祝福を前にした人々〜火中の姫君 2
白い大理石の床に、柔らかな光が水面のように揺れている。
高く伸びたランセット窓から差し込む光が、薄衣のカーテンを透かして、部屋全体を淡く照らしている。
純白の壁には繊細な装飾が施され、金の花や額縁が四方を彩っている。
傍らのテーブルには透明な花瓶が置かれ、白百合が凛とした香りを漂わせる。
白百合の奥にある鏡は、この空間そのものを閉じ込めるかのように、静かに光を反射し、中央に幻のような女性を写していた。
艶やかな黒髪が緩やかに波打つように背中へと流れ、所々に編み込まれた金の装飾が、光を受けて鏡の中と実物、両方が小さな星のように煌めいた。
絹のように滑らかな肌は、窓から差し込む陽光によって温かみを帯び、長いまつ毛の下にある瞳は、琥珀をそのまま閉じ込めたような輝きと質感を持ち、見る人を魅了した。
身に纏うのは、淡い黄金色のドレスで、幾重にも重なった布は動く度に空気を含んで、軽やかに、そして優雅に靡いた。
胸元には銀の星を含んだような青く澄んだ宝石が飾られ、それそのものが、彼女の気品を象徴するかのように、控えめに輝いている。
開けっ放しの扉から風が吹き込み、袖と裾のレースをふわりと揺らした。
彼女の名はキルホンス・ミクレア。このキルリス王国の姫だ。
ミクレアは瀟洒でありながら、気品を漂わせるオークの椅子に腰掛けながら、ソワソワと手を重ねて擦り合わせ、僅かに微笑んだ。
その自然な仕草は、どこにも飾り気がないのに、部屋の前で待機している召使いの女子でさえも目を奪われてしまう。
ミクレアは朝から、約束の人を待っていた。
その人の名はガウンズ。この城下で木工細工を生業としている青年だ。
部屋を見渡してみれば、茶色いヒノキの棚が1箇所に設置され、そこには様々な木工細工の品が並べられている。
犬や猫、鳥や魚、花、花鳥風月がその棚に揃い踏みし、棚にも品にも埃ひとつない。
部屋は従者が掃除するので、ミクレア本人は基本手出しをしないのだが、この棚と品々だけは、自らの手で手入れし、誰にも触らせないようにしている。
今日はガウンズから新しい品が届く。
街へ気晴らしに出かけたある日、偶然みつけた木彫りの彫刻に足を止め、直ぐにその品を購入して職人の名を尋ね、その居場所を突き止めた。
ミクレアが直接会いに行った時、ガウンズは慌てふためきながら平伏し、ミクレアが四度「顔をあげてください」と言うまで伏したまま動かなかった。
なんとなくミクレアは、ガウンズの中に誠実さと職人としての矜恃を見出し、無理を言って直接商品を届けてもらうようになった。
当然、ガウンズの負担は増えたが、姫だけあって羽振りがいいのと、ミクレアという高貴で見目麗しい女性に会えるということが、彼のモチベーションを高めていた。
ミクレアは扉へと目を向けた。両開きの扉は開け話され、いつでもガウンズが来てもいいようにと、招く準備が出来ている。
「そろそろ⋯⋯あの方がお越しになるのではないしょうか」
ミクレアは扉の前で待機する従者に声をかけた。
従者は無言で両手を腹部の前で重ね、膝を曲げてお辞儀し、足音を立てぬようそっと外へと出かけていった。
小さく息を吐き、ミクレアはぼんやりと棚に並んだ品々を眺めた。
あまりにも夢中だったのか、先程出かけた従者がティーカップとティーポットを持って戻ってくるのに気づかず、すぐ目の前のテーブルにそっと陶器が降りる音がして、ようやく気がついた。
透明なガラスでできたティーポットには華やかな香りを出す花びらが紅茶の中に浮かべられている。
カップは縁が貝殻状に装飾され、上半分は白、下半分は淡いマリンブルーに染まっている。
ガウンズはまだかと、両手を足の間に挟み込みながら、辺りを意味もなくきょろきょろと見回した。
ガウンズがまだ来ていないのに紅茶を先に用意したのは、彼が猫舌で、あまり熱い飲み物を好まないと話していたからだ。
その話を聞いてから、遅くてもガウンズが訪ねてくる5分前には紅茶を用意するようにしてあった。
