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メルヒェン世界に迷い込んだ暗黒皇帝  作者: げっそ
第一幕 戦いをもたらす者
37/288

37 茜色の空

 その後も、神聖帝国との大規模な衝突はなく、仮初の平和が続く。

 とはいえ、忙しい。

 大都市構想を実現するため、市街化区域の調整やら手元貨幣の準備やらに追われる毎日である。

 そのため、月日は光のように過ぎ去り、夏も終わりに近づく。


 夜間。

 俺は執務室に籠っている。

 市街区域の図面を広げ、施工スケジュールを組み上げていく。

 拙速であろうとも開発に着手し、先鞭をつけたい。でなければ、計画自体が消失する危うさがある。

 そのような逸る気持ちはあるものの、せっかくであるから最高の都市を作り上げたいとも思う。

 だからこそ、昼夜を問わず大都市構想にかかりっきりなのである。


「最近は鍛錬も怠り、部屋に籠もりっきりと聞く」


 突然声を掛けられて、俺は慌てて顔を上げる。

 机の向こうにアウグスタが立っている。


「鍛錬よりも優先すべき事がある。仕方あるまい」


「何を優先する?」


「大都市構想だ。名前ぐらいは知っているだろう?」


 俺は開発地図に目を落とす。

 彼女は彼女として、精々最強の道でも究めればよろしい。

 だが、俺はいつまでも彼女と同じ英雄様の立場に甘んじているつもりなどない。俺は俺として俺の道を究めるのである。


「その一環として、豪商と密会していると聞く」


「密会だと?」

 

 再び顔をあげると、アウグスタはいつも以上に目を鋭くして俺を睨みつけている。

 珍しく、俺に対して真正面から敵意を見せているのである。


 俺は恐れ入って、姿勢を正す。

 

「なんでも、豪勢な供応接待に舌鼓を打ち、女性にお酒を注がせて、豪商から金品まで受け取っているとの話」


「そんなことはない」


 酷い噂である。


「兵士達は、貧しいながらも鍛錬を欠かすことなく頑張っている。それなのに指揮官たる貴方が」


 俺に対する不満がついに爆発したのである。


 そもそも、彼女の価値観と俺の価値観には、最初から無視出来ないずれがある。

 それが積もりに積もった結果、彼女は俺に対して嫌悪感を抱くようになった。

 

 いつか正面衝突するものと理解していた。

 そして、正面衝突を避けるべく、俺は彼女を避けていた。


 しかし、結果としてこうなってしまったのである。


「鍛錬に励むのは素晴らしいことだ。しかし、戦後、兵士達が幸福な人生を歩めるように、私はいろいろと考えている。その一つが大都市構想であると理解してもらいたい」


「貴方は貴方のことしか頭に無い。個人的な打算で喜んでいるように見える」


「私は別に贅沢を望んではいない。そもそもこの世界に贅沢といえるものなどありはしない」


「だとしても、為政者が臣民から信頼を失うような行為は厳に慎まなければならない」


「それはそうだ。しかし、私はそんな愚かでは」


「それに、贅沢は美徳ではない」


「それは違う。臣民があまねく贅沢出来るように仕組みを作る。それこそが為政者の役割だ」


「慎ましくあるからこそ叶えられる幸福がある。貴方の贅沢を求める姿はおぞましいもののように感じる。民を堕落に導く悪魔をほうふつとさせる」


 どうして、そこまで言われなくてはならない?

 彼女の言い分は、あまりにも視野が狭いように感じる。


「今の君にはわからない」


「理解不能だ」


「だが、将来の君は、私の恐るべき先見性を理解する」


「……」


 アウグスタは反撃してくるはず。

 ならば、いくらでも受けて立とう。

 

 そう思っていたのだが、彼女は黙って口をつぐんでいる。

 相変わらずの無表情であり、その感情を推し量ることは出来ない。

 見ようによっては、呆れ返っているようにも見えるし、激怒しているようにも見える。


「……」


「根を詰めすぎないで」


 彼女は言うなりあっさりと踵を返す。

 

 対して、俺は酷く動揺している。

 彼女は、俺と争うためにここにやって来た。というのは、俺の勘違いなのかもしれない。


 少し、心が軽くなる。


「そういえば、ドゥーエが帰還したそうだ」


「……」


 ドゥーエは、相変わらずの単独行動でもって神聖帝国の奥地まで哨戒に出ていた。

 それが今、戻ってきたのである。

 そして、アウグスタの相手が務まるのは、唯一あの男だけである。


「たまには、二人でゆっくり過ごすのもいい」


「え?」


 アウグスタは一瞬間俺を振り返る。

 しかし、すぐに背中を向けて、一言も発することなく退室する。

 

