04 王城到着
森を抜けると、そこには褶曲した草原が広がっている。
遠くには小高い丘が立ち並び、一面は見渡す限り、青い草花で覆われている。
目指す砦は、周囲の丘よりも一際高い丘の上に建っている。
砦の真ん中には巨大な監視塔があり、砦の周囲は人の背丈の倍以上もある木杭で囲われている。
剥き出しの木杭は機能面のみを重視した荒々しいものであり、そそけ立っている。およそ人の起居する場所とは思われない。
アルの話によれば、帝国との戦いに備えて、このような砦がいくつも築かれ、今も現役で運用されているらしい。
この世界は、明らかに文化水準が低いのである。
疲れ切った体に鞭打ち、やっとの思いで小高い丘を登りきり、ようやく砦にたどり着く。
砦の入り口には、人がいる。
無骨な砦には場違いの、華麗ないで立ちの男が、取り巻きを連れて待ち構えているのだ。
「フッチ第五城砦にようこそ」
「久しぶりですな、フッチ卿」
「ご無沙汰しております、レオナルディ公爵様」
フッチは常に眉間にしわを寄せている。神経質そうである。
「貴方が噂の英雄メルクリオ様ですね? お会いできて光栄に存じます」
フッチは、明かな作り笑顔を見せてくれる。
「余の名を知っておいでか?」
引き返すに引き返せなくなってきた。
「王国では3才児でも知っている名前です。男に生まれて、貴方の生涯、貴方の戦術に心惹かれぬ者なぞおりません。かくいう私も、アルフィオ様が召喚の儀を成功されたとの報告を受け、居城から飛んで参ったのです。つまり、貴方にお会いするためにですぞ」
「お出迎え感謝する」
「こちらの砦では十分に歓待できず、残念に思います。何はともあれ、ここで立ち話というわけにもいきませんな。さ、英雄様をお連れしなさい」
話は既に通してあるようで、すぐに砦内に案内される。
砦内には、木造家屋が5棟立ち並んでいる。
家屋の側には鶏小屋があって、鶏たちがコッココッコとやっている。
俺達は、その家屋の1棟に案内される。
ようやく椅子に腰を落ち着け、安堵と共にため息が出る。
とはいえ、落ち着けるわけでもない。
居間の中央にはかまどが設けられており、居間全体が黒く煤けている上、風通しも悪く、中の空気は淀んでいる。
歓待の間というにはほど遠いが、言っても仕方がない。
戸外からフッチの甲高い声が響いてくる。
「ジルベルトよ。何故そのような簡単なことができぬのだ。それでは、ワシの顔が立たぬではないか!」
「申し訳ありません。ですが連日の戦闘で兵士は疲れ切っておりますゆえ、何卒慈悲を賜りたく」
「何度言わせればよいのだ! お主何か勘違いしておるのではないか。ワシを誰だと心得ておる?」
「ハッ、行き倒れていた私を拾ってくださった、大恩ある御方です」
「それだけか?」
「ハッ、この城砦の主人にあらせられます」
「本当にそれだけか? 違うであろう?」
「ハッ、王国の大権力者であらせられます」
「わかっておるではないか! では、その大権力者の指示に対して、お前達は、いかような態度を取るべきなのだ?」
「はぁ……」
「はぁではないわぁ! 機転の利かぬ愚鈍め、絶対服従だ。さっさと準備を進めろ」
「ハッ……」
「まったく。最近の従者共は、いったいどこからあのような邪悪な精神を仕入れてきておるのだ!」
しばらくして、食事が運ばれてくる。
期待はしていなかったが、それでも、がっかりするほどにひどい内容だ。
まずは、様々な豆が入った汁物である。
とにかく、豆の自己主張が半端ない。吐き戻しそうになるほどに苦いのだ。
そして、こちらは黒い球体。たぶんパンだ。それも明らかに失敗作である。つまり、焦げている。
しかし、口の中に運んだ後、認識を改める。
こいつは石ころだ。もしくは、石ころに限りなく近い何かだ。
それでも、この劣悪な世界において、目一杯の歓待であることには間違いない。
それが分かっているから、文句を言わずに黙々とその何かを口に運び続ける。
「このようなあばら家で申し訳ありません」
砦の主は、口を開く。
