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第58話 病院

58


「音楽できみの心を表現するんだ」

 高柳有理栖はそう言ってギターをかき鳴らす。リビング。曲がった左手で、堂々と歌う有理栖は笑っていた。

「あたしは、魔法使い。音楽の粒がきみの世界を色づかせる」

 

 ギターを弾き始めた千尋。弦のひとつひとつが折り重なって、魔法になる。音が粒になって、空間に舞う。色鮮やかな世界。ギターを弾く度、歌を歌う度、目にする風景が変わっていく。

 音が、千尋の心を引き出していく。乗せる言葉が、止めどなく溢れて止まらなくなる。


 昔の記憶が、押し寄せてくる。音楽が闇を照らして、心の内側をあらわにしていく。


――七年前。


 優木千尋は児童医療センターに入院していた。医療センターの入院棟。建物は五階建てで、三階は精神科だった。精神科の主治医は三上琴音。千尋は同世代の子供三人と、グループセラピーを受けていた。

 児童監禁殺人未遂事件の被害者優木千尋、新興宗教団体「絆の会」の預言者。または神の子と呼ばれ、崇拝されてきた少女、川澄あおい。そして、絆の会、元信者の子供にして孤児となった少女、相生恵那。

 三人は、それぞれを「弟ちゃん」「(あね)ちゃん」「妹ちゃん」と呼び合い、擬似的な家族を形成していた。

 病棟は個室。六畳ほどの広さにベッドと生活用品が置いてあった。子供たち三人は自傷行為が見られたため、命の保護を理由に夜間は離床センサーが導入されていた。

 

 病室の朝は早い。朝、七時。早番の介護士が千尋を起こしに来る。介護士と共に身支度を整え、七時一五分。別室へ行く。「家」と呼んでいた部屋だ。一〇畳ほどの広さに家具やテレビ、カーペットやカレンダーなどが置かれており、まるで普通の家のようだった。小窓が一つ。川越の田園風景が見渡せた。窓の鍵は施錠されている。解錠するには鍵が必要だった。転落防止。自殺防止のためである。


 家にはダイニングテーブル。椅子が四つ。大抵、千尋が行くのは一番最後。「姉ちゃん」「妹ちゃん」は既に席に着いていた。


「おはよう。弟ちゃん」

「おはーっ!弟ちゃ~ん」

「……」


 姉ちゃんは色素が薄い少女。表情に喜怒哀楽の変化が全くなかった。

 妹ちゃんは明るく元気。じっとしていることがなく、いつもなにかを喋っていた。


 七時三〇分。週五日、「お母さん」がやってくる。メガネをかけた若い女性。茶色の長い髪。大きな胸。白衣にブラウス。胸ポケットにはタバコとPHSが入っていた。


 殆ど同時に、食事が運ばれてくる。御盆に主食副食汁物が載せられている。メニューは三食日替わり。入院している他の子供たちと同じ内容である。


「今日も一日よろしくね」

「……」

「あ! えな! お祈り忘れてた……、やらなきゃ!」

「お祈りはもういいのよ」

「え~? なんで~? どうして~?」

「神様はお休みに入ったの。だから今は、お祈りしても、届かない。今は神様も美味しいご飯をたべてるんじゃないかな? 邪魔したら可哀想でしょ」

「……むう? そうなのかぁ……、うー! えなわかんないけど、せんせいが言うならそうなのかも!」


 相生恵那は家族で宗教に入信していた。絆の会は、「自由意志」を「神」とし、既存の枠組みに支配された世界からの脱却を目指す団体である。

 お祈りは、毎食前に、中指を立て「くそくらえ」と言う。

 神への忠誠心を示す動作である。


「預言者様もお祈りしていないし、きっといいんだ!」

「私は……、別に」

「……」

「そ~れ~と、恵那ちゃん。ここでは妹ちゃんだから。恵那という名前は使わないように」

「……、はぁ~い。三上せんせい~」


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