07 白薔薇と黒薔薇
「何故父上は死ななければならなかった!」
山間の城塞。一室。
ぽつりと呟く。
白薔薇騎士団長ファウスト・コルビジェリは椅子に深く腰掛け、肩を落として深くため息をつく。
コルビジェリ家当主はあっけなく、刑に処された。
配下の20人も、仲間の手により撲殺された。
理由は王国に対する敗北。
完全なる結果責任。負ければ殺される。そんな意識が全軍の隅々にまで徹底されるところとなった。
これからは、彼がコルビジェリ家配下180人を率いることとなる。
今回のように家族の命を、そして配下の命を、気まぐれに奪われては堪らない。
いつ暴発するかわからない激怒皇帝の指揮下において、自分の配下達の命を守らなければならなかった父の苦悩が、いまや全て彼の肩にのしかかっている。
その舵取りは繊細さを要する。
少しでもミスをすれば、すぐにでも部下の命が奪われてしまうのだ。
武人として己を規定していたファウスト。
このような政治的な判断は決して得意ではない……。
「おやおや、失礼しますね。この度は誠にご愁傷様でございます。何故お父上が処断されたのか。私めにもさっぱりわからないのでございますよ」
「これは。お恥ずかしい姿をお見せした」
セバスチャンが入室し、大仰な様子で、努めて悲しい顔と声音を装いながら、話しかけてくる。
ファウストは急いで襟を正す。
「いえいえいえいえ。恐れながら、私めは貴方様の心の友と、自負しております。私めの前では、本音で語っていただいてよいのでございますよ」
「かたじけない。しかし、私は陛下に仕える身。陛下の心算を疑うような言動にも取られかねない発言。厳に慎まねばと思いまして」
「それは確かに仰られるとおりでございますね。どこで誰がこの話を聞いているか、わかりませんからね。私めも貴方様とまったく同じ立ち位置。しかも私めは貴方様とは違って本音が次々に漏れてしまう性分。本音だけで生きているような者ですからね、クキャ。慎まねば。慎まねば」
「それで、今日はどのようなご用件で?」
「特に何か、というわけではございませんよ。ただ、貴方様のお顔が暗くていらっしゃたので、ついつい気になってしまい……クキャ」
「ご心配をおかけした。しかし、問題ございません。なんなら、今からでも戦場に向かえましょう」
「それは頼もしいお言葉! 武勇の誉れ高きファウスト殿らしい。私めにはいささか眩しいほどでございますよ。そのような素晴らしい同僚といつまでも仕事を共にしたい。ですので」
「ありがたきお言葉」
セバスチャンがすいすいと近づく。
「決して。決していけないことを考えてはいけません。耐えてくださいませ。貴方様の武勇は大陸一であったとしても、まだ独り立ちできない弟君、妹君のことを配慮してくださいまし」
「わかっております」
「ええ。ええ。余計なことを申しました。私め、いささか心配性でございますからね。クキャキャ。失礼しましたね」
「心遣い痛み入る」
セバスチャンは晴れやかな表情に戻り、くるりとファウストに背を向け。
退室すると見せかける。
その瞳は、新しい玩具を見つけたようにキラリと輝く。
退室直前。
「あっ、そうだ! 余計なことついでで申しますと、明日ですね」
「何がです?」
「明日、メルクリオとキアラ姫が処刑されます。これで捕虜の管理の必要もなくなるわけですし、そろそろ我々もこの城塞を出立し、次の戦場に向かうこととなるでしょうねぇ。武人ファウスト殿にはこれからいくらでも父君の汚名返上の機会がありましょうなぁ、キャキャキャ」
「姫。出立の準備をお願いします」
ファウストは、普段どおりの声。
キアラ姫にいささかの恐怖も与えないよう、全力で配慮している。
「真夜中じゃない。もっと寝かせてよ」
「いけません」
「うるさいわね。真夜中に貴婦人の部屋に忍びいるなんて、いけないわ」
「しかしながら姫は、ただの貴婦人ではございません。英雄アウグスタの血を引く、武人の末裔。真夜中の行軍にも慣れておきませぬと」
「そ、そういうものかしら?」
