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08 絆が人を救うなんて嘘だ!

 とは言ったものの、暗黒卿の悪事を暴露する良い方法は思いつかない。

 そもそも、俺は暗黒卿のことをよく知らない。


 奴が行った悪事とは何か。

 血の婦人とつながりがあり、悪を行う彼女を野放しにしていること。

 そして、貧民街の市民に対する不当な扱いを容認していること。


「貧民街の人達に対する不当な扱い? この街での貧民への扱いが特別酷いとも言えないわ。だから、太子の悪事とまでは言えないと思う」


 そもそも、この世界は中世風の世界だ。貴賤を問わず平等、なんて考えがあるわけもない。


「それよりも、その血の婦人というのは強烈ね。そいつをとっ捕まえれば、太子の悪事が明るみに出ることになりそうね」


「それも困ったことになっていてだなぁ。どこかへ逐電してしまったそうだ」


「まずは、そいつの行方を探索するのがよさそうね」


「気を付けろ。奴は鉄の鞭を操る」


「心配しないで。わたし、かなり強くなったんだから」


 キアラは力こぶを作ってみせる。

 確かに、服の上からでも分かるほどに筋肉が盛り上がっている。

 かつてのひ弱な姿はそこにはない。




 貧民街と高級住宅街を隔てる城門の前にやってくる。

 俺とアキレは立ち止まる。


「どうしたの? その呪いの館っていうのはこの先なんでしょ?」


「ハハハ。お姫様さぁ。俺は平民なんだ。この先は行けないことになっている」


 そう、姫様とは住んでいる世界が違うのだ。


「あら、そうなの」


「血の婦人と出会った時は、行動する前に、まず、俺に連絡をくれ」


「わかった」


 俺はつい、ぽつりと呟く。


「もう会うことはないと思っていたのだが」


 それに対して、キアラは眼差しを深くする。

 キアラは俺の袖を捕まえる。


「そのことについては言いたいことがいっぱいある」


「それはまた別の機会にしよう」


 日もとっぷりと暮れた。

 空気に徹していた護衛の騎士がキアラに先を促す。


 翌日の昼頃、黒羊亭で話し合う約束をして、キアラに背を向ける。


「約束よ! 隙きあらば、一人で死のうとする癖は止めるって」


 振り向かず、手だけを挙げる。





 

 翌日の昼頃。黒羊亭に俺一人で出向く。

 

 キアラはなかなか現れない。どこをほっつき歩いているのやら。

 また、誰かにさらわれたんじゃないだろうか。やれやれ。


 思い出に蓋をしていたはずなのに、キアラとの旅路の思い出が美化されて、次々に心の表に浮上してくる。まったく世話の焼けるやつだよな。

 いかん。あいつは俺のペットではなく、一人の人間。しっかりと自立してもらわないとな。




「今、幸せですか?」


 突然、店内で話しかけられる。


「え?」


 向かいの席に座ったのは、シスター・ヘルミネ。

 俺は、質問の意味がわからず、ただただその胡散臭い質問に困惑する。


「昨日のお嬢さんのことですわ」


 ああああああああ。しまった、忘れていた。

 ここで単刀直入に切り込んでくるとは予想もしなかった。

 しかも、お淑やかなヘルミネ自身が……。


「いや、そういうのじゃなくて。全然そういうのじゃなくて。ただただ腐れ縁ってやつですよ。ハハハ」


「そういう言い方はあんまりじゃありませんの? 冷たい方だと思われますわよ?」


「ハハハ。これは窮地に追い込まれましたな」


「あら? わたくし、出過ぎたことを申しましたわね。ごめんなさいまし」


「私のことを何かと気遣っていただいて、むしろ感謝しております。ですが今やこのとおり、元気いっぱいであります」


「またそうやってわたくしから遠ざかってみせて、遠くから敬おうとなさいますのね。わたくしも普通の女ですの。色恋沙汰には大変興味がありますのよ」


「おやおや。神に仕える身でありながら?」


「大きな声で言わないでくださいませ。聖堂騎士に怒られてしまいますので」


「ハハハ」


「ウフフ」


 必然、ヘルミネと一対一だ。


「わたくしにもいい人が現れないかしら」


 ポツリと呟く。


「え?」


「あら」


「ちなみにどんな男性がタイプなんですか?」


「一生懸命な人。人のために動いて自分を顧みない、そんな人に憧れますわ」


「そうですか。でも、城下の人達は皆、その日の暮らしに精一杯です。そんな人間は、残念ながら、ここにはいないかも知れませんね」


「そんなことはありません。わたくしはそういう人がいることを知っていますの」


「聖堂騎士ですか?」


「いいえ」


「司祭ですか?」


「いいえ」


「まったく見当も付きませんね」


「でも、その方はわたくしを遠くから見守ってくださるだけですの。素敵な女性が傍にいるようでもありますし。たとえ、近い距離で会話をしていても、その実、わたくしには手の届かない遠くの世界の方なのかも知れません」


 ヘルミネは突然俺の手を優しく握る。


 お、おう。

 ここまでされて気が付かないほど俺は鈍感ではない。

 でもなんでだろう。疑問符で頭の中が埋め尽くされる。

 俺は平民。異世界出身であることを明かしたこともない。ただの平々凡々な一庶民で押し通している。

 なのに?

