15.餌付け大作戦(2)
台所は戦場。もとい、厨房は戦場だ。
おやつの時間に襲撃した狩人達(もちろん私とラウである)は攻撃を躊躇わなかった。
「たのもー!」
道場破りもかくやという勢いに、厨房にいた人々はぎょっとして振り返った。驚かせることは本望ではないが、今後の円滑な行動のために注目は必要である。
何だそれは、と呟く声が隣から聞こえて気づく。おっと間違えた。
「ごめんください!」
「それも違うだろう」
ラウってツッコまずにはいられない人だよね。ただ、私にボケたつもりは毛頭ないのが悔しいところだ。本気と書いてマジと読むよ。
「まさか殿下……?」「え、嘘、本物!?」「ななななんで厨房にっ」とざわつくギャラリーにラウは溜息をついた。誰しも仕事中に乱入されたら困るし、ラウも立場ってもんがあるはずで。悪いことしちゃったとは思う、どっち側にとっても。
でも。私にだって引けない理由がある。そんなわけで「どうやって場を収めよう」って考えてる間にラウが口を開いた。
「仕事中に邪魔をして悪いな。すまないが、少々こいつに探検というのをさせてやってくれ」
驚いた。まさかラウがそんな風に──好意的に言ってくれるとは思わなかった。
ちらりと横顔を見るとやはり憮然としている。えーとこれは解析すると。諦めの入った顔ですね。お米ジャンキーの私には敵わないと早々に諦めてくれたようだ。なんかごめん。厨房勢には仕事場に乱入して申し訳ないし、ラウに対するなけなしの良心が疼くわ。だが。
そんなことで私の欲望と探求心が打ち消されるとは思わないで欲しいね!
「皆様はじめまして。ラヴィエス殿下の婚約者になりましたサクラです」
ええ、ええ。嫌だって言って駄々はこねてましたよ? だがしかし、目的のために必要とあらばその立場をも利用してみせよう。
どんな無茶振りしたって、婚約者のお願いは断れまい。頼み事は回避不可能などストレートに。
「本日はお願いがあって参りました──ここにある食材調味料、もれなく全部まとめて貸してくださいません?」
「あ、これ良いかも」
「ケプの実だ」
「うっ……醤油っぽい? これ醤油作れるんじゃない?」
「ナイヤル地方産のエラというお酒にございます」
「こ、これは!」
「タルパ……おい、まだやるのか」
うんざりとした声に水を差され、私は顔を上げた。左に少々戸惑い顔の料理長、右にうんざり顔の王子殿下。目の前の食材を次々口にする私を挟んで、二人は食材の名前を教えてくれている。覚えきれないからメモは万全。めぼしい食材の名前と特徴を書き連ね、私は上機嫌だ。
厨房の端っこある机の上には、所狭しと食材と調味料が並べられていた。食材と言っても丸まるではなく、切れ端や残りのようなものを頂戴した。全部貸せとは言ったものの、さすがの私も居候の身で「食材まるっとよこせ」なんて言うほど図々しくはなれなかったのだ。城の人たちの夕食を奪いたいわけじゃないんだし、目的は味の確認なんだから端っこで充分。現在、絶賛食材ソムリエ中なのである。
「だって、まだあるよ。全部味見しないと」
「これを全部……」
たんまりと積まれた食材。たしかに私だってこれ全部口にするのは厳しいよ。でも崇高なる目的のためなんだから、たとえ夕飯抜くことになっても完遂してみせる。
ラウは酔狂なものを見る目で私を見てるが気にしない方針だ。厨房の皆さんは最初に堂々宣言してからは遠巻きに見てくれている。奇怪な行動を取っても黙認してくれる環境が欲しかったので上々だ。恥を忍んで注目を浴びたかいはあったか。
次々味見をしては、あーだこーだと首を捻ってラウと料理長に相談するのはけっこう楽しい。新たな食材は魚だ。生の切り身を前に私は思案していた。
「これは生で食べれるんですか?」
「レフレです。新鮮ですからそのままでも美味しくいただけますよ」
「そっか、海近いんでしたっけ」
料理長との話は貴重だ。ラウだと食材は分かっても調理については分からない。私の使いたい食材と調味料が組み合わせとしておかしくないか、聞きたいことはズバズバ聞いてる。まあ、おかしいと言われても挑戦するんだけど、食い合わせとかあるし一応ね。
さて。問題の品を手に取る。メモには「ナイヤルのエラ お酒 醤油」と単語が羅列してある。そう、醤油だ。お酒なのにそこはかとなく塩味の足りない醤油だ。ストレートではなく他の酒と混ぜて飲むのが普通らしい。そうだよね、そこはかとなく醤油をストレートって罰ゲームにしかならないわ。一口飲んだだけで咽せたさ。
うーん。煮詰めたら濃くなるだろうか。何よりアルコール飛ばしたいし。
エラからアルコールを抜いて濃くしたらまさに醤油。本来の醤油とは成分とか製造過程とか全然違うけど、味が一緒なら全く問題ない。小鍋に入れたエラを火にかけて沸騰させ、濃度を増した液体を匙ですくって舐めてみた。
「醤油!!」
感動した。醤油。これはエラではない、醤油だ! ばんざーい!
まだ薄いし塩味も足りないけど醤油。私の目に涙が滲んだ。探検の大いなる前進である。
レフレ(魚)を薄く切って刺身を作り、エラ(醤油として生成後)に浸して食べてみる。詩人じゃないのが悔やまれるが、精一杯の感想を言おう。淡泊な白身魚が醤油と相まって舌の上で素晴らしいハーモニーを奏でた。美味い。久々の和の味に感動して震えてしまう。
だがこの成功は諸刃の剣でもあったのだ。
(ごはん! 白いご飯がほしい!)
醤油、刺身ときたらご飯だよ! なんでここにご飯がないの! 日本、というか地球でさえないからだよ!
嵐のような自問自答が一瞬で過ぎる。せめて地球でさえあれば、どこかでお米と出会えたのにね。