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第二十九話「我が家を文明的にするのは譲れない」


 穏やかな朝――、俺は宿の固いベッドで目を覚ました。

 天井の染みをぼんやりと見上げる。


 今日は拠点を見に行く日だ。


 昨日ガルディウスが紹介してくれた物件は、どうやら街の南の外れの屋敷だという。

 あそこが今日から俺たちの拠点になる。

 パーティーの拠点。それはつまり──温泉を作れるということだ!


 俺はがばっと起き上がった。


 よし。俺が最高の温泉を作ってやる。

 そう意気込みながら身支度を整え、ギルドへと向かった。


───────


 ギルドの前でリナたちはもう待っていた。


「おはようシロガネ。今日からよろしくね」


 リナが軽く手を上げた。その隣でメイファがにこにこと笑っている。


「楽しみですね〜! 新しいお家〜」


 エルネは相変わらず無表情でこくりと頷いた。その手にはもうペンと紙が握られている。


「……今日も観察する」

「そろそろやめてもらえないか……」


 俺は即座に突っ込んだ。

 ともあれ、今日も無事に四人揃ったので、全員で街の南へと歩き出す。

 中央通りを抜け、城門には向かわず南の区画を歩いていく。

 だんだんと家の数がまばらになっていき、やがて街の喧騒も遠のき――ある開けた一角に、その屋敷は建っていた。


「ここね! すごいわねこれ……」

「めちゃくちゃ豪華じゃないか!」

「すごいです~!」

「……普通の冒険者が住む家じゃなさそう。……だけど、かなりいい屋敷」


 俺たちはその家を眺め、感嘆の声を上げる。

 それもそのはず。二階建ての大きな石造り――まるで貴族の屋敷のようなものだ。

 庭も広く、敷地内に井戸もある。周囲に他の家はほとんどない上に、人目につきにくい。

 近くにくれば目立つものの、侵入者などがいたらすぐにわかる立地だ。

 ガルディウスの言う通り、俺たちの活動にはうってつけだな。


 さて――外でこうしていても仕方がないので、中に入ってみる。


 中に入ると、そこそこ手入れはされていたようだが、やはり埃っぽい。

 造りはしっかりしていて、広間と台所、そしていくつかの部屋。二階にも部屋が並んでいる。人数分の個室は十分に確保できそうだ。


「わぁ〜! 広いです〜!」


 メイファがはしゃいで部屋を覗いて回る。


「悪くないわね。掃除すれば十分住めるわ」


 リナも満足げだ。

 確かに悪くない。悪くはないのだが。


 俺は台所を覗き込む。そこには竈と水瓶があって、井戸から水を汲んで使う昔ながらの造り。

 次にトイレを見た。そうだな。わかってはいた……。


 そこにあったのは、この世界の一般的なトイレ。穴があって用を足す。それだけのものだ。

 そして湯を使う設備は当然なかった。湯は贅沢品だからなぁ。


 これは――


 俺の前世の記憶が蘇る。台所と言えばシステムキッチンだろう。蛇口を捻れば水が出るし、お湯も水も自由自在。竈なんていらなくて、IHが主流のあの素晴らしい機能美!!

 冷蔵庫も必要だ。洗濯機も乾燥機も、食洗器もあるとなおヨシ!!

 そして何より、日本の技術者が結集して作り上げた、あの情熱の結晶!! 清潔な水洗のトイレだ!! あれらが恋しくてしょうがない。

 ダメだ。思い出してしまったらもう止まらんぞ!!


「リナ!」

「わっ、びっくりした!! いきなりなによ!?」

「この屋敷――というより、まずは水回りだが、改築するぞ」

「は?」


 リナがきょとんとした。


「いや改築って……まだ住み始めてもいないのよ?」

「住む前に整えるべきだ。快適に。まぁ俺に任せておけ!! 絶対に悪いようにはしない。これでも俺は家にはうるさくてな――っと」


 危うく前世の経験を話すところだった。


「家にうるさかったの? ま、まぁ、そこまで言うんだったら、任せるわよ」

「よし。任せておけ!」


 俺は腕まくりをした。

 ヒーローの使命は悪を砕くこと。だがそれと同じくらい大切なことがある。それは──快適な暮らしを追求することだ。

 ……いやそれはヒーローの使命ではないかもしれないが。まあいい。細かいことは気にするな!

