01 この先誰も信用してはならない
レオナルディ城城下町は、巨大な湖レオナルディ湖に面している。
そのレオナルディ湖から西のアルデア城城下町に向けて、大河アルデア川が走っている。
その河岸は古めかしい堤防で覆われているものの、ところどころ崩壊しており、現在改修工事中である。
これも、アルデア・メトロポリスプランの一環である。
土のうを運搬し、堤防の決壊部分に積み上げる仕事がある。
賃金は、1日6時間、6日間働いて200ゴールド。
恐るべきことに、1日でも欠勤すれば、賃金の支払いはない。
ちなみに、リンゴ1個が2ゴールド、エール1杯が5ゴールド。
格安の外食1回が10ゴールドである。
つまり、食費だけでも消えてしまうような低賃金だが、労働者市場は需要が旺盛である。
溢れんばかりの労働者達が集まっている。
低賃金で働いてもらうのは申し訳ない気もする。それはさておき、やはり俺の大都市構想が一歩一歩完成に近づいていくのを見るのは、素晴らしく高揚感がある。
そして、何を隠そう、俺も従事者の一人として働いている。
レオナルディ城城下町の古着仕立て屋に居着いてから2週間。
全身の傷がなかなか癒えず、外出も控えてひたすら家にこもっていた。
その間、ぽっかりと心に穴が空いたような錯覚が続く。
重責から解放されると同時に、目標や野心もすっかりとどこかへ影を潜めてしまった。
2週間経って、ようやく杖を使わずに歩けるまでに回復した。
働かねばならない。
心や体が弱っているときは、誰かが養ってくれる。
この世界において、そんなことはありえない。
しかも、唯一頼りになるであろうアキレは、一向にその姿を見せない。
とはいっても、いまだ手元には8万ゴールドがある。働かねばすぐに困窮するというわけでもない。
しかし、働かないと一方的に金は減っていく。
世界を革命する主人公であろうとも、金がなければどうしようもない。
体を動かしていることで、気が紛れるということもある。
そこで、大家のつてを頼り、人工として採用してもらったのである。
「おう。5人揃ったか?」
河川敷の広間に集合すると、公爵家から派遣されている監督役が声をかけてくる。
ちなみに、5人1班で行動している。
「ただいま揃いました!」
5人のうち一番体格のいい班長が元気に応える。
しかし、実際には俺も含めて4人しか集まっていない。
「ほらよ、お前んとこの給金だ」
「ありがとうございます! あなた様に神のご加護があらんことを!」
班全員分の今週分の賃金が、まとめて班長に手渡される。
一人200ゴールドで、5人合計は1,000ゴールド。
監督役が去った後、班長は勢いよく宣言する。
「軍資金を分配する! まずはテオ。おめぇはよく頑張ったな。ほれ、銀貨3枚だ」
「これからも班長についていきやす!」
銀貨1枚は100ゴールドであり、銅貨1枚は1ゴールドである。
したがって、テオは300ゴールドを手に入れたことになる。
テオはいい年をして、それはそれは立派に班長の子分を勤め上げ、徹底して班長に取り入っている。
そのためか、一人200ゴールドの給金が貰えるところを、300ゴールドも貰っている。
しかし、それでは、他の誰かの賃金が削られることになる。
早くもきな臭い空気が漂い始める。
いやいや、そんなはずはない。
班長は計算が苦手なのだろう。
きっちりと、指摘をしてやらないとだな。
班長は続ける。
「白銀と新人にはそれぞれ銀貨1枚くれてやらあ。まあ、おめぇらは真面目に仕事してんだから仕方ねぇ。本当は、新人なんぞ給金を貰えるわけねぇんだぞ? 俺様は心が広いから、くれてやるんだぞ? ありがたく思うんだぞ?」
新人とは俺のことだ。
ついでに白銀とは、白髪の浅黒い少年のことだ。
こいつは、班長に取り入ることもしないし、俺から話しかけても応答すらしない無口で無愛想な輩だ。
そして、当然のごとく上前をはねられている。
しかも半額。
白銀よ、今こそ抗議するときなのではないか?
