気怠げな金曜日
いくぞ。
そして、あくる日。毎年同じ事しか言わない中身の無い始業式を終えた僕は、久しぶりに聞く聞き慣れたチャイムの音を背に、部室へと足を延ばしていた。部室っても単なる空き教室で、活動なんて特に何もしないんだが。まあ、それでも、久しく会ってない級友に挨拶でもしておくか。そんな気まぐれに背を押されて、僕はクソ暑い校舎をチンタラ歩いて部室までやって来たのだ。
「ちーす。久しぶり、イミカ」
教室のドアを開けて、クラシックギターを剣道の竹刀のように振り回している少女に声をかける。
「ん? お、うっす、アイタン。久しぶりじゃん!」
くるくるくるっとギターを回し、大剣を担ぐように背に回して軽く手を上げる少女。三島 伊美華。くせ毛な茶髪に燦然と輝くアホ毛がチャームポイントの軽音部の部長だ。一応、僕とバンドを組んでいる事になっているが、なってるだけで何もしていない。
「お前、またギター振り回して馬鹿かよ。あぶねーんだよ。僕に当たったらどうするんだ。あ、あといい加減そのダサいあだ名は辞めてくれ」
「えーー、嫌ですぅ。だいたい自分が名前で呼ばれるのは嫌だって言ったんじゃん。だから、せっかくロックなあだ名をつけてあげたのに、あんまりわがまま言うと一本取っちゃうよ?」
言ってブンブンとギター振る。語るに落ちて語るまでも無くイミカは馬鹿だ。馬鹿にアホ毛が生えた奴だ。しかもよりにもよって、僕はこいつとは幼馴染なのでギターよりも更に振り回されてきた過去がある。
「あーもう、分かった、分かった。呼び名はそのままでいいからギター振り回すの辞めろ」
「分かればいいんだよ、分かれば。じゃあ、ほら、座って座って、部室来る前にジュース買ってきたんだー。一緒に飲もうぜ!」
「……そうだな」
なんとなく緩みそうになった口元を引き締めてイミカの隣に座る。
「でさ! アイタンは夏休み何してたの? あっ、もしかして言ってた小説を書いてたんでしょ?」
「ん、あー」
先手必勝とばかりに繰り出されるイミカの質問に空返事し、ゆっくりとジュースを飲む。炭酸が喉にひりつくのが心地良い。炭酸はあまり好んでは飲まないが、たまに飲むと凄く美味く感じる。
「つーか、そういうお前は何してたんだよ。いい加減、一曲くらい曲かけたのかよ」
誤魔化す訳では無いけれど、はぐらかす形で質問に質問で返す。
「聞きたい? 聞きたい?」
「いいから、早く言えって」
イミカは僕の質問を聞いてわざわざ立ち上がり、えへんと胸を張る。あー、これはやってないなー。
「やってない!」
「やっぱりかよ。お前、中学の時からやるやる言ってて全然やってねーじゃねーか」
「私は悲劇しか歌わないからねー。必然、書くのも悲劇オンリー。でも悲しきかな、我が人生に一片の悲劇なし。なのでしょうがなく、悲劇が起こるのを待ってるんだよ。出待ちだね。出待ち」
色々ツッコミたいところではあるが、経験則で無駄だと分かっているのでスルーする。
「じゃあ何やってたの? ドーナッツでも食ってたのか?」
「うん、そう! さすがアイタンよく分かったね! ドーナッツ食べながらずーっとゲームしてた」
適当に言ったのに当たった。
「なんだそりゃ。もう少しこうなんかあるだろ? 僕も人の事は言えないが、 高校2年の夏休みだぜ? もう少し花があったり、色があったりしてもいいんじゃねーの?」
「花? 色? 相変わらずよく分かんない言い回しするよねアイタンは。さすが小説家!」
「……昨日もそれ言われたよ。ああ、でも一つ納得。だからお前太ったんだな」
瞬間、僕は後方へ跳んだ。その刹那、僕が元いた位置を快音を響かせながらギターが通り過ぎる。ギリギリ、か。回避があと数瞬遅れていたら僕は真っ二つにされていただろう。恐怖と快感が背筋を這い回る。これだ、これが戦場なんだ。
「失言でした。帰りにドーナッツ買って上げるので許して下さい」
潔く頭を下げる。何が戦場だ、馬鹿馬鹿しい。僕は平和主義者なんだ。
「うむ、許そう」
「寛大なる処置、痛み入ります」
阿呆らしいやりとりを終えて、倒れた椅子を起こして座り直す。なんとなく付き合いが長くなると、会話中に変な寸劇が入るようになるのは僕らだけなのだろうか?
