25 黒き復讐劇
日が暮れ、薄暮の世界が広がる。
雪は静かに降り続く。
「わたしは、この村の人達と一緒に戦う」
キアラは宣言する。
しかし、それでは困る。
「俺は今ひたすらに隠れたいと思っている。でも、こんなんじゃ、それすら姫の助けがないと満足に出来ないんだ」
俺は左手に持つ杖を少し強調し、情けない事実を包み隠さず申告する。
「……。仕方ないわね」
村の裏手の森の中へ移動する、
森へ少し入ったところに、隠し小屋が建っている。
地中に半分埋まっている造りで、村からは気づかれにくい。
俺とキアラは、隠し小屋の中に潜り込む。
念には念を入れて、小屋の中にある藁の中にミノムシのように包まる。
窓枠の間から、こっそりと、村の様子を観察する。
俺は足に大怪我を負っている。
単純に逃走を開始しても、夜陰に紛れない限り、敵に見つかってしまうのが関の山。
そして、発見されてしまうと、足手まといの俺がいる以上、もはや命の保障はない。
だからこそ、薄明かりの残る現時点ではまだ逃走を開始しない。
ここに潜んでいたほうが安全なのだ。
ただし、村人が攻撃されたら、死なばもろとも。俺達も加勢する。
もし、敵騎兵が村を素通りするだけなら、俺達は黙って隠れたままこれをやり過ごす。
もし、奴らがこの周辺に宿泊するようなら、寝静まった頃合いを見て、夜陰に紛れてさっさと逃亡を開始する。
以上を、あらかじめアキレ達と打ち合わせしてある。
ガッガッガッガッ!
たくさんの蹄の音が近づいてくる。
暗黒のマントを翻した邪悪な者達。
颯爽と積もり始めた雪道を駆けてくる。
片手には銘々が赤々と燃える松明を持っている。
「ヒハハハッ!」
笑い声が静寂な空気を打ち破る。
あれは間違いなく、以前俺を執拗に追いかけ回してきた爆笑騎士だ。
ということは、こいつらは爆笑騎士の部隊だ。
機能重視を心がけた暗黒騎士団とは異なり、ゴテゴテと飾り付けした、独特の鎧。
漆黒のプレートアーマーに、暗黒のサーコート。
上から羽織る、邪悪な黒マント。ちらちらと裏側の濃い赤紫の生地が見える。
馬の背に掛けられ、地面すれすれまで垂れている布には、黒地に赤紫で黒ばらが描かれている。
高貴な身分を予感させる。
村の入口に黒騎士達が馬をつける。
何事かと驚いた振りをして、アキレが入口に向かう。
すると、戦闘の小兵が黒い馬からさっと降り立つ。
それに併せて、全員が一斉に下馬する。
小兵が前に進む。やつだけは兜を被っておらず、雪光に反射された松明の炎でもって、その顔面が露となる。
明るい色の髪色の女性。
やや勝ち気さの残る、大人びた瞳。
しかし、あくまでも無表情。
あれは、間違いなくブリジッタ・コルビジェリ。
コルビジェリ裏切伯の長女。
キアラを俺に託してどこかに去ったファウスト。
その妹でもある。
なんだ。
あいつなら、知らない間柄ではない。
何度も会話したことのある相手だ。
ならば、俺は隠れることもない。
話し合いでどうにでも解決できるだろう。
以前会った時には、時折、トチ狂った発言をかましてくれたように思うが、決して根は悪いやつじゃない。
しかも、あいつは、ファウストの崇拝者でもある。
ファウストの指示に従っている俺のことも無批判に受け入れてくれるはず。
俺はすっかり安堵する。
しばらくすると、ブリジッタが声を張り上げる。
高く、大きく、そして、感情の籠もらない声が響く。
「我々は神聖帝国所属、黒薔薇騎士団であるッ! 我々の指示に従え! さもなくば、貴様らの命は保障しない!」
あまりにも高飛車ないいぶり。
本当にブリジッタなのか?
