03 傀儡師
一通り面接を終えると、どっと精神的な疲労が押し寄せてきた。
「お疲れさまです」
どこからともなく、すっとジーナが現れて、卓上の銀製コップに茶を注いでくれる。
リンゴの香りがふんわりと広がる。
大臣の中に、まともに領地経営の舵取りをできる者がいない。
そもそも、意欲を持って取り組もうとするものがいない。
レンゾが何から何までやっていたのは想像に難くない。
しかし、レンゾは長期間領内を不在にしていたはず。
その間、どうやって誰がこの領内の政治を回してきたのだろうか。
茶を注ぎ終えたジーナは、少し離れて静かに屹立する。
「どうでしたでしょうか? 何か掴めましたでしょうか?」
「ああ……。ところで、他に使用人がいたということもないのだろうか?」
「少なくとも私が参りましてから半年間は、使用人に変更はありませんでした」
「そうか」
「何か、焦っておられるように見受けられますが」
「そんなことはない」
「領内にはこれといって難しい問題が発生することもございません。ですので領主様は気持ちを大きくしていていただいて構いません」
「確かに。領内の詳しい様子はまだ見ていないが、領民が貧しさに喘いでいる様子はないな」
「神様の教えの下に、領民は皆勤勉をモットーとし、すべてつつがなく幸福に暮らしております」
若干の違和感を感じる。
おそらく、この違和感の正体は、俺が無信仰であるからだろう。
チリンチリン!
玄関先から僅かな鈴の音が聞こえてくる。
ジーナは素早く扉に近づき、一礼して部屋から出ていこうとする。
「何の音だ?」
「領民が世間話でもしに参ったのでしょう。いつも私が相手を致しております」
「せっかく来てくれたんだ。私も領民と話がしたいものだ」
俺はさっと席を立つ。
「お待ち下さい。わざわざ領主様を煩わせるようなことではありません」
能面の顔に僅かな焦りが見える。
そこまで心配するな。病人のようにやせ衰えてしまってはいるが、俺はもともとフットワークはいい方なんだ。
さっとジーナの脇を通り抜け、玄関先へと向かう。
ジーナが後ろからついてくる。
「まさか領主様が直々に!」
客間に通されたのは、真面目そうな農夫姿の老人。
腰を抜かさんばかりに驚いている。わなわな震えている。
つまり、レンゾは領民と接触することは少なかったということか。
「それほど驚くことはない。私も君と話がしたいのだ」
努めて落ち着いた声で返す。
農夫は、揉み手をしながら、相対する席に浅く腰掛ける。
ジーナも俺の隣に腰掛ける。
「あー、領主様の前で言っていいことなのかどうか……」
「なんでも言ってくれたまえ。そのために私はいるのだから」
世間話などではなく、緊急の用事のようだ。
村長の顔は脂汗でダラダラだ。少し緊張感を覚える。
村長はつっかえつっかえ、言葉を紡ぐ。
「じ、自分はアソ村の村長なんですが。実は。その、うちの村をバッタ。バッタが襲いやがって」
「蝗害か」
頭が真っ白になる。
俺が到着して早々にいいパンチを寄越してくるじゃないか。
とんでもない逆風だ。
バッタ対策なんぞ、学んだこともないのだが。
「バッタを駆逐してくれるのは鶏かな。大量の鶏でも差し向けるか」
「え?」
「バッタをまずは駆除せねばならんだろう」
「バッタは通り過ぎてしまったのです。ただですね。ただですね」
「そうか。その被害はどれほどなのか?」
「全て、小麦を全て食い散らかされてしまいました」
「それは気の毒なことだったな。今から蒔き直しはできるものなのか?」
「それはもう。一丸となって取り組みます。はい。ですが、冬を越してこれからってところのものを失ったわけですから……ええ」
「気力が萎えていると?」
「ええ。まったくそのとおりで。村の衆も呆然としておるのです。売る分の保存からさらに種籾を捻出せねばなりませんし」
「それはもっともだな」
「ですので、何卒。何卒、御慈悲を賜りたく」
「慈悲?」
「ええ。その初夏の税を、どうか……」
「おお、そうか。生産量が落ち込んだ分、納める分をまけろということか?」
「ああ、有り体に申し上げればそのように」
村長はふぅと息を吐く。
ところで、産出された小麦のうち、どれだけを納めさせていたのだろうか。
1戸辺りどれぐらいの小麦を手許に確保しておくべきなのだろうか。
主食は大麦だと聞いたように思うが。
コッコにもう少し詳しく尋ねておくべきだった。
「領主様は、視察に行きたいとお考えです」
突然ジーナが言い放つ。
