバーたちだ、と理解した。
今日のミーティングはどちらも成果が上がったと聞いている。
(とはいえ、急にどうして? 今までこんなことはなかったのに――?)
「あ、ありがとうございます。コーヒーを買ってくるように、と社長に頼まれたのでしょうか?」
私はにこやかに、しかし内心訝りながら尋ねた。
すると広報企画部のチームリーダーが「いいえ」と爽やかに答える。
「今日は社長に励ましていただき、チーム一同とても嬉しかったのでぜひコーヒーを差し入れたいと思いまして……」
「我々のチームも同じです。これまでになく高い評価をいただき、メンバーのモチベーションが高まりました」
どちらのチームも皆、嬉しそうな表情と熱意のこもった視線で私を見ている。
私の戸惑いを感じたのか、経営戦略部のチームリーダー大野さんが私に一歩近づき、コーヒーを差し出した。
「後藤さんの分もありますよ。いつもお仕事、お疲れさまです」
「あ、ありがとうございます。気をつかっていただき恐縮です」
目の前に差し出された紙コップに手を伸ばしたそのとき、私の後ろのドアが開いた。
「コーヒーの差し入れとはありがたい。ちょうど飲みたいと思っていた。助かるよ」
私の手からひったくるようにコーヒーを奪ったのは社長だった。
彼の姿を見た両チームのメンバーたちは歓声を上げる。
「お疲れさまです!」
「みんなで飲もう。狭いけど、中へどうぞ」
社長が社長室のドアを開け放つ。私はそそくさと脇へよけた。
二つのチームメンバーが和気あいあいと社長室へ入っていくのを見送りながら、何が起きたのか、理解が追いつかず、唖然としていた。
戸口に背中を預けた社長は、私に小声で「どうした?」と問う。
「何が起きたのでしょう?」
「君が望んだこと、かな」
それを聞いて、私はピンと来た。
「もしかして、見せちゃったんですか?」
「君が好きだって言ってくれたから、出し惜しみするものではないかと思ったが……怒っているのか?」
社長はコーヒーのカップを持ったまま、私の顔をじろじろと観察する。
確かに、なんだかおもしろくない。
コーヒーの差し入れなんて女性社員の発案っぽいし、実際両チームとも女性社員の比率が高いのだ。
「いいえ、とてもいいことだと思います」
「それならなぜそんなに怖い顔をしている?」
(怖い顔――!?)
そんなことはない。私は嬉しくて微笑んでいるのだから。
まさかこんなに早く願っていた光景が見られるとは思わなかった。
しかし、心の声がダダ漏れてしまうのは止められなかった。
「だからって、いきなり大盤振る舞いする必要ありますか?」
「意見があるならはっきり言えばいい」
私は社長のスーツの二の腕付近をつかんで軽く引っ張った。
彼は思ったより簡単に私のほうについてきてくれる。
社長室の戸口から離れ、書類棚の角まで彼を引っ張ってくると、私は上目遣いで睨む。
「社長の笑顔は、破壊力がありすぎるので、小出しにしていただきたいです」
「ほう。どれくらいの頻度だ?」
「そ、それは……」
社長の笑顔を初めて見た日のことを思い出す。
あれ以来ずっと「次はいつ笑顔を見られるのだろう」とか「やっぱり夢だったのかな」とか、彼を見るたび笑顔を見られないかとそればかり期待していたような……。
それでだんだん社長のことが気になって仕方なくて、気がつけばいつの間にか好きに――。
「ダメ! 絶対!!」
「突然どうした?」
社長が私のことを心配そうに見下ろす。
「やっぱりダメです。今後、社長の笑顔は封印してください」
「君の望みじゃなかったのか」
「だってこのままじゃ、みんな社長のこと好きに……」
私は冷めてきたコーヒーを喉に流し込み、本音も一緒に飲み込んだ。
すると社長はフッと笑って「わかった」と言った。
「こうしよう。俺の笑顔は君が独占する。その代わり……」
「その代わり?」
「君の全部は俺が独占する」
「全部……」
「そう。君は気がついていないだろうけど、経営戦略部の大野は君に気があるし、広報企画部の男性陣は君をチームメンバーに希望していた」
「いやいや、そんなことあるわけ……」
苦笑いしながら首を横に振っていると、背後から急に誰かが私の肩をつかんだ。
同時に社長の目がスッと鋭くなる。
「こんなところにいた。後藤さん、こっちにおいでよ」
振り向くと私を呼びに来たのは経営戦略部のチームリーダー大野さんだった。
私はすぐに社長の顔を確認する。彼の白けたような目が「ほらな」と言っているようだった。
「あーっ! 社長、こっちに来てくださいよー!」
「休憩時間も唯子と一緒ですか?」
今度はあっという間に女性社員たちが社長を取り囲んだ。
これには私も目を細く鋭くして社長を見返す。
彼は困ったように眉根を寄せ、小さく咳ばらいをした。
「後藤さん。いや、……唯子さん!」
「えっ、あ、はい」
「さっきの独占契約の件、契約書を作成しておいて」
「……はい、かしこまりました!」
私の肩をつかんでいた手がパッと離れ、社長を取り囲む女性陣も互いに顔を見合わせ、そして一斉にこちらへ視線を向けた。
みんなの注目を集めてしまった私は、精一杯の作り笑いを浮かべ、自分のデスクへ戻ろうとする。
しかし、今度は複数の手が私の腕を引っ張り、行く手を阻む。
「唯子、仕事終わったら話があるんだけど」
「あはは……なんの話かな?」
「覚悟しなさい。とぼけていられるのも、今のうちだから」
「あはは……」
そろそろ休憩時間が終わる。
みんながそれぞれの部署に帰っていった後に、古東さんから電話が来た。
社長に取り次ごうとすると「後藤さん」という冷静な低い声が受話器から聞こえてくる。
『ミュージカルは楽しんでくれた?』
「はい! あの、本当にありがとうございました」
『俺、キューピッドになるつもりは全然なかったんだけど』
古東さんのぼやく声に私は思わず笑ってしまった。
『光輝に伝えてよ。「この借りは必ず返せよ」って』
「はい。承りました」
『それから後藤さん。アイツ、すごくわがままなヤツだけど、よろしくね』
「はい。承りました」
古東さんの電話を社長室へ転送すると、「うるさいな!」と怒ったような照れたような社長の大声が聞こえてくる。
その珍しい声を聞きながら、私はパソコンのキーボードを軽やかに叩く。
(タイトルはどうしよう。……いやいや、ちょっと待て、私)
今は勤務時間中だ。仕事をする時間に社長と私の個人的なことを考えるのは、いくらなんでも不謹慎なので私は慌ててファイルを閉じた。
(退勤後、一緒に考えてもらおう)
そう考えたら、残りの仕事に対するモチベーションが急上昇していく。いつもなら面倒だと思う書類作成の仕事も、今ならいくつでもこなせそうな気分だ。
(だって……!)
これをひとつずつ終わらせていけば、もうすぐ社長――じゃなくて、光輝さん――の笑顔を独り占めできるのだから。
そして早く私を独り占めしてほしい。
社長室の白いドアをチラッと見て、私はこれ以上ないほど幸せなため息をついた。
《END》