「はんちょー! おいら、戻りましたあ!」
取り残されていた一人が片付けを終えて、ようやく戻ってくる。
彼は、ひょうきんな男だが、恐ろしく仕事ができない。
人が積み上げた土のうを何を勘違いしたのか、どこかへ持ち去ろうとしてみたり、土のうをリレー方式で引き渡そうとしても空を見上げたまま無視してみたり。
その癖、俺に対して先輩風を吹かせてくる。
一言で言えば、仕事のできない困った先輩なのだ。
「あっ! お給金の時間ですねッ!」
目ざとく見つけて、ニッコニッコになる。
「ウスノロの馬鹿ルカ! おめぇにやる金はねぇんだよ、バーカ! さっさとお家に帰ってお寝んねしときなッ!」
ひでぇ。
無賃労働かよ。
しかも、班長が残りの500ゴールドをせしめる算段なのか。
「そんなあ。あんまりだよぉ! 一生懸命働いたっていうのにぃ……」
ルカは泣き始める。
しかし、班長は聞く耳持たず、さっさとテオを連れて作業場を離れ、城下町へと戻っていく。
白銀も挨拶なしに姿を消す。
確かに、ルカはおっちょこちょいだ。
それでも少し可哀想になる。
「先輩。俺、飯を奢ってあげてもいいっすよ!」
「え? ほんと? ありがとう!」
ルカは途端にもりもりと元気を取り戻す。
俺達は、暗くなる前に城下町に入る。
城下街には、貴族や商人達富裕層が住む湖畔の高級住宅街と、それ以外が住む外延の貧民街とに分かれている。
2つの街は、高い壁で隔てられており、入口さえ別々となっている。
中世封建社会とはかようなものなのか。
自由平等を叫ばざるを得ない。
ちなみに俺が起居している仕立て屋の家屋は、いわずもがな貧民街に属している。
この貧民街では、暗い顔をした人達が、軒下で何かを物々交換している。
あちらこちらで、恵みを求める女性や幼子達が金切り声を上げている。
時々、決して恵みをくれない人々に向かって悪態をついている。
そこかしこに汚物が垂れ流しされており、高級住宅街から排出されたゴミが、当たり前のように貧民街に打ち捨てられている。そして、やせ細ったカラスや犬がこれらを漁っているのである。
「おいらには、精霊が棲みついているんだよ」
行きつけの店、黒羊亭にて。
ルカは久しぶりに食事にありついたと言いながら、大急ぎで俺の奢りをかっ喰らってしまった。
俺の皿の中身まで物欲しそうに見ていたので、仕方なく譲ってやる。
「今、嘘だって思っただろう?」
「別に疑ったりはしないっすよ」
俺だって、体内に鳥っぽい化け物を飼っているのである。今更精霊如きが何だという。
食事を奢ったのは単なる慈善行為ではない。一つぐらい役立つ情報を持っているだろうと思ったのである。ところが、この有様であり、有益な情報は得られない。
ルカを食事に誘ったことに、後悔を覚え始める。
「でさ。おいらの精霊は言うんだよ。あの黒屋根の家。高級住宅街にあるあの家さ。あそこには血の婦人が住んでいるってね」
「血の婦人?」
「大声では言えないけれど、あの女は、奴隷から血を抜き取り、その血で自分の体を洗うんだってよ」
「嫌な話だなぁ。何のためにそんなことを?」
「美容にいいらしい」
「でも、さすがに公爵様が黙っていないでしょうに」
「それがさ。血の婦人はとんでもない美人で、あの暗黒卿も籠絡されたって話なんだよ」
「暗黒卿? それは何です?」
「公爵家の息子さんさ。そんな事も知らないんだ?」
「そりゃあ、俺、この街に来たばかりですしねぇ」
「そっか。どこから来たんだい?」
「王都の方から」
「変な事を言うね! わざわざこの街に移り住むなんて、知り合いでもいるのかい?」
「別にいませんけど……」
移住すること自体、この世界の人々にとっては珍しいことなのかも知れない。
「てことは、君も何か大きな目的があるんだね」
急に静かになるルカ。
そして、打って変わって小さな声で話し始める。
「おいら、郊外の農村に住んでいたんだ。嫁と妹とおいらの3人暮らしさ。貧しいけれど、楽しい毎日だった。それが、ある日突然全て変わっちまったんだ」
「何があったんです?」
俺は努めて興味があるようなふりをする。
「おいらの妹が、貴族の目に留まってさ。それで、妹に礼儀作法を教えてくれることになって、妹は城下街に連れて行かれたんだよ。なんでも、黒い館の女主人に雇われたって自慢していたんだ」
「ほう」
「すぐにでも会いに行きたかったんだよ。でも、妹に恥をかかせたくなくてさ。身なりを整えてからって思っていたから、なかなか会いに行けずにいた。そうすると、嫁が、自分の嫁入り道具を売っぱらってこれを足しにしてくれって言ってくれたんだ」
「いい話だなぁ」
「そんなこんなで、街に来た。でも、妹には会えなかった」
「え?」
「妹は、変わり果てた姿で、街のど真ん中に捨てられていたんだよ。全身から血が抜かれて、真っ白になっていた」
「残酷な」
「あれは絶対に血の婦人の仕業だよ。許せねぇよ。誰も気にしなかったんだろうし、誰も助けようとはしなかったんだよ。どいつもこいつも許せねぇよなぁ」
「……」
「この街の人間はとにかく誰も信用しちゃあいけないよ」
後味の悪い話を聞いてしまった。
「一人で抱え込まないでくださいよ。先輩には俺が付いているんですから」
「君? ハハハ」
鼻で笑った後、ルカは黙り込んでしまった。
別れる時の挨拶もなし。
翌日。一週間における唯一の祭日である。
家の中にいると、どんよりと心が曇っていく。
外に出るか。できれば、美しい湖畔を歩きたい。
貧民街から高級住宅街に向かい、両者を分かつ高い壁沿いを歩く。
しばらく進むと、高級住宅街への入口を見つける。
憲兵が厳重に監視をしている。
「なんだ、貴様! 汚いゲスがッ! この先に立ち入る許可を受けているのか? 貴様ごときが受けているわけ無いであろうが! 不埒なことを考えやがって」
「すいません」
俺はほうほうの体で逃げる。
これはなんだよ。どんなだよ。
その時。
ウォー―ン!
