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第88話 生きていこうって思えた

88


「恵那はね、新しい世界を作ろうと思ってるの。恵那たちみたいな子供が幸せに暮らせる楽園」

「……? 楽園?」

「うん! 居場所がない恵那たちみたいな可哀想な子供がね、楽しく自分らしく過ごせる優しい世界!」


 恵那は無邪気に笑う。将来の夢を語る幼い少女のように、その姿は純真無垢で千尋は面をくらう。恵那が構想する楽園がどんな世界であれ、彼女から「楽園」を作るという言葉を聞いて想像する内容は誰でも同じだろうと思う。


「知ってる? ひろくん。恵那はね、楽園で育ったの」

「第三楽園……、絆の会」


 十年近く前。全国各地に勢力を広げた新興宗教組織「絆の会」。「自由」を神として崇める彼らは教典を実施するために、田舎の広大な土地に信者だけが住む集落を作った。そこには村と呼べるほどに大勢の人が住み、自給自足を営みながら、病院や学校まで完備した。その場所を彼らは「楽園」と呼んだ。

 恵那は秩父の山中にある「第三楽園」で生まれ育ち、十才まで過ごした。楽園にはルールは殆どなく、誰を犯すのも自由。誰を殴るのも自由。誰を殺すのも自由。恵那の倫理観は崩壊し、教典に記された「神」と繋がるために、感情のままに行動する術を学んだ。

 欲望のままに己を解放することにより脳からのアドレナリンやエンドルフィンの過剰分泌が促される。脳内麻薬の効果で、恍惚感や多幸感、一種のトランス状態に陥り、まるで世界から祝福されているような感覚になる。

 これを楽園内では「神様に褒められている状態」と教育していた。恵那は家族や友人を殴る蹴るだけでは飽き足らず、殺人という快楽を覚え、やがてその対象が「偉いひと」に向いた。

 してはいけないことは殆どがないが、楽園の中には幹部もいれば、リーダーもいる。川澄あおいの父「川澄みどり」は神官という重要な役職であり、尊敬しなければいけない相手だった。代表の周防誠舟は大神官と呼ばれ、神と通ずる特別な力を持つ絶対の存在である。敬うべき対象である彼らを「殺す」というのは、想像をするだけで背徳的で強烈な快楽が溢れ出た。

 恵那は欲望のままに幹部や信者三十名以上を殺害した。


「およ? 知ってるんだ~? なんで? 調べたの? あおい様に聞いたの? 琴音先生かな?」

「色んな人に聞いたり、自分で調べたんだ」

「えへっ、……なんで? どうして? もしかして恵那のことが好きだから? なんっつって……えへへ」

「わかんないけど……、気になったんだ。恵那が言うように……、僕にとってもきみは、かけがえのない存在だから」


 千尋は歪んだ幼少期を過ごした。病院を経て、通信制の高校に通う今、「普通」という社会の根幹に接する機会は恵那と暮らしたあのころとは比較にならないほどに、増えた。

 平凡な日常を通して、千尋は感じる。自分たちの居場所はどこにあるのだろうか。もしかして世界には自分の居場所はどこにもないのではないか。自分は誰にも必要とされないのではないか。生きていることに不安を感じる。

 琴音やあおい、めぐみ、奏……、最愛の仲間に囲まれていても、慢性的な閉塞感は千尋を蝕む。同時に、思う。あおいや恵那に、特別な共感を感じる。


「ひろくんも来たらいい」

「……? どこに?」

「恵那ね、あんまり大きな声では言えないんだけど……、世界を作ろうと思ってるの!」


 恵那は周囲をキョロキョロと見渡した後、千尋の耳元に顔をちかづけて言った。密談をするようなそぶりにも関わらず、その声は遠く地平線まで響くほどに弾んでいて、千尋は矛盾した恵那の行動に困惑する。だが、それを自覚するよりも先に、好奇心に引きずられる。


