04 忍びの者
見渡す限りの暗闇。
目視できないはずの構造物の構造が、全て脳裏に描かれる。
指輪の力のおかげだ。
認識できるのは10m四方程度。それでも、十分すぎるほどの能力だ。
牢獄部屋からそろそろと抜け出た俺は、廊下をこっそりと抜き足差し足で移動する。
途中誰とも出会わない。不思議なぐらいに監視が薄い。
どうせ俺如きは逃げられないと踏んでいるのだろうか。
油断しておくがいいさ。
短い廊下を抜けると、大きな吹き抜けの広間に出る。円柱の塔の内部と思われる。
松明の火が高いところまで点々としており、薄明るい。
円柱の内周に螺旋状に階段がとりつけられており、上と下どちらにも行ける。
どうする? 出口はどっちだ?
拷問官が地下牢と言っていたからには、上へ行くのが正解だろう。
牢獄生活で弱った足腰に鞭を打ち、いそいそと階段を昇り始める。
一瞬頭をよぎる。
キアラのこと。
救うか。見捨てるか。
そもそも俺に人をかまっている余裕があるのか。
自分のことで精一杯だろう。
考えるな。今はとにかく先に進め。
問題解決を先送りにする。
しばらく階段を昇り進むと、上の階への入り口につながっている。
上の階に要はない。階に立ち入ることはなく、さらに階段を昇り進む。
3階ほど昇り上がる。
とその時。
階段の上の方からにわかに大きな声がこだまする。
団体さんが降りてくるようだ。
ぽつぽつと現れた松明の火。ゆっくりと近づいてくるのが遠くに見える。
俺は体を震わせ、はやる気持ちを抑える。
階段から近くの階に移動し、その階に置いてある大きな木箱の影に隠れる。
この階には都合よく木箱が散乱している。
ひたすら衛士たちが通り過ぎるのを待つ。
3人いる。
徐々に声が近づいてくる。
「10分の1刑が執行されたってよ」
「え? なんだそれ?」
「ほら、古代帝国の軍隊でよくされてたっていうアレ」
「あぁ、作戦に失敗した隊の10分の1を、見せしめとして同じ隊の人間に殴り殺させるっていう」
「そんな恐ろしいことをッ?」
「シッ! 誰かに聞かれたら俺たちもただじゃおかれねぇぜ」
「どの隊がそんなひどい目に?」
「コルビジェリ伯爵の軍隊だ。新入りなのに可哀想にな」
「コルビジェリ伯爵は負けに負けているから、そもそも兵士の数も少ねぇだろうに」
「あぁ、総勢200。そのうちの20人が撲殺されたらしい」
「セバスチャン様が狂ったように喜んでいたらしい。あの人は外道以外何者でもない」
俺が潜んでいる階の入り口で、衛士たちは立ち止まる。
さっさといけよ。
「コルビジェリ伯爵本人も公開処刑されたらしい。長男のファウスト殿もさぞや無念だったろうな」
「同情しちゃうなぁ。弟妹を人質に取られている以上、反抗したくてもできないだろうし」
「彼がコルビジェリ家を継ぐことになるのか。心中はさぞ複雑だろうな」
そんなことがあったのか。
あんまりな仕打ちにも俺はあまり心が痛まない。
知らない人が知らないところで殺されたからだろうか。
そのまま衛士たちがこちらに歩いてくる。
とりあえず、こっち来んな。
「全軍の前で、公開処刑だったからな。あれは全軍の気が引き締まったな」
「恐怖による統治か。いよいよ本気で王国に攻め入るとみえる」
「まったくもって」
両手で両腕をさすって、恐怖を表現しながら歩いてくる。
松明がやけに眩しく感じる。
俺はぴたっと木箱に張り付き、衛士たちからは見えないようにその陰に隠れる。
急に衛士たちが立ち止まる。
「そういや、くっそ生意気なアルデアのお姫さんも明日には死刑執行だってな」
「そうか」
「あいつさ、今日俺が飯を持っていってやったときに、なんて言ったと思う?」
「『あたち、下賤の民がお食べになるオカユなんて喉を通りませんわっ』だろッ? お高く止まっているしな」
「いやいや『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』だろッ? 無神経だしな」
「それが全部違うんだな。正解は『あんた、わたくしの部下になりなさい』だってよ」
「ハハハハ」
「何様だよ。まったくもってあいつは肝が座っている」
「それでそんなことは上の命令で禁止されてますっていったら、『なんで私の命令が聞けないのかしら』とか怒り出すもんで」
「相変わらずなんでも自分の思い通りになると信じてんだな」
「……」
「明日から少し寂しくなるな」
「まぁな」
「……」
「……」
しんとする。
なんだかほっこりする会話だ。
何も考えずに俺はうっかり衛士達に向かって喋りかけていた。
「あいつはどこに監禁されているんだ?」
あっ……。
何を喋りかけているんだ。
「そりゃおめぇ、隣の監視塔の最上階だろう」
「だよな」
おや? 俺の発言も、衛士のうち誰かが喋ったものだと勘違いしてくれている。
まるで怪しまれていない。
これはうまくいく?