高級住宅街の方から鳴き声が聞こえる。鬼気迫るうめき声である。
俺はうっかり、そちらの方向に目を向けてしまう。
2つの街を隔てる城門。その先にある黒屋根の一軒家。その玄関先。
人間が転がっている。
真っ赤な液体に身を包み、鎖に繋がれている。その人間が、玄関口の鉄格子を掴み、咆哮しながら外へ出ようと激しくもがいている。
ルカじゃないか?
俺は慌てて、城門に駆け寄る。
うめき声については知らぬふりを決め込んでいた憲兵が、今度は素晴らしくよい動きで俺を取り押さえ、雪上に組み伏せる。
組み伏せられながらも、ルカを見る。
しかし、既にそこにはルカの姿はない。
鉄格子の向こうからこちらをじっと見つめる瞳と目が合う。
顔など見たことはない。
それでも、一瞬で理解する。
あれは血の婦人だ。
「これが暗黒卿のなされようか。まこと、この先は誰も信用してはならない」
近くの雪上に腰掛ける御老体がぼそりと呟く。
ちなみに、この御老体のように何かをするわけでもなく、雪上に腰掛けている人達はたくさんいる。
大概が、口減らしのために家から追い出された人達なのだ。
その大半が凍える夜を超えられず、翌朝凍死死体として転がっている。
彼らは、死を待つだけの人達と言ってもいい。
弱いものから死んでいく。
原始的な掟が、そこでは鉄則となっている。
憲兵から蹴り飛ばされて、しかしようやく解放される。
その後、随分経ってから、雪上から立ち上がる。すごすごと帰途に着こうとしたその瞬間。
「スマイリー商会です」
高級住宅街から貧民街に向けて、通行する者が一人。
憲兵に通行証のようなものを見せている。
「商会の方ですか。お疲れ様です。この先のクズ共は手癖が悪いから、お気をつけくださいね」
通行人は、すぐに城門を通り、肩で風を切りながら貧民街を突き進む。
スマイリーという名には、聞き覚えがある。
大都市構想への投資家を募っている際、俺の下を訪れた一人の商人である。
俺に好意的な人物であり、困ったことがあればいつでも支店を訪ねるといいと言ってくれた。
暗闇の中の一筋の光、貧民街とおさらばするチャンス。
ええい、形振り構っていられるものか。
そうだ、スマイリーから紹介状を貰ったはず。
奇跡的に、はいのうの中からスマイリーの紹介状を発見する。
「スマイリー商会の方!」
「うん?」
男は、怪訝な顔をして振り向く。
俺は叫ぶようにして続ける。
「スマイリーさんの紹介状です! 以前、私はスマイリーさんから、いざという時には便宜を図ると、そう約束してもらいました」
「うん?」
男は名刺をじっくりと眺める。
その顔はまったくの無表情である。
顔をあげて今度は俺の顔をじっくりと眺める。
やはり無表情のままである。
そしてもう一度、名刺をじっくりと眺める。
ああ。駄目かもしれない。
「やや。これはスマイリー様が直々に手渡された紹介状ですな。あなた様は一体どちら様です?」
「メルクリオ。俺はメルクリオです」
「ほほう。メルクリオ様ですな。今すぐ、城下町の支店にお連れします、と申したいところではあるのですが、誠に申し訳ありません。戦の行く末が慌ただしく変化しておるようで、私などのような木っ端商人もどうしても急用がありましてな」
「なんと……」
「そうだ、これをお渡ししておきます。この場所に今晩お越しください。そうすれば、じっくりとお話をお伺いする機会も持てましょうし、あなた様の便宜を十二分に図らせていただくことも可能でございますとも」
「そうですか。いやぁ、それはありがたい」
木の板を渡される。
裏には、簡易的な地図が載っている。
今すぐ、貧民街を後にしたいが、しかし、これからお世話になる人に無茶も言えたものではない。
ここは我慢だ。
「では、一旦失礼します。今夜、またお会いしましょう」