 

 この人は意外とちょろいのか? 世間知らずなのか? 夢見がちなのか?


 ひょっとすると俺以外にも同じような対応をしているのかも知れない。

 しかし、その眼差しはあくまでも純粋で、天使のように穏やかで優しい。

 そんな酷いことをするような様子は見て取れない。


「きっとあなたには素敵な人が現れるでしょう」


 それでも、反射的に、何のためらいもなく俺の口から出た言葉には、何の感情も籠もっていない。

 どうして? わからない。


「そんなことを仰いますのね」


 ヘルミネは顔を伏せて黙ってしまった。

 酷いことを言ってしまったのかもしれない。

 



 突然、真っ青な顔をした男から、声をかけられる。


「アキレさんのお兄さんですか? 今、お姫様が盗賊に襲われているみたいですよぉ」


 俺はやや遅れて、事の大きさに気がつく。

 あいつ、ヘマをしたんだな。またいつものさらわれるパターンに入ったのか?


「どこに? あいつはどこにいる?」


 男は黙って手を差し出す。案内料をくれということだ。

 仕方がない。銀貨を手渡す。

 俺は急いで立ち上がって外へ向かおうとするが、次の瞬間、やや気になって視線をへルミネに向け戻す。


「いってらして下さい。あなたの守るべき人を守ってあげて下さい」


 精一杯の余裕のない笑顔をしていた。




 案内役とともに、曲がりくねった路地裏の道をいくつも抜け、貧民街の奥へと向かう。

 

 滅多に来ることもない、貧民街の中の危険区域。

 そこには法も条理も通用しない凄惨な世界が広がっているという。


 グラディウスの柄を固く握る。 

 やがて、四方5メートルほどの空き地が現れた。

 



 その瞬間。

 案内役が真横に跳ね飛ぶ。 


「オホホホホ! よく来たわねぇ! そしてここがお前の死に場所になるの。素敵でしょう?」


 銀色の鞭が、問答無用で俺に襲いかかってくる。

 

 俺も横に転んで、かろうじて鞭を避ける。

 鞭を真正面から食らった土の地面は、まるで箸を入れた豆腐のように、鋭く刻まれる。


 鞭の先は、使用者の手元に戻り、さらに俺を狙って放たれる。 

 やたら切れ味の鋭い刃のついた鞭、およそ5メートルほどの長さで、激しくしなる。

 鞭というよりは、しなる長剣といったところか。

 その軌道はまるで読めず、先端の動きを目で追いかけるのは至難の業だ。

 それでも、自身の目を頼りに、体を動かし、かろうじて刃先から逃げ惑う。


 遮蔽物があるところでは使えない独特な武器。

 ということは、元よりこの広間で俺を迎撃するつもりだった、誘い込まれたというのか?

 誘い込まれた、ということは案内役はグルか?


 ならば、キアラが襲われているというのは嘘だ。

 目的は俺の命。

 でも何故? 俺は有象無象の一人に成り下がったはずなのに? 何故命を狙われる?


 鞭の使用者に意識を向ける。

 黒フードに黒マント。まるで暗黒教団の邪教徒のよう。

 その顔は見えないが、口紅を赤く塗りたくった唇だけがわずかに見える。

 あの唇には覚えがある。


「貴様の書体はばれている。これ以上好きにはさせないぞ!」


 突然鞭の攻撃が止む。


 敵はゆっくりとフードの付いたマントを脱ぎ去り、顔面を陽の下に晒す。

 どこまでも見開かれたどぎつい眼差し。

 後ろで縛った黒くて長い髪。

 病的な白い肩を顕にした、黒いドレスをまとっている。


 血の婦人だ。


「勇敢なものいいですこと。でも、お前ごとき塵芥に何ができるのかしら、オホホ!」


「貴様を捕縛して、暗黒卿との関係を吐かせて、最後は刑務所にでも入ってもらう。そういうことを俺はやってみせる男なのだ」


「お前には何もできない。わたくしの館から逃げた後、結局、仲間を助けるために戻ってくることはできなかったでしょう? わたくしを捕縛するよう衛士に頼み込むこともできなかったでしょう? そんな有象無象の無力なお前が今、何ができるのかしら? わきまえなさいな」


「悪いな。覚悟が決まったんだ。俺は俺のできることをすることにした。もはや、貴様の操り人形でもなんでもないことを肝に銘じておくべきだな」


 唸りを上げて鞭の先端が俺を襲う。

 それは、間違いなく必殺の一撃。

 しかし、その鞭の動き、軌道が見える! それほど複雑な動きではない! いけるぞッ!