「恵那……、きみ、もしかして……」

「えへへ~、恵那ね、女王様なの! 恵那の王国のね、いっちばん偉いひとなの! すごいでしょ? ひろくん」

「恵那……、きみは」

「あっ、恵那の王国はね誰でも入れるわけじゃないんだよ? ちゃんと審査があってね……、選ばれた人だけが入国できる神聖な国なの」

「……恵那、大丈夫なの? きみは」

「……? なにが?」

「その王国って……、絆の会みたいなものなんじゃないのか? 独自のルールを作って、人を煽動して、幸せになれる人もいるかもしれないけど……、不幸な子供も生む」


 恵那が話しを終わらせる間もなく、千尋は感じた想いを伝える。恵那の言動、性格、これまでに得た情報から、それを推理するのは難しいことではなかった。恵那は絆の会のような団体を作り、自分の理想とする世界を生み出そうとしている。千尋にはそう思えて仕方がなかった。だが恵那は、きょとんとした顔で不思議そうに聞き返す。


「……? だから?」

「……ッ、だから……、その……」

「いいじゃん。別に。だって楽園は、恵那たちが幸せになるための場所なんだよ? 一緒だよ。この世界と」

「い……、一緒?」

「うん! だって恵那たちは、普通の人が幸せになれるこの世界で、可哀想な子供に生まれた。ここにいても幸せになれないから、幸せになれる場所を作るの。そこで不幸になる人は、こっちの世界にくればいいだけ。そういうことでしょ? 違う? ひろくん」

「僕には……、難しいことはわかんない」

「そうだよ。ひろくんは考えなくていいんだよ。恵那がね、ひろくんみたいな不幸で可哀想な子供をみ~んな受けいれてあげる。そんな国を作るんだ」

「でも……、あおいちゃんはきっと……、だめだって言うと思う」


 居場所がない。だから世界を変えようとする。恵那の思考を千尋は理解出来た。共感する部分もある。このまま恵那に連れて行かれてしまいたい、と思う気持ちもある。

 世界は生きづらい。真っ当に生きられない社会不適合者の自分には、ただ呼吸をするだけでも息が詰まる。塵が積もった灰入りの世界は、肺を蝕んで千尋の心を壊す。

 

――いいじゃない。それでも。だって千尋は千尋なんだから。そんな千尋が私は好き。


「あおいちゃんは……、世界と向き合おうとしてる。頭のおかしい……、僕らでも、どうにかして生きていこうとしてる。そんなあおいちゃんが……、あおいちゃんだから……、僕は……」


 千尋はあおいの顔を思い出す。無表情で棒読みだが、力強く逞しいあおいの姿に、千尋は勇気と希望を貰ってきた。あおいがくれる言葉の一つ一つが、千尋の生きる原動力になる。生きていてもいい。居場所はここにある。


「生きていこうって思えた。あおいちゃんの隣なら、そう思えたんだ」


 千尋は少年のように甘い声で恵那に言う。真っ直ぐに恵那の瞳を見ることはできないが、辿々しくも顔をあげる姿に、恵那は驚きと愛情を感じた。心を弾ませて、千尋を再び引き寄せる。


「ちゅ~っ、ふふふ~っ。ひろくんかわいい~っ! ちゅ~」

「……ッ! ……ん……、うぅ……」

「ちゅちゅちゅ~っ、ちゅ~っ、えらいえらい。ちゃんと自分の言いたいこと言えて、恵那はとっても嬉しい気分!」

「う……、うぅ……、はぁはぁ……、うぐ……」

「ひろくんも成長したんだね~、えへへ~、そうだよそう! 言いたいことはちゃんと言わないとだめなの。そうでしょ? ひろくん」

「う……、うぅ」

「でも、恵那はひろくんをちゅーってしたくなったから、ちゅーした! そうだよ! うん。恵那わかった」

「……?」

「難しいことはやっぱり考えなくていいんだよ。したことをすればいい。言いたいことを言えばいい。それができる世界を、恵那が作るね」

「……う……、うぅ……」


 恵那の熱烈なキスはあおいのクールだがうちに秘めた情熱を感じるキスとはまるで違う。舌を通して真っ直ぐに千尋を犯そうとしてくる若さと破滅的なパワーを感じた。

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