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02 子爵領の人々

 ルイジと面会した、その翌日。


 スマイリー商会に立ち寄る。

 俺を血の婦人に売り飛ばしてくれたお礼をしに来たわけではない。

 純粋にショッピングを楽しむために訪れたのだ。


 僅かな時間で、領地経営を改善させるには、何か、チートな方法に頼らざるを得ず、結局俺に思いついたのは、農地の生産性をあげることぐらい。

 そのための万能薬は、化学肥料だ。

 なけなしの金をはたいて、石灰や草木灰、骨粉などの肥料を買い求め、品物が届き次第、領内へ運搬するよう依頼する。


 これで、俺の顔を、スマイリー商会に売り込むことにも成功した。

 以前に不幸な行違いもあったが、まぁこれからは長い付き合いになることだろう。




 あくる日。


「では、先に旅立つとしよう」


「あっそうッ!」


 キアラは踵を返して、ぱたぱたとどこかに行ってしまった。

 彼女はデシカ領にある魔法学院に入学するらしい。今度こそ長い別れになることだろう。

 それなのに、やけに冷たい態度だなぁ。

 まぁ、気にしても仕方ない。

 俺はアキレを連れて、自身の領地を目指して旅立った。


 白銀によれば、俺の寿命は残り2年。

 公爵の座を手に入れられたなら、すぐに公爵領の改革に従事できたのだが、あっさりと断られてしまい、しかも取り付く島もない。


 ルイジは俺の領地経営の手腕を信用していないのだ。

 ならば、見せてやろうではないか。

 そして、嫌でも認めさせてやる。


 しかし、どんなに頑張ろうとも、領地経営が軌道に乗って、その成果が現れるのは日数を要する。

 大きなことを仕掛けようとすればするほど、成果が現れるまで時間がかかることだろう。

 ならば、取り掛かるのは、早ければ早いに越したことはない。

 すぐさま、レンゾ子爵領に向かのは自明の理だ。


 


 レオナルディ城城下町を出発して、デルモナコ領及びデシカ領へと向かう街道を騎馬でひたすら南下する。

 やや寒気を感じるものの、春めいた風景はどこまでも穏やか。

 時折、強い風が草原を吹き抜けていく。


 チィーチィー!

 

 鳥達の鳴き声が春の訪いを祝福するかのよう。


「兄貴も貴族に仲間入りしたってんなら、たくさんの従者を引き連れていってもバチは当たらねえってもんなのによぉ」


「確かに公爵からもそのような申し出はあった。しかし、従者を通じて、逐一俺の言動が公爵に連絡されてしまうのは好ましくない。俺は好きにさせて貰うつもりだからな」


「うーん。そういうもんかねぇ。兄貴は公爵さんとあんまし仲良くねぇんだな……」


 ちなみに、アキレは、俺の立ち位置がよくわかっていないようで、ただただ俺が大出世したものだと信じている。

 

「お前にも迷惑を掛ける。だが、退屈はしないと思うぞ」


「そいつはまったく心配してねぇさ。兄貴に付いてからこの方、俺ァ、退屈知らずだからなぁ。この先も楽しみで仕方ねぇよ」




 出発から、半日。


 なだらかな丘を登る。その先には俺の領地が待ち受けている。

 改めて、黒仮面を取り出し、装着する。

 ここからは、気合を入れて領民に立ち向かわねばなるまい。


 眼下に広がる俺の領地。


 東側には、大きな山脈が南北に走っている。

 この山脈の向こうは、閉鎖されているというデシカ領がある。

 西側には河川があり、河川の向こう側はデルモナコ領となっており、遠くには壁に囲われたデルモナコの城下町が見える。


 両手を広げれば、まるで他の領地に手が届いてしまいそうな、箱庭のごとく狭い領地。

 

 丘の下には、どこまでも優しい色をした草原が広がっており、もこもことした林が点在している。

 林を構成するのはライラック。紫の花が咲き乱れている。

 その向こうには、小麦畑や休耕地が広がっている。


 街道から伸びる細い土の道は、やがて小川にぶつかり、立派な石造りのアーチ状の橋を経て、石畳の小洒落た道に通じる。

 川沿いに、等間隔にリンゴの木が植わっている。

 

