祝福を前にした人々〜火中の姫君
診療所を開いて数日、最初に来たのは数人の子供だった。
膝を擦りむいたとか、猫に引っかかれたとか、小指ぶつけて痛いだとか、小さな怪我でまばらだがアルトの元へやってきた。
実際、アルトと対面する前に皆の傷や痛みは治っているのだが、やってくる子達はそのことに気づかず、アルトに症状を話すまで、まだ痛みがあったり傷があったりと思い込んでいた。
「転んで膝が痛いのぉ」
「引っ掻かれたところがヒリヒリするの」
そんな悩みがアルトに寄せられたが、彼らは皆話す頃には完全に治っている。
それに気づかせないよう、アルトは子供達に目を閉じさせ、息を整えさせ、額に触れながら祝詞をとなえた。
祝詞自体に意味は無い。回復魔法の詠唱とは関係の無い言葉を、子供たちの前で何度も唱えた。
「さ、もう大丈夫だよ」
優しい言葉を投げかけ、目を開けさせると、子供達は皆患部を直に見たり、鏡で見たりして喜色満面の笑みを浮かべ、驚きの声を上げた。
「すごい! もう治ってる!」
「先生はすごい魔法使いだ!」
そんな賛辞を浴びせられれば、アルトでさえも鼻が高く、自分が誇らしく思えてくるものだが、すぐに医者の前をしている理由を思い出し、その度に顔を顰めて苦笑いした。
子供の純粋さが羨ましいと思えるほどに、悪事に手を染めようとしている自分が恐ろしくあった。
もちろん、姫を誘拐して身代金を要求するだとか、姫を傷つけるなんて気は一切ない。
ただ、なんの身分ももたず、人を言論で動かす力がないアルト達が、キルリス、タジストの戦争を終わらせるには、それくらいの強引な手を打たねば、現状どうしようもないというだけだ。
自分を正当化するのは嫌いだった。
だがそうしなければこれから行おうとしている、そして現在準備を進めているという事実に耐えられない。
だがやはり、逃げ出すということも同じように恐ろしく、選択肢には含まれなかった。
診療所を初めてから数日で、初めて大人の患者がやってきた。
中年の女性で、農作業で腰を痛めたという。
その女性も例に漏れず、「私は腰が痛いんですよぉ」と、もう既に治っている腰をトントンと叩きながらアルトに症状の相談をしていた。
「ははあ。ではおかけください。そして目を閉じて、息を整えてください」
大人相手の場合、子供相手の時のようにゆったりはしていられないと、直感的に考えた。
無駄に話をしたり時間をかければ、もう治ってるからやっぱりいい。ということになりかねない。
てことで女性に目を閉じさせ、同じように祝詞を唱え、終わったら目を開けさせて体がどうなったか尋ねる。
「すごい。痛くないわ!」
またトントン、と腰を叩く。
テントに入る前から治っていたなどとは夢にも思っていない。
女性は、アルトの治癒魔法ひとつで完全に復活したと心の底から信じている。
「すごいけど⋯⋯ほんとにお代はいらないの?」
立ち上がりながら、女性は不安げにアルトを見下ろした。
「ええ。私は神に仕える身なので、人助けで金銭は受け取りません」
アルトの信仰の中にそんな教義は存在しないが、女性は「そういうことなのね」と納得して去っていった。
「順調そうだな」
買い出しに行っていたアネットが、瓢箪に入った水を持って入ってくる。
入るなり水をアルトに渡し、アルトは喉を鳴らして飲んだ。
「ありがとうございます⋯⋯まあ、そこそこ噂が広がっているのかと」
瓢箪の蓋を閉めようと飲み口に蓋を押し込んでいると、アネットに瓢箪を奪われる。
「あ、」
と声が飛び出し、アネットの手元へと移動した瓢箪を眺めていると、なんのお構いなしに今度はアネットが喉を鳴らした。
同じ瓢箪から水を飲むだけでも、アネットが行うと不思議な清涼感があった。
ただ同じ容器で同じものを口にする。
小さな頃からの友人であるふたりにとっては、過去には日常的であった行いも、成熟してから行われると、子供の純朴さでは気づかない神秘性のようなものを覚えることがある。
だがアネットはなんとも思っていないのか、そのまま瓢箪に蓋をすると、座って自分を見上げているアルトに目を向けた。
「どうした? そんなに見つめて。なにかついてるのか」
「あ⋯⋯いや、なんでもないです」
頬が赤くなりそうなのを抑えようと、俯いて下唇を噛みながら息を整える。