「で? そういうアイタンは小説書けたの? なんか9月の終わり頃の賞に送るっていってたじゃん?」
「あー、うん、まだ。なんか集中出来なくてさ、夏休みは師匠のところでこき使われてたよ」
何となく、イミカから目を逸らしそう呟く。
「師匠ってあの画家の? アイタンもつくづく分かんないよね。小説家目指してる癖に画家に弟子入りして、軽音部に入って、オマケにサッカー部の助っ人までして、謎めいてるよね。なぞなぞめいてるよね」
「なぞなぞめくってなんだよ。僕は謎の男を演出したつもりも、なぞなぞをめくるめく繰り出すような変人になったつもりも無い。だいたい、軽音部はお前が僕を無理やり入れたんじゃないか」
この学校の部活は4人以上じゃ無いと認められない。しかし、昨年の3年生のバンドの解散で軽音部は0人となり廃部の危機に追い込まれた。しかし、その時1人の勇者が立ち上がった。勇者は瞬く間に3人の幽霊を集め部はめでたく存続が決定した。なので軽音部には、僕を含めて実体の伴った幽霊が3人居る。
「そう言えば僕以外の幽霊は全然見ないな、あいつらちゃんと学校来てるのか?」
「まあ、アイタンはよく出る幽霊だからね。その点、彼女達はプロ意識が高い! 彼女達の出現率はツチノコとはるよ!」
「幽霊がUMAになってんじゃねーか。……まあ、別にどうでもいいんだけどさ」
「なんだよー、自分で聞いた癖に。来てるよ、学校! 2人ともちゃんと! 同じクラスだもん! 部活は私が来なくていいって言ってるの!」
「なんで?」
「だって危ないじゃん。私がギター振りましてるし」
「いや、だったら振り回すの辞めろよ」
「それは聞けない相談だね。何せあれは魂の咆哮だからね」
カァカァと窓の外でカラスが鳴いている声が聞こえる。今日は始業式だけで午後からの授業は無かった。なので日はまだ高い。
僕はツッコミを入れても跳ね返ってくるイミカの天然ボケを無視して炭酸ジュースを一気に飲み干す。
「おっ! いい飲みっぷりだねー。私も負けてられないぞー!」
飲み終わった僕は、ぐびぐびとジュースを飲むイミカを尻目に立ち上がって伸びをする。
「んーー。さて、何もする事無いなら僕はそろそろ帰ろうかな。僕はこう見えて忙しいしね」
「ぷはっ、えーー、もう帰るのかよー。もっと積もる話でもしようぜ? アイタンが帰るなら、またギターで咆哮するしかやる事がなくなるんだよ。それにドーナッツ奢ってくれるんでしょ?」
あ、くそ、覚えてやがる。
「じゃあ、お前も一緒に帰ればいいだろ。どうせ、暇なんだしさ」
「いやいや、そんな訳ないじゃないですか。今日はこれから私に会いたいって言う人が訪ねてくるんですよ」
「へーー。じゃあ益々僕は居ない方がいいんじゃないか?」
「え? なんで? アイタンにこそ、居てもらわなきゃダメなんだよ。だから、今日来たんじゃないの?」
ん? 何か話しが読めないな。
「……僕は久しぶりにお前と話しに来た、だけだけど?」
「ぷぷぷっ。アイタン知らずに来たんだ」
わざとらしく口に手を当てて笑いを堪える仕草をするイミカ。なんかムカつくな。アホ毛を引っこ抜いてやろうか。
「……なんだよ。誰がくるんだ? 言わねーとアホ毛を引っこ抜くぞ」
「ヒント1。髪の毛が長い」
ピシッと得意げに指を立てられても、クイズなんかに付き合ったりしねーぞ。
「いや、クイズとかしねーから。さっさと答えろ」
「ヒント2。おっぱいが大きい」
続いて2本目の指が立つ。よし決めた。3本目の指が立ったらアホ毛を引っこ抜いて残った本体を火炙りにしよう。
「ヒント3。性格が悪い」
来た! その瞬間僕は雷より速く、舞い散る木の葉より軽やかに立ち上がり、馬鹿面を晒す馬鹿のアホ毛引っ張る。
「いたたたたたっ。ちょっ痛い。たんま、ギブ。正解教えてあげるからそんな怒んないでよ。いたい、いたい」
また、ズレたことを言うイミカに何か言おうとして、不意に頭にある人物の顔が思い浮かぶ。髪が長くて胸がでかくて性格が悪い。まさか……
「もしかして、宮沢さん?」
「もしかしなくてもそうですよ」
力強く開き放たれる扉の轟音とともに凛とした声が響く。見ると凛とした声に見合う、凛とした立ち姿をした我が校の生徒会長、宮沢 恵真紀が不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。