 本音を言ってしまえば、今まで生きてきてずっと気にしないようにしてきたが、そろそろ限界なんだ。

 快適で文明的な生活――それを実現するためなら、俺はなんだってやるぞ。



───────



 まずは上水道だ。すべての生活の基本。水回りを整えなければ話にならない。

 俺は台所の床にしゃがみ込んだ。


「井戸から水を引くの?」


 リナが覗き込む。


「いや、違う……」


 俺は首を振った。


「井戸は不衛生だ。伝染病の原因にもなり得る。だから、井戸はいらん……そうだな――無限に水を生成できる機能を核にして、IH的な台所も必要だから熱源もいる――これらを結合させて、温水や水を使い放題にする。分かりやすく言えば魔道具としてのシステムキッチンを生成すれば、洗濯機や食洗器を作成した際にそこから水が引けるようにする」

「……は? しすてむ……キッチン? せんたくき? しょくせんき?」

「まぁ、見ていろ。原理は説明できんからな」


 俺は頭の中で超速で魔法式を組む。

 ……「温度調節可能かつ、清浄な水が湧き出す核」。そういう概念的道具があると定義する。一度定義してしまえばあとはそれを現実に固定するだけ。

 手のひらの上に小さな結晶のようなものが生まれた。淡く青く光っている。


「よし」


 次に排水も考えなければならない。先に作業すべきだったか? いや、この「水核」ができるかどうかわからなかったからな。

 汚水は消失させる方向でいいだろう。間違って大事なものを流してしまうことのないように、各所の排水箇所には汚水だけを通す『結界』を張っておくべきか。そうすれば害虫もわかないし、『結界』を通った汚水はそのまま浄化して匂いも出さない。素晴らしい。そして一か所に転送して、一定量給ったらまとめて消失魔法が掛かるように細工して……。


「なんかさっきからシロガネの手元がずっと点滅してるんだけど……」

「ちかちかします~」

「……ふぉぉぉお……! あんな複雑で高度な魔法をあんなに連続で!! 常人なら頭が爆発している……! メモメモ……」


 騒ぐ三人をしり目に、俺は屋敷内の構造を網羅する魔法も同時にかける。そして屋敷全体に自然修復魔法と状態固定魔法をかける。これで劣化せず、攻撃されてもビクともしない屋敷になった。核が撃ち込まれても屋敷の中に居れば何の影響も受けないはずだ。そして俺はこの家の命ともいえる『水核』を、結界で包み込んで、システムキッチンを配置する予定の場所に置いておく。


 よし。必要最低限の下準備は整った!!


 水が生み出せるならあとは早い。

 俺は台所の改築に本格的に取りかかった。

 前世で見慣れたあの機能美の塊。そう──システムキッチンだ。


 あれを完璧に再現するぞ。

 魔法を使って創造していこう。


 まず調理台。腰の高さに合わせた平らで広い作業台。水で濡れても傷まない素材で表面を整える。

 次にシンク。深さのある洗い場。蛇口と遠隔で『水核』をつないだ。これで動くはずだ。


「リナ、メイファ。ここを見ていろ」


 俺は蛇口のレバーを操作してみせた。

 レバーを上げれば水が出る。横に倒せば──湯に変わる。倒す角度で温度も調節できる。

 成功だ!


「湯と水が一つの蛇口から……レバーひとつで……?」


 リナが呆然としている。


 よし。次は火だ。

 『水核』の熱変動機能を媒介に、IHを作りだす。スイッチ一つでとろ火から強火まで自由自在。揚げ物をするときに大事な温度調節機能もつけて、と。

 おっと、忘れずに安全機能と気流魔法による換気の仕組みもつけないとな。煙や匂いを外へ逃がせるようにする。これもスイッチ式だ。音声で起動するようにしても良かったが、俺はともかくリナたちは混乱するだけだろうからな。


 そして便利な収納たち。鍋や皿をしまう棚。引き出し。すべて手の届く位置に配置する。

 食洗器は簡単だ。よく考えたら浄化魔法で代替できる。汚れたものを入れるとキレイになる棚を作っておけばいい。あれ――これ、同じ仕組みなら洗濯機もいらないのでは? まぁいい。それは後だ。


 次は冷蔵庫だ!