ごそごそと、起き上がる。
「部屋の外に部下を待機させております。彼らの指示に従い南へ向かってください」
「ようやく解放ってことかしら?」
「そのとおりでございます」
「わたくしの罪状が晴れたのね。本当におバカな皇帝だこと。直接文句を言ってやりたいぐらいだわ!」
「ハハッ。いつかそのような機会もありましょうとも。しかし、今は。皇帝の気が変わらないうちにはやく出立ください」
「うん。わかった」
「どうか。どうかご無事で」
ファウストはうやうやしく頭を下げ、静かに脇に下がる。
自身の係累。自身の忠義。
半日苦悩した挙げ句、両者を天秤にかけて、傾いたのは忠義の方。
王国への忠義を、姫の解放という形で、最後に報いたかったのだろう。
「待ちなさいよッ! あんた。騎士なんでしょ? 白薔薇騎士団長と聞いたわ。あんたも来るのよ」
「いえ、そういうわけには行きません。無礼ながら、お察しください」
「無礼よッ。あんたが来ないなら私もいかないし」
「そんなご無体な」
「さっ、行くわよ」
意気揚々と先頭を切って歩きはじめるキアラ。
ファウストの袖を捕まえる。しかし、その手は少し震えている。
彼女なりに何かを察したのだろうか。
絶対にファウストを離そうとしない。
「致し方なし。ならば、私と我が白薔薇騎士10騎がご同道つかまつります」
「あの……。地下牢に入ったあの人は?」
「ご心配なされるな。彼は古代最強の英雄。必ず地下牢を突破することでしょう」
ヒェ~へッッへ!!
遠くから、異常な笑い声が聞こえる。
加えて蹄の音。
音の軽さからすると。
1騎。
朝が到来した。
周囲は都合よく霧に閉ざされている。
白薔薇騎士5騎と白い馬車1台が荒野を駆けていく。
途中帝国軍に幾度も行く手を阻まれ、六騎を失いながらも、からくも難関を乗り越えてきた。
相手が1騎ならば蹴散らせばよい。
「我に続けッ!」
白薔薇騎士がファウストに続く。
霧の向こうから現れたのは。
痩せこけた青年。
そしてそれを襲う、黒騎士。
その風体は異常というしかない。
色味は似ていても、無駄を削ぎ落とした暗黒騎士団とは異なり、この黒騎士は全身を覆う鎧にごてごてとした装飾を施し、禍々しい妖気に包まれている。
それでも臆することはない。
ファウストは何のためらいもなく、馬ごと黒騎士にぶつかり、全力で相手のロングソードをいなす。
その瞬間放たれる、暗黒の波動。
青年の右を通り過ぎていく圧倒的暴力。
黒騎士を包囲すべく、白騎士たちが駆けつける。
黒騎士は潔く、余裕を見せながらもその場を去ろうとする。
仲間を呼ばれては困る。
しかし。
青年の顔を見る。
どこかおっとりしていて、それでもおろおろしている。
ふと、黒騎士を追いかけることを思いとどまる。
名案が生まれたのだ。
少しの希望が芽生える。
彼に姫を託したい。
そうすることが最善だと思えたのだ。
「これはこれは。よく見れば、メルクリオ殿ですな。ならば、余計な助太刀だったようですな。戯れとして許してほしい」
その青年は大きく様変わりしていた。
特徴的な黒髪は、今や真っ白。そして、ボサボサ。
服の上からでもわかるほど、痩せこけた四肢。
首にはチョーカーを巻きつけ、指には大きな指輪一つと小さな指輪が二つ。
短い剣を右手に握っている。
「ファウストだなッ! 俺と戦うっていうのか?」
なんだか精一杯強がっている。
その生命力。イモリ並みの生命力には感動を覚えなくもない。
そして、何よりも強い意志を思わせる鋭い瞳と大きな口。
ところで、いつ、追手が現れてもおかしくはない。
時間はない。
ファウストは馬上から地上へおりたち、メルクリオと対峙する。
「頼みがあります」
「絶対にお断りだ」
「……」
「あれ、馬車が止まっているわよ。どうしたのかしら?」
馬車の中で退屈していたキアラは、馬車の幌の中から現れる。
視線をファウストに移し、そして、対峙するメルクリオに視線を向け。
「あ、生きてたんだ……」
あまりの変貌ぶりに二の句を失う。