「相変わらず、仲が良さそうですね」
宮沢さんはにこやかにそう言って、やはり不機嫌そうな足取りでこちらに近づいて来る。にこやかでいて不機嫌なんて、矛盾している感情をちゃんと伝えられるなんて流石は生徒会長だ。
「まあ、ほどほどに」
僕は適当に作り笑いでそう答えて、イミカから手を離し宮沢さんに椅子を勧める。
「アイタンさ、どのヒントで気が付いたの? やっぱりおっぱい?」
この馬鹿は空気も読まずにまた、くだらない事を。
「私はヒント3の性格が悪いではないかと思うんですけど」
あ、宮沢さんも乗ってくるんだ。そう言えばこの人はこういう人だった。付き合いはなんだかんだで長いけど、いまいち底の知れない人だった。
僕は落ち着き払った仕草で椅子に座り、視線を窓の外に投げて答える。
「2人ともふと何か懐かしい匂いを感じたり、散歩中に不意に足が止まったり、そんな経験はないか?」
「あ、エマキン。アイタンは話を逸らそうとしてるよ? やっぱり、おっぱいなんだよ!」
「……坂口くんはやっぱり私の事をそう言う目で見てたんですね。私ちょっとショックです」
あっ、くそ。バレてる。いや、話を逸らそうとした事が、だが。つーか、この2人は中学の時からの付き合いで、中々に仲が良かったんだ。最近は無いけど、僕もイミカの紹介で一緒に遊んだりしたんだったなぁ。前から思ってたけど、宮沢さんはエマキンなんてダサいあだ名で呼ばれて、よく平気な顔で居られるな。その辺は僕とは器が違うのかな。或いは、感性が違うのか。どうでもいいけど。そんな事より、こいつら僕を嘗めてるな。胸だのおっぱいだので、この僕が動揺するなんてあり得ない。例え宮沢さんが裸で部室にやってきても、服着忘れてるよ? と僕なら平然とそう言える自信がある。
「そう。まあ、ちょっとで済んだんならよしとしよう。それで、生徒会長様はどのような要件でこちらに?」
僕は左右から向けられる、からかいと嘲りの視線を物ともせず話を進める。馬鹿にされたくらいで折れるメンタルで小説家など目指したりしない。僕のメンタルは冥王星より硬い。
「……坂口くんは相変わらずですね」
そう言った宮沢さんの顔は少し不機嫌そうな色が薄まる。
「で? ホントのところはどうなのアイタン? やっぱり……」
馬鹿がまた馬鹿な事を言う前に両手で口を塞ぐ。コイツ本当に空気読めよ。
「宮沢さん、僕が抑えてる間に早く」
「うぐばっ、ちょっ、アイタン分かった。もう言わないから」
「えー、こほん。一応イミカさんには伝えてあるのですが、私がここに来た要件は軽音部の文化祭の出し物についてです」
文化祭、言われてみればもうそんな時期か。僕らの高校は文化祭にそんなに力を入れてる訳じゃない。文化系、体育系問わず部活動の参加は任意だった筈だ。無論、僕らの軽音部は出し物なんてやるべくもない。そんな暇も余裕も無くはないけれど、正直に面倒臭いから、僕は夏休み前に確認に来た生徒会の人に、やらないよー、と伝えた筈だ。
「いや、宮沢さん。僕らの軽音部は出し物なんてやらないよ」
「いえ、でも書類の方では参加になってますよ?」
そう言って、宮沢さんはファイルから文化祭の書類を取り出す。そこには確かに、軽音部は参加と書かれている。出し物、未定の文字も。嘘の色は見えない。
「おい、イミカ? お前もしかして僕が居ない間に勝手に勝手な事やってないだろうな?」
「やっだなー。勝手になんてそんな。私は部長だよ! 全ての決定権は私に有る! 私がやると言ったらやるのだ!」
てっめ、ふざけんな! と怒鳴り散らかし首をへし折りたいところではあるが、僕は怒りを吐き出すように大きく息を吐く。ここで怒っても無意味だ。落ち着け、僕。まだ負けが決まった訳じゃない。
「……宮沢さん。これ今からキャンセルできる?」
「原則として認めてはいませんが、どうしてもというのであれば……」
「おお! どうしても、だ。頼むよ、どうせこのまま無理にやったとしても、いい結果にならないのは目に見えている。だったら、ここで潔く身を引くのが最善だ。頭の良い宮沢さんならわかる筈だ」
