第94話 世界のいろは……
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週末。日曜日。十月三十一日。慌ただしかった神無月も瞬く間に終わりを迎える。明日は新しい月。望まぬともやってくる未来に、千尋は時間の無情さを感じる。
「知ってる? 千尋くん。神無月の語源はね、十一月に出雲大社で神迎えの儀式があってね、日本中の神社から神様がいなくなるところからなのよ」
「へぇ、神様」
「まぁ、俗説なんだけれどね。語源は諸説あるの」
「先生は、知識が豊富ですねぇ」
「こう見えてもお医者さんだからね! 高学歴だし!」
「頭は子供ですけどね……」
「見た目も子供でしょ! かわいいーお姉さん!」
「そういうところが……、子供なんですけど」
午後一時。千尋は琴音の部屋で二人きりの時間を過ごしている。一階の奥の部屋は琴音の書斎兼寝室になっている。十畳の広い部屋には山積みの書類や無数の書籍。モニタが二台置かれたパソコンデスクはキーボードが埋もれてしまうくらいに、化粧品やらコーヒーの空き缶やらが散乱している。千尋はこの部屋を嫌っている。部屋中に漂う煙草のにおいが千尋の神経を刺激するためである。同時に、デスクの脇にあるニトリ製のシングルベッドに押し倒された経験から、身の危険も感じる。
「むっ。千尋くんだって子供のくせに~」
「子供じゃないです! もう高校二年生ですから」
「でも、性欲ないんでしょ? それって子供よ! 子供~!」
「う、うるさいですね! 僕だって……、それくらい……」
「じゃ、先生とエッチする?」
「……ッ!? な、なに言ってるんですか、もう」
「いいよ? 先生は。千尋くん大好きだし~! いつでも準備万端だもの」
「か、からかわないで下さいよ……、もう」
「先生は本気よ~! ほら! ――ぎゅう」
「あ……」
書斎の椅子で向かいあって座る二人。琴音は部屋着のキャミソールにカーディガンを羽織り、靴下ははいていない。艶めかしい生足は肉感的でいやらしい。何年も使い込んだキャミソールは胸元がだらしなく緩んでいる。大きな胸は下着で拘束されることもなく、少し覗き込めば琴音の巨乳を間近で拝むこともできる。
琴音は勢いのままに千尋を抱きしめて、巨乳に引き寄せる。
「ほら……、先生のおっぱいだよ~? 興奮する?」
「う……、く、苦しいですから……、離して下さい」
「……? 千尋く~ん。正常な高校生男子だったらね、ここは言葉に詰まる場面だよ! ドキドキして……、胸が苦しくてぇ……、あぁ~もう僕は……、僕は~! せんせ~! ……ってパニックになるタイミングぅ~!」
「し、知らないですよ、普通の高校生なんて、僕は」
「千尋くんが焦がれるのはあおいだけか」
「な、なに言ってるんですか、もう」
琴音は性的興奮をまるで感じていない様子の千尋を解放し、肩に手を触れる。まじまじと顔を見つめる琴音の瞳は、眼鏡のレンズに反射して優しい光を放っている。少し垂れ目の二重瞼は、秘密と愛情を内包する。
「千尋くんはあおいのこと好きでしょ?」
「う、……、だ、だからなにを言ってるんですか、カウンセリングするんじゃないんですか?」
病院でカウンセリングを受けるのは一~二週間一回。ただし、自宅でも定期的にカウンセリングは行っている。琴音の部屋で二人きりになり、日常のことを話すのだ。千尋に限らず、めぐみや奏も同じように言葉を交わす。
「これもカウンセリング。もう治療は始まってるのよ」
「え、え~?」
「私はね、日常の延長線上に心理臨床というものはあると考えているの。きみたちを里親として預かっているのも、まさにその理論に則っているわ」
児童心理臨床の最先端であるアメリカで研鑽を積んだ琴音のモットーは、「あるがままを受けいれる姿勢」である。人間は根源的に社会動物であり、他社から必要とされることで自分という存在を認識する。誰からも認められない子供は、自分のことを肯定できず、人間を人間たらしめる「自我」を健全に形成できなくなる。
児童期に発現する無数の問題行動や周辺症状の根幹にあるのは、なんらかの原因による自己肯定感の喪失である。
そしてその不特定な原因も、突き詰めれば大半は各個人が属する「社会」が正常に機能しなかったことに起因することが多い。これは琴音が臨床の現場を通し蓄積した膨大なデータから、導き出した結論である。
