第18話 ぐにぐに~っ
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午後二時。池袋東口交番。横断歩道。あおい、めぐみ、千尋は学校を早めに切りあげ、西武池袋駅へ向かう。授業は三時まであるが、今日は帰る。千尋には予定があった。川越の児童医療センターで、琴音のカウンセリングをこれから受ける。
あおい、めぐみ、千尋は、週一回のカウンセリングを続けている。
診察予約は十六時から。一時間。
西武池袋線と新宿線を乗りつぎ、川越へ向かう。
「西武百貨店で化粧品見ていきたいな~」」
「見てけば? 僕は帰るけど」
「え~、ちーちゃんも一緒に見ていこうよ」
「いや、僕は分からないし、予定もあるし」
「ちーちゃんに選んで欲しいの」
「なんでだよ」
「んもう……、ちーちゃんは相変わらず女子心が分からない男子だなぁー! もう!」
「……?」
「一人で選んでもつまらないでしょ! お喋りしながら、あーでもないこーでもないって、したいんじゃないかー!」
「……それって楽しいの? 欲しいものがあるなら、さっさと買えばそれで終わりじゃん」
「ちーちゃんつまんない」
「じゃあ、もう僕をからかうのはやめてくれ」
「やだ!」
「おい!」
「ちーちゃんはつまんないけど、いじると面白いもん! かわいいし! にしし~」
「千尋はいじられキャラだからね」
「好きでこうなったわけじゃない」
「まぁまぁ、千尋だって言ってたじゃない?」
「……?」
「いじめられるのは嫌だけど、愛情あるいじりはいいって」
「まぁ……、ひとりぼっちよりは……、いいけど」
「あら、素直」
「うるさい」
「じゃあ、あたしもちーちゃんいっぱいいじるね~! えいっ。ぐにぐに~」
「……ッ! お、おい! こら、や……、やめろぉ、痛い痛いぃ~」
西武口前。横断歩道。信号が青になるのを待つ。風が吹いて雲を晴らす。群衆。平日の午後。それでも絶えない人の流れ。千尋は今日は不安定。イライラしている。安定剤は飲んだが、落ち着かない。一人だったら、こんな人の海には来られないと思う。いじられるのは嫌だが、めぐみやあおいには感謝している。言葉には出したくないが。
「ぐにぐに~っ、にしし~、ちーちゃんのほっぺむにむにできもち~、ぐに~」
「あ、私もする」
「お、おい! こら、二人して……、やめろぉ……」
めぐみとあおいは千尋の頬をつねる。肉付きのいい頬。ニキビもシミもない肌。透きとおる白い肌。長時間外出出来ない故の透明感。千尋は抵抗するが、めぐみには抗えない。体格差がある。なすがままにされてしまう。
「えへへ。ちーちゃんはほんとにいじられキャラだね~」
「違う。勝手に認定するな」
「じゃあ、なにキャラなの?」
「え? キャラ……?」
「うんうん。ちーちゃんは自分はどんなキャラだと思ってるの?」
「それは……、うーん……、なんだろう」
「千尋は嘔吐系キャラかしら」
「ある意味あってるけど……、嫌だな。それは」
「じゃあ、なんなの? ハッキリしなさい。ハッキリ」
「そう言われても……」
「千尋のだめなところだよ。明確な自分を持てないこと」
「うん! そーそー! もっと自分に自信を持たなきゃダメだよ、ちーちゃん」
「なかなかみんなみたいには……、いかないよ」
「それは千尋が色眼鏡をかけてるからだよ」
「眼鏡?」
「そ。くすんだ眼鏡が、世界をグレーにする。自分はダメだと、思えば、そうなる」
「……、あおたんの難しいお話?」
「難しくないよ。簡単。世界も自分も見方を変えれば、なににだって変わるってことだよ」
「おー、なるほど?」
「まーた、受けいり名言集か。あおいちゃんも好きだよな」
「でも、いいでしょ? 言葉は人を変えるんだよ」
「それは誰の言葉」
「アルフレッド・アドラー」
アルフレッド・アドラーは、オーストリア出身の心理学者。二十世紀初頭に、ユングやフロイトと共に精神医学の発展に寄与した人物である。
アドラーは人と人の繋がりを重視する「共同体感覚」という概念を提唱した。これは、あらゆる精神問題には、対人関係の悩みが影響している、という考え方である。
フロイトは「抑圧された欲求」「トラウマ」が精神問題の原因であり、無意識を解放するが解決に繋がると説いた。
ユングは、その抑圧された欲求、「リビドー」には、より大きな「集合無意識」という概念があると説いた。
精神医学、心理学の偉人。
アドラーは、対人関係のストレスを解消するための方法論を提示した。
未来志向だ。リビドーの抑圧や、その解放ではなく、なりたい自分になることを目指す。
人間は社会動物だ。人とふれあい、集団の中で生きる。そこで担う役割がある。自分のため、そして人のためになる仕事だ。
アドラーはそうした感覚を「共同体感覚」と命名した。
この共同体感覚を育むことで、心の問題は改善できるとした。
過去に囚われず未来を見る。なりたい自分を目指して、今出来ることをする。頑張りは認められこそ成立する。一人では叶えられない。人間は社会動物だから。常に誰かの評価、肯定を必要とする。カウンセラーはその役割を担う。
あおいは心理学を勉強している。独学や琴音に訊いて学ぶ。知識が自分を理解する上で、役立つからである。あおいは解離性障害で自分がよく分からない。けれど、分からないと思う自分がいる。だから分かろうと努力する。それこそが自分であると定義づけている。
あおいは前向きだった。力強い。くすんだ空模様。けれど、彼女が隣にいれば、澄み渡る。名前のように。あおく。澄んで。
千尋はそんなあおいを尊敬していた。




