祝福を前にした人々 3
「アルトさーん」
アルトの存在に気づいたカーネリアンは、立ち上がって手を振った。
周りの視線がアルトとカーネリアンに注がれる。
アルトは赤面しながら、跪こうとしたが、人の目があることもあり思いとどまった。
人目を気にせず、カーネリアンは無邪気に頬を緩ませながら、軽やかに駆けてくる。
アルトの隣で、アネットが不機嫌そうに腕を組みながらその様子を眺めているが、情愛の女神は一切意に介さない。
カーネリアンはアルトの前まで来ると、杖を抱き抱えたままお辞儀し、黄金色と蒼色の双眸で見上げた。
「お久しぶりです。お加減はいかがですか?」
「お陰様で⋯⋯息災です」
恭しくお辞儀しながら、神からの問いに答えるアルトの姿を見て、アネットは「これこそ本物の問答だな」と心の中で呟いた。
カーネリアンはうんうんと頷き、アネットを一瞥し、満足気に無邪気な笑みを浮かべた。
「こちらの方は新しいお仲間ですよね?」
「ええ。お陰様でこの通り」
事情を知っているアネットからすれば、その言葉は皮肉のようにも受け取れたが、当の本人にその気は全くなく、カーネリアンも当然、褒め言葉として受け取った。
「それは何よりです! アルトさんに授けた祝福が役に立ったようでよかったです!」
杖を抱き寄せながら、喜色満面の顔でカーネリアンは喜びを表現した。
その笑顔は見ているだけで魅入られ、アルトは心が癒される予感がしたが、眉をピクリと跳ねさせ、不服そうに目を細めて身を乗り出した。
「あのな、その祝福でアルトはっ、んぐっ!?」
過去には神を殺すとまで言っていたアネットがなにかよからぬ事を口走るのではないかと、アルトは咄嗟にその口を手で塞いだ。
「んー!?」と呻き声を上げる不服そうなアネットを後ろへと回し、にこやかにアネットとカーネリアンの間へと割って入った。
「え、ええ。本当にカーネリアン様には感謝のしようもございません」
アルトの顔には汗が滲み、顔が引き攣りそうになるのを必死に耐えている。
平成を装いながら、僅かながら口角を上げて喜びと感謝を表した。
塞がれた口元の手を払い除けながら、アネットは目を細めて物言いたげにアルトを睨んでいた。
「実はアルトさんが心配で、先程こちらに向かうところが確認できたので地上に来たんですよ!」
「わざわざ私ごときのために⋯⋯? なんと有難いことか⋯⋯感服いたします⋯⋯」
普段から物腰は丁寧なアルトだが、ここまでへりくだってご機嫌取りのようなことをする姿は見たことがなかった。
(これが信者の姿か⋯⋯)
アネットは鼻息を漏らしながら、呆れたように首を捻った。
紅に染まった空に、月がゆっくりと姿を表しはじめる。
人々は自宅に帰ったのか、周辺のしんと静まり、吹き出される水の音と風の音が響いた。
「でもほんとに良かったです! こんどはいいお人とお仲間になれたようで」
「ええほんと⋯⋯カーネリアン様のおかげで」
授けられた祝福によって実は翌日パーティーを解散し、おまけに故郷の街を出ることになったなんて、口が裂けても敬虔なアルトに言えるはずがなく、ただ笑顔で接する。
その様子を見ているのがむず痒くなり、背中を震わせながら、アネットはアルトの肩に手を置き、会話を断ち切ろうとして言った。
「アルト、そろそろ宿を探さねば今夜は野宿になるぞ」
アルトは眉を動かしながら、ハッとした。
「たしかにそうですね⋯⋯カーネリアン様⋯⋯申し訳ありませんが私どもはこの辺りで」
「ええ。ではアルトさんもそちらの方も息災で。神の加護が受けられますように」
カーネリアンはおもむろにお辞儀しながら、両手で握りしめた杖の上部にある宝玉を、自分の頭の上に掲げた。
何かのまじないなのか、顔をあげると幼い笑顔を今一度見せ、「では」と明るい声で言うと、カーネリアンは反転してどこかへと歩き出した。
去りゆくカーネリアンに、アルトは両手を重ねてお辞儀をした。
その姿はアネットからは異質に写り、偶然通りかかった人も不気味がって足を早めていた。
「お前はあの女神のどこを尊敬してるんだ」
風に肌を震わせるように肩を竦め、腕を組みながらアネットが呟く。
目を開き、慈愛に満ちたような柔らかな笑みを浮かべながら、アルトは頭を下げたまま答えた。
「神という存在そのものへの畏怖でしょうか」
「その辺の大木を御神木と崇める連中と変わらないということか」
「まあそうですよ。私の場合、本当に出会ったということも尊敬の要因にはなっている気がしますが⋯⋯まさか夢に現れた姿そのものだったとは」
「あの姿じゃ照れるのも無理はないな」
ほくそ笑むアネットを一瞥し、アルトはすぐに目を逸らした。
「別にそんなんじゃ⋯⋯というか早く宿を探しましょう」
クックックと笑うアネットを、照れ隠しするように顔を顰めながら見つめた。
昼間近くで戦闘があったにしては、随分と街の様子は落ち着いていた。
やはり男は少し少ないのか、飲み屋や飲食店を覗いても、どこにいっても男の姿は少なかった。
戦場で兵士たちが次々と回復していったことについての噂は、どこにいっても止むことはなかった。
アネットとふたりで入った飲み屋で、アルトは静かに水を飲みながら、周囲の会話に耳を傾けた。
