32 孤立無援
真夜中。
監視塔の屋上から、高原を一望する。
高原の西端は、山並に吸い込まれるようにして谷道へと続いている。
漆黒であるはずの山の背が、ほんのりと赤みを帯びている。目を凝らすと、無数の松明がゆらゆらと蠢いているのが見える。
室内から漂う熱気のせいか、空気がねっとりと重く感じられる。
「その数およそ二万」
「四倍か……」
「帝国は、大要塞駐留のおよそ全軍を投入してきました」
第二陣が無為に時間を過ごし、第一陣がこつこつと前進した結果、第一陣は突出することになった。
そのため、帝国軍は第一陣に狙いを定めて全力でこれを砕きに来たのである。
第二陣と連携して進撃しなかった俺に非があるというのか?
いや違う。悪いのは全て怠惰な第二陣である。
「全軍に伝えよ! 第三古城は帝国軍に包囲されつつある。籠城に備えよ!」
「ハッ!」
兵数で劣る以上、野戦で対等に並ぶことは愚策である。
守備側の有利を最大限に生かすべく、籠城すべきなのである。
とはいえ、妙なプレッシャーを感じる。
今まで攻勢一方だったのがついに守勢に回る時が来たのである。
敵はどう動くのだろうか。我が軍はそれを正確に洞察した上で正確に対応しなければならない。
そこには、敵に戦いの主導権を渡すことの恐ろしさがある。
加えて、希望なき籠城は兵の士気を下げる。
そこで、籠城を耐え抜くための希望が必要となる。
第二陣を進撃させ、空き巣となった大要塞を襲撃させる。そうすれば、帝国軍は包囲を解いて大要塞に引っ込むことだろう。
もっとも、第二陣は今に至るまで前進することはなかった。
しかも、将軍のほとんどが蒸発し、残るはロビンだけである。
であれば、その第二陣が自発的に進撃を開始するなど夢物語である。
やはり、俺がコルビジェリ城に戻り、第二陣を率いるべきではないか。まだ、包囲網は完成していない。今ならすり抜けられる。
イクセルが声を掛けてくる。
「落ち着け。自分のことは脇に置き、まずは相手の考えを読むのじゃ」
帝国軍はどう考える?
「大要塞は戦線の要であるから、万が一にも放棄出来ない。帝国軍はその大要塞を留守にしてまでこちらに攻めてきた。それは普通の状況ではない。つまり……」
「そう。短期必殺を狙っておる」
帝国軍も、長期戦による根競べなど望んでいないのであり、むしろ避けるべき事態と考えている。
ところで、王国第二陣の総勢は千を切る。その推定行軍速度から計算するに、道中何ら妨害を受けない場合は、五日で大要塞に到達する。
「帝国軍にとって猶予は五日間。この間に第三古城を攻略し、その上で大要塞に帰還したい」
だとすれば、第二陣は機能しなくてよい。
ただ予備戦力としてあるだけで、帝国軍はこれにプレッシャーを感じ、その行動を縛られるのである。
むしろ、下手に動いて戦力を失うよりも、コルビジェリ城に籠って戦力を温存してくれた方が良いぐらいである。
「ならば、今注力すべきは?」
「籠城戦」
「そして、その指揮を担えるのは?」
「私だけだ」
第二陣に求めるものは多くない一方、この籠城戦で敗退するようなことがあれば、王国の未来は断たれる。
ならば、俺は、第三古城に残り、短期集中的にこれを死守すべきである。
「急ぎコルビジェリ城に伝令を送れ」
「ハッ!」
伝令係が片膝を立てる。
「こう伝えるのだ。『第一陣は帝国軍の猛攻を耐えている。この間に、第二陣は速やかに海の道を進軍し、大要塞を攻撃せよ』と」
「承知!」
つまり、第二陣に全く期待していないわけでもない。
そもそも、ロビンはれっきとした古代英雄である。
あわよくば、あの男の指揮により、大要塞の安全を脅かして欲しいと願っているのである。
ともあれ、守備固めしなくてはならない。
改めて、諸将を呼び寄せる。
すると、ヴィゴが口火を切る。
「これは、部下から聞いた話なんだが」
「何だ?」
「大要塞には二人の将軍がいる。一人は攻めの吸血公。もう一人は守りの大熊公」
「攻めてきたのは吸血公か?」
「わからない。だが、仮にそうだとすれば、ルールのない戦いを仕掛けてくる」
「ルール?」
「早朝だろうと夜間だろうとおかまいなし。休戦も降伏もない。ただ、殺すか殺されるか、それだけだ」
「……」