 これはぜひ作りたかった。

 完全な時間停止のアイテムボックスも作ろうと思えば作れるが、食材は熟成させることもある。

 冷蔵庫は便利なのだ。大きめがいいな。冷蔵庫が小さいと争いが起きる。この世界にも氷菓子はあるからな。アイスの取り合いは勘弁してもらいたいので、冷凍庫は大き目に作ろう。


 日本の電化製品を思い浮かべ――思う。

 魔法で冷やす機能はつけれるから、本来冷媒がある場所もすべて収納スペースにしてしまえばいいのでは?

 そうと決まれば――できた。かなり大きめの、デカ冷蔵・冷凍庫だ!!

 ほかのものもそうだが、俺が作る魔道具のようなものはすべて無からエネルギーを生成し、自分で動作するように作られている。超・エコ装置だ。


「これは冷蔵庫だ。中に食材を入れておけば腐りにくい。肉も野菜も長持ちする」

「わぁ! すっごい冷えそうで、お肉も野菜も、何なら氷菓子を入れられるすごく冷える場所もある! ――って、なによこれぇ!?」


 リナ。ノリツッコミ、ナイスだ。


 最後に全体を整える。動線を考え配置を調整し──完成だ。

 俺は一歩下がって出来上がった台所を眺めた。

 ……うむ。完璧だ。前世のシステムキッチンを見事に再現できた。水も湯も火も冷蔵もすべて揃った夢の台所。


「あぁ、このIHだが、この石板が熱くなって鍋を温めてくれるから、さっき作ったこのIH対応のフライパンや鍋で調理ができるぞ。熱さの程度はスイッチで切り替えられるようになっているからな」


