深い谷底の花
「とりあえず⋯⋯その呼び方はやめてください⋯⋯次呼んだら話聞きません」
「は、はい。申し訳ありませんっ」
男は慌てて謝り、気を取り直して咳払いをした。
珍しくアルトは本当に嫌がってるようで、口元を歪めながら男を見上げている。
「あの⋯⋯自分はグッベルと言います。あの戦場でゾンビ現象をこの身にうけました」
「ぞ、ゾンビ⋯⋯ま、まあいいです⋯⋯とりあえず用件とは?」
(ここで聞いちゃうあたりアルトはお人好しにゃぁ)
グッベルとアルトのやり取りがおかしく、エルメナはぼんやりと目の前を行き交う人々を眺めながら、耳をすませている。
いつの間にか正気に戻ったアネットも、「なんだなんだ」と戸惑ってはいたが、すぐに落ち着いてふたりのやり取りを見守り始めた。
「この国の北西に⋯⋯深い谷があるのです。交通の要所となっている谷が」
「はぁ⋯⋯」
「じつは数ヶ月前から、そこに魔物の集団が現れるようになりまして、人や物資の行き来が滞ってしまっているのです」
「なぁるほど⋯⋯」
「それでできることなら⋯⋯アルト様のお力でどうにかしてもらえないかと」
「うーん⋯⋯それは無理だと思いますよぉ⋯⋯」
アルトは首を捻りながら唸った。
「魔物との戦いの時に私の力で回復させてほしいってことでよろしいですか?」
「ええ。その通りです」
「残念ながら私の力は無差別に発動されるので⋯⋯なんなら今あなたの服とか綺麗になってたりしませんか?」
「⋯⋯ほんとだ⋯⋯擦り切れてたのに綺麗になってます!」
グッベルは腕の部分を見ながら、何度も瞬きをして新品同然になっている現象を確認した。
「まあようするに⋯⋯私の力は人だけじゃなくて物⋯⋯ひいては魔物にも影響します」
パーティーを追放された翌日、双子の冒険者、オリオとリオンのことを思い出し、涙が頬を伝った。
(あのふたりは元気にしているでしょうか)
もう随分古く思える、酒場で抱き合った日を思い出しながら、涙を拭った。
気を取り直し、グッベルに説明を続ける。
「まあでも⋯⋯力の範囲外に私が待機し、皆さんが負傷したら下がって回復⋯⋯ということなら不可能では無いですが、問題はそれだと魔物が治癒の範囲に入らないように気を留めなければならないということです。ただし浮遊する魔物にも注意しなければなりませんが」
「今度戦争が集結したこともあり、それなりの規模の討伐隊が組まれることになっているので、ご同行願えませんか」
「ま、まあそれなら⋯⋯」
「本当ですか!? 感謝します!」
グッベルはビシッと敬礼し、感謝を示した。
元々アルトは、魔物を倒して傷つく人間が少しでも減るように冒険者達とパーティーを組んで戦っていたゆえ、このような頼みは戦争終結よりも気持ち的には心が踊った。
「では明後日、この街の兵士と共に谷へ向かうのでご同行を。西の街外れでお待ちします」
「わ、わかりました」
要件を言い終え、グッベルは満足そうにお辞儀して立ち去っていった。
いつの間にか日が完全に暮れ、街中にランプの灯りが灯り出している。
昼間の暖かさが、夜風に吹き飛ばされるように、肌にひんやりとした感覚が触れる。
「次は谷かぁ⋯⋯北西の谷といえばナラグルムの谷かにゃぁ?」
エルメナはお腹が空いているのか、何日も前に陣地から奪った干し肉を噛み締めている。
「有名な谷なんですか?」
「まあ有名というか、国を出て西へ進むにはそこを通るしかないんだにゃぁ。この国の西はずーっと深い森と山が続いてるからにゃぁ」
「なるほど⋯⋯それには困りますね」
「まあ谷の魔物をどうにかできたらかなり助かるのは間違いないにゃぁ」
エルメナは遥か北西の谷へと目を向けたが、当然見あるわけがなく、視界にはレンガ造りの建物が立ち並んでいる。
それでも、脳裏には新緑の山々に挟まれた谷が映し出された。
「まあよかったじゃないか。祝福を受けてから初めてお前のやりたいことができるんじゃないか?」
おっほんと咳払いをしたアネットが間に入る。
「そうですね⋯⋯ようやく魔物相手に役立てそうです」
「今まではせいぜい擦りむいたり疲れた私を回復するくらいだったからな」
「まあそれでも役立ってはいたんですけどもね」
一行はエルメナの家へと向かった。
アルトとアネットが宿を探そうとすると、エルメナが自分の家に泊まれと騒ぎ出したのだ。
そしてあろうことがアルトのことを「情愛の神」とわざと呼ぼうとしたので、慌てて口を塞いでいたし方なく家へとやってきた。
家に入る前も入ってからもアネットはわざとらしく舌打ちを鳴らし、アルトは緊張した様子で部屋の中で立ち尽くしていた。
一度来たが、以前は姫の様子を見るために少し寄っただけで、すぐに宿へと泊まったから、1夜を過ごすというのは緊張感が大きく違う。
アルトはモジモジと肩を縮こまらせながら、ずっと首を振ってまわりを見ている。
「うわぁ⋯⋯なんかモロだにゃ」
「アルトに限って邪な考えはないのだろうが⋯⋯それでもちょっとアレだな⋯⋯」