「アル様や公爵様におかれましては、既にご承知おきのことかと存じますが、最近、裏切伯がうるさく攻めてきておりましてな。奴は、蛮族に媚びへつらい、援軍を融通してもらっております。我軍も騎兵を揃えるために金がかかって仕方がない故、なかなか砦の修復まで手が回らないのです」
公爵が応じる。
「何やら、帝国軍も組織だった動きで南下を始めていると聞くが」
「その通りです。しかし、奴ら蛮族共と裏切伯は共闘しません。互いに自分の軍だけで戦うという矜持があるようなのです」
「つまり、帝国軍は、コルビジェリ伯の戦果を静観していると?」
「ですので、我軍は目下のところ、裏切伯さえ撃退できればよいのです。だが、奴らを駆逐するには大規模な攻勢をかける必要があると思っておりまして」
「無論、宰相もその点は理解しておる」
「その……。援軍の必要性については、公爵様からも、直接王のお耳にいれていただきたいものです。なんせ、今、私の軍だけが異国と戦争をしているわけですから、その程度の配慮はお願いしたいところ」
俺をそっちのけにして、交渉が始まっている。
俺は、使命感を感じて、口を開く。
「いつの世も争いか。悲しいものだ」
はったりをかます。
フッチはおもむろに話題を変える。
「ところで、古代帝国と言えば、森の廃神殿には、古代帝国時代の銅像が安置されています。ご存じか?」
「懐かしい代物である」
「実は、この砦にも数体運び込んだのですが、これが精巧な作りでして……」
「精巧なだけでなく、実際に動いてしまう像もあるようだ」
「ご冗談を。ところで、噂によれば、商魂たくましい者がこれを取引しているとも聞きます」
「古代帝国時代の像と銘打って売り出しているということか?」
「無論、贋作も混じっていることでしょう。ですので、是非、メルクリオ様の鋭い審美眼にて、私のコレクションを鑑定いただきたい」
「カエサルと比較するぐらいであれば、できぬでもない」
「ええ、ええ。ちょうど、そちらの像と同じような出で立ちです……。え? 今、像が動きましたかな?」
食事後、コレクション見学とやらに駆り出される。
もちろん、俺に真贋を見極める能力などはない。ただ、フッチの説明に相槌を打つだけなのだが、それでも、フッチは大変満足してくれた。
その後、我々は出立のため、砦の入り口に向かう。
そこには砦の兵士が、道の両脇に整列し、銘々が槍を携えている。
白い武人が号令をかける。
「古代英雄の出立!!」
両脇の兵士が一斉に槍を高く掲げ、その後互いに槍を交差する。
その後、交差を解き、再び屹立の体勢を取る。
一糸乱れぬ所作である。壮観である。
「さぁ、お進みください」
何事もなかったようなすまし顔で、フッチは先を促す。
普段から懸命に訓練していますとのアピールだ。
しかし、すまし顔の裏で、我々の賞賛の言葉を待っている。ひたすらに待っている。
「隅々まで、訓練が行き届いている。指揮官のレベルの高さをうかがわせるものではある」
「ややっ? お褒めに預かり恐縮です。ですが、このような振る舞い、日常茶飯事ですとも」
「さすがですな」
2台の馬車に分かれて乗車し、砦を後にする。
馬車の中は決して快適ではない。舗装された道を行くわけでもないから、体中に激しい振動が伝わってくるのだ。
「今は、戦時中なのだな?」
戦争などに巻き込まれたくはない。
さっさと元の世界に退避すればよかった。
しかし、今となっては、とにかく戦線から離れ、うまいことやるしかない。
「覇権を狙い、北から強大な帝国が迫りつつあります」
公爵は、この世界について簡単に説明する。
アルデア大陸を南北に二分する、北の神聖帝国と南のアルデア王国。
更に、アルデア大陸の南には、海洋を隔てて海洋国家コルドバ共和国が存在する。
俺が今滞在しているのはアルデア王国である。
そして、アルフィオはアルデア王国の王族である。
そもそも、アルデア王国は、千年前にメルクリオとやらが所属していた古代帝国の流れを組む正統な国家であるらしい。