「…………」


 ふと気づくと、メイファが台所の入り口で立ち尽くしていた。

 その大きな瞳が見開かれ、口元がわなわなと震えている。


「メイファ?」

「……すごい」


 メイファがぽつりと呟いた。

 そして──たたっ、と台所に駆け込んできた。


「すごいですっ! すごいですよシロガネさん!!」


 いつものおっとりとした口調がどこかへ消し飛んでいる。


「お水もお湯もレバーひとつで! 火加減も自由自在で! しかもこの冷たい箱! 食材が腐らないんですか!? こ、こんな台所見たことありません! 夢みたいですぅ!」


 メイファは目を輝かせて調理台を撫で蛇口を捻り、IHスイッチを押して熱があることを感じ──大興奮だった。


「あ、あの、シロガネさん! わたしここでお料理してもいいですか!? いいですよね!?」

「ああ! もちろんだ。むしろ頼む。俺は料理が得意な方ではないからな」

「やったぁ〜!!」


 メイファがぴょんと飛び跳ねた。

 その大きな二つのソレも合わせて跳ねる――いかんいかん。

 なぜか最近「そういう」ところに目が行きそうになる。ダメだ俺。ヒーローは紳士であれ。


 それにしても、メイファがこんなにはしゃぐとは。そういえば料理が好きと話していたか。料理人にとってこの台所はまさに夢の城なのだろう。

 喜んでもらえて何よりだ。作った甲斐があったというものだ。


「シロガネ……あんたほんとに規格外ね……」


 リナがげっそりした顔で呟いた。


「水を生み出して、火を操って、食材を腐らせない箱まで作って……これ、街のお金持ちでも絶対持ってないわよ……」

「快適な暮らしのためだ。当然だろう」

「当然じゃないわよ……」


───────


 台所の次は家中のインフラだ。

 俺はテンポよく改築を進めていった。

 家中のどこでも水が使えるようにする。もちろん、この屋敷にも浴室はあるが、一人用の猫足バスタブだ。どうやって用意するのかと聞けば、高価な魔道具が必要だという。

 ――まぁ、ここには女性陣も多い。大浴場は別で作るとしても、個室の浴室もあとで作りこんでおくか。とりあえず、洗い場や化粧品を一通り整えておくか。


 案の定、この素敵な入れ物はなにかと色々聞かれたが、それは後のお楽しみにしておけと言っておいた。女性の『美』に対する直感はこの世界でも強いらしい。


 まぁ個室の風呂は最低限で整えた。

 次は生活音を遮断する防音設備も大事だ。壁に音を通さない術式を刻む。これで多少騒いでも外には漏れない。……まあこれは後々派手なことをする時のための布石でもある。


 照明。魔石の明かりを各部屋に。スイッチひとつで点いたり消えたり。


 そして──ついに来た。トイレだ。


 俺はトイレの改築に特に力を入れた。

 水洗。用を足したら水で流す。清潔。そして──そう。あれだ。

 ボタンを押せば温水が出るアレ。

 前世で当たり前のように使っていた文明の極み。あれがない生活などもはや考えられん。

 俺は丹精込めてそれを作り上げた。

 こうして一文で表現するとパッと作ったように聞こえるが、それは大間違いだ。


 あのこだわりぬかれたフォルム、あの便器の完璧な形状は、前世を鮮明に思い出す魔法を作り出さなければ再現できなかったほどに苦戦した。


「……できた」


 俺は額の汗を拭った。

 完璧だ。座り心地もいい。水流も完璧。温水の温度も申し分ない。トイレットペーパーは大量に創り出して棚に収納する。まぁ、このペーパーにも浄化魔法が掛かっているので、ひと吹きすればきれいになるのだが、ウォシュレットのあの「キレイになってる」感はすさまじいからな。


「シロガネ? さっきからトイレにこもって、何してるのよ」


 リナが呆れ顔でやってきた。


「ちょうどいい。リナ使ってみろ」

「は? トイレを?」

「ああ。用を足したらそこのボタンを押すんだ。流すのはこっちな。拭くものはこれだ。ロールだからこうやって巻き取って使うんだ。わかるか?」

「すごい作りこみようね……ボタン? 仕方ないわね……って、トイレの前で待つとかしないでよ!?」

「大丈夫だ。離れている。終わったら声をかけてくれ」

「……それもそれで恥ずかしいんだけど……わかったわ」


 リナは訝しげにしかし言われた通りトイレに入った。

 ……少しして。


「きゃあああああっ!?」


 屋敷中にリナの悲鳴が響き渡った。

 ばたんと扉が開いてリナが飛び出してくる。顔が真っ赤だ。


「ななな何これ!? あったかい水が……っ!!」

「ふっ。それが温水洗浄だ。汚れたデリケートな場所を洗ってくれるものだ」

「洗うやつ!? なんでそんなもの作るのよ!?」

「清潔だろう」

「清潔とかそういう問題じゃ……っ! び、びっくりするでしょ!!」


 リナが涙目で抗議する。

 その後ろからメイファとエルネもやってきた。


「リナ様〜どうしたんですか〜?」

「……すごい悲鳴だった」

「め、メイファ、エルネ……あのトイレ気をつけて。なんか水が出るから……」

「水……?」


 メイファが首を傾げてトイレに入っていった。

 ……少しして。


「ひゃうっ!?」


 メイファの可愛らしい悲鳴。

 続いてエルネも無言でトイレに入り──


「…………」


 無言で出てきた。そしてペンを走らせる。


「……温水が的確に噴射される。角度も水温も計算されている。これも記録」

「そこはこだわったところだが……記録するな」


 俺は三人の反応に満足していた。

 うむ。文明の力は偉大だ。最初は驚いてもすぐにその快適さの虜になる。間違いない。


───────


 ひとしきり改築を終えた頃。

 玄関の扉が叩かれた。


「ごめんください。シロガネ様のお屋敷でございますか」


 扉を開けると二人の人物が立っていた。

 一人は白髪をきっちりと撫でつけた初老の男。執事服に身を包み、背筋はぴんと伸びている。

 穏やかな佇まいだが──ただ者ではないと一目で分かった。隙がまるでない。


 もう一人は若い女性だった。メイド服を着て栗色の髪を後ろでまとめている。整った顔立ち。だがその表情はどこか硬い。緊張しているのか。


「お初にお目にかかります」


 初老の男が恭しく頭を下げた。


「わたくし、セバスチャンと申します。ガルディウス様のご指示により、こちらのお屋敷の維持管理を任されました。白銀の影(シルバー・シャドウ)の末席に名を連ねる者にございます」

「ああ、聞いていた。世話になる」


 ガルディウスは屋敷の管理に、信頼できる者を向かわせるという話もしてきていたのだ。


「もっとも──歳が歳ゆえ、前線はとