祝福を前にした人々〜神官、神になる 3
着の身着のまま、薄汚れた髪と服でキルリス国の姫は帰国した。
その姿を見た首都の人々は目を丸くし、歓喜し、姫の帰還を祝った。
「おお、ミクレアよ。よく無事で戻ってきてくれた」
広い玉座の間で、椅子から飛び降りた王は、衛兵に連れられてきた娘に駆け寄り、その肩を抱いた。
娘の身体から、今まで嗅いだことも無いような異臭がする。
実際はただの自然の少し臭い程度のものなのだが、高貴な生まれでの王の鼻には刺激的だった。
「はい⋯⋯アルト様が戦は終わったと私にお告げをくださいましたので、祭壇を離れ帰国いたしました」
「お、おおそうか⋯⋯」
娘の顔が薄汚れているのを見て、王は自分の袖で顔を脱ぐってやった。
服に着いたのは、泥や土、そしてギトギトした油だった。
(⋯⋯どこにいたんだ我が娘よ⋯⋯)
実際のところ、服や肌に着いた汚れは、エルメナの隠れ家にあった古い油をつけ、外で泥や土をつけただけだ。
ミクレアは戦争に心を痛めて家出したことになっている。
神に祈り、神がその声に答え戦を終わらせたから帰ってきた⋯⋯という物語がエルメナの即興で作られたので、今その通りの役を演じている。
姫を誘拐したというビラも自作自演であり、情愛の神アルトの指示で用意したことになっている。
その情報を持って将軍カーンが和睦を進言してきた時、王はすぐさま使者をタジストへ送った。
もともと最初に起きたゾンビ現象や、各地での戦況が膠着していたこともあり、和睦は考えていたところだった。
同じように、タジストの王もこんな戦辞められるなら辞めたいと思っていたので、将校達の賛成を得ることができ、講和はすぐに成立した。
「とりあえず身体を上がって着替えてくるのだ」
娘の身体を起こし、顔をあげさせ、王は慈愛に満ちた眼差しを向けた。
「わかりました⋯⋯」
近くにいた召使いに連れられ、ミクレアは湯浴みへと向かった。
最愛の娘が帰ってきたことに安堵し、玉座に戻りながら、王は大きく息を吐いた。
「しかし⋯⋯情愛の神アルトなんて誰も聞いたことないと言うぞ⋯⋯」
ひとり静かに玉座からの風景を眺めながら、最高神アルトという存在を信じられずにいた。
当のアルトは、アネットとエルメナと共にキルリスの首都へ来ていた。
目的は、木工職人ガウンズである。
彼を巻き込んでしまったことを謝罪するため、アルトはタジストの街で購入した犬の顔を模様したクッキーの箱を持ってかれの工房を訪ねた。
「おや、先生じゃないですか」
作業中だった彼は、来客に気がつくと、手を止めて木くずを払った。
「どうされました?」
「いや⋯⋯先日のお詫びに」
工房に足を踏み入れたアルトが、両手に持った箱を差し出すと、ガウンズは受け取って括り付けられた赤いリボンに目を向けた。
「お詫びですか?」
「ええ⋯⋯だって、あなたを騙した訳ですし」
「ああ⋯⋯そのことですか。いいんですよ。事情は聞きましたし。おかげで戦争も終わりましたし。あのまま続けばいつ自分も招集されてたか分かったもんじゃないですし、先生には感謝しかありませんよ」
そこまで言うと、ガウンズはリボンに手を被せ、
口角を上げた。
「情愛の神アルト様には」
「あ、あの⋯⋯その呼び方本当にやめてください⋯⋯」
「あはは⋯⋯すみません。待ちじゃもう先生の事で持ち切りですから」
クッキーの箱を近くに置くと、ふふと笑いながら、ガウンズはその場でくるりと回った。
「でも⋯⋯実際神様かと思いましたけどね。一瞬で怪我を直し、戦場でも死者を出さないほどの治癒力を持っている人間なんて考えられませんから」
「ですよねぇ⋯⋯あはは」
アルトは引き笑いをしながら、工房の棚に置かれた作品に目を向けた。
猫の置物と目が合った気がし、そのまま目線を下げる。