部屋の外から、足音がやってきて、新たな従者が両膝を曲げて挨拶をした。
「姫様、お客様がいらしたようです」
途端にミクレアの顔が晴れ、立ち上がろうとしたところを思いとどまり、咳払いをしてなにか言おうとした。
が、伝えた従者がなにか言いたげに、口元を小さく動かしているのが見えた。
「どうかしましたか?」
「それが⋯⋯ガウンズ様は体調が優れないらしく、代わりのものをお連れになられたようでして」
「⋯⋯通してください」
落胆した溜息と表情が表に出そうになったが、さすがは一国の姫、眉ひとつ動かさず、心の中で嘆息し、いつも通りの状態をキープした。
案内をした従者が、「こちらへどうぞ」と部屋の中を手で示すと、軽快な足音を響かせ、ガウンズが寄越した代理のエルメナが姿を表す。
「にゃはっ。ミクレア王女はここですかにゃぁ? お届け物ですにゃ」
その場の空気が凍るような、風さえも止まるような気がした。
主に控えていた従者ふたりが目を見開いたまま動かなくなり、突然現れた言葉使いがあまりにも気安く、全身から軽薄さを醸し出した少女に対して、本来であれば止めるべきところ、指一本動かすことが出来ずに防寒していた。
「あなたが⋯⋯ガウンズさんの?」
ミクレアはさすがといった様子で、あくまで冷静に、双眸でエルメナを見据え、「こちらへどうぞ」と、自分の真ん前にある椅子を示した。
「失礼しますにゃぁ」
桐箱を両手で抱えたエルメナは、見たこともないような絢爛な部屋をじろじろと見回しつつ、椅子に腰をおろし、桐箱をテーブルに置いた。
「申し訳ありませんにゃぁ。じつはお師匠様が昨日から体を壊してたので、代わりに弟子の私がお届けに来ましたにゃぁ」
「ガウンズさんがお身体を⋯⋯」
純朴な姫は、エルメナが即興で吐いたに過ぎない戯言を信じ、俯いてガウンズの身を案じた。
そんなミクレアの素直さが可笑しいのか、エルメナはまあまあと手を振った。
「心配しなくても、ただの軽い風邪ですにゃぁ。ただ姫様にうつしてはならないっ、てお師匠が固く閉じこもっただけですからにゃぁ」
「それならよかったのですが」
ほっと胸を撫で下ろす所作さえも、平民とは一線を画した気品さを感じさせ、普段人の行動など気にすることが無さそうなエルメナでさえも、「ほぉぉ」と感心したように息を吐いた。
「で、これが今回お師匠様が作った作品ですにゃぁ」
桐箱を結んだリボンを解き、蓋をゆっくりと降ろして中のものを持ち上げる。
中から出てきたのは、木彫りの虎だった。
虎の縞模様は木を削った時にできる線と木の濃淡で表現し、表情は柔らかく、伏せて穏やかに目を閉じている虎の模型だ。
初めて模型を見たエルメナも、思わず感嘆しそうになりながら、ティーセットに触れないよう、慎重に品を姫の目の前に置いた。
「こちらは⋯⋯虎ですか」
「そうですにゃぁ」
「絵で見たことがあります⋯⋯たしかこんな姿をしていたような」
ミクレアは模型に手を伸ばしかけ、触れることはせず、撫でるように手を動かしながら、顔を近づけてゆっくりと虎を眺めた。
「さすが⋯⋯素晴らしい出来栄えです。ガウンズ様にお見事ですとお伝えください」
「わかりましたにゃぁ。あ、姫様申し訳ありませんがこれをお願いしますにゃぁ」
リボンと桐箱の間に挟んであった受領書を開いて姫の前へと差し出す。
「あ、承知しました。だれか、私の印を」
扉の前で控えていた従者のひとりが、慌ただしく部屋の中へ入り、タンスの中からピンポイントに判子を見つけ出し、朱肉と共に姫の前に置いた。
姫は左手で右腕の裾を抑えながら、印鑑に朱肉を押し付け、受領書に判を押した。
紙を持ったエルメナは、じろじろと確認するフリをして、満足気に頷いた。
「ありがとうございますにゃぁ。これで役目を果たせたにゃぁ」
「こちらこそ、ガウンズ様にご養生するようお伝えください」
「かしこまりましたにゃ。あっ、すみません姫様! ひとつ忘れていたことが⋯⋯」
わざとらしく、エルメナは目と口を開いて困ったような顔をしながら、ミクレアをチラチラと見た。
