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祝福を前にした人々 4

 ふたりが恐る恐る振り向いた先で、彼女はまるで一輪の花のように笑みを浮かべていた。


 柔らかく波打つ黒髪は、ところどころに光を含んで銀色にきらめく。その隙間から覗く大きな瞳は、透き通る翡翠のような緑色で、見る者の心をまっすぐ射抜きながらも、どこか無邪気であどけない光を宿している。

 頬にはほんのりと紅が差し、笑みを浮かべる口元は、まだ幼さを残しながらも、どこか人を安心させる温もりを帯びていた。


 身にまとった深い緑の上着は、繊細な刺繍が施され、幼さの中に大人びた気品を感じさせる。

 その下で広がる赤いスカートは、まるで赤い果実をそのまま閉じ込めたかのように鮮やかで、足元に柔らかな影を落としている。

 



 まるでおとぎ話の中からふと現れた妖精のように、彼女はそこにいた。触れれば消えてしまいそうなほど儚く、それでいて確かに心に残る存在のよ うに。



 心には確実に残った。いや、今の一瞬で刻み込まれた。

 アルトとアネットはふたりとも瞠目したまま、得体の知れないものを見るように顔を強ばらせている。


 女性はにこやかに、それでいて含みのある笑みで、透き通るような翡翠の瞳でアルトを捉えて話さない。

 少しずつ、女性の顔がアルトの顔に近づく。

 女性が近づくと、柔らかな芳香が、アルトの鼻に触れた。

 野原を思わせるような、それでいて甘美さが混じった不思議な香り。

 自分の心臓が脈打つ音が脳内に響き渡る。

 早く誤魔化すための言い訳を考えたかったが、彼女の瞳がそれを許してくれない。


「誰なんだお前は。いきなり意味のわからんことを言って」


 臆したアルトを守るように、アネットが藤色の瞳を光らせた。

 女性は薄ら笑いを浮かべると、ゆっくりと後ずさって俯いた後、勢いよく顔を上げ、無邪気な笑みをアネットへ向けた。


「あはは。急にごめんねぇ」


 軽口を叩きながら、無邪気に笑っていた顔が

突如狂気を帯びたように、目だけ一切笑っていない冷たい笑みへと変わり、声音が数段階下がった。


「でも隠しても無駄だよぉ? 私そういうの見えちゃうんだにゃぁ」


 狂気が滲み出るどころか、半月状になった双眸からそれのみが溢れ出す。

 得体の知れない悪寒が背中に走りながらも、アネットは負けじと彼女を睨みつけた。

 