真摯に真っ直ぐ思いの丈を伝える。人間、真っ直ぐ目を見て言葉を吐くと、案外、意外と分かってもらえると僕は信じている。
「えええーー。アイタン! それはちょっと、勝手が過ぎるんじゃないの!」
「宮沢さん。これの言う事は無視して構わない。さあ、決断を」
ブーブーとぶーたれながら、頭突きを食らわしてくる馬鹿を制しながら決断を促す。大丈夫、宮沢さんなら分かってくれる筈だ。
「そうですね。そこまで言うなら構いません」
「おお! ありがとう!」
「ですが、代わりに生徒会の仕事を手伝ってもらう事になりますが」
「え? なんで?」
「それはそうでしょう。無理を通してもらおうと言うのに、なんの対価も払わないなんて、少々虫が良すぎるのではありませんか?」
あー。そうだった、そうだった。宮沢さんはこういう人だった。ここで迂闊に、やります、と答えると、そりゃもう、太陽もドンびくレベルで仕事を押し付けられる。僕のせいで氷河期の再来なんてごめんだ。いや、10割イミカのせいだ。
「へへへ! 残念だったね、アイタン! どうやら私の勝ちのようだ。まあ、でも、アイタンにしては頑張った方だと思うよ?」
勝ち誇りやがって、ここで僕が折れると思うなよ。
「……よし、分かった。なら、宮沢さん。僕ら軽音部は部室で楽器の展示でもやるよ。幸い僕らのクラスは文化祭でバザーをやるんだし、ついでに皆んなに頼めばそれなりに楽器も集まるだろう」
「な! アイタン正気か? 楽器の展示なんてそんなの誰が興味あるんだ? それに、皆んな楽器なんてリコーダーとかしか持ってないぞ!」
「甘いな、イミカ。仮に集まらなければその時はCDでもDVDでもBlu-rayでも展示すればいいだけだろ?」
「なっ! さすがアイタン。どうやら私の負けのようだ」
がくっと項垂れるイミカを尻目に僕は勝利を確信する。僕だって何時も振り回されてばかりじゃない、やる時はやるんだ。
「いや、盛り上がってるところ悪いですが、そんなよく分からないのは認められませんよ」
「え? なんで?」
突然な理不尽な言葉に僕は思わず声を上げる。
「なんでって、それ、言わなきゃ分かりませんか?」
ジロリと睨まれる。宮沢さんの表情の色がさらに不機嫌さを増しているのが窺える。これは、僕の負けだな。
「分かりました。僕の負けです。煮るなり焼くなり好きにどーぞ」
「いや、勝ち負けの問題じゃなくてですね。あー、もう! 結局、あなた方はどうしたいんですか!」
おっと、怒らせてしまった。ちょっと悪ふざけが過ぎた。と言うか、さっき宮沢さんの性格が悪いとか言ってしまったが、僕とイミカの性格の方がヤバイな。悪いというか破綻してる。ここは素直に謝って、許しを請おう。
「エマキン、そう怒るなって。大丈夫、ちゃんとやるよ。有言実行が私のモットーだもん。内容は、明日まで……いや、明日は休みだから。週明けまでにアイタンが考えてくれる筈だよ。だから、それまでは、お願い。待ってください」
と、そこで僕が頭を下げるより早く、イミカが珍しく頭を下げる。何というか、その光景は不思議な引力いや重力が有り、釣られて僕も頭を下げそうになる。でも、気がついた。
「何で僕が考えるんだよ!」
渾身の突っ込みだった。でも、僕も突っ込んでる場合じゃ無い。と、そこでちょうどチャイムが響く。気がつかないうちにもう下校時間だ。ちょっと、馬鹿をやり過ぎてしまった。いや、馬鹿がやり過ぎてしまった。
「はぁ、分かりました。では週明けまで待ちます。ですが、その時にまだ決まってないようなら強制的に生徒会の仕事を手伝って貰いますからね」
そう言って、最後にキツ目の顔で僕とイミカを睨んで早足に去って行く。何となくその姿を見えなくなるまで見送って、ため息と共に言葉を吐く。
「イミカ、お前僕に何か言う事はないか?」
「……さっ! ドーナッツ食って帰ろうぜ!」
「ってめ! ざけんな!」
そうして、イミカをひとしきりボコボコにした後、僕らは部室を後にする。ちょっと顔を出して、さっさと帰るつもりだったのに無駄に長居してしまった。それに余計な荷物も負わされた。不満も不平も不服も十全に有る。しかし、それでも、いちいち口に出す程の事じゃ無い。いつもの事だ。夏休みに会わなかった分のしわ寄せが来たとでも思っておけば、諦めもつく。赤に染まった廊下に二つの足音を響かせながら、僕はそんな事を考える。