「え?」
「実地を検分し、あなた達を助けるための方策を考えるおつもりでいらっしゃいます」
「しかし、わざわざ領主様にお越しいただくほどのことでは……」
「いいえ。事態を把握した上で、どのような処置が必要なのかはこちらで判断しますので」
「そんなぁ……」
どうも、ジーナは村長のことを全く信用していないようだ。
なるほど、同情を引き出させて、税を低くしてくれというそういう魂胆を、村長がもっていてもおかしくはない。
俺は人がいいから、ころっと騙されそうになった。
「それで構いませんね、領主様?」
「おう……」
「わかりました……」
村長は気乗りしない様子。
「では、しばらく留守にいたします」
「君が行くのか?」
「ええ。私が現地を確認し、必要な処置を講じてまいりますので、領主様はご心配に及びません」
「それはおかしなことを言うものだ。君が善後策を決定するというのか?」
「お気に召しませんか?」
「そういうわけではないが」
「別に領主様のお仕事を代行するというわけではございません。ただ、客人の応対は私の務めですので」
そうか。
ようやくわかった。
大臣の中で誰も領地経営に興味がないにもかかわらず、こうやってうまく回っているのは、こいつのおかげだな。
実質的な領主様代行ってわけだ。
情報収集。臨機応変な対応。フットワークの軽さ。
確かに優秀だ。
だが、きな臭い。
あえて領主代行を担っていることを隠そうとしていた。
俺の立場を奪おうって腹づもりか。
いやいや、それはさすがに疑いすぎだ。
人を疑うのは良くないこと。疑わしくなるような出来事が続いたからって、人間不信になるのは良くない。
しかし、それでも、俺を蔑ろにしすぎてはいないだろうか。
俺に何も期待していないっていうことなのか。そもそも俺に興味がないのかもしれない。
大したこともできないお坊ちゃまが戻ってきた、やれ、しゃしゃり出てくる前に封殺してしまおうという腹づもりか。
いやいや、落ち着け。焦るな。
自分の功を焦ると、よくない結果しか生まないぞ。
いいだろう。お前のやりようを認めよう。
優秀な部下の本領を発揮させるのも上司の務め。
「面白いではないか。ならば私も君に随行しよう」
「え?」
俺の館のあるノルド村から街道沿いに南へ一時間。
春の陽気の中、俺はジーナとアキレを連れてアソ村へ急行する。
本当に箱庭のように狭い領内だな。
ちなみに村人に証拠隠滅される危険を考慮して、村長をノルド村に置いてきた。
これもジーナの提案だ。なんだか寒気を覚えるぐらいに領主然とした奴だ。
街道から離れて草原上の道なき道を進む。
やがて、立ち並ぶ家々が見えてくる。木造の建物が目立つ。
ノルド村のような華やかさはなく、いかにも素朴な農村という感じだ。
周囲は草原と畑、そして大きな牧場に囲まれている。
牧場には馬、牛が見える。家々には鶏がたむろっている。
案じていた小麦畑では、青々とした麦がかなり背丈を伸ばしている。
「子爵様のお通りだッ!」
アキレが大声で村に向かって勇ましく吠える。
拳骨を振りかざして勇ましい限りだ。
村に到着すると、村中が騒然となっている。
俺達がやってくるとは思ってもみなかったのだろう。
馬から降りて、村民達に近づく。
村民は遠巻きにして恐る恐る俺達を見る。
さらに、自分達の顔を見合わせている。
ええい。埒が明かん。こちらから質問してみる。
「バッタが小麦を食い荒らしたと聞いた。それは本当か?」
「へぇ」
「種籾が足りないのか?」
「へぃ」
ジーナが冷たく言い放つ。
「では、すぐに種籾の保管場所を見せなさい」
「ですが」
「見せられないのですか?」
「……」
あんまりな剣幕に、村民は恐る恐る俺達を保管庫へ連れて行く。
高いところに設けられた木造の保管庫。
中には、器に盛られた種籾がこれでもかというぐらいに蓄えられていた。
「これはどういうことでしょうか? 村長から蝗害に遭い種籾の蓄えも少ないと聞いたのですが?」
ジーナが鋭く村民を問いただす。
「ええ……。その。少ない方なんです」
「麦の生育具合。麦以外の植物も生き生きとしていること。種籾の残存から考えて、蝗害に遭ったというあなた方の主張には不審な点しかありませんね」
村人達はおろおろとしている。
「偽計を用いて税を逃れようとしたのは、極めて悪質!」
さすがに、それは言いすぎだ。
「どうしよう、うちの村も焼かれちまう……」
「これっ。変なことをいいなさんな……」
焼く?