「どうなされましたか?」
純粋なミクレアは一切の疑惑を抱かない。
むしろ、なにか大切なことを伝えられるのではないかと、じっと言葉を待っていた。
「じつはお師匠様から言伝を預かっていたんですけど⋯⋯そのぉ⋯⋯個人的なことでして⋯⋯よかったらふたりきりにしてもらえないかにゃぁと」
エルメナはこの僅かな時間で、ミクレアがガウンズのことを、ただの職人と客としてではなく、心許せる友人として認めていた事を見抜いた。
ただの商売人を寝室でもある自室に招き、来る前から紅茶を用意し、会話の邪魔をさせないよう従者達は離れた扉のところで待機させる。
それだけ、二人の仲を示す証拠が揃っているようなものであった。
「わかりました」
エルメナの目論見通り、ミクレアは従者を部屋の外へと下がらせ、扉も閉じさせた。
ガラス窓の向こう側に、つがいの鳥が映る。
ちゅんちゅんとせせらぎのような鳴き声が部屋の中にも聞こえた。
「そのですにゃぁ。じつはお師匠⋯⋯」
エルメナはそっと立ち上がると、言いづらそうに、俯いて握りしてた右手を口元に添えながら、ゆっくりと自然に、テーブルに沿うように足をすすめ、ミクレアへと近づいた。
「ガウンズ様がなにか?」
ミクレアの純真な瞳は、エルメナを捉えて話さない。
弟子を名乗る人物が言いずらそうにしている。しかも個人的なこと。
なにか期待をしている訳ではなくても、緊張で自然と身体は強ばり、胸の鼓動が早くなる。
紅潮しそうになる顔を隠すように、ミクレアはついエルメナから目を逸らす。
その隙を、エルメナは逃さなかった。
足音を立てずに一瞬で距離を詰め、スカートと身体の間に挟んであったナイフを左手にし、姫の後ろを取った。
「物音立てたらザクりだよ?」
鋭く光った刃が、ミクレアの首元数ミリで静止した。
エルメナのいつもの明るさや幼さが消え、凍てつくような冷気が直接ミクレアの耳元に触れる。
「な、なにを⋯⋯」
息を飲んだミクレアは、エルメナの命令に従うように、指一本動かさず、小さく声を発した。
エルメナの目線が扉へと向く。
その目に光はない。ハイライトを失った木の葉のような深緑の瞳が、ただ漠然とだれか入ってこないか警戒している。
「⋯⋯今夜、この街の西外れに来るにゃ。そうだにゃぁ⋯⋯街から離れたところに使われてない倉庫があるからそこに。当然ひとりで来ないと⋯⋯」
ナイフの面を首に触れさせる。
冷たく、鉄臭い刃の感触が全身に響き渡る。
「お師匠の命はないにゃ」
はっ、と溢れ出そうになった声を抑え、ミクレアはガウンズの姿を脳裏に浮かべた。
「あなた⋯⋯ガウンズ様の弟子などではありませんね」
「あたりまえだにゃ。私達はその人を利用しただけだにゃぁ」
「私達⋯⋯仲間がいるのですか。要求はなんです」
命の危機にあっても、声を震わせてはいるものの、気丈に、王家の威厳を感じさせながら自分と対峙する姿に、エルメナは僅かながら胸が弾んだ。
「来ればわかるにゃ。いい? 西のハズレにある倉庫にゃ。ちなみにだけど」
エルメナは触れるか触れないかの距離まで唇を耳元へ寄せ、さらに冷たく、生気すら感じさせないような声音で囁いた。
「そこに兵隊送ったりでも無駄にゃよ⋯⋯私の仲間は離れた場所で見張ってるから、私になにかあったら、そいつがお師匠殺しに行くにゃ」
「⋯⋯わかりました」
本当に人間の声なのかと、恐ろしくて震えそうになりながら、ミクレアは静かに頷いた。
満足したエルメナはナイフを懐にしまうと、今と正反対の眩い笑みを浮かべ、ミクレアの肩を叩いた。
「じゃあ待ってますにゃぁ。来ないとどうなるかわかるかにゃ?」
最後はまた死人のような冷たい目と声に戻っていた。
エルメナは何事も無かったかのように、紅茶を1杯カップに注いで飲み干し、部屋の外へと向かった。
扉が開かれ、エルメナは手を振って部屋を後にした。
その数十秒後、従者達が部屋に戻ってきた時には、ミクレアは静かに決意を済ませていた。




