第95話 十一月
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十一月一日。
週明けの空の肌寒さに千尋は冬の香りを感じる。
月曜日。
めぐみと共に狭山市駅へ向かう河川敷の道は、せせらぎと北風がカラフルだった。
相生恵那とはあれから会っていない。
聖愛学園の学園祭に来るというが、一体なにをしに来るのか。来て、なにを話すのか。千尋は思案するが、的を射た答えは浮かんでこない。
高柳有理栖の件も悩みの種だ。
学園祭で一緒にライブをするというが、自分は素人だし、人前で演奏をするなんてとても考えられない。想像をするだけで全身が凍りつき、神経が怯えてしまうのだ。
午前九時。
狭山市駅のホームから急行西武新宿行に乗車する。手を繋ぐめぐみはどんよりと暗い顔をしている。当分は鬱状態が続くのだろう。めぐみにライブの件や、恵那のことで相談をしたいが、今はそういうわけにもいかない。
電車の中は息苦しい。人一倍感受性が強い千尋は、人の群れに窒息しそうになる。命の海は感情のるつぼ。神経質だが氷水のように純粋な千尋の心を、琴音は「美しい」と言うが、自分ではとてもそうは思えない。
突然に覚醒した共感覚という能力も、奏やあおいたちは「超能力だ」と羨ましがるが、自分では余計な苦しみが増えただけだと思っている。
近しい人の匂いに色を感じるのは千尋の繊細な感性を形取った力だ。だが、色は現実を染めて、リアルと虚構の境界線を曖昧にする。まるで夢の中にいるような、異世界を飛ぶような感覚になる。浮遊感と異物感が頭痛や吐き気を呼ぶ。誇らしくない。ただ、不快なことが増えただけなのだ。
最近は人以外にも効力が及ぶ。慣れ親しんだ街の匂い。風の色は優しいオレンジ色から、少しずつ寂しげな青に変わる。めぐみの蜂蜜のように甘い色は、通勤電車の焦げた模様と混ざって、色褪せていく。
人を遠ざけて下を向いて生きてきた千尋の世界は、色のないモノクロームだった。けれど白と黒が調和したセピア色は、共感覚が降らせる色の粒に乗って、カラフルに染まっている。
「ねえちーちゃん……、歌、できた?」
「できないよ……、全然」
「ライブ……、あたし楽しみにしてる」
「ははは……、めぐみの鬱を治すほどのライブは無理だよ……、僕は素人だもん」
「ううん……、きっと元気になる。だってちーちゃんの想いがこもった歌は、他の誰よりもあたしに響くよ」
「そうだったら……、いいなぁ。むりだけど」
「えへへっ、大丈夫だよ! だってちーちゃん人を虜にする才能あるもん! 自信持って!」
「持てたら……、いいんだけどなぁ」
「じゃあ、持てるようにね、めぐがいっぱいなでなでしてあげる」
――なでなで。
混雑する車内。四号車の隅の席に座った二人の身長差は十九㎝。めぐみは艶めかしい手つきで千尋の頭を撫でる。蜂蜜の甘い匂いは千尋にハニートーストの幻覚を見せる。躁鬱の姉は、いつでも優しいが、素直に甘えるのは恥ずかしいと千尋は思う。
「や、……やめてよ、もう」
「え~? い~じゃん。あたしの鬱もなでなでしてたら治る気がするしぃ」
「いや、なんでだよ」
「ほらっ……、あの、……、動物療法みたいな? そんな……感じで」
「僕はペットかよ」
「うん。ちーちゃんはかわい~弟だもん。よしよしするだけであたしはね、しあわせになるの」
「まぁ……、幸せになるならそれはいい……、けどさ」
「うん。だからいっぱいちゅーしてもいい?」
「いや、なんでだよ!」
「ちゅうもぎゅうもなでなでもしたいの。……しないと……、あたし……、自殺しちゃうかも……」
「いや、飛躍しすぎだろ」
「だってあたし躁鬱病だしぃ……、もう……、死にたいくらい……」
「そ、それは……、困る……」
「じゃあ助けてよ。ちーちゃんは優しいから、あたしのこと助けたいでしょ。助けて助けて助け~て~」
「ねえ……、もう……、もしかして鬱治ってる?」
「え……」
「なんか……、楽しんでるよね? めぐみ」
「そ、そんなこと……、ない……、よ」
「ほんとに鬱の時って……、そんな風におちゃらけたりしないじゃん。めぐみ。僕はわかってるよ。あなたはもう……、ほんとは鬱は治って……」
「治ってない! 鬱だ鬱! あたしは……、ちーちゃんがえっちしてくれないなら死ぬ!」
「なんでだよ!」