 石畳の道はやがて、広間に通じる。


 石畳の道の左右と広間の周囲には、赤茶色の屋根、クリーム色の外壁で統一されたレンガ造りの家々が建っている。全部で100戸ほど。

 それぞれの家屋の周辺には、これでもかというぐらいに、花が植えられており、スイセン、ヒヤシンス、ユキヤナギがお互いに競いあうようにして咲き乱れている。


 奥まったところ、低木に覆われた小高い丘の上に一際立派な家が見える。

 といっても、多少目立つ程度で、他の家々とそれほど大差があるわけでもない。

 あれがおそらく、俺の家だろう。


 城下町と違い、街の周辺が壁で覆われていない分、とても開放感がある。

 そして、俺の気負った気持ちをせせら笑うような、果てしないのどかさが広がっている。ここは桃源郷か?


 風に流されて、荘厳な鐘の音が聞こえてくる。




 馬を降りて、石畳の道を進む。

 しばらく進むと、100人以上の住人達が道の脇に立ち並んでいる。

 事前に俺の館宛に連絡は入れておいたが、まさか、こうして歓迎されるとは思わなかった。

 


「お、お帰りなさいませ……」


「……」


 総出で集まっている割には、明るいムードはない。

 むしろ、葬式のような静けさ。


「……レンゾ様、ばんざーい」


「ばんざーい!」


「ばんざーい!」


 まるで、声を出さねば殺されるといわんばかりの、恐怖で構成された祝福の声。

 いったい、どういうことだ?


 一応、俺は軽く手を振ってこれに応える。


「うぎゃーー!」


 沿道に立つ少女が、俺の仮面を見た瞬間に全力で泣き始める。

 母親がおどおどしながら、決死の覚悟で少女をなだめすかす。


「フハハハ!」


 俺はおどけて笑ってみせる。

 少女は火の付いたようにさらに激しく泣き、俺を指差して喚く。


「暗黒……!」


「いけませんッ! いけませんッ!」


 母親が懸命に少女の口を抑える。

 そこまで怖がらないでよ……。


 すると、アキレが顎を突き出しながら、がに股できびきびと動いてみせて、そして、急に立ち止まり村民を睥睨してみせる。

 少女は、それを見て不思議そうな顔をしながら、泣き止む。

 しかし、田舎者臭い動きだな。公然と指摘するのは可哀想なので知らぬふりをしてやる。


 街なかを過ぎると、急峻な丘にたどり着く。

 そして、丘の上の我が館へ。

 オークの巨木が、館の前に鎮座している。


 家の前に、使用人らしき女性が立っている。


「お待ちしておりました、領主様」


 小柄で短めの金髪、場に不釣り合いなほど鋭い目鼻立ち。

 子爵の使用人であるから、当然俺との面識はないのだが、知ったかぶりをしなくてはならない。


 しかし。何故だろうか。

 知らないはずなのに、とても見覚えがある面構え。

 しかし、思い出せない。


 ためらいがちに声をかける。

 

「久しいな」


「いえ。私は領主様とお会いするのは今日が初めてです」


 そうなのかよ!


 しかし、こいつは有り難い。

 多少俺が辻褄の合わないことを言ったとしても、彼女とレンゾとは面識がない以上、俺がレンゾでないと疑われることもないからだ。


「使用人として働いております、ジーナ・クアルタと申します、不束者ですが、よろしくおねがいします」




 館内に入ると、3人の老人が広間に直立して俺を出迎える。

 最初が肝心だ。挨拶される前に挨拶を。


「久しいな! 元気にしておったか?」

 

 3人が一斉に顔を上げ、驚いたようにこちらを見る。


「……3年ぶりですな。レンゾ様」


「お変わりないようで何よりですが」 


「一息つきましたら、早速、領内の状況など、ご説明いたしたく存じます」


 いずれも、思慮深い物言いをする。

 彼らこそ、レンゾ子爵を支えていた3人の知恵袋。

 暗黒卿を育て上げた悪党でもある。

 期待は高まるばかりだ。


 俺の物言いに対して、若干の戸惑いがあるように感じられる。

 やはり、レンゾ子爵そのものを演じきるのは、難しい。

 