社会は人それぞれある。「家庭」「学校」「職場」「公園の遊び友達」「習い事」「インターネット」……。人と人が結びつけば、社会というものは必ず生まれる。人間というのは複数の社会に属し、それぞれで違う顔を見せることが普通である。琴音にしてもそうだ。例えば家庭ではだらしがない性格に加え少年趣味の性癖を持つ変態であるが、「病院」という職場に置いては、圧倒的経験と知識を持つ日本屈指の小児精神科医である。みんなから頼られ尊敬される有能な医師だ。クライエントの児童を優しく包み込み、心配する父母には冷静かつ安心感と説得力のある声かけを行う。奏の小学校や千尋とめぐみが通う通信制高校の教師に対しては、保護者という立場で関わりを持つ。子供たちの将来を見据え、進路や日常の様子を楽しみに待つ母親の顔を見せる。
たいていの場合、十二歳になる前には子供たちは複数の社会に属し、他人と自分を見比べながら、自分とはなにか。何者なのか。なにが得意でなにが不得意か。なにが嫌いでなにが好きか。誰が好きで誰が嫌いか。自分は社会とどう向き合うべきなのかを模索し、覚えていく。ここで重要な役割を果たすのが「愛情」である。
人は誰しもが傷つく。一方で、誰しもが愛される。愛情を受けることで、「誰かに必要とされる」社会動物としての存在を享受し、自信を持つことができる。たいていの場合、その役割を果たすのが「家庭」という社会集団であり、親の仕事でもある。
幼児期。子供たちが人生の最初に所属する集団であり、自分とこの世界の違いを認識するにあたり、比較対象にする「家族」。その仲間は両親や兄妹だ。
右も左もわからない「生き方の初心者」にハンドルの握り方を教え、アクセルやブレーキ、道路標識やルール、マナーを手取り足取り指導する教官かつお手本でもあり、手際よくクラッチレバーを操作し、華麗なドリフトやハンドリングで颯爽とコーナーを走る憧れのドライバーにもなる。
他愛のない日常を通し幼児は社会のルールを学び、人間として完成されていく。やがて家庭から「公園の遊び場」「近所の家」「保育園」「習い事」「小学校」と所属する集団の規模は成長と共に上がる。やがては「この世界」そのものに属する社会動物になる。
一番最初に躓いてしまった子供は、この普通というありふれたステップを進むことができない。途中下車は許されず、置いていかれないように苦悩する。少ない知識で必死に追いすがる子供たちは、柔軟でガラス玉のように綺麗な心で誰にでも変身ができる。これは大人にはない、まだ何者でもない子供たちだからこそ持っている特殊能力だ。だがそれは必ずしも社会において有用ではないこともあり、また、その歪みがやがて足を引っぱる枷になる。
それが心の病。
「あおいはカルト教団の中で自分を守り、生きるために、心を切り離した。それが解離性障害になった。千尋くんは、親に殺されそうになった、という哀しみを忘れるために、記憶を改変して違う人物になった。めぐみは、誰にでも愛される人になるために、無理をして躁鬱病になった。寂しかったから。奏は、家族を殺された哀しみと向き合うために、声を失った。もしも自分がなにも失わなかったら、家族に悪いと思っているから」
琴音は自分の精神医学理論を饒舌に語る。真っ直ぐに千尋の瞳を見つめる輝きは、ついさっきまでふざけていた子供おばさん先生と同一人物とは思えず、千尋はギャップに圧倒されてしまう。普段より少しゆったりとしていて、少し落ち着いた声色は、聞いていると催眠術にかかってしまいそうなくらいに、頭がふわふわとする。千尋は、なにも言えなくなり、琴音に没頭する。
「きみたちは、頑張っているの。だけど頑張った結果が、社会で報われないだけ。あまりにも、普通な世界とはかけ離れた場所で生きていたから」
千尋の心に深い海のような温かい声色がさざ波を立てる。ゆらゆらと海に浮いている。催眠誘導により治療を受けたことは何度もあるが、ぷかぷかと水の上に浮かんだり、あるいは沈んだり、全身が自由になる感覚はとてもよく似ている。自分はもう催眠術にかかったのかもしれない。千尋は心の中で思うが、思考が正しくできているのかもわからない。
「でも大丈夫。それがきみの個性だから。きみたちらしさ、だから」
琴音は自信を持って言う。
歪に成長してしまった子供たちが居場所を見つけるのは容易ではないが、不可能というわけでもない。人間の可能性は無限大。見えている世界は考え方を変えればどんな風にでも変わる。
「曇り空も……、メガネをかけかえたらあおい空……、ですか?」
川澄あおいがよく言う言葉を千尋は思い出す。どんよりと重たい毎日も、力強く空を見あげれば、颯爽と広がるあおい空に変わる。「私だけを見て。千尋の隣には私がいる。そうすればその空は、きっとあおく、澄み渡る」あおいの言葉の意味ははっきりとわからないが、漲る希望に千尋は夢をみてきた。