いやいや。確かに、あいつにはそういう一面もあったかもしれない。
決して空気の読める奴ではないのだ。
久しぶりの任務で、緊張しているのかもしれない。
きっとそうだ。
アキレがその分厚い胸板を張って、ブリジッタの前にふんぞり返る。
「騎士のお嬢ちゃんさぁ。俺たちゃあ、ただの農民だぜぇ? そんなめっぽう怖い顔で怒鳴りつけなさんなって」
対して、機械的な答えが返ってくる。
「その返答。我々に対して、反抗心ありと理解するが、構わないか?」
「こいつはがつんときやがる。えっと、いやいやいやいや。滅相もない。あんたがたの指示には従いますわ」
「では、3つのことを要求する。1つ。今から、我々はこの村に罪人が隠れ込んでいないか、捜査を行う。抵抗せずに徹底して協力せよ。2つ。食料の提供を要求する。捜査後に食すことができるよう、準備をしておけ。3つ。今宵はこの村を宿営地とする。我らが仮眠できるよう支度をしておけ。以上」
「ちょっとちょっと! そりゃああんまりだ。ついこないだ、領主さんに納めたばっかだってのに。俺たちの備蓄がなくなっちまう」
「貴様ら愚民どもが、いやらしく溜め込んでいるのは知っている。むしろ、我ら神聖黒薔薇騎士団に、貴様らの食料を奉納できることに感謝せよ」
まったく取り合う気もない。
圧倒的な攻撃スタイルで攻めてくる。
なんだか、俺の知らない人のようだ。
「わかったか?」
おっ被せるように言う。
「う、うぃ……」
渋々アキレは引き下がる。
「では、捜索を開始せよ」
「承知ッ!」
すぐに黒騎士たちは5人ごと4チームに別れ、マントを翻して散開する。
爆笑騎士、ブリジッタを含むチームは入口付近に屹立。
他の3チームは同時に、それぞれ村内にある3つの家屋に侵入する。
当然、俺達はそんなところにはいない。
各チームは、すぐに家屋内の捜索を終え、ブリジッタの元へと報告に戻る。
部下からの報告を受け、ブリジッタは怒りを顕にする。
「では、焼き払え」
「え?」
さすがの黒薔薇騎士でも抵抗感はあったのだろうか。
疑問系で応えている。
「え? ではない。焼き払えば、罪人がこの村にいなかったことの証明となる。我々は安心して次の村へ馬を進めることができる」
「しかし……。村人の生活の基盤を奪うなど、あまりにも無慈悲な行動であります。それに、お命じになったではありませんか、食料と寝床の準備をせよ、と。家屋が燃え尽きてしまっては、村人も我々の指示を遂行できません」
「そのようなものは優先されるべきではない。奴らを発見するという第一の目的さえ達成できれば、よいのだ」
ハラハラとして成り行きを見ている。
これは、戦闘にならざるを得ない。かもしれない。
「ブリジッタ様。謹んで申し上げます。我々は誇りあるコルビジェリ家の騎士団。そのような、無辜の民の生活を脅かすなど、あってはならない。恐れながら、目をお覚ましください!」
さすがに、必死の忠言に心打たれたはず。
ブリジッタは嫌な嗤いを浮かべて、諫言する部下に顔を近づける。
そして、怪しくじとっと言い放つ。
「その言葉は、我が騎士団を思っての、まことの忠言であろうな?」
「無論でございますッ」
いきなり、平手で部下の顔面を打擲する。
感情を失ったかのごとく、淡々と相手を非難し始める。
「汚らわしい。下卑た者共が。そのような甘いことを言っているからこそ、メルクリオに負けたのではないのか。そのようであるからこそ、お兄様を失ったのではないのか。もはや、この騎士団に騎士の誇りなど無用。そのような無用な感情に惑わされる者はいらぬ。即刻この場から立ち去るがいい」
どうやら仲間割れしてくれる様子。
いいぞ。もっとやってくれ。
だが、黒騎士達は無言のまま、誰一人その場を立ち去ろうとはしてくれない。
なんだ、ただの茶番劇か。
それよりも。
今、確かにお兄様を失ったと言った。つまり、ファウストが死んだ?