ファウストはその場を仕切り直すべく、厳粛に言い聞かせる。
「メルクリオ殿は忠義に生きる士であると見込んで頼む。姫を無事、王国にまで届けてほしい」
「まっぴら御免だ」
「わたくしも嫌。だって、ニセクリオは弱いもの。そもそも、わたくしに釣り合わないし、何を要求されるかわかったものではないわ」
「姫、彼はこのファウストも認める至高の武人です。敵として戦った私がよく知っております。それに、何より彼は機転がきく。必ずや姫を守り抜いてくれます」
「さあて、本当かしらね」
「勝手に話を進めないでくれるかな。俺はもう、自由人なんだ。何物にも縛られずに生きていく」
「先日、あなたはキアラ姫の命だけが心配だと仰った。自分の命などには興味はないと。まさに忠義義の士のあるべき言葉。あの言葉は真ではなかったと?」
「そうだよ。そんなの出任せに決まってるじゃないか。悪いかよ!」
「なんと嘆かわしい。尊敬するメルクリオ様の言葉とは思われない」
「えっ? でもいまさら持ち上げても無理なんで」
ファウストは覚悟を決める。
「ところで、私は囚われていた貴方を逃すために、拷問官を、部下に命じて切り捨てさせたのだが?」
「恩義を感じてくれっていうのか? そこまで言うのか?」
「姫を連れて、王国にたどり着けばその名誉はいかほどか」
「名誉なんかいらない」
「与えられる財宝はいかほどか……」
「……」
「おや? みすみす、金銀財宝を手に入れる最後のチャンスを棒に振るのか……」
「仮に、姫を王国に届けた場合は、その前金は? 前金はいかほど?」
「手持ちの金貨をすべて差し上げよう。10万ゴールドほどか。もちろん、当分の食料も差し上げる。その様子だと碌なものを召し上がられてはいないようですからな。もっとも、姫を見捨てるならば、この話もなかったことになりますが」
その場がしんとする。
「我はキアラ姫の絶対忠義の騎士! 謹んで、10万ゴールド、じゃなくて、キアラ姫を王国に届けよう。姫ッ、こちらへ!」
「嫌な感じ……」
なんて現金な奴なんだ。
その場で手早く、金貨が渡される。
併せて、羊の干し肉、小さなパン、黄色いチーズや、火打金が手渡される。
「では、頼みましたよ。姫と、そして王国の未来をよろしくお願いします」
ファウストを含めた5人の騎士達。
藁にでもすがる思いなのだろうか。
その表情は、決意に満ちている。
どこかしら寂しそうにも見える。
もっと語りたかったのだろうか。ペーター王のこと。王国の将来のこと。
しかし、姫への忠義心がそれを許さない。話している時間はないのだ。
「きっと、あなたも、かけがえのないものを得られることでしょう」
「うん? 何か言ったかな」
「さぁ、先を急いでください」
「再会を楽しみにしている」
金貨を受け取り、心に余裕を取り戻した主人公はもったいぶって返答する。
彼はナイフを回収し、踵を挨拶もそこそこに踵を返す。
ファウストの決意には気が付いていない。
速歩きで、とまどうキアラを引き連れ、南下していく。
「必ず、わたくしのところに戻ってきなさい!」
「報告します。アルデア王国の姫及びファウスト殿について。途中、荒野から大山脈にルートを変えて逃走していたようですが、峠で我軍と交戦。崖から転落し、両名とも死亡しました」
「骸は確認したか?」
鷹揚に答える激怒皇帝。
「いえ、現場は険しい絶壁にございまして、崖を下り当人の死を確認するには相応の時間を要します故」
「ヴアッッカものグァッ!!!!!!」
激怒皇帝は突如、椅子を破壊しながら立ち上がり、ハルバードを振り回して、報告者の首筋にその刃先を突きつける。
「首を持って帰れッッ! 次に会うまでに用意できぬならば貴様の首を寄越せッッ!」
「ハハッ!」
「コルビジェリの一族はどうした? すぐに断罪の準備をするがいい」
セバスチャンは恭しく応える。
「陛下、そのことなのでございます。愚鈍の私め、ひとつ進言したきことが」
「申せ」
「死を与えるよりも、もっともっと面白い使い方が、彼らにはあります、キャキャ」