「そうよ。私たちが見ている世界なんてほんの一部なんだから。知ってるでしょう? 脳味噌の構造」
「知らない……、ですよ」
「じゃあ教えたげる。そもそもね、私たちが世界だと思って見ているこの光景は、光情報から脳が勝手に作りだした映像に過ぎないの」
「……? 難しい話……、ですか?」
「違うわ。簡単なことなの。例えば二十世紀初頭の映画は、みんな白黒でしょ? それはどうしてかしら?」
「え? それは……カメラの性能が悪かったからじゃないですか?」
「そう。それから少しずつカメラの性能はよくなったわ。でも、私たちが昔の世界と思って思い浮かべる風景って、白黒だったり色褪せていたりしないかしら?」
琴音の言葉に千尋は合点がいく。一九四〇年代ごろのイメージはは白黒で再生されたし、六十年代や七十年代の連想はなんだかとても色褪せていた。
「でも、実際の世界の色は違うのよ。だって世界の色はなにも変わってないもの。でも、私たちはそれをイメージしない」
「脳が、そうしてしまうから、ですか?」
「そうよ。その通り。だからね、千尋くん。脳味噌っていうのは適当なのよ。例えばこの空の色。ほら、窓の外、今日はどんな色をしているかしら?」
琴音はカーテンを開ける。眩しい光に千尋は目がくらむ。発光する世界の先にあるのは……、
「青空です」
「そ。とても綺麗って思うわよね。でも……、知ってる? この色もね、脳が加工した色なのよ」
「……?」
「脳はね、光情報を勝手に加工してしまう。その方が見えやすいし、処理に都合がいいから」
――パシャッ。
琴音はスマホを手にもつと、美しい青空を写真に収める。
「どう? 千尋くん。この写真の空の色。見比べてみなさい。実物と、写真と」
琴音は画面を千尋に見せびらかす。千尋は言われるがままに空と写真を比較する。
「なんだか写真の方が……、暗いっていうか、平坦っていうか……、そんな感じがしますが」
「どっちが真実だと思う?」
「え……?」
「現代社会の高性能カメラで撮った写真か、それとも人間の瞳で見た生の空か、正しい世界の色は果たしてどちらでしょ~か?」
「え……、いや、わかんない、ですけど」
「わからない?」
「う……、はい」
「うふふ……、人間の脳はね、空の色を勝手に書き換えているのよ。その方が見えやすかったり、処理に都合がいいから」
「え……? そうなんですか?」
「だから、写真に撮るとくすんで見えるの。だからね、カメラはカメラで、人間のイメージに合わせて、発色をよくするように自動的に加工するようにできているの」
琴音は饒舌に語る。少しからかうように笑いながらも自分には縁のない知識の豊富さに千尋は圧倒される。ショタコンの琴音は千尋のことを性の対象としていつも見ている。そこに不快感も恐怖も感じるが、一方で真面目な先生の一面を見せられると、千尋はすっかり琴音に魅了される。
「さて、この話を通して私が言いたいことを、きみはわかるかしら?」
「え……、それも先生が言ってくれるんじゃないんですか?」
「考えることが大事なの。言ったでしょう?」
「……?」
「うふふ……、なにを? って顔してる。でも、きみになら正解がわかるはず。優しい千尋くんになら、絶対~っ」
おどけた琴音の様子に千尋は怒ったようにツッコミを入れるが、心は躍っている。学のない千尋は、難しい話しをわかりやすく冗談を交えながら説明してくれる琴音の話しが好きだった。数学や英語もそうして教えてほしいと思うくらいだが、「エッチしてくれたらいいよ」という琴音の条件をのめなかったので、未だ勉強を見てもらったことはない。だがそんな琴音を見て育っている千尋は、問題の答えをすぐに導き出すことができた。
空を見あげれば広がる青い空。そこにあるのは、紛れもない自分だけのあおいそらである。
「生き方に、正解はない……、ですか?」
「ふふふ~っ、さあ~? 先生にはわからないよ~」
「え~! なんですか~! その答えは! 僕は真面目に先生の話を聞いてたのに~!」
「だって先生だって神様じゃないもん! 出雲大社に行くわけでもないし、世界の本当の色なんてわかんないわかんない~」
「そんな無責任な……」
「でも先生のおっぱいの乳首の色は、ピンクだよ~?」
「……ッ! 先生!」
「吸ってみる? 吸いたい? え~? 吸いたいのか~
じゃあ……仕方ないなぁ~、ほら、吸ってもいいよ~? 先生のおっぱい巨乳っていうより爆乳でしょ? サイズはJ……」
「先生! 僕はもう出ます!」
「え? 逝っちゃうの? あ~だめだめ~! 出すなら琴音のナカに……」
「バカ! 先生!」
――パコンッ。
千尋は全力の想いをこめて琴音の頭を平手で叩いた。




