4-11
ロケット打ち上げの翌日、サキシマ重工本社の中庭は普段の無機質な静けさとは打って変わって、華やかな熱気に包まれていた。
夜空には無数の星が瞬き、まるで昨日のロケット打ち上げ成功を祝うかのように輝いている。
立食形式のパーティーが催され、社員たちは肩を並べて談笑し、笑い声を挙げていた。
長方形のテーブルには、色とりどりの料理が並ぶ。新鮮な刺身の盛り合わせ、香ばしく焼かれたステーキ、カラフルな野菜のサラダ、そしてデザートのショートケーキ。
銀色のラベルが貼られた缶ビールや、泡立つシャンパンのボトルが、テーブルをさらに華やかに彩っていた。
中庭を囲む研究棟のコンクリート壁は、バルーンライトに照らされ、どこか温かみを帯びている。
前日までの緊張感を脱ぎ捨て、技術者たちはネクタイを緩め、仲間とグラスを合わせる。
打ち上げの成功が、彼らの心に解放感と誇りを与えていた。
ビールの泡とグラスについた水滴がきらりと輝く。
バルーンライトの光が揺れ、夜風が料理の香りを運んできた。
その中心に、崎島健吾の姿があった。
普段の厳格な社長はどこにもいない。
アルコールが入り少し赤みがかった顔には笑顔が浮かんでいた。
少年のような砕けた笑みを浮かべ、手に持ったビールの缶を高く掲げる。
「本当に皆、よくやってくれた。この日のために、どれだけの汗を流したことか……!」
その声は熱と誇りに満ち、集まった社員たちに響き渡った。
誰かが「崎島さん、最高です!」と叫び、笑い声と拍手が中庭を包む。
崎島の笑顔は、長年の夢が現実となった喜びを隠しきれていなかった。
彼は一息つくと、さらに声を張り上げた。
「今回の打ち上げは、ただの打ち上げとは違う。帰還型の第一段エンジンは今後も繰り返し使える。これは打ち上げコストを劇的に下げ、我が国の宇宙開発を次の段階へと引き上げる第一歩となった!」
その言葉に、拍手が再び沸き起こり、グラスや缶がカチンと触れ合う音が響き合う。
この空間全体が、大きな夢に酔いしれているようだった。
そんな歓声の中、翔太は料理皿を片手に少し離れた場所に立ち、苦笑いを浮かべていた。
皿には、焼きそばと唐揚げが無造作に盛られ、ビールの缶を手に持っている。
しかし、翔太はどこかパーティーの華やかさに馴染み切れていなかった。
傍らにいた若い研究員が、シャンパングラスを手に少し残念そうな声で尋ねてきた。
「探査機の信号……再検出できていないんですよね?」
その言葉に、近くで社員と談笑していた崎島が振り返った。
満面の笑みが一瞬曇り、額に微かな皺が寄る。
「本当に残念だった。軌道投入まではうまくいったのにな……」
崎島の声には、成功の喜びと同時に完全ではなかった結果への遠慮が滲んでいた。
自身の目指していたものは達成したが翔太のプロジェクトはうまくいかなかった。
成功の喜びを翔太とどのように分かち合うか、彼の胸の中で様々な思いがせめぎ合っているようだった。
翔太はすぐに首を振って、にこやかに応じた。
「気にしないでください。私の提供したあの小惑星探査機はおまけみたいなものなんですから。まずは打ち上げと帰還の成功を祝いましょう。」
その言葉は軽やかで、場の空気を和らげるための気遣いに満ちていた。
崎島の表情がふっと緩み、目尻に笑い皺が戻る。
彼は翔太を見つめ、ふと遠くを見るような目で未来を語り始めた。
「日本の宇宙産業は、これまでずっと海外の後塵を拝してきた。だがこれからは違う。民間であろうと、我々自身の技術と夢で、宇宙を開拓していく時代が来る。小さな島国からでも、星々へ手を伸ばせるんだ。」
彼の声は静かだったが、その言葉には彼が少年だった頃から持ち続けた純粋な夢が宿っていた。
そして、翔太に視線を戻し深く頷いた。
「そのきっかけをくれたのが君だった。本当にありがとう、翔太君。」