それが本当ならば、戦乙女ブリジッタがあそこまで荒れている理由もよく分かる。
まさか、俺達のことをかばったせいで、帝国兵に死刑にされたのか?
ええい。
深く考えるな。
その時。
黒騎士の一人がその黒い兜の下から、鋭い眼光でこちらを睨みつける。
見つかった? いや、まさか。
その黒騎士は、ゆっくりと背中に背負っている短い弓を手に持ち、そこからは迅速な動きで弓に矢をつがえ、こちらに向かって放つ。
ドンッ!
キアラの顔のすぐ隣に突き刺さる。
「ィ……」
ブリジッタは、詰問を途中で邪魔されて不機嫌そう。
そのまま、矢を放った騎士に尋ねる。
「どうしたのか?」
「……」
矢を放った黒騎士は俺と再度目を合わせる。
黒騎士の、兜の下の表情が和らいだような気がした。
「答えよ」
「ハッ。森の奥で何かが光ったように思ったのですが、どうやら、獣の瞳であったようです。あちらには何もない」
「本当であろうな?」
「真実です。恐れながら。こう暗くては、捜索もはかどりませぬ。それよりも村人達と親睦を図り、必要な情報を入手するほうがはるかに有益かと考えます。捜索は一度打ち切り、明朝再度行った後、次の村に向かいましょう」
「うるさいッ、私に指図をするなッ!」
急に大声を上げる。
「お前は今晩は寝ずの番をしなさい」
「ハッ」
「村長よ。我々を歓待の場に案内せよ」
「お、おイィっす……」
ニヤニヤと行く末を眺めていたアキレが、ブリジッタと黒騎士達を伴って一つの家屋に入っていく。
矢を放った黒騎士をはじめ、若干名の黒騎士だけが小屋の外で待機する。
急に村内は暗くなり、静けさが戻る。
日はとっくに落ちた。
逃亡するとしたら、ここがチャンス。
今をおいて他にない。
ムギュ。
ムギュ。
静かな森。
雪を踏みしめる音だけが僅かに聞こえてくる。
新雪に新しい足跡が刻まれる。
それでも、雪は降り続き、朝方には足跡をかき消してくれることだろう。
枯れ枝に降り積もる雪。
「なんだか、不気味だわ」
キアラが枯れ枝の上を指差す。
枯れ枝にはミミズクが群れて止まっている。
襲ってくる様子はないが、まるで、俺達の動きを監視しているかのよう。
俺は杖をつきながら、全力で前進する。
進路は、あらかじめアキレから確認をとってある。
三角頭の山を左目に、ひたすら進む。
ところどころに、赤い布切れが木々に結びつけてある。
これをたどっていけば、レオナルディ城へと続く、秘密の道に至るとのこと。
親切な村人達だった。
いつか恩返ししたいところ。
朝日が昇り始める頃。
ようやく、森を抜け、ごつごつとした山道に出る。
一面に、雪が薄く積もっている。
周囲に木々はなく、見通しがいい。
快晴の空を借景に、左右に雪化粧した、大きな山々が連なっている。
渓流の脇を通る細い一本道を、ひたすら南へ向かって歩いていく。
ここは、危険だ。
このような場所で道をふさがれでもしたら、絶体絶命。
急いで通り過ぎたいものだ。
何故か、嫌な予感は得てして当たるもの。
前方、およそ2km付近。
いくつかの道が交わる山間の広間。
そこに、大部隊が駐屯しているのを発見する。
俺たちの行き先を塞いでいる。
その数は500ほど。
果たして敵か味方か。
進むべきか、退くべきか。
しかし、事態は、俺の判断を待っていてはくれない。
後方の山上から、矢の雨が降ってくる。
大声が渓谷にこだまする。
「2匹のうさぎがいるぞッ! ほうれっ、追い込んでやれっ!」
山上から谷あいまで見事に遮蔽物がない。
狙われ放題だ。
俺は、体に鞭打って、ドタバタと走り始める。
キアラは慌てて俺に肩を貸し、二人三脚で歩を進める。
矢は次々に放たれ、俺達の尻を叩くようにして、前へ前へと前進を余儀なくさせる。
前には、大部隊が待ち受けている。
追い込まれているのはわかっている。
だが、どうしようもないのだ。
「おおし。停まれ!」
前方から兵士が馬を駆って近づいてくる。
その数15。
同時に、矢の雨が止む。
戦って勝てる人数ではない。
今、最優先されるべきはなんとしてでも逃げ延びること。
焦るな。
言葉巧みに情報を手に入れ、そして相手を出し抜け。
「俺らはただの村人です。レオナルディの街で買い物するために、ここまで歩いて来ました。あなた達はいったいどこの兵士なのですか?」
「ワハハ! ただの村人だと! 怪しんでくれと言っているようなものだ! ワハハ!」
大笑いが起きる。
周囲を騎馬が駆け回り、そのうちの一人が近寄ってくる。
「お前達の素性は割れている。余計な嘘はつかなくていいぞ」
なんだと?