「気を抜くなと言っている」
さて。
これから、諸将の持ち場を決めなくてはならない。
持ち場は四つ。すなわち、東西南北の各斜面である。
「私はこの塔で総指揮をとる。貴方達には各斜面の防衛を任せる。まずはペーター王。南斜面をお願いする」
南斜面は木々が生い茂っている上に急であり、さらに、多くの監視塔が設けられている。
監視塔からの狙撃でもって敵軍を撃退出来るだろう。
「わかりました」
「次にヴィゴ。君は不死隊を率いて東に陣取ってくれ。場合によっては、遊撃として働いてもらう」
東斜面は最も急である。敵軍がここをよじ登ってくることはない。ただ、ここにも伏兵がいることを敵に認識させる必要がある。
「任せろ」
この二斜面に問題はない。
問題は残りの二斜面である。
「イクセル。貴方は北面に陣取って欲しい」
北斜面は緩やかな坂になっている。
もっとも、迷路状の道が組まれており、その両脇には防壁が続く。さらに、イクセルの土木工作により罠を設置し、相手を翻弄したい。
「よいよい」
「最後にアウグスタ。貴女の担当は西だ」
「はい」
西斜面は緩やかな坂になっている上に、防御壁の大半が壊れている。間違いなく、最大の激戦区になるだろう。
したがって、この方面に戦力を集中させる。カエサルもここに投入する。
「ただ守っているだけでは守り切れない。機を見て攻勢に転じ、しかし、引き際を見誤るな」
「承知した」
頼もしいぐらいに淡々としている。
一方、俺の拳は震えている。俺は素知らぬ顔で拳を体の後ろに隠す。
「目的はただ一つ、生き残ること。皆の武運を祈る!」
日付が変わる頃合い。虫の音が急に止む。
帝国軍は、一斉に不気味な雄叫びをあげて、西斜面に攻撃を開始する。
まずは火矢を射かけてくる。
もっとも、斜面を覆う針葉樹はたっぷりと雨水を含んでおり、耐火性を備えている。
火矢如きでは山火事にならない。
対して、こちらからも暗闇に目算をつけて、矢を射返す。
遠距離攻撃でのやり取りに終止するのかと思いきや、帝国軍の先遣隊はすぐに山裾に取り付き、坂を駆け上がってくる。
矢の雨にもひるまず、我先にと突貫してくるのである。
アウグスタはこれを十分に引き寄せ、左右に潜むクロスボウ隊により一斉掃射を加える。
続いて、坂の上から騎兵突撃を敢行する。
アウグスタが先頭となって、勢いそのまま先遣隊を切り裂いていく。
しばらくすると、先遣隊は耐え切れず瓦解。
下り坂を転げ落ちるようにして逃走し始める。
が、アウグスタはこれを深追いせず、騎兵部隊を率いて山上へ取って返す。
再び遠距離攻撃の応酬が繰り返される。
まずは、こちらの優勢である。
日が昇り始めるも、天に雨雲が宿る。
籠城一日目。
山の斜面は雨雫に覆われ、滑りやすくなる。
帝国軍は、戦力の半数を西斜面に当てており、残りを東と南北付近に待機させている。
しかし、今のところ、戦闘が行われているのは唯一西斜面である。
帝国軍は、まるで疲れを知らないかのようにして、ひっきりなしに白兵戦を仕掛けてくる。
その度に、アウグスタは射撃からの突撃を繰り返し、これを撃退している。
それでも、帝国軍は馬鹿の一つ覚えのようにして西斜面を駆け上がってくる。
さらに、夜間に入ってもまるで衰えを知らない。
どうなっているのだろうか。
観察を続けると、帝国軍の動きが見えてくる。
帝国軍は、担当を部隊毎に交代しながら突貫を敢行し続けているのである。
対するアウグスタは、同じ部隊で帝国軍を撃退し続けている。
しかも雨天の中である。
このままでは、こちらの疲労が限界に達する。
他の斜面に待機する新鮮な部隊と交代させたいところである。
とはいえ、他の斜面にも、帝国軍が張り付いている。攻勢を仕掛けてくることなく、不気味な静観を続けているのである。
奴らは、間違いなく各斜面の間隙を測っている。
そうである以上部隊交代は出来ない。西斜面には耐えてくれよと願うしかない。
せめて食事だけは豪勢にするようにと輜重を送り出す。
一睡も出来ず翌日。
籠城二日目である。
雨天が続く上、高原全体に霧が発生しており視界は悪い。
帝国軍は、こちらの疲弊を読んかの如く、西斜面に猛攻を仕掛けてくる。