「もしかしたら⋯⋯先生は偉大な大賢者様になられるお方かもしれませんよ」
「そんな⋯⋯私はただの神官ですよ⋯⋯神を騙った罪人ですが」
「まあ⋯⋯必要悪じゃないんですか?」
「⋯⋯必要悪でも悪は悪です⋯⋯」
「真面目だ⋯⋯」
ガウンズは1度奥へと下がると、トレーに水を入れたカップをふたつ持って現れた。
「どうぞ。先生もいただきませんか」
カップをふたつ、使っていない机に置き、クッキーの箱を開けた。
ブラウン色のクッキーが無造作に詰められた箱から、甘い香りが工房中に広がる。
「ではお言葉に甘えて⋯⋯」
ここで断るのも野暮だと思い、アルトは箱からひとつクッキーを取り出した。
犬を型どっただけで、装飾のない小麦のクッキーを、わざわざ耳の部分だけ齧る。
甘い風味と、小麦の香りが口の中に広がり、精神的に疲れ果てていた心を癒してくれるような心地がした。
「そういえば先生⋯⋯なんで両国が戦争してたかは知ってますか?」
早いペースでクッキーを食べ進めながら、ガウンズが言う。
クッキーのクズをこぼさないよう、口元を手で押さえながら咀嚼し、口の中の残った食べカスを水で流し込む。
アルトは以前、エルメナから金が関係していることは聞いていたが、それ以上の事情は誰からも聞いたことがなく、金が何故関わっているのかも知らずにいた。
「金がどうのって聞きましたけど⋯⋯」
「そうなんです。金なんです」
強い語気でガウンズが頷く。
「でも、見たところキルリスに金が取れそうな鉱山なんてありませんし⋯⋯タジストの領地にある鉱山を狙ってるんですか?」
「あー⋯⋯違うんですよ」
こめかみを掻きながら、ガウンズは説明のための言葉を探す。
「南に山脈があるじゃないですか? じつはあの山脈の向こうにもまだ山が連なっていて、その中の一角に金鉱山があるんです」
「はぁ⋯⋯あの山を登って超えるのはかなり大変でしょうね」
何度も目にした険峻な山々が目に浮かぶ。
剣のように尖った山頂が東西へと連なり、登って超えるのは並大抵の登山家では出来そうになく、トンネルの類も無いようだった。
「それもそうなんですけどね。あそこって無主地なんですよ」
「ああ⋯⋯どちらの領地でも無いのですか」
「はい。それで実は、キルリスが以前、鉱山に繋がるトンネルを作ろうとして」
「で、タジストから抗議を受け、それが揉めに揉めて戦争に発展したと」
「⋯⋯その通りです」
「なんとも虚しい理由ですね⋯⋯人を豊かにするための金を手に入れるため血を流すとは」
「ですよね。同じくそう思います」
クッキーを食べる音が工房内に響く。
残り少なくなってきて、ふたりのペースがほぼ同時に落ちた。
両者とも、相手に多く食べてもらおうとこっそりとペースを調節している。
「あ⋯⋯」
ガウンズはなにかが浮かんだのか、ハッとしてクッキーを落とし、凍ったかにのようにその場に直立不動した。
「どうされました?」
落ちたクッキーを拾ってくずかごに捨てたアルトに、ガウンズは小刻みに顔を向けた。
「先生⋯⋯すぐにでも両国から離れた方がいいですよ」
「ええ⋯⋯元よりそのつもりではあります。私の力を知られた以上、興味を持たれても困りますから」
「いや⋯⋯興味とかそんな次元じゃないです⋯⋯この街には先生の事を知っている人間も何人かいますし、それに、王が先生を狙うはずです」
「まあそりゃ⋯⋯そこは折り込み済みですけども⋯⋯」
ガウンズは焦ったような顔をしていたが、アルトはそれほど重くは受け止めていなかった。
軍隊は解散して、自分の顔を見た人間も大半は他の街へ戻っただろうし、この広い首都で出会う可能性も高くは無い。
だから悠長に構えている部分があったが、ガウンズはそうは見てなかった。