「領主様は長旅でお疲れでしょう。まずは、自室へご案内いたします」


 ジーナが俺に先を促す。


「頼む。しかし、是非、彼らの話を聴きたい。後ほど、一人ずつ我が自室に招待せよ」


「承知しました」


 アキレと別れ、ジーナに手びかれて、自室に入る。


 10畳程度。一人部屋としてはゆったりとしている。

 調度品は決して高級ではないが、粗悪でもない。

 実用性を重視した飾りのないテーブルが窓際に用意されている。

 応接もできるようにと、椅子がいくつか用意されている。

 書斎兼応接間といったところか。


 レンゾの立ち位置をすっぽりと奪うことに罪悪感を感じないでもない。

 しかし、人が使っていたという痕跡、生活感のようなものがまるでないため、人の物を利用するという気色悪さは感じさせない。

 

 テーブルの上には花瓶があって、美しいカスミソウが生けられている。

 細かい心遣いが伝わってくるかのようだ。

 

 窓の外には、ピンク色の洪水。

 美しい花弁が溢れている。




「お茶を入れました」


 一息つく暇もなく、ジーナが現れる。

 リンゴの甘い香りが漂ってくる。

 何気ない様子で探りを入れるべく、尋ねてみる。


「君は最近雇われたのかな?」


「はい。半年前に王都から参りました。公爵様の口利きで、こちらで働くことになりました」


「そうすると、君は私の身の回りの世話をしてくれるということかな?」


「はい。掃除、洗濯、客の応接など家事一般を担当しております」


 残念ながら、ジーナは領地経営とは無縁の存在のようだ。

 やはり、先程の老人達から直接話を聞かねばなるまい。

 しかし、その前に最低限の知識を手に入れておかねばなるまい。


「俺が留守の間、領内の管理を行っていたのは誰であったかな?」


「はい。先程お会いになった3人の大臣が担っておりました」


 大臣? 大げさな。


「役割分担はどうなっている?」


「サンナ様は軍事担当兼庭師です。ヴェッキオ様は外交担当兼料理人です。コッコ様は内務担当兼執事です」


 何だろう。やけに仕事の組み合わせが不可思議だ。

 人が足りていないのだろうか。


「他に使用人はいないのか」


「はい。私とお三方のみです」


 なんとこじんまりとした所帯。こういうことなら、従者を付けてもらうべきだったかもしれない。


「ではさっそく。まずはサンナ軍事担当から話を聞いてみたい」


 


 入ってきたのはよく日焼けした、背の低い男。

 白髪を短く刈った、笑顔の素敵な御老体だ。

 園芸作業は重労働なのだろうか、すっかり腰が曲がっている。


 一対一で話をする。

 

「お招きいただき感謝します」


 大げさな身振り手振りで語りかけてくる。

 朗らかな声が耳に心地いい。こういう人物のことを弁舌さわやかというのではないか。


「防衛大臣サンナ。まずは、我が領内の軍事力はいかほどか聞きたい」


「ああー。それはあまり、わかっとりません」


「えッ?」


「ところで、うちの孫は今年で13歳になります」


「ほほう?」


「ついこの間、ようやく指輪を授与されたのでございます」


「教会から受ける指輪のことか」


「それが大当たりにございまして。生きのいい植物の種子を見分ける能力を手に入れたのでございますよ。しかも、じいじのような庭師になりたいと家族の前で宣言してくれたのでございます」


「それが軍事力とどのような関係が?」


「……特に関係はありませんが、それがどうかなさいましたかな?」


 えー?


 自分語りしてくるタイプかぁ。

 あなたの家庭環境は聞いていないんだけどもなぁ。

 やたら平和ボケしているようだ。


「軍事力という尋ね方が悪かったようだな。ならば聞こう。兵隊は何人いる? 武装はどのようなものか?」


「ああー。質問が一杯ですなぁ。うわぁ。わかりません。ところで……」


「100戸ほどの家がある。5軒に一人ぐらいは徴兵できるだろうか?」


「ああー。ま、そんなところですねー」


「20人ほどの兵しか用意できないということか」


「いい線いってます。ところで、私の孫はですね。カブの種子をですね……」


 この後、小一時間に渡り、孫の成長記録を延々と聞かされたのであった。

 そして、防衛大臣であるはずなのに、領内の軍事力を把握していないことを恐縮することは一切なく、ただやたら満足気に去っていった。


 次だ次!