「ねぇ! アイタン!」
不意にイミカの声が廊下にこだまする。
「何だよ」
「2人っきりだね!」
「何だよ急に?」
確かに今は僕らの周りに他に人は居ないけど、わざわざ何でそんな事を言うんだ。相変わらず、イミカの感性は掴めない。
「いや、ふとそう思ったから言っただけ。耳をすませば、声は確かに聴こえるのに私の目にはアイタンしか写ってない。なんか不思議だよね」
「……夏休みゲームばっかしてたから視力が悪くなっただけじゃねーの」
「もー! そう言う事じゃ無いでしょ! 分かってて言ってるの分かってるからね!」
「あー、んなことより、文化祭どうするかなぁ」
「どうなったって楽しくなるよ!」
「だと、いいけどな」
言いながら下駄箱を開ける。
実際、イミカは能天気に考えてるが、今から何か考えて実行に移すってのはスケジュール的にかなりキツイ。それに、僕には小説の賞の締め切りだってある。ただでさえ、調子が悪いんだ。二足の草鞋を履くには足の数が足りない。当たり前だけど。
と、そこで気がつく。僕の下駄箱の中に手紙が入っている。それも2通も。はてさて、なんだろう? 今日日、ラブレターなんて書く奴はいやしねえだろうし、かと言って果たし状なんてより古風だ。
「まあ、見りゃ分かるか」
そう独り呟いて中身を確認しようとするが
「アイタン! 何やってんだよ! さっさとドーナッツ食べに行くぞ!」
馬鹿の声に遮られる。別にイミカに知られると不味い訳じゃないが、何となく隠すように鞄にしまってしまう。それで……少し嫌な事を思い出してしまった。そう確か、あの時もこんな感じの夕暮れだった。
「……分かってるよ。ってもあんまバクバク食うなよ。僕の懐はそこまで暖かくは無いからな」
誤魔化すようにそう言って歩き出す。
「大丈夫! アイタンの懐の深さはよく分かってるから」
「僕はお前の胃袋の深さが知りたいよ」
「私の胃袋は私の身長よりは小さい!」
「いや、知るかよ。もういいや、行くんだろ? 行こうぜ?」
「うーい」
そうして2人並んで歩く。僕は普段より歩幅を少し小さく。イミカは歩幅を少し大きくして。そういうところも昔から変わらない。僕らは変わらない。
2通の手紙。たとえそれにどんな事が書かれていても、僕は変わらない。ただ、そこに書かれた色が僕らの日常に加わるだけだ。ラブレターでも、果たし状でも、殺人予告でも、単なる悪戯でもそれは変わらない。僕は茜に染まったあの日にそう決めたから。
「なあ、イミカ。好きと嫌いの違いって知ってるか?」
「何にさ、急に?」
「いいから」
「好きがドーナッツで嫌いが、エンドウ豆!」
「何だそれ。つーか、お前エンドウ豆嫌いだったけ?」
「うん。アレだけはどうしても食えん。それより、正解は?」
「いや、正解なんてねーけど。まあ、強いて言うなら好きが青色で嫌いが赤色かな」
「アイタンは青色が好きなの?」
「ちげーよ。好きが青色なんだ」
「アイタンの魔法の話?」
「魔法?なんだそれ、 僕はそんなの使えねーぞ」
「アイタンの両目には魔眼が宿ってるんじゃなかったっけ?」
「いや、ねーよ。そんなカッコいい設定は。僕の目は、人より少しだけ違うものが映るだけだ」
「違う。違う、か。でも、誰だって見てるものも、見え方も違うもんだよ。自分と同じものを見てる人なんて一人だっていなんだよ」
「なんだよ。お前にしては詩的だな。詩的つーか、哲学的?」
「そりゃあ、昔アイタンが言った事だからね!」
「僕そんな事言ったけ? 僕ならもう少し気の利いた言い回しをすると思うけど」
「アイタンが気を回すなんてあり得ないよ」
「それは否定しない。僕が回すのは頭だけだ」
「私が回すのはギターだけだね」
「いやいや、僕も十全に振り回されてるよ」
そこで、2人して笑う。何もおかしい事は無いけれど、柔らかな想いが僕らの頬を引っ張り上げる。
「……変わらないよねー」
「……だな」
日の色は変わらない。ただ、見え方が変わるだけ。万事、万物がそうだとは思わないが、僕とイミカは多分それだけ。紅い街並みを眺めながらそんな事を考えた。
そろそろ、そろそろ。