現在、アルデア王国は神聖帝国と戦争中であり、コルドバ共和国は中立を宣言している。
そして、神聖帝国は圧倒的な力で、瞬く間にアルデア王国の版図を奪い、王都に迫る勢いである。
今後の身の振り方を考えるうえで、有益な話ではある。
しかし、俺の体力はとっくに限界に達しており、俺はすぐに深い眠りについてしまった。
目が覚めると、馬車の後方には、西日を受ける北方の赤い山脈が見える。
前方には、黒々とした大洋と雲底を赤く染める夕日が見える。
我々は長い橋梁を進んでいる。その先には、海の上に浮かぶ円錐型の島が見える。
島の周囲は高い城壁に覆われている。その一部は、船着き場として城壁を排している。
島の中央には、いくつもの尖塔を有する白い城がそびえ立つ。
「王都アルデアへようこそ!」
城下町に入ると、番兵が駆け寄ってくる。
しかし、番兵による誰何も、アルの顔パスで何事もなく終える。
馬車はそのまま、島の中央に向かって坂を駆け上がっていく。
道は、複雑な水路に沿って続き、やがて水路は城の堀へとつながる。
堀にかかる橋梁を渡ると、ロータリー風の広間にたどり着く。
ここが城の入口である。
馬車はようやく歩を止める。
ロータリーの真ん中には、女性の像が立っている。
像は剣を掲げ、兜を被っており、兜の形状はカエサルとそっくりである。おそらく、この像も、古代帝国時代の女神か何かなのだろう。
そこで、ふと我に返る。
何故、ここにいるのだろうか。
ぼろぼろの革靴が、昨日からの記憶を蘇らせる。
何故、ここまで来てしまったのだろうか。Uターンする機会ならいくらでもあったはず。
全てを後回しにしたつけが、今、巡りに巡ってきている。
「こちらにお越しください」
物思いにふけっていると、メイドらしき年配の女性に声を掛けられる。
周囲には、多くの番兵が控えている。不審な行動を取るわけにもいかない。
カエサル達と別れ、メイドに促されるまま、石造りの長い廊下を進む。
廊下の左手には中庭がある。中庭は、小さな区画で仕切られており、区画ごとに色とりどりの草花が咲き誇っている。
城内の一室に入室する。
「沐浴の上、こちらをお召しください」
黒の上下が用意されている。とはいえ、試着せずとも、今着ているスーツの方が遥かに上質であることは明らか。
「このままでもよいかな?」
「今から王様との会談になります。聖伝にあるとおりの格好でないと、皆がっかりしてしまいます」
「そういうものか」
「メルクリオ様を象徴するこちらを用意しました。王様の御前にはなりますが、帯剣の上会談願います」
メイドは、二振りの短剣をテーブルの上に置く。
なんでも、この種の短剣は古代帝国で使われていたもので、グラディウスと呼ぶらしい。俺のエクスカリバーとは違い、ずっしりとした重みを感じさせる本物だ。
「部屋の外でお待ちしておりますので、御用があればなんなりと呼び鈴でお呼びください」
まず、体を清めたい。
しかしながら、沐浴のために用意されたのは、たらいに張られたただの水である。
うひぃ。冷たい。
これがお風呂代わりなのである。なんとも、悲しき世界だ。
さて。
今日は土曜日だ。月曜日までに元の世界に戻らないと、会社の業務に支障が出る。
後任への引き継ぎ、新天地での挨拶、取引先への挨拶。
やることは山積している。
ああ。
そこには、目を背けたい現実が待っている。
だからといって、こちらの世界も、決して理想的なものではない。
貧しくて、不便で、命の危険だってある。
こんなところで、ひ弱な俺が生きていけるとは思えない。
留まる必要性は全くない。
俺はためらっている。
この世界に触れてから僅かな時間しか経ていない。にもかかわらず、俺は、この世界の何かに期待してしまっている。
沐浴後、黒い上下を着用し、帯剣する。
やたら、腰が重く、歩く時の違和感が半端ない。
それでも、モソモソと剣先を格好悪く左右に振りながら進む。
そして、呼び鈴を鳴らす。
「さぁ、謁見の間とやらに案内してくれ」