 怯むことなく女性もアネットを凝視し、ふたりの間に火花が散る。

 当事者のはずがなぜか蚊帳の外になったアルトは、その場から自分の存在を消すように、元々猫背で丸めていた体をさらに小さくした。


 女性は左手の人差し指と中指で円を作り、左目で穴を覗きながら、アルトに顔を向け、前のめりになって何度も瞬きをした。

 アルトは身体を反らせながら、できる限り女性と距離を取りながら、顔を引き攣らせて目を逸らした。


「な、なんのことですか⋯⋯祝福ってなんですか⋯⋯」


「とぼけ方が下手だねぇ⋯⋯知らないのかにゃぁ? 祝福を受けた人間は首筋に赤い斑点ができるんだにゃぁ」


「えぇっ!? 本当ですか!?」


「にゃはっ」


 慌てて首筋を抑えて確認しようとするが、当然見えるはずがなく、女性はにやにやと頬を緩め、アネットは溜息をつきながら顔を抑えた。


「面白いねぇ君。反応が分かりやすすぎるよ」


 上機嫌にアルトの背中をドンドンと叩きながら、隣にあった誰も座っていない椅子を持ってきて二人の間に座る。

 スカートを整えながら座る所作を、アネットは睨みつけた。


「ここに座っていいなんて言ってないんだか」


「まあまあそう硬いこと言わないでぇ? あなたの恋人さん取ったりしないからにゃぁ」


「こ、恋人だと⋯⋯」


 みるみるうちに、アネットの顔が紅に染まる。

 下から血が湧き出るように赤く染まる顔を見ながら、アルトもまた俯いて頬を染めた。


「ちがう。私達はただの昔馴染みだ」


 キッパリと否定するが、その声は震えている。


「ふーん。仲良いんだにゃぁ⋯⋯まあそんなことはどうでもいいんだにゃ」


 女性は薄ら笑みを浮かべたまま、テーブルのポテトフライを勝手に食べはじめた。


「ホントのこと言うとだにゃぁ。見えるのは確かなんだにゃあ」


「その⋯⋯見えるとは?」


 アルトは誤魔化すことをいつの間にか諦めていた。

 さっきの反応でバレたと観念したのか、それとも、この女性が醸し出す奇妙な説得力に絆されたのか。


「んふふ。私は人のオーラが見えるんだにゃぁ。たとえば、そこの昔馴染みさんからは堅物さんにありがちな静かで黒いオーラが、あっちのテーブルのチャラそうな男の人からは軽薄そうな茶色いオーラが」


「黒とか茶色とか⋯⋯なんかあんまりいい色じゃないですね⋯⋯」


「色は関係ないのさ。大事なのは形。たとえば昔馴染みさんのは堅物らしくなんか壁みたいな重厚なオーラしてるし、あのチャラそうな男は全体的になんかゆらゆら揺れてるのにゃぁ。で」


 トンっと、女性の人差し指がアルトの眉間を突いた。


「君は祝福を受けた人間の特徴がしっかりある⋯⋯オーラが無いんだにゃ」


「な、ない?」


 アルトは女性の話に興味を持ち始めていた。 

 アネットからも、「どういう事だ」と声が飛んだ。


「祝福ってのは神と同等の力を与えられるってことなんだにゃぁ、神にはオーラが存在しない。つまり君は擬似的に神と同じ存在になってるんにゃよ」


「⋯⋯なんであなたが神にオーラがないことを知ってるとかそんなことは置いときまして⋯⋯」


 ぼんやりと女性を見つめるアルトに、「いや置くなよ」とアネットからの指摘が入る。

 アルトには聞こえていなかったのか、そのまま言葉を続けた。


「⋯⋯つまり私は神と似たような存在になっていると⋯⋯?」


 ニタァ⋯⋯っと顔を綻ばせながら、女性は両手で自分の頬を挟んだ。


「正解だにゃぁ。と言ってもまあ別に神になるって訳じゃないんだけど⋯⋯まあ神と同じ性質を持ったってことになるにゃあ」


「はああ⋯⋯」


 興味を持って話を聞いている。

 神を信じるアルトにとって、神と対比されることは恐れ多く、烏滸がましいことであると考えていたが、それと同時に、自分が信仰するべき神と似通った部分を持つことに、どこか幸福を感じていた。