アウグスタはよく持ち堪えてくれている。しかし、このままでは俺の心が持たない。
俺は、ついに西斜面への支援を決断し、指示を下そうとする。
しかし、一瞬の後。俺は、支援どころではなくなる。
帝国軍は、霧に紛れて北斜面への攻撃を開始したのだ。
西斜面に視線を誘導し、油断したところを北斜面に攻撃を仕掛けてきたのだ。
一気呵成の帝国軍兵士達。
ところが、これに対して、次々に丸太、大岩が降りかかっていく。
道を外れた兵士に対しては、丸太の振り子が襲い掛かり、陥穽が待っている。
イクセルが、良い土木仕事をしてくれたのである。
ところが、帝国軍は、北斜面でも犠牲を厭わず波状攻撃を繰り返す。
やがて、丸太の在庫が切れたところで、我が軍と帝国軍は接触し、白兵戦となる。
狭い道での白兵戦であり、数の暴力は無効である。
そのため、イクセルの部隊は少数でもって帝国軍と対峙を続ける。そのまま北斜面も膠着状態となる。
夕刻。
監視塔前の広場に、負傷兵が次々と運ばれてくる。
近衛の表情も一様に暗い。
帝国軍は、まさか、大要塞を捨ててでもこの山城に執着するつもりなのだろうか?
いや落ち着け。帝国軍は大要塞を失うと、補給線を絶たれ、継戦能力を失う。常識である。そんなこともわからない奴らではないはずだ。
しかし、帝国軍は獣のような盲目さで強襲してくる。頭の中身も獣である可能性がある。
いや落ち着け。あと三日間持ち堪えろ。そうすれば、帝国軍は退くはずだ。
「メルクリオ様。少しお休みになってはいかがですか?」
近衛が心配そうに声をかけてくる。
俺は努めて明るい声で応える。
「俺は『眠らずの課長』と呼ばれた男だ。心配には及ばない」
「しかし、まだまだ戦いは続きます」
「帝国もなかなか面白い攻め方をしてくるものだ。だが青い」
「さすがのお言葉!」
「ところで、アウグスタは今頃『睡眠不足はお肌の天敵』などと文句を言っておるだろう。私が指揮を交代してやろうと思う」
伝令を走らせるが、すぐに伝令が戻ってくる。
「アウグスタ様からは『余計な心配をするな』とのこと」
一睡もすることなくついに三日目。
雨は降り止まない。
帝国軍は、我が軍の三倍の戦力でもって、全方位からの総攻撃を開始した。
あらゆる守勢に対し、後退を知らず、ひたすらに押し寄せてくる。
遠距離攻撃はすぐに用済みとなり、城塞の各所は白兵戦と鮮血に彩られる。
ところがよくよく見ると、帝国軍は夜のうちに戦力投下の比重を微妙に変化させている。
各斜面から戦力を引き抜き、全戦力の三分の二ほどを西側に集結させている。
結局、西斜面の一点突破なのである。
俺の勘が言っている。
ここが、勝敗の分かれ目であると。
俺は迅速に動く。
なけなしの予備兵を西斜面に送る。
併せて、ペーター王とヴィゴに対し、部隊の一部を西斜面に割くよう指示を出す。
午後に入って、ようやくの思いで西側斜面に部隊移動を終えたその瞬間。
帝国軍は、東斜面を破竹の勢いで駆け上がってくる。
こちらが主攻なのか?
とはいえ、西斜面に移動した部隊をすぐさま東斜面に戻すことなど出来ない。
いても立ってもいられず、監視塔の外にでる。
間近で剣戟の音が聞こえる。
「伝令を出せ。乾坤一擲。これを超えた瞬間に天は我らを祝福するだろう……」
夜半に入る。
各斜面からの返答はない。したがって、各斜面の状況は不透明である。
とはいえ、あと二日間生き延びなければならない。
しかし、本当に残り二日なのだろうか。
ロビンは何をしている? 早く大要塞を攻撃してくれ。
このまま続報がなく、孤立無援が続くと、精神的にもまずい。
しばらくすると、伝令がまろびこんで来る。
「王様が射貫かれました!」
「何!?」
「塔の下にまで落下して、現在行方不明とのこと!」
「……」
さらに新たな伝令がまろびこんで来る。
「ヴィゴ様が化物に弾かれて崖の下に転落。行方が知れません!」
「……」
さらに、凶報は続く。
「アウグスタ様が敵軍の中に飲み込まれました! 生死不明!」
「……嘘だろ?」
「失礼します! 帝国兵士十人ばかりがこちらに向かっています!」
前線は突破されたのである。各指揮官の生死も不明である。
これをどういう状況と評価すればよいのか。既に敗北は決したのではないか?