「麦好きのバッタもいるんだな。だから、麦以外が食い荒らされてないんだわ。だよな?」
アキレが突然バカでかい声で村人達に語りかける。
村人は恐る恐る、こくこくと頷く。
ジーナは鎌首をもたげた蛇のようにアキレを睨んでいる。
「小麦なんてさ。村のもんの口には入らねぇんだよ。村のもんは大麦とかキビしか食わねぇ。小麦は納めて、残った分は売って金にするんだ。その金で、服とか、窯の利用賃だとか、家畜を買うとか、そういう僅かな贅沢を全部賄ってんだ」
アキレは切々と村人の気持ちを代弁し始める。
村人達は、そうなんです、そうなんです、などと、か細くうめきながら頷いている。
アキレも元村人。村人達の気持ちはよく分かるのだろう。
しかし、ジーナは刺すような目でこれに応対する。
「難しいことはわかんねぇけど、バッタが来たっていうんなら、来たんじゃねぇかな。いなくなったら、そのうち元気も出てくる。そういうもんだぜ。こんなの、神様の悪戯って奴だぜ」
「そのようなことを神様がなされようはずはないッ!」
厳格に言い放つジーナ。怒りすら感じて見える。
しかし、すぐに俺の顔を見て、静かに付け加える。
「それに、怠惰を許せば結果として苦しむのは領民自身です。だからこそ導かなければならない。私は領主様の意思を汲んで発言しているのです。アキレ様、あなたにはそれができていない」
一触即発。
俺は意を決して声高らかに宣言する。
「よいよい! 税については、追って連絡を入れる。なに、心配しなくていい。我々は君達を痛めつけに来たわけではない。むしろ君達の生活を向上させ、より多くの幸福を与えることこそが私の最終目的なのだ。お互いに協力しあって、この村の発展のために尽くそうではないか。私は知恵を出す。君達は惜しみなき労力の提供をお願いする。ならば、とめどなく涌出る富を約束しよう」
「ほらッ! 今素晴らしいことを閣下が仰ったぞ! ワキーデルトミーだぜ! ワハハ!」
アキレは大仰な動作で俺に賛同してくれ、村人に向かって喜ぶように伝える。
事の成り行きを固唾を呑んで見守っているだけだった村人達は、ぼんやりとした表情のまま、乗せられたようにして形だけ喜び始める。
ちなみにアキレ自身、俺とジーナの話の内容についていけていたのかは疑問が残る。
それでも、アキレは途中で爆笑を止め、満足げに口をへの字に曲げて、渋い顔で村人達を見守っている。
最高に賢そうに見える最高の顔を作っているつもりなのかもしれない。
笑っちまうわ。
「君の働きにも大変感謝している。非常に頼りにしている」
ジーナにも一声入れておく。
「あの粗野な者を信頼されてはなりません。将来領主様にあだなすだけではなく、必ずや神様の教えに背くものとなりましょう」
ちくりと一言二言返ってくる。
「君は信心深いようだな」
「ええ。以前はシスターとして務めておりましたので」
シスター?
シスター・ジーナ……。
次々に情景が心に浮かび上がってくる。
磯の香り。王都の孤児院。パンくずを追いかける鳩の群れ。そして月桂樹の冠。
――――実は、ジーナもこの孤児院出身なんですよ――――
――――ジーナとその子の姉も知り合いでしてね――――
――――願わくば、三人がばったりと出会う日がいつか訪れますように――――
坂道を転がり落ちていくオレンジ。そして月桂樹の冠。
――――どうか。この悲しい世界をお救いください――――
――――あなたに夢の続きを!――――
その時。
黒仮面の下に隠れた顔。
その顔は凄まじく引きつっていたことだろう。
それはどこまでも無慈悲に追いかけてくる。
過失であっても、決して逃げられないのだ、自身の罪からは。