「何ちょっと喜んでるんだ」


 無愛想にアネットが吐き捨てる。


「いや別に⋯⋯喜んでるわけじゃ」


「よくそんな胡散臭い奴を信じられるな」


「まあ⋯⋯言い当てたのは事実ですし⋯⋯当てずっぽうでは不可能ですよ」


 それもそうだと、言いそうなって、唇を噛み締めながらアネットは女性を睨んだ。


「まあまあそう怒んないでにゃぁ、昔馴染みさん」


 その呼び方が、余計にアネットをイラつかせた。

 だがそんなことは気にもせず、女性は横目でアルトを見ながら、静かに口を開いた。


「ねえ、君。私のお願い聞いてくれないかにゃ? あ、ちなみに私はエルメナにゃ。君は?」


「アルトです⋯⋯で、お願いとは?」


 アルトの背筋が伸びた。

 基本的に誰に対しても優しいアルトは、エルメナのお願いを聞く気にはなっているが、エルメナはまださすがに、アルトが受けた祝福の中身までは知らないはずだ。


 その状況でなにを頼むつもりなのか、もしくは、その中身すらも既に把握しているのか、若干目に緊張が現れる。


「まーまー、そんなことはここじゃなくて後で静かなところで話すにゃぁ」


 エルメナの手が次々とポテトフライを口に運んでいく。

 その様子をアルトとアネットは黙ってみているしかなく、皿が空になり、満足そうに鼻息を漏らすエルメナに対して唖然とするしか無かった。


「ここのポテトちょっと塩が薄いにゃぁ」


 平らげてから文句を言うとは何事かと、アネットはこめかみに血管を浮かび上がらせ、アルトはなんとも言えない顔で空になった皿を眺めた。

 街に男は少ないはずなのに、店は埋まり、騒がしさを増している。

 普段なら酔って帰宅する客達が、酔わないのでいつまでも居座り、酒を飲んでいる。


 このまま自分が居続けると、何か皆の身体に悪影響を及ぼすのではないかとアルトは思ったが、当然それは取り越し苦労である。


 アルトの能力によって、摂取したアルコール分は既に分解されている。

 このまま退出したとして、酔っ払うとすればアルトが居なくなった後に摂取したアルコール分によってでしかない。


 店を出て夜風に晒されると、店の熱気が身体から引いていくように思えた。

 空には満月が浮かび、そのまわりには無数の星々が煌めいている。

 星を眺めながら、自分は神と同じ性質を持つというエルメナの説明を、アルトは頭の中で繰り返していた。


「いやぁ。ごちそうになったにゃぁ」


「ほんと⋯⋯クソみたいなやつだなお前」


 一切悪びれる様子もなく、軽い礼で済ませるエルメナをアネットは睨みつけた。

 財布が少し軽くなっている。

 明日あたり魔物でも狩るかと考えたが、今日の昼間見た限り、この近辺に魔物はほとんど存在しない。


「で、アルトへと頼みとはなんなのだ」


 空を見上げているアルトに変わり、アネットが尋ねる。


「あーそうそう。まあ歩きながら話すにゃぁ」


 返答を待たずにエルメナは歩き出した。

 顔を見合せたふたりは、渋々後ろをついて歩く。

 エルメナは両手を頭の後ろにしながら、一歩一歩前に向かって足を蹴り出すように歩いている。

 その姿は無邪気な子供と言えるが、エルメナの容姿と雰囲気が、自分は大人だと主張しているように思えた。

 エルメナは小石を見つける度にそれをつま先で蹴った。

 ころころと転がる石の音が、夜の街に響いた。

 3人は夕方の噴水まで戻ってきていた。

 人の姿はなく、今では本当に水の音だけがその場を支配している。

 噴水の前で反転すると、エルメナは腕を下ろした。


 待ちわびたと言いたげにアネットは腕を組み、アルトは息を飲んだ。


「まあ私のお願いは簡単だにゃあ。アルトの祝福の効果は知らないけどそれで戦争を止めて欲しいのにゃ」


「⋯⋯え」


 言葉にならなかった。

 初対面の人間になに壮大なことを頼むのだという戸惑いもあれば、自分が祝福で止めたと明るみに出れば間違いなく身柄を狙われるという忌避感、平和を望むアルトにとっては、痛いところをつかれた気分だった。


 自分の気持ちの中に、戦争を無くしたいという思いはある。

 しかし、そんなことできるわけが無いと諦め、アネットも戦いを利用して祝福の効果を探ったりはしたものの、だからといって直接戦争をどうにかしてくれなどという訳でもない。


 しかし今、初対面のエルメナに言われたことで、アルトの中にはひとつの希望が湧いていた。


 それは小心者であるが故に、自分から言い出すことはできないが、人に言われたから引き受けたという名分だ。


 そしてひとつ方法が浮かんだ。

 今日のように、戦場に祝福を付与し、兵士を不死身にしてしまえば、必ず両国は戦闘に嫌気がさして戦意が削がれる。

 いやむしろ、これしか自分にできることはないと、アルトは理解していた。



 戦争を止めて欲しい。そんな大それたことを言っても、エルメナの笑顔は崩れない。

 どこか他人行儀に見えるが、冗談だとするならば目的が分からない。


 故に彼女の言ってることは真実であると、お人好し気質のアルトは解釈した。



「わかりました⋯⋯神官としてできる限りの事はやってみます」


「神官は関係ないだろ⋯⋯」


 隣からアネットの指摘が入るが、アルトは肩を震わせるだけで、返事はしなかった。

 

 


 






 


 

 

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