 俺は激しくグラディウスでこれを弾く。

 弾くと同時に、横にすっ飛ぶ。

 動きの鈍い案内役の襟首を掴んで、盾にする。


「こいつが貴様の部下だということは知っている。こいつはお前に魂を抜かれた木偶人間の一人だな?」


「あらあら。察しが良いわね。でも、お前がそれぐらいのことをしてくることは想定の範囲内なの」


 しかし、血の婦人はまるで意に介することもなく、鞭をしならせ、俺に向かって鋭く斬りつける。

 俺は慌てて、木偶人間の盾を放し、鞭の軌道を避ける。


 木偶人間は愚かにも危機察知能力を失っているのか、その場で立ち尽くす。

 そのまま鞭の餌食となり、鋭く切り裂かれる。

 激しく赤い液体が周囲にぶちまけられる。


「邪魔よッ!」


 血の婦人は一層激しい動きで8の字に腕を動かし、鞭を振るい続ける。

 全てが必殺の一撃。

 なのに、俺に傷一つ負わせることはできない。

 次第次第に、焦りを感じ始めている様子。


「どうしたぁ? 血の婦人とかいって御大層なあだ名を持っているくせにこの程度かよ? 呪いの館を追い出されたらもうその迫力にも陰りが見えちゃうってかぁ? ああ? なんとか言ってみせろよ?」


 血の婦人は途端に顔を真赤にしながら、迫りくる。

 ハハハ、単純な奴。鞭の力は遠距離でこそ発揮されるものだろうに。


 俺は腰から短剣を引き抜き、投げつける。

 血の婦人は、鞭でこれを防戦する。


 その隙きを狙い、俺は背を向けて、広場から逃走。

 狭い路地に入り込む。願わくば、追いかけてきて欲しい。

 後ろから鞭が襲いかかってくるが、全て指輪の力で見えている。

 これを軽くかわす。


 案の定、追いかけてきた血の婦人。

 頭に血が上ったってか? でも、この狭い路地でそんな武器は使えない。

 

 それでも傲然と鞭を振り回し続け、やがて、鞭の刃先が周囲のぼろ家屋の屋根にひっかかる。

 勢いを止めたその瞬間を狙い、俺は反転し血の婦人に肉薄。

 左手をつかまえ、勢いそのまま背後に周り、手をひねって動きを封じる。


「俺を甘く見すぎたな。俺がお前なんかに負けるわけは無いだろうが!」


「放しなさい! 有象無象が気安くわたくしに触れるなッ!」


「現行犯に貴賤はない。全員逮捕に決まっているだろうが!」



 

 ふと、周囲から人が迫ってきていることに気がつく。


「きゃーー! 助けてッ! 暴漢にいけないことをされてしまいますッ!」


 突如、血の婦人が黄色い声をあげる。

 その瞬間、路地の入口と出口から憲兵が現れる。

 どうして、こんな貧民街の奥に憲兵がいるんだ?

 しかも、まるで計られたかのようなタイミングで登場した。


「こんな昼間から、なんと破廉恥な奴だ! あいつを捕縛しろッ!」


「待て! こいつは血の婦人だ! まずは、こいつを罰する必要がある!」


「問答無用! 貴様ら貧民に情けをかけてなるものか! さぁ、連絡のあったご令嬢はあの方だ。救出差し上げろ」


 僅かな時間の間に、立場が逆転。

 今度は俺が10人ほどの憲兵に取り押さえられる。

 一方的に、無茶苦茶に殴りつけられる。


「ああ怖い。あの人が獣のような力でわたくしをこの暗い路地に引っ張り込みましたの」


「それはとんでもないですな、何かよくないことをされませんでしたか?」


「暴漢のせいで、わたくしの従者はあのような無残な姿に……。ですが、皆様のおかげで、命を拾うことができましたわ。有難うございます」


「いいえ。本職は市民の安全を守る責務を全うしたのみにございます」


「心強いですわね。ですが、このような悲劇が二度と繰り返されないように、市民を代表してお願い申し上げる次第でございますわ」


「わかっておりますとも! 本職はこのような卑劣漢には厳しい処分で臨むものであります」


 憲兵が俺に近づいてくる。


「さぁ、卑劣漢。まずは言うことが有るだろう?」


「くそうぅ。なんで俺の言うことを信じてくれないんだ。悪いのは全てあいつに決まっているだろう?」


「まだそのような卑劣なことをいうか? 自分の罪を認めないばかりか、人に罪をなすりつけようとするその卑劣加減は限界を突破している。まずは、ごめんなさい、だろ?」


「ふざけるな! あと一歩なんだ、あともう少しで血の婦人を捕縛できる」


「黙れ!」


 一斉に憲兵共が俺に殴りかかる。

 止めどもなく、まるでためらいもなく振り下ろされる拳骨の嵐。

 意識が薄れていく。

 

 憲兵が来ることも策の内だったというのか。

 ヘマをやってしまった。誘い込まれたのはやはり俺だったというのか。


 確か、木偶人間はお姫様が襲われていると報告してきた。しかし、アキレ以外にキアラの正体を明かしたことはない。嫌な予感がする。


 意識が暗転する直前。

 俺が目にしたのは、血の婦人の曇りなき笑顔。

 そして、血の婦人の左手首にできた小さな青アザ。


 すまない、キアラ。後は頼む……。 

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