 一瞬見せた表情は、今まで見たこともないものだった。

 その、もの言いたげな表情が、俺の脳裏にこびりついて離れない。


 ところで、カエサルが興味津々に俺の様子を観察している。


「こっち見んじゃねえ!」


 カエサルは素早く居住まいを正し、何事もなかったかのように屹立する。

 まったくどいつもこいつも……。




「何なの、今の?」


 アウグスタが退室した後、扉の向こう側から大声が聞こえる。

 あの取り繕った声は、カタリナに違いない。


「……」


「引き籠っているから、わざわざ声を掛けてあげたっていうのに、『ドゥーエとゆっくりすれば』だって? どんだけ意地悪なの? あたし、本当にむかついちゃった」


「私が余計なことを言ってしまったから……」


「そんな顔させるなんて、本当に最低な男ね」


「それは違う」


「何なの? 何でそこで否定するのよ?」


「別に庇っているわけでは」


「呆れた。これは重症だわ」


「……」


「君も、あいつのことを思っているなら、何であんな刺々しいことを言ってしまったのさ? あぁ、君にもむかついてきちゃった」


「ごめんなさい」


「飾らない自分をぶつけるの。でないと、すれ違ったままで一生を終えるわよ」


「でも」


「あたしに任せなさい。あたしは、こういうことにかけては得意なの」


「こういうことって何?」


「あたしのことは、恋の錬金術師と呼んでくれていいわ。フッフッフ。見てなさい!」


「恋じゃない」


「恋よ」


「違う」


「駄目だ! 何もわかってない!」


 室外には牧歌的な空間が広がっている。

 俺も童心に帰って扉を開け、彼女らとともに束の間の喜劇を堪能するのも一つであろう。

 

 しかし、今の俺にとってそれは酷く色褪せて見える。

 俺の役割はそんな些細なものではない。俺は、世界に革新をもたらす男だ。


 俺は思考を切り替え、大都市構想に没頭する。




 突然、ノックもなく扉が開かれる。


「来てやったぜ!」


 現れたのは、ヴィゴである。


「仕事の最中だ」


「絶不調なんだろ?」


 この男。カタリナが仕込んだのだろう。


「絶好調だ。速やかに退室願いたい」


「邪険にするなよ、仲間だろ?」


「ならば、傾聴に値する開発案を持ってきたとでも言うのか?」


「それよりも、アウグスタが泣いているんだが」


「そんなことは聞いていない」


「お前に冷たくされたんだってな」


「まさか」


「元陛下に何たる仕打ち」


「もはや主君でも何でもない」


「そんな態度は困るんだよな。俺達は七英雄だ、その繋がりを大切にしてくれよ」


「……」


「ほら、アウグスタを誘って街を歩いてみろよ。こんな所に籠もってないでさ」


「何故私が?」


「街を歩けば、大都市構想ってやつに役立つアイディアが得られるかもしれんぜ」


「考えておく。じゃあな」


「おぃ!?」


「まだ用か?」


「損な役回りだぜ」


「はいはい」


 ヴィゴはうっすらと笑う。

 その瞳には、怪しげな光が宿る。


「ところで、何でなんだろうな」


「は?」


 ヴィゴは、恐ろしく低い声で続ける。


「お前じゃなくて、あの女が。アウグスタが俺達の中心になっているってこと」


「それは」


「あの女が一体何をしたっていうんだよな」

 

「不満なのか?」


「不満じゃないのか?」


「私は……」


「ハハハハ、冗談さ! 全部嘘だ、嘘嘘。気にすんな。邪魔して悪かった」


「……」


 ヴィゴが笑いながら背を向けて、俺に向かって手を振る。

 そのまま退室するも、その直後、室外から馬鹿でかい声が聞こえてくる。


「わりぃ、俺じゃ無理だった!」




 しばらくの後、扉がノックされる。


「どうぞ!」


 扉の向こうから、王弟アルが現れる。


「メルクリオ様。月桂樹の花言葉ってご存じですか?」


 意味の分からない質問であり、質問だけをもって来意を察することは出来ない。


 しかし、俺にはわかる。

 これは、少なくとも大都市構想と無縁の用件である。

 つまり、再び執務の邪魔が入ったのである。


 とはいえ、王弟であるからして邪険に扱うわけにもいかない。


「月桂樹は、古来より勝者の冠として利用されてきた。つまり、その花言葉は『勝利』などといったところか」


「そういう意味もあるみたいですが、『私は変わりません』という意味もあるようですよ」


「うわあ、素敵だね」


「アウグスタ様とメルクリオ様。互いを想う気持ちは、いつまでも変わらない。そういうことなんですね」

 