こちらからは指輪の力で相手の様子が丸見え。
相手は薄明かりの中、こちらの様子は見えない。
変な勇気が俺を突き動かす。
試しに次の質問もしてみる。
「この棟を何階上がれば、外に出られるんだったかな?」
「そりゃぁ、今地下一階じゃないか。今、降りてきたところだぜ。おバカなこと言ってんじゃねぇよ、おめぇ」
おしっ。
あと一階上がれば出口だ。
「いや、俺言ってねぇぞ。俺馬鹿じゃねぇし。おめぇが言ったのか?」
「いや?」
「誰が言ったんだ? 四人目が喋ったってか?」
「怖いこと言うなよ。んなわけねぇだろ」
「でも俺たちのいずれも喋ってないとなると」
「……」
俺は恐れを知らず、調子に乗って続ける。
「それよりさ、俺達でキアラ姫を解放してやろうぜ!」
「え?」
「あっ?」
「うん? それは帝国に対する反逆行為だぞ」
「別にあいつ自身が戦闘員ってわけじゃないんだし。いいじゃんいいじゃん」
「でもなぁ。そんなことが上にばれたら、俺たち殺されちゃうぜ」
「それこそ10分の1刑だ。俺たちの隊まで連帯責任を取らされることになる」
「うひゃー。死にたくない。それにいざという時にあいつを守るのは白薔薇騎士団長様と決まっている」
もうひと押し。
「何ならさ。やつを殺めてしまった、とか上には報告しておいてさ。むむ? それはありかもしれないッ!」
「でもぉ……」
「ないなぁ」
「そう言われてもなぁ」
「キアラ姫は清楚で可愛い。誰からも愛されるッ!」
「アアッ? それはねぇ! この嘘つきがっ」
「なにもんだ、今喋った奴? さては不審者だな。デタラメを抜かしやがって」
「さっきから俺達の声を真似て、仲間を装いやがって! 姿を現せッ」
「今、そっちから声が聞こえたぞ。松明で照らすんだ!」
木箱の陰に松明が向けられる。
なんでだよ。
なんで、清楚で可愛いなんてありえないことを言ってしまったんだ。
こいつら衛士の方がよっぽどまともな感覚を持っているじゃないか。
牢獄生活で、すっかりボケてしまったのか?