崎島の瞳は、夜空の星を映し込むように輝いていた。
どこからともなく誰かが「次は月だ!」と叫び、笑い声が弾ける。
パーティーはさらに盛り上がり、グラスの触れ合う音と音楽が中庭を満たした。
バルーンライトの光が揺れ、まるで星々がダンスを踊っているようだった。
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翔太は静かにその輪を離れ、人気のない研究棟の裏手へと向かった。
コンクリートの通路はひんやりと冷たく、靴音が小さく響く。
研究棟の窓からは、パーティーの光が漏れ、遠くで笑い声がこだまする。
通路を抜け、駐車場に出ると、翔太と涼子が乗ってきたトラックが静かに停まっていた。
その荷台の影に、黒猫姿のアーベルがちょこんと座って待っている。
夜の闇に溶け込むような艶やかな毛並みと、勾玉のように光る瞳が、駐車場の薄暗い光の下でひときわ際立っていた。
「無事、成功したな。」
翔太はアーベルに語りかけながら、トラックの荷台に体を預けた。
昨日の打ち上げの緊張感がまだ身体に残っている。
ロケットが空を切り裂き、第一段が帰還した瞬間の興奮が頭の中で何度も蘇る。
炎の柱が天を突き、機体が重力を断ち切る姿は、まるで夢の映像のようだった。
アーベルは涼しい顔でしっぽをくるりと巻き上げ、静かに答えた。
「ええ、工作機も問題なく稼働中です。今も、宇宙空間を順調に進んでいますよ。」
その声は落ち着いていたが、どこか満足げな響きがあった。
まるで、宇宙の果てまで見通すような自信が、黒猫の小さな身体に宿っているようだった。
翔太はビールの缶を手に持ったまま、声を潜めて尋ねた。
「ところで田中さんの件だけど……スペースY社、放っておいてよかったのか? 次の打ち上げで何か仕掛けてくるかもしれないぞ。」
アーベルは少し肩をすくめ、瞬きをしながら翔太を見つめた。
「大丈夫です。ちゃんと“釘”は刺してあります。」
その言葉に、翔太は眉をひそめた。
駐車場の薄暗い光が、アーベルの瞳に反射し、まるで星屑のように瞬く。
「釘……?」
「見えない敵対者は非常に厄介ですけど、見えていれば対策も打てる。ましてや、こちらが弱みを握っていれば交渉のカードも増える――そうでしょう?」
アーベルは少しだけ目を細め、まるで策略を秘めたような微笑を浮かべた。
夜の闇に光るその瞳は、底知れぬ深さを感じさせ、翔太の背筋に微かな寒気を走らせた。
この小さな黒猫が、どれほどの知性と力を秘めているのか、改めて思い知らされる。
「そ、そうか……たしかに……」
翔太は頷きながら、アーベルをじっと見つめた。
艶やかな毛並みと、勾玉のような瞳。
少しだけ、怖いと思った。
だが、それ以上に、アーベルが傍にいることへの頼もしさが胸に広がった。
この奇妙な相棒と共に、どこまで行けるのか――その可能性が、翔太の心を静かに燃やしていた。
夜風が通り抜け、遠くでパーティーの笑い声が微かに聞こえてくる。
バルーンライトの光が研究棟の壁に揺れ、まるで星々が地上に降りてきたかのようだった。
翔太は空を見上げた。
「これからどうなっていくんだろうな……」
呟くと、アーベルが静かに首をかしげた。
「随分と抽象的ですね。この先の工程についてご説明すれば宜しいでしょうか?」
その答えに、翔太は小さく笑った。
トラックに背を預け、ビールの缶を軽く振る。
「今のは独り言さ。気にしないでくれ、アーベル。」
アーベルの瞳が、夜空の星と共鳴するように輝き閉じられる。
中庭の喧騒は遠ざかり、二人だけの静かな時間が流れる。
駐車場の冷たいコンクリートと、夜風のそよぐ音。
翔太はもう一度空を見上げた。
星々が瞬くその先に、アーベルの工作機が今も進んでいる。
小惑星プシケを目指すその旅は、まだ始まったばかりだ。