この数日間、20回は言った息を整えてという指示を、自らに出して従っている。
テントの外では、日が西に傾きかけ、畑仕事をしていた人達が自分たちの家へと戻り始めていた。
相変わらず、首都に駐屯している軍に動きはない。
次の予定の噂も聞こえてこず、ただ、万が一攻めてくるかもしれないタジストに備えてこの首都の食料を頂戴している穀潰しのような存在になっている。
「そういえば⋯⋯そろそろ金を稼ぎたいんだが、生憎この辺りは魔物が少ないんだ」
アネットの言葉は、直接懐事情が思わしくないと伝えていた。
「たしかに、あの小さなネズミしか魔物見てませんもんね⋯⋯」
「しかもタジストのほうではまだいたが、こっちにはあのネズミすらほぼいない」
「魔物がいないっていうのは平和でいいと思うんですけどね」
「まあだとしても人間同士が争うくらいなら冒険者の飯の種が転がってる方がいいだろ」
「といっても⋯⋯上級魔物は普通に危険ですけどね。それこそ人に獣人とか」
「獣人なんて見たことないな」
「珍しい存在ですからね。恐らく人間界にいるのは迷い込んできた者ばかりで、基本は魔界暮らしですよ」
「はぁ⋯⋯てか何の話してるんだ私達」
「⋯⋯基本暇ですからね」
診察は1分もかからない。
外に出てる間に患者が来て待たせるのも忍びなく、街のこともよく知らないので、アルトもアネットもほとんどこの周辺からここ数日動いていない。
夜になれば宿に泊まり、朝になればここに戻る。
ここが仕事場で、出勤と退社を繰り返す生活。
そんなふたりとは対照的に、エルメナは単独行動をしており、どうやら、城の周りをうろちょろしては、衛兵に睨まれて下がるを繰り返しているそうだ。
今日はあと数人子供を見て終わりかなと思っていると、大きな影がテントの中へと現れた。
「あの、まだやってますか?」
立派な体躯をした青年が、左手を布で止血しながらやって来てきた。
青年の黄緑色の上着とズボンには木くずが付着し、左手に被せた布にはじんわりと血が滲んでいる。
タオルの血を認めると、もう既に血は止まっているということにも気づかず、アルトは慌てて青年を呼んだ。
「ど、どうぞこちらに。その左手ですか?」
アルトの前にいたアネットが後ろへと下がり、アルトと青年を見守る。
席に座った青年は、胸元で手を抑えたまま、小さく頷いた。
「はい。仕事中にざっくり」
「すぐに処置しますから、目を閉じてください」
今になって、もう血は止まっているはずだと、アルトは冷静さを取り戻していた。
実際、布にはかなり赤い面積が広がっているが、それ以上濃くなったり広がる様子はない。
青年は言われるままに目を閉じた。
アルトは皆と同じように額に手を添え、意味の無い祝詞を唱え、「開けていいですよ」と声をかけた。
「ではその布を外してくれますか?」
「えっ⋯⋯」
青年は一瞬、二の足を踏むように右手でぎゅっと左手を押さえた。
本当に今ので治っているのか疑わしかった。
だが押さえても痛みはないし、よく見れば血も止まっている。
恐る恐る布を外した青年は、目を見張って顔を上げた。
「な、治ってます⋯⋯すごい」
怪我をしていたという左手は完全に傷が塞がり、アルト目線ではそもそも怪我があったのかさえ分からなかった。
「お仕事で怪我したって言ってましたけど、どんなお仕事を?」
世間話のつもりでアルトが尋ねる。
それ以上の意味はなく、強いて言うなら、この青年に自分を印象づけて多少喧伝してもらいたいという思いがあったくらいだ。
「はぁ⋯⋯自分木工細工の職人なんですけど」
「わぁ⋯⋯すごい繊細なお仕事ですね」
「ええまあ、それでミクレア様ご注文の品を大急ぎで仕上げてたらつい⋯⋯」
「手をざっくり切ってしまったと言うことですか⋯⋯ところでミクレア様とは?」
「え? 姫様のことですが」
「姫!?」
アルトとアネットがほぼ同時に、食い気味に青年を見た。
「あなた、この国のお姫様にお品をお渡しするのですか?」
「は、はい⋯⋯ミクレア様はお得意様ですので」
「⋯⋯失礼ですが名前を聞いても?」
アルトの目の色が変わる。ついに見つけた姫へと繋がる人材。ここで逃す訳にはいかなかった。
「ガウンズです」
「あの、ガウンズさん。無理を承知でお願いします」
アルトは背筋を整え、頭を下げるかと思いきや、滑るように椅子から地面へと降り、正座して頭を地面に擦り付けた。