こんな適当なことを言ったせいで危機に陥る俺。
格好悪いぜ。
俺は躊躇なく、素早く相手に掴みかかり、驚いた衛士の右手の松明に手を伸ばす。
まずは1本。
相手に全体重をかけ。
不意を突かれた衛士はよろめき、簡単に松明を奪われる。
よしっ。
すぐに松明を遠くへ投げ捨てる。
俺はすぐに別の木箱の影に飛び移り、再び暗闇と一体化。
残りの松明はあと2つ。
さぁ、松明をすべて奪えば、こいつらは俺の場所を永遠に掴めない。
一方のこちらは、相手の位置が白日の下のようにわかる。
死か生かの瀬戸際。
虎視眈々と機会を待つ。
「どうしたんだよ?」
「狂犬みたいなめちゃくちゃやばいやつが、狂ったようにいきなり飛びかかってきたんだよ」
「いや、あれは間違いなく人間だ。それも白骨騎士! 地下牢で死んだ亡霊が地下牢から浮かび上がってきたんだ!」
慌てれば慌てるほどにこちらに有利になる。
さぁ、どんどん慌てていこうぜ!
俺はおどろおどろしいデスボイスで宣言する。
「俺は救えなんだ。主を救えなんだ。もう二度と安眠できぬ体となってしもうたあ。主のもとへ行くには帝国兵の魂を100刈らねばならないのだぁあぁぁ」
「ひぃい、やめてくれえええ」
大慌てで衛士達が逃げていく。
と思いきや、一人だけ取り残されている。
俺に松明をふんだくられた衛士だ。
よく見ると気絶している。
「アハハハハ」
晴れやかな気分になって俺は笑ってしまう。
ゆっくりと起き上がり、地下一階を身軽に駆け抜け、円柱の階段へ。
行こうと思ったのだが、すぐに階上に多数の松明が現れる。
「地下の一階だ。あそこに白骨騎士が紛れ込んでいる。探せ、ここを封鎖すれば絶対に逃げられない。どこかに隠れているはずだ! 手分けして探せ! さらに深部へ逃げていったかも知れんぞッ くまなく探せ!」
まずい。
俺はとにかく階下へ。
ひたすらすべるように降りていく。
どんどんと出口から遠のいていく。
しかし、これ以外に現在の危難から逃避するすべはない。
悪い、キアラ。
できることはやった。
あとは、白薔薇騎士団長ファウストを頼ってくれ。
俺は自分のことでいっぱいいっぱいなんだ。
それに。
もう俺は誰かに認められたいなんて思ってもいないんだ。
階下へ走り抜ける。
さらに階段を下り。
すぐに息が上がってくる。
心臓がバクバク言っている。
あぁ、俺はまだ生きている。白骨騎士などではないのだ。
体中に血が巡ってきたからだろうか、異常にテンションが上ってくる。
上を向いて、ちょっと甲高い声で叫んでみる。
「さぁ、追いつけるなら捕まえてごらんなさぁい、オホホホ!」
どれだけ降りただろうか。ついに階段が途切れる。
それでも、円柱の塔の底は見えない。
いや、この空洞は既に円柱ではない。壁がごつごつとした岩に代わっている。
もはや、地下の洞窟でしかない。
それでも、まだ諦めの悪い衛士が上から追いかけてきているのか、松明の火がちらちらと見える。
仕方なく、1つの洞穴、岩肌で囲まれた洞穴に潜り込む。
洞穴の中は、冷たくもなく、暖かくもなく。
ただ、空気の流れはある。どこか外につながっているものと思われる。
身を潜めるだけのつもりだったが、出口があるなら話は別だ。
そのまま進む。
天井が低いため、背を屈めたまま前進する。
少しづつ下りの坂になっているのがわかる。
ええいままよ。進む以外の選択肢はないからな。
少し濡れて、滑りやすくなっている石の合間をどたどたと歩き回る。
ポシャリ。
しばらく進むと、足元にひんやりとした感触を受ける。
水だ。
道の底に水が入り込んでいる。足首まで水に浸かる。
バシャバシャとそのまま進む。
真っ暗闇でもなんのその。
潜めていた息が、再び上がる。
これが続くと、体力的に持たない。
10mほど進む。
どんどんと水深が深くなっていき、膝、そして腰まで水に浸される。
細くなっていく。このまま誰にも看取られることなく洞窟でぽっくりと?