「俺達はザンピエーリ大傭兵団だ。ちょうど、大傭兵隊長が近くに来ている。そこまで連れて行ってやろう」
言うや否や。
俺達に漁網が投げかけられる。
必死の抵抗もむなしく、あっさりと網に引っかかる。
キアラはそんな俺を見捨てることが出来ず、二人共あっけなく網の中に絡め取られてしまった。
馬上の傭兵は、俺達を網ごと地べたに引きずりながら、渓谷の道を南下していく。
幸い積もった雪がクッションとなり、擦過による痛みは小さい。
ザンピエーリ。
ここぞという時に神聖帝国に寝返った大悪党だ。
これは詰んだのかもしれない。
いやまだだ。
諦めてなるものか。
「で、どうだったの? 何か引っかかったのかしら?」
ひときわ洒脱な男。
華麗な羽飾りを着けた、幅広のひさしをあしらった大きな帽子を被っている。
顎を突き出して、目を細め、嫌な嗤いを浮かべながら俺たちを肉食獣のような眼光でとらまえている。
それはザンピエーリ伯爵。
「これが、メルクリオ、そして、キアラ姫だっつう話です」
「ハッハッハッハ!」
どっと笑い声が起きる。
「本当かしらね」
しかし、ザンピエーリは半信半疑のようだ。
しばらく網と格闘し、ようやく網から抜け出す。
しかし、既に周囲四方を十重二十重に傭兵達に囲まれている。
状況は絶体絶命。そして俺は満身創痍。
それでも、素早く相手の出方を観察する。
何か少しでも隙きを見せてくれたならば。
ザンピエーリは先の言葉を急ぐことはなく、俺達の様子をじっくりと観察している。
とにもかくにも、何かよくないことを企んでいるに違いない。
その時。
ザンピエーリの隣に屹立していた傭兵が、急に腰を落とし、素早い動きで地に耳をつける。
すぐに報告を入れる。
「どうやら、騎馬。足音からして20騎。重装騎兵。こちらに向かっておりやすぜ」
その数を聞いてとても嫌な予感がする。
「ヒェッッハッッハー」
早くも嫌な声が渓谷中にこだまする。
後方から、黒い騎士達が傲然と駆けてくる。
その先頭の小兵は、恍惚とした表情で声を張り上げる。
「ウフフフッ! 久しぶりだなぁ、メルクリオォォ! お前の顔を見たくて。見たくて。見たくて見たくて仕方がなかったッ! ついにこの手で、私自らの手で、お前を追い落としてやれるの。暗黒の無限地獄によッ! オホホ! オホホホホッ!」
いやはや、まったく、嬉しそうで何よりだ。
昨晩は、ほとんど感情を見せなかった。
それが、今はどうしようもないほどの満面の笑み。
それも、激しい憎しみと狂気の混ざった最高の笑み。
大傭兵隊長ザンピエーリ率いる大傭兵部隊が俺達の周囲を囲っている。
さらに、後方から現れたのは、昨日出し抜いたはずの、ブリジッタとその率いる黒薔薇騎士団であった。