カーネリアンに見せて以来の、完璧な土下座である。
あまりの完成度に、アネットでさえも呼吸を忘れて幼なじみを哀れんだ。
「え、ちょ、先生⋯⋯どうしたんですか」
「すみませんが⋯⋯どうしてもこの国の姫様にお会いしたいのです⋯⋯どうかその品を届ける役目を私にお譲りいただけませんか」
「そ、そんな⋯⋯」
ガウンズは困惑しながら、持っていた血染めの布を落とした。
「わ、わかりましたから⋯⋯とりあえず顔を上げてください」
ガウンズもアルトに負けず劣らず、人のいい青年だった。
栗色の瞳に映るアルトの姿がなんとも必死で、惨めで、滑稽で、余程の理由があるのだろうと思い、やすやすと了承してしまった。
「ほ、ほんとですか?」
アルトは顔を上げ、身をかがめたままガウンズを見上げた。
自分を見上げる瞳が潤んでいるのに気づき、ガウンズはもはや理由を聞く気にもなれなかった。
無償で人を治す医者が悪いことを企むわけがない、なにか大事な事情があるに違いないと、完全にこの青年は騙されていた。
「で、では明日⋯⋯僕の工房に来てください。品をお預けして委嘱状をお渡しいたしますから」
「あ、ありがとうございます!」
感極まってアルトはまた頭を地面に押し付けた。
「で、では明日⋯⋯僕の工房は大通りにある雑貨屋の裏手にありますので。お待ちしてます」
ぺこぺこと何度も頭を下げ、そそくさと身を屈めて逃げるようにガウンズはテントを後にした。
「まさかの幸運だな⋯⋯やはり善行は積むに限るな」
「まあ⋯⋯善行を積んで得た僥倖でやろうと思った のは不徳の極みみたいなことなんですけどね」
「そこはまあ⋯⋯大義のためだと腹を括ってくれ」
「なんでアネットはそんな落ち着いてるんですか⋯⋯」
アネットは答えなかった。
ただどうなるか傍観してるだけだから。と思ってはいるものの、さすがに口にはできなかった。
翌日、アルトとアネットは朝からガウンズの工房に向かった。
大通りにある、陶器などを並べている雑貨屋の裏手に、工房はあった。
扉を開けた瞬間から、木の香りが身体の中に入ってきた。
質素な部屋で、作業台や、使用する木材の他は、木を削ったり形を整えるための道具が並び、完成品と思われる、動物や花を型どった小物や、コップや器などが棚に並べられている。
「あ、先生」
朝から作業をしていたガウンズは、頭に白いタオルを巻きながら、手を止めて立ち上がった。
ガウンズの手元にはノミと二の腕くらいの長さの角材。それらを台上に置き、部屋の隅に置いてあった黒いリボンをつけた桐箱へと近づき、それをアルト達の元へともってきた。
「こちらがミクレア様へお渡しする品になります。委嘱状はこちらに⋯⋯城門でお渡し下さい」
そう言って、桐箱とリボンの間に紙を挟み、さらに懐からもう1枚取り出し。
「こちらは受領書ですので、姫様の印を受け取ってください。お代は先払いでいただいてますので」
と言ってそっちは隣のアネットに直接手渡した。
「無理を言ってほんとうにすみません⋯⋯」
「いえ、先生の頼みですから」
純粋なガウンズの顔に胸が痛む。
「で、では⋯⋯しっかりと届けさせていただきます」
その場に居づらくなり、工房を出てすぐの所で、久しぶりエルメナが待っていた。
今朝、宿の前であった時、事情は説明していた。
エルメナはアルトから姫へ近づけることを聞くと、目線を落としてニヤリと笑い、そのままアルト達に品の回収を任せていた。
「へぇ。それがお姫様に渡すしななのかにゃぁ」
エルメナ覗き込むように桐箱に顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅いだ。
なぜ匂いを嗅ぐのかとアルトが考えていると、サッと箱をアルトの箱から奪い、同時にアネットが握っていた受領書をも分捕った。
「じゃ、あとは私に任せるにゃぁ」
何事も無かったかのように、エルメナは踵を返して城へと向かって歩き出す。
後を追おうとするアネットを、アルトが止めた。
「アルト?」
アネットを引き止めたアルトの顔には、ほんの僅かな安心が浮かび上がっていた。
直接手をくださなければならないという恐怖から開放された表情。
エルメナが罪を被ってくれたと、アルトは口元を緩ませ、アネットはそれを見て、そっとアルトの肩を叩いた。