やはり皆は、戦地となった陣地が呪われているだとか、地中に回復結晶が埋まってるなどそんな話をし、中には結晶を掘りに行こうか話している連中もいた。
目の前のアネットはビールが入ったジョッキを片手に、フライドポテトを摘んでは、なにか不機嫌そうに唸り、何度も首を捻ってはため息をこぼしている。
「どうしたんですさっきから。ビールが口に合いませんか?」
と聞いてみたが、テーブルの上には空になったジョッキがひとつ置いてあり、さっきからそれなりのペースでアルコールを摂取している。
アルトの回復能力は、アルコール分解にも役立ち、祝福の範囲内にいる人間は、飲んでも酔わない。
アルトは両手で水が入ったグラスを持ちながら、恐る恐る酒を飲むように水分を補給した。
「いや⋯⋯善意で迷惑をかけるやつがいちばん救えないなって思ってな」
アネットはテーブルに肘をつきながら、フライドポテトを先っぽから小刻みに噛んでいく。
「カーネリアン様のことですか」
「いや⋯⋯一般論の話だ⋯⋯あの女神もそのうちの1部かもしれないが」
「⋯⋯そうは言っても。この能力自体はそれほど悪いものでは無いと思うんです。魔物と戦って平穏をもたらしたい私には恐ろしくミスマッチなだけで」
「だが無意識に物まで直してしまうのは問題だろ⋯⋯おかげで私のビンテージコートが」
ガンッとジョッキがテーブルに叩きつけられる。
アネットは唇を噛み締めながら、数ヶ月前に100年の歴史がリセットされたコートを思い出す。
グンネルでの部屋を引き払う時、荷物の処分は手紙で実家の両親に託してある。
コートがどうなったかはアネットからは分からないが、もはやあのコートがどうなってもよかった。
「あれはほんとに申し訳ないです⋯⋯」
「まったく⋯⋯ていうか、そろそろどこかに腰を据えたらどうだ。もうあの壁のことは諦めてることだろ」
「そーですね⋯⋯そういえば街を離れるために旅に出てたこと忘れてました」
「おいおい⋯⋯お前水で酔ってるのか?」
「そんなわけないじゃないですか⋯⋯」
目を細めながら、アルトもフライドポテトをひとつつまんだ。
「まあ確かに⋯⋯どこかで力のことが知られないように生きるのはありだと思いますが⋯⋯その時はアネットはどうするんですか? グンネルに帰りますか?」
アルトのひ弱な両目が、アネットの目をしっかりと捉えた。
質問の内容も相まって、アネットは気恥しさを覚え、目を背けようとしたが、どうしても逸らすことが出来なかった。
「ひとりで来た道を帰れというのか。か弱い乙女に!」
「か、か弱い⋯⋯?」
頬を染めながら、ジョッキを前に突き出したアネットを、目を見開きながら見つめた。
ジョッキから僅かな液体が流れ、テーブルに零れた。
アルトは身を乗り出してポケットからハンカチを取り出し、机を軽く拭き取った。
アネットは頬を口紅のように赤くしながら、ジョッキの飲み口を咥えて睨んだ。
「なにか文句あるか⋯⋯」
「い、いや⋯⋯ないですけど⋯⋯」
「ふんっ⋯⋯ま、そうなったらお前の近くで冒険者とパーティーを組んで魔物狩りでもして生計を立てるかな。怪我したら治してもらう」
「それ私かアネットのどちらかの噂が広がってまずいと思うんですが⋯⋯」
2杯目を飲み干し、もう1杯を店員に注文し、アネットは両肘をテーブルについた。
手の甲に頬を乗せ、猫背になりながら、借りてきた猫のように縮こまっているアルトを見て吹き出した。
「だったら、私が信頼できる奴を見つけてパーティーを組むから、アルトはヒーラー専門ということで後方で待機したらどうだ」
「ああ、それですか」
アルトは瞬きをしながら、グラスの中に反射した自分を見た。
「いちど考えたんですけど、それだとが一刻を争う大怪我をした人を助けられませんので」
「ふむ⋯⋯今日みたいに祈って範囲を拡大させる訳にはいかないからな」
「それをすると魔物にも影響が出ますので」
「やはり厄介だな⋯⋯」
アルトは答えず、ポテトフライを食べる手を早めた。
「だがまあ⋯⋯そろそろほんとに考えてみるか、どこかに腰を据えることを。べつにずっといる必要もないしな」
「ですね⋯⋯それ自体は賛成です。いくら疲れないとはいえ、ずっと旅をするのは精神面で疲労しますから」
店の喧騒は徐々に激しさを増していくが、皆そろそろ気づきはじめていた。
いくら酒を飲んでも酔わないと。
酒が売れるペースがいつもより早いことに気づき、店員も厨房で首を傾げていた。
そんな店の中で、ひとつの足音がアルトとアネットのテーブルへと近づく。
コツコツと、リボンの形をあしらったシューズバンドがついた黒靴を鳴らし、脛の高さまでを覆う赤いフリル付きのスカートを揺らしながら近づいてくる女の子がひとり。
接近に、アルト達は気がつかない。
店の騒がしさが、その女性の存在を隠していた。
気づかれることなくテーブルの前に来ると、軽く咳払いをし、ニタァっと口を三日月型に開いた。
「君さぁ⋯⋯祝福受けてないかにゃぁ?」
テーブルの真ん中に盛られたポテトフライに視線を奪われていたふたりは、その一言で動きを止め、息を飲んだ。