女子二人から容赦ない感想が届き、アルトの顔に影ができる。
「しょうがないじゃないですか⋯⋯誰かの家で泊まること自体が昔アネットの家に泊まった時依頼なんですから」
「⋯⋯お前それ⋯⋯もう10年くらい前だろ」
「仕方ないじゃないですか⋯⋯誰かといても宿です泊まるだけだったんですから」
「しかし懐かしいな⋯⋯たしかぬいぐるみ抱いて寝てたよな」
「⋯⋯こんな所でやめてくださいよ」
エルメナを確認すると、やはりニヤニヤしながら夕食の支度へと向かった。
広間の隣のキッチンでエルメナが用意をする間、アネットはロッキングチェアに揺られ、アルトは壁にもたれながらじっと立ったままでいた。
キッチンからはほんの僅かに薪が燃える匂いが漂ってきた。
かまどに水を入れた鍋を入れ、そこに野菜を無造作に投入していく。
芋、玉ねぎ、キャベツ、ブロッコリー、あまりにもざっくりと放り込まれた野菜達には、皮や芯がそのまま残り鍋でことことと煮られる。
鍋に目分量で塩や香辛料を放り込みながら、アルトとアネットは食べようとしない干し肉を齧りながら鼻歌を歌う。
軽快な鼻歌がキッチンから広間へと届き、アルトは耳を傾けながら、その場へと腰をおろし、三角座りして料理を待った。
「お待たせにゃー」
数分後、運ばれてきた料理は、野菜のスープとパンだった。
パンとスープという質素な食事自体には文句はない、むしろ作ってもらっただけるたりとも感謝しているのだが、問題はそのスープの見た目だった。
玉ねぎとキャベツは4等分、芋や人参は半分に切られ、それでいてブロッコリーはまるまる1本豪快に投入されている。
直接持ってきた鍋から器に移すエルメナの顔に、悪意のほどは微塵たりとも考えられない。
「遠慮なく食べるにゃぁ」
屈託のない笑みで皿によそわれたスープは、匂いは少し香辛料の香りが強いくらいで、それといった特徴はない。
「玉ねぎの皮って食えるのか⋯⋯」
「ていうかこれ⋯⋯ブロッコリーとキャベツは芯ついてますし⋯⋯ていうかスプーンで食べにくすませんかね⋯⋯」
皿を睨んでいると、エルメナは自分の分もよそい終え、ひとまず先に「いただきます」を言い、そのまま2人の様子を見るでもなく食べ始めた。
アルト達も続き、恐る恐るスープに口をつける。
(薄い⋯⋯)
不味い訳でも塩辛い訳でもなく、ただただ味が薄く、口の中に香辛料の香りがついた水が広がる。
不味いとも言いきれない。しかし美味くはないし、普通という訳でもない。
僅かに香辛料とは別の辛味を感じる。
野菜の旨みが染み出している風味もなく、ただただ味のついた水という状態だった。
(これは暖かいお湯だ⋯⋯)
と自分に言い聞かせながら、何度もスプーンで口に運ぶ。
アネットは玉ねぎを食べようとして皮を指で捲り、恐る恐る齧り付いた。
「んぅっ゛!?」
大きな玉ねぎを口の中で咀嚼した瞬間、中からアクと辛味成分が口の中に飛び出し、悶えるように目を見開きながら、頬を膨らませた。
なんとか耐えようとしたが、口の中が決壊し、顔を背けてむせかえった。
「ゴホッゴホッ⋯⋯おい、これ、火通ってないぞ」
スプーンで芋を突くと、コンコンと硬い音がした。
「あ、ちょっと辛いの玉ねぎのせいだったんだ⋯⋯」
「もうやめとけアルト⋯⋯お腹壊すぞ」
「⋯⋯ですねぇ」
それでも残すのは作ってくれたエルメナに申し訳なく、どうしようか迷いながらエルメナを一瞥すると、料理人はとくに何も気にすることなく、スープを飲み、野菜をすくって丸かじりしていた。
「どうしたにゃぁ? 食欲ないかにゃ?」
「あの⋯⋯野菜硬くないですか?」
直接味を聞いては申し訳ないと、遠回しに尋ねるが、「あまり遠回しにもなっていないぞ」と、アネットが心の中で呟く。
「んー? 普通じゃないかにゃぁ?」
平然と咀嚼しながら、顔色も変えないエルメナを見ていると、アルトは言葉を失った。
「まあ塩は足りなかったにゃぁ」
(あ、そこは私と変わらないんですね⋯⋯)
アルトとアネットはパンとキャベツだけを食べ、他は申し訳ないと思いつつも残した。
芋はよく見ると芽すら取っていないし、辛い玉ねぎを食べれば体調が悪くなりそうで、ブロッコリーに至ってはまるまる1個入れてるだけなので、ふたりの器に届きすらしていなかった。
「まあふたりともお疲れなのかにゃぁ? 明日はもっと腕を振るうにゃ」
夕食を片付けるエルメナに、ふたりは慌てて顔を向けた。
谷へ向かうのは明後日、つまり明日もこの街に泊まる必要があるのだが、このままだとエルメナは明日も泊まれと言うに違いなかった。
「い、いや⋯⋯連続で作ってもらうのも申し訳ないですし⋯⋯」
「明日は私たちで作るからお前は大人しくしてろ、宿泊代の代わりだ」
ふたりとも笑顔が固まっている。
「じゃあお言葉に甘えるにゃぁ」
エルメナはここで謙遜して断りを入れる性格ではなかった。
そのサッパリとした性格に、ふたりは初めて感謝した。