「分かりませんか先生? 先生の力があれば山脈を貫くトンネルを作ることなんて大きな砂山を作るようなものなんですよ! 体力は無尽蔵。事故が起きても治癒されてすぐ元気になる。タジストと講和し、先生がここに居る今がチャンスなんですよ」
「あっ⋯⋯」
鈍いアルトにもようやく伝わったらしく、傾けていたカップから水を足元へ零した。
「アルト!! さっさと逃げるぞ!」
ガンッと勢いよく工房のドアが開かれ、慌てて振り向いてみると、アネットとエルメナが取り乱した様子で叫んだ。
「早く来い!」
「国王がアルトを探すように触れを出したんだにゃぁ!! 捕まえたら金300にゃ!」
もう既に、ガウンズの嫌な予感は遂行していたようだ。
「き、金300!?」
アルトは報酬の部分に驚きながら、あわあわとその場で足踏みをし、ガウンズの手を両手で握った。
「す、すみません。では私はこれで行きますから。お世話になりました」
「は、はい⋯⋯こちらこそお世話になりました」
まともに別れの挨拶をする暇もなく、双方恩人に別れを告げた。
風のように飛び去ったアルトのいた場所を、名残惜しそうにガウンズは見つめ、その場から動けなかった。
「嵐のような人だったなぁ⋯⋯」
────
「あ、あの人だよお母さん!!」
街を出ようとするアルト達一行を、1人の子供が指さした。
アルトには見覚えがあった。
鼻水が止まらないと言って治療に来た男の子だ。
くしゃみをされて鼻水を服につけられたと、妙にその男の子のことを覚えていた。
つい先程国王が触れを出したというのに、町中の視線がアルト達一行に向けられた。
「金300だ!」
「待って神様!!」
土埃を上げながら追いかけてくる民衆から逃げるため、アルト達は考え無しに南へと走り出した。
「にゃぁぁぁぁ⋯⋯ていうかなんで私らも逃げてるにゃぁ」
「知らん! じゃあお前はこのまま立ち止まればいいだろう! ちょうどいい! ここでおさらばだ」
アネットがここぞとばかりにエルメナを追い払おうと、しっしっと手で振り払った。
「ふざけんにゃぁぁぁ。頼みは終わったけどまだ全部終わってないにゃあ! アルトには頼みたいことがまだあるんだにゃぁ!」
「どこまで図々しいんだこのバカ猫め!」
(言い争ってる場合じゃないから! 逃げて!!)
心の中で仲裁しながら、必死に腕を降って走った。
3人の体力が尽きることはない。
祝福の範囲内に入る追手もだが、範囲外に出るとみるみるうちに失速してしまうものが多発した。
後方から、けたたましい足音と、轟々と地面を鳴らす音が聞こえ、後ろから追っていた人々が慌てて道をそれた。
その音は急速に近づいてきた。
馬の蹄が地面を蹴り、車輪が回る音だとわかる。
「おい、馬車で追いかけて来てる奴がいるぞ!?」
アネットが振り返りながら叫んだ。
無尽蔵の体力でも、馬に追いかけられれば為す術がない。
「どっか脇道に行くにゃ!!」
エルメナが急いで横道を探すが、横も追いかけてくる群衆に阻まれ、逃げ道がない。
その間にも馬車の音は近づき、振り返れば馬車の白い荷台が見える。
街の通りをぬけ、南の叩けへと出た。
開けた地の中で、馬車が迫っている。
「どこまで追いかけてくるんですかねぇ⋯⋯」
人々のほとんどは諦め、祝福の範囲内に居た人達も途中エルメナに蹴り飛ばされたりして離脱していた。
「しつこいからあの馬車もやるにゃぁ?」
「馬車相手に無茶ですよ⋯⋯ていうかあれ?」
御者の後ろの白い膜から、艶やかな黒髪が見え、琥珀色の瞳と、美しい容姿が現れた。
「姫様⋯⋯?」
アルトは突然足を止めた。
まさか姫までもが自分を捕まえるため追いかけに来たとは思えなかったのだ。
「アルト!?」
「あれ、姫様にゃぁ」
ふたりも足を止めた中、アルトは馬車に近づき、御者に一礼してから、姫にお辞儀をした。
「どうされたんですか?」
姫は馬車から身を乗り出し、アルトに手を伸ばした。
「こちらへ!」