 雑な絡め方である。

 しかし、今の言葉で、アルの来意が透けて見えた。

 つまり、カタリナから、アウグスタとの間を取り持てと、そう指示されたに違いない。


「実に下らない」


「え?」


 アルは酷く動揺した顔をしている。

 なんとなれば、泣きそうにも見える。


「無論、アウグスタのことは終生のライバルとして尊敬している。尊敬はしているが」


「やはり、叶わぬ想いなのですね」


「は?」


「異伝によれば、『彼らは誰よりも互いを理解していた。しかし、立場の違いからくる諍いを経て、別離を迎え、その後二度と対面することはなかった』」


「……」


「結局、お二人とも伴侶を得ることなく、生涯を終えたのですね」


 てっきり、二人は夫婦だと思っていた。しかし、どうやら一時的な恋人に過ぎなかったようだ。


「しかし、アルデア国王はアウグスタの係累と聞いたが?」


 アウグスタは伴侶を得て出産し、その生まれた子供がアルデア王家の始祖を務めたのではなかったか。


「ふふふふ。やっぱり、お相手が気になっちゃいますか?」


「無論、全く気にならないが」


「そんなことって……」


「あ、若干の知的好奇心はある」


「初代国王は、アウグスタ様の姪と結婚しました。ですので、アウグスタ様の係累が今の王家に繋がっているというわけです」


「ほほう」


「安心しましたか?」


「別に」


「悲しいすれ違いが再び繰り返されないよう祈ってます。頑張って、メルクリオ様!」


 目を輝かしているのである。


「これで解決かな」


「え?」


 問答無用でアルを室外に追い払う。




 しばらくして、再び扉がノックされる。

 力強いリズムである。


「またか?」


「ルイジ・レオナルディです。入ってもよいですか?」


 予想外の刺客である。これでは断るに断れない。

 そして、カタリナの根回しに驚嘆せざるを得ない。


「どうぞ」


「共和国の執政官から連絡がありました」


 どうやら刺客ではなかった。

 俺は改めて背筋を伸ばす。


「ようやく」


「五日後、国境付近にて、和平交渉の場を設けるとのことです」


「おぉ」


 今は、大都市構想で忙しい。

 戦争などにかまけている場合ではない。さっさと終わらせてしまおう。


「私は、反対です」


「反対だと?」


「奴らは、先王を辱めた後、殴殺しました。いくら戦争とはいえ、そのやり口は許せない。恨みは決して消えぬのです」


「気持ちはわかる。しかし、帝国も多数の国民を失っている。彼らも王国に対して深い恨みを抱いているはずだ。戦えば戦うほど、双方の恨みは募るばかり。そもそも戦争などすべきではない」


 心中はわかる。

 対して、俺は通り一遍のことしか言えない。

 しかし、これが正解であるはずだ。


「わかっております。交渉を邪魔立てするつもりなどございません。ただ、それだけ危うい交渉であることを理解しておいていただきたいのです」


「私からも下手な妥協はしないよう伝えておく」


「有難うございます」

 

 それでも、明るい未来は間近に控えている。

 レオナルディ公爵にも、僅かでも明るい気持ちになってもらいたい。


「ところで、この図面を見てくれ。アルデア城下とレオナルディの城下をこのように大運河で結ぶ」


「どれどれ?」


「この太い線だ」


「ほほう、このような巨大な運河を?」


「この大運河でもって物流を強化する」


「オクセンシェルナからあらかじめ話は聞いておりましたが、これはまた大層なものですな。まるで現代に古代帝国が蘇るかのようです」


「これが完成すれば、人々の生活は一変するだろう」


 その時。

 突然、執務室の扉が開く。


「君さぁ! なんで慰めに来ないのさ!」


 暴風のように現れたのはカタリナである。

 思わず、俺もレオナルディ公爵もカタリナに視線を向ける。


「……」


「あれ? うぅぅむ」


 カタリナは凄い形相で現れるも、レオナルディ公爵を視認すると、瞬間にしまったという顔になる。


「……」


 気まずい沈黙が続く。


「取り込み中でしたね。あははぁあ。すいませぇん。では、失礼しまぁぁす」


 カタリナは慌てて部屋を退室する。

 親玉自ら繰り出してきた今回の戦いは、しかし、レオナルディ公爵の威光によって、辛くもこちら側が勝利を得たのである。


 とはいえ、変な感情のしこりが残ってもつまらない。

 明日にでも時間を作って、アウグスタとともに大要塞を視察してみせよう。


 