次の瞬間。
石造りの壁がぶち破られる。
「ガガガガガガ!!」
四つ足の化物が闖入してくる。
巨大な体躯はふさふさの体毛で覆われている。しかし、優しげな眼には理性も垣間見える。
化物に続いて、赤黒い鎧の帝国兵士が現れる。その数十人。
一方のこちらも近衛兵が十人。
化物は無人の野を行くが如く、室内を闊歩し始める。
「ぎゃぁぁぁァァ!」
しかし、うっかりとその配下を踏み潰した。しかも、そのまま配下を踏みしだいている。
「イタイ、イタイ? イタクナァーイ!」
俺は努めて冷静に尋ねる。
「何者だ?」
「ガガガガガガ!!」
猿は両手を前後左右に無茶苦茶に回転させる。それだけで室内に突風が発生する。
俺は、覚悟を決めてグラディウスを構える。
しかし、ふと違和感を覚えてグラディウスを見ると、それはもはやコの字に折れ曲がっている。
化物の拳が直撃し、呆気なく折れてしまったのである。
化物は、不意に動きを止めてニッコリとする。
そのまま、俺の側に迫ってくる。
その瞬間。
監視塔の壁は再びぶち破られる。
新たな侵入者は、腰を落とした体勢から体躯を回転させて一気に拳を振り抜く。
その素晴らしい一撃は、鋼鉄のカエサルから放たれたものである。
一方直撃を受けたのは化物である。
化物は監視塔の壁を破って室外まで弾き飛ばされる。それでも勢いを殺すことは出来ず、そのまま山城の坂を転がり落ちていく。
さらにカエサルが拳を振りぬくと、帝国兵士が次々に室外へと弾け飛んでいく。
一難は去った。
まだ運命は俺を見捨てていない。
とはいえ、この本営付近に帝国兵士が続々と侵入してくる。
今のうちに建て直さなければならない。
「動ける者は私に続け! 周囲の雑兵を蹴散らすのだ!」
カエサルと俺は近衛兵を引き連れ、抗戦を開始する。
城塞は落ちていない。ならば、敗北は決していない。
たとえ、各指揮官を失ったとしても俺は生きて進まなければならない。
黄金の階段のその先へ。
帝国兵士の数はすぐに百を超える。数の暴力には抗しがたく、我々は包囲される。
さらに、ぎりぎりと包囲網は狭められていき、カエサルとも分断される。
「そんな運命が許されるのか? 俺は英雄だぞ? 俺は、これからの人生で、自分が生まれてきたことの意味を知るはずだ!」
対して、帝国兵士は哄笑し、嘲笑している。
ひとしきり笑い終わったその瞬間に、無情にも一斉に飛びかかってくる。
巨大な棍棒が脳天に迫る。
槍の穂先が心臓に迫る。
俺の目は霞み、体も動かない。
さらに、ぬかるんだ地面に足を取られ、最後の踏ん張りも利かず、尻餅をつく。
敵に尻を見せて、それでも地を蹴って何度も立ち上がろうとする。しかし、足下が滑るばかりで一向に立ち上がれない。
まさか、こんなところで俺は……。
パオオーーン!!
何の脈絡もなく、高原全体に楽器の音が鳴り響く。
途端に、帝国兵士達はじりじりと後退していく。
さらに、一気に麓へ向かって逃走する。
まるで押し寄せた波が一斉に引いていくようである。
何気なく、監視塔の向こう側に目を向ける。
北の山稜が見える。
その麓から高原に向かって、騎兵が躍り出る。その数五百騎。
その動きは颯爽としており、整然としている。
躍動する先頭の騎馬は、大きな旗を掲げている。
描かれたるは獅子と双剣。
みなぎる朝日。
籠城戦四日目の朝は、文句のつけようがないほどの快晴であった。