「ヴェッキオ外務大臣。貴公は普段どういった相手と渡り合っているのか尋ねたい」


 でっぷりと太った色白の御老体。

 豊かな白髭を蓄えている丸坊主の男。

 鼻息荒く、忙しなく瞳を動かしているのが特徴的だ。


「世の中には名誉ある孤立という言葉もあるのですが。周辺の伯爵と渡り合って、変にご機嫌を伺うことばかりしていると、子爵様、公爵様の沽券に関わる話にもなりかねないのですが」


「ということは、周辺の伯爵と接触していないから、外交関係も結べていないということか?」


「一概にそうとも言えないかと」


「そうなのか、そうじゃないのか。一体どっちなんだ?」


「自分はできる範囲でやっておるのですが。そんなことよりも、軍事力さえあれば外交はなんとでもなるのですが。ですので、軍事よりも外交と仰るのはそもそも優先順位の決め方に問題があると思うのですが」


「その、できる範囲とは何なのだろうか?」


「子爵様のお嫁さんを探しているのですが。姻戚関係を結べば、軍事力が不十分でも周辺と仲良くできるのですが」


「それはまた突飛な話だな。しかし、確かに、私自身もこの国の器官の一つと割り切り、婚姻を結ぶ必要はあるのかもしれない」


「お嫌なら断ればいいと思うのですが」


「どっちなんだ……」


「世の中には、飄々として仕事を遂行する人物もいると思うのですが」


 まるで、暖簾に腕押し。俺の意見をひたすら否定し、俺が突っ込むと、さっと意見を翻して俺の意見を別の角度から否定する。

 なんだか、議論が深まらない。

 次!




「内務大臣コッコ。領内の現状を君の好きなように述べてくれたまえ」


 最後にやってきたのは、やせ細ったお爺ちゃん。

 ぶるぶると震えながら、ゆっくりと慎重に椅子の端っこに腰掛ける。

 今にも崩れ落ちそうな気配。心配になってしまうレベルだ。


 前の2人のせいですっかりやる気をそがれ、半ば投げやりでコッコに質問を投げかけてしまった。


「領内には3つの村があります。北から南へ順に、現在地のノルド村、そして、セントロ村、アソ村となっております。いずれも100戸500人ほどが生活をしております。これとは別に、東の山間部には集落があり、100人ほどが生活をしております。この集落の住人は先祖伝来の地としてあえてその不便な地に居を構えておるのでございます。なお、教会が簿冊を作って村人の頭数を管理しており、これを基に人口に係るご説明を申しております」


 なんだか、何かを読んでいるかのような一本調子の説明口調。

 しかし、まるで知識の泉のようなその解説力には期待を持てる。

 俺が本当のレンゾ・レオナルディならば、聞かなくても知っていることまで、ペラペラと喋ってくれるほど親切でもある。


「領内は小麦の一大生産地であります。村人達は子爵様から土地を借り、共同して小麦の生産に従事しております。農法としては、小麦の次は大麦、その次は土地を休めるという3つのサイクルで回転させており、土地が荒れるのを防いでおります。また、領内の特産品は亜麻リネン及び馬となっており、公爵様の城下町で大変人気の商品となっております」


「財政収支はどうなっている?」


「まず、メインの収入としまして、村人から小作料を小麦で納めさせております。これ以外に直営の亜麻及び馬の販売収入、パン焼き窯や水車の使用料、交易路の通行税などを受けておりまして、全て金銭に評価すれば、年に3百万ゴールドほどでございます。続きまして、支出につきましては、街の整備費用百万ゴールド、子爵家維持費として人件費も含め百万ゴールド、残り百万ゴールドは貯蓄に回しており、現在千万ゴールドが手元にございます」


 延々と解説を続けるコッコ。その尽くのデータが徹底しており、的確でしかも詳細。

 俺の補佐役は彼を置いて他にはないだろう。


「では、さらにこの地を繁栄させるための方策はあるか」


「……」


 コッコは突然静かになる。

 そして、その体の震えを増していく。


「ああ……」


「え?」


 激しく震えている。


「ああああああ……」


「もういい! 申し訳ない! 余計なことを質問してしまった。もういいから、そんなに苦しまないでくれ」


 データを収集する趣味はあっても、それを活かして何かを成すつもりは毛頭ないようだ。 

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