 翌日。

 午後の遅い時間まで仕事に忙殺され、アウグスタとともに執務室を出たのは夕暮れ時であった。

 それはまだいいのだが。

 イザベラ王女は、そそくさと外へ向かうアウグスタと俺を目ざとく見つけて、遠慮なく話しかけてくる。


「あらあらあら。お二人でお出かけですのね。あらあら。そうですか、そうですか。ウフフ」


 続くのは、意味ありげな目くばせである。


 これはただの同行視察である。何のやましい気持ちもない。

 俺の口から百の言い訳が飛び出そうとするも、これを無理矢理堪えて会釈で誤魔化し、王女をやり過ごす。


 監視塔を抜けると、カエサルが城壁の上からこちらに向かって、滅茶苦茶に王国旗を振るっている。

 そんな幸先の悪いスタートから始まった。




「あっ! 今、メルクリオ様がアウグスタ様にオレンジを手渡されましたわ!」


「それ、絶対やばいやつだわ」


「え? まさか、あのオレンジは求婚を意味するとでも? そう言いたいのかしら?」


「やるなぁ」


「いやいや、そんな意味あるわけないっしょ。俺達のメルクリオ様に限って」


「男は馬鹿ねぇ。古代帝国じゃ、オレンジだって立派な求婚の証よ」


「そんなの聞いたこともねぇよ」


「ちょっと黙って! 今、アウグスタ様がオレンジに噛り付いた!」


「それはつまり、求婚を受け入れたってことよ!」


「キィー! さすが雷神! 速すぎる女神!」


「あら! メルクリオ様が、オレンジの実を分けているわよ。2つ、3つ」


「あれって子供の数じゃない?」


「結婚の先のことまで戦略的に! さすが双剣! 戦略眼に優れる男!」


「ぎゃあああ、そんなにオレンジの実をむしらないで!」


「これはオレンジの儀として後世に残さねばなるまい!」


 周囲から、とんでもなく下世話な話が聞こえてくる。

 勘弁してくれ。

 ただでさえ、アウグスタとの仲はギクシャクしているのに、これ以上ややこしいことにしないで欲しい。


 俺は、こっそりと横目でアウグスタを観察する。

 ところが、アウグスタはいつも通りの無表情である。頼もしい限りである。

 そのアウグスタが唐突に声を上げる。


「わらわは、このようなみずみずしいオレンジ、初めていただく!」


 何だ? その感想は。

 何だ? その素っ頓狂な声は。


「余も、そのようなみずみずしいオレンジを献上できて、幸甚に思います!」


 俺はみっともなく取り乱して、手元のオレンジを全てアウグスタに押し付けてしまう。


「こんなに……」


「え?」


「欲しかったり?」


「うわああ!」


 ますます気まずくなる。

 黙ったまま、競うようにして先を急ぐ。




 人気から逃げるようにして、市場を通り過ぎ、さらに砦の西端に向かう。

 階段を登りきると、そこには開けた場所がある。

 

 不意に、潮風が鼻腔をくすぐる。

 カモメが、潮風に乗って声をあげながら近くを飛翔していく。


 崖下から先は、茫漠たる大海原が広がっている。

 水平線より上には、茜色に染まる大空があり、大空に浮かぶうろこ雲が、穏やかな表情で俺達二人を見下ろしている。


「誰だって変わっていくものだと思う」


 アウグスタはうろこ雲を眺めながら、唐突に話しかけてくる。


「無論、時代も変わっていく」


「それでも、私は、それでも変わらないものを知っている」


 アウグスタは、俺を振り返る。


「……」


「貴方に届きますように」


 穏やかな風が通り過ぎていく。

 彼女は、自然な微笑みを浮かべている。




 満ち足りた気持ちに包まれている。

 俺は、異世界での人生も悪くはないな、とそう思っていた。

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