「くだらん。だが、貴様の好きなようにするがいい」
「ありがたき幸せ。キャキャ。そういえば、メルクリオとやらも脱獄したそうですが、いかが致しましょうか」
「小蝿ではあるが、小蝿は全力で叩き潰さねば増えて困る。捕まえて焼き払え」
「御意」
「いやはや、私めも苦労しますねぇ。陛下の怒りの矛先が私めに向いたらどうしようかと」
隣には青ざめたブリジッタ。
ブリジッタ・コルビジェリ。コルビジェリ家長女にして、ファウストの妹である。
セバスチャンは厳かな表情を作っている。
しかし、隠しきれない生き生きとしたお目々。
「あ、そんなことはどうでもいいのです。そんなことよりも、誠に今回のことはご愁傷様でございます。キアラ姫をメルクリオの悪の手から取り戻すために動かれたファウスト殿。まさか、やつの奸計にあって崖から谷底へ転落してしまうとは。武人ファウスト殿。決して、武勇で引けを取るわけではない。引けを取るわけではないのだが、まったく最後は無念な最期でありました。その無念さ慮るには重すぎるので、ございますよ」
わなわなと口を震わせるブリジッタ。
つっと頬を涙がつたう。
涙声でぼそぼそと喋り始める。
「どうして私はあいつを殺しておかなかったの? 私が弱かったせいだ……。強くなりたい。アウグスタ様を超える存在になりたい!」
「素晴らしい。貴女の決意が伝わってくる。私めも最大限、貴女の威光を汲み取らせていただいて。素晴らしい方々をお呼びしました。どうぞ、お入りください」
入室してきたのは、暗黒教団の枢機卿の一人。
そしてもう一人。
「ヒェッハッハッハ」
暗黒騎士デュラハン。
主人公を執拗に攻撃してきた黒騎士だ。
枢機卿はかなりいい加減に宣言を始める。
「貴女は、健やかなときも~、病めるときも~、その身をただひたすらに憎しみに委ね~、神の敵を討ち滅ぼすことに精進することを誓いますか?」
「はい。誓いますッ! メルクリオを討ち果たすまで、心の安寧はいりません」
「よろしい」
「では、この指輪を貴女の指輪と同化させるのです」
「はい、枢機卿様」
ブリジッタの指輪は黒銀のおどろおどろしい指輪と重ね合わせられ。
まばゆい光を放つ。
ついに銀色に輝き始める。
見開かれた目。
恍惚とした表情。
「力が溢れてくる……。すごく落ち着いた気持ちになります。フフ」
だが、その様子にまるで落ち着きは見られない。
苦しそうに胸をかきむしり、必死に堪えている様子。
枢機卿からおもむろに差し出される一本の剣。
これは、始祖アウグスタが使用していた、世界を統べる剣。
「白閃剣フルグル。今の貴女ならば問題なく振り回せましょう」
「素晴らしいですね、クキャキャ。まさにその姿はアウグスタの生まれ変わり。貴女には名誉挽回の機会を与えます。兄上の雪辱を果たすのでございます。彼、デュラハン君を副官に据えて、貴女には元白薔薇騎士団の指揮官になってもらいましょう。そうですな。その名は黒薔薇騎士団。戦乙女の率いる黒薔薇騎士団。これをおいて他にはないでしょう。クキャキャキャ。キャキャキャ」
「ありがとうございます。セバスチャン様。必ずや貴意に沿えるよう働きます」
「いえいえいえ。どういたしまして。私め、貴女のスマイルに癒やされるのでございます。ぜひ、待ち受ける無限の困難に立ち向かい、いつの日か、笑顔を取り戻していただきたぁい! キヒ! クキャキャ! 困ったときは、デュラハン君になんでも相談するといいでしょう」
「ヒェッハッハハー」
「フフフ」
デュラハン君とまともに会話ができるとは思われないが……。
そんな様子を影から見守る者がいた。
マッテオ・コルビジェリ。コルビジェリ家次男にして、ブリジッタの兄である。
しかし、彼は、ブリジッタの様子を心配しているわけではないようだ。
「くそぅ、なんで我が妹だけが優遇されるのだ。やつはただのタラなのに。俺も力が欲しい。ええい、セバスチャンめぇ。あれほど持ち上げてやったのに、俺を差し置いてよりにもよってタラをつけあがらせやがって……」