いやいやいや。
空気の流れはある。間違いなく外界につながっている。
それだけを信じて。
水底が突如深くなる。
身長よりも深い。
覚悟を決めて、靴を脱ぎ捨てる。
大きな岩が行く手を阻む。
天井はずっと開けている。しかし、岩肌はつるつるとしており、これを登ってやり過ごすことはできない。
指輪の力で周囲を観察するに、地下道がUの字になっており、一度深く潜って、崖の下を通り抜けることはできそうだ。
俺は息を止めて、岩肌を掴みながら、深く深く潜っていく。
水面下であっても俺の視野の広さは変わらない。
最深部に行きつくと、U字路を通り抜け、すぐに岩肌から手を離し、浮力だけで浮かび上がっていく。
ふぅ。
水面に顔を出し、息をつく。
眼前には先程と同じような岩の崖が屹立している。
今度は崖の下を通り抜けできる道もない。
崖の高さは5mほど。
これをよじ登らなければ前に進めない。
はてさて。
なんだあれは?
遠近感が失われるほど巨大な、巨大な生物が開けた天井に張り付いている。
無感動な顔。
毒々しい濃緑と黄色のまだら模様。
イモリのお化けか?
4本足。ぴったりと張り付いている。
蛇のような尾っぽが時折、思い出したかのようにくねくねと動く。
全長は10mほど。
じっとりとその場にとどまっており、こちらを観察しながらもまるで動く気配がない。
人食いイモリとか存在しないよね?
しばらくぷかぷかと水面で漂う俺。
どんどんと体温が奪われていく。
ええいままよ。
俺は水中に沈んでいる小さな石ころをつかみ取り、イモリめがけて全力で投げつけてみる。
適当に投げた石ころが偶然にもイモリにぶつかる。
その途端。
ぺろっと天井から剥がれたイモリが足をばたつかせながら俺の頭上に落下してくる。
俺はイモリをやり過ごすため、急いで水面下に潜り込む。
イモリが水面に着水。
巨体が着水したことにより、水面が上昇し、しかも大きな波が生まれる。
一気に水面が高いところまで浮き上がる。
俺の体も同時に高い位置まで浮き上がる。
急いで崖のてっぺんに手を掛け、体を引っ張り寄せる。
崖を乗り越え、その向こう側へ投げ出される。
したたかに岩場に打ち付けられる。
全身がじんじんとする。
だが、動かないことはない。
各関節が動くことを確認して、ほっと一安心。
しようとすると。
ザバーーーーン!
背後から巨大イモリが現れた!
猛烈に怒りの吐息が伝わってくる。
昼寝をしていたら、突如、水面に叩き落された、そりゃあ怒るわな。
俺は急いで立ち上がり、地下道を走って逃げる。
もはや、慎重さを全て放り出してひたすら前へ。
巨大な岩を跳び箱の容量で飛び越え、天井が低くなれば、勢いそのまま転がって通り過ぎる。
イモリは目が悪いが、動き回るものに反応すると聞いたことがある。
チラッ。
すべての障害を砕きながらイモリが追いかけてくる。
どんなに狭いところでも立ち止まることなく、頭で岩肌をぶち抜き、シッポで岩壁を破壊し、ブルドーザーのように突き進んでくる。
これは止まらない。立ち止まってやり過ごせる気がしない。
あわや、イモリに追いつかれる寸前。
突如、まばゆい光が目に飛び込んできた。
ついに現れた!
それは外界への通路!
出口は水の中。
地下水流が洞窟の外へと流れ出ているようだ。
光の方向へ何も考えずに最後の全力を振り絞って突き進む。
しかし、狭いッ!
その出口は狭すぎる!
ギリギリか?
わからない!
運を天に任せ、走り込むスピードのまま、頭から水流の中へ、そして出口へ飛び込む。
あっ、と思う間もなく。
緑の洪水が周囲に見えたと思いきや、そのまま堅い岩の上へ投げ出される。
一瞬。イモリの頭が見えた。
狭い出口に栓のように勢いよく突っ込み、派手につっかえる、あわれなイモリの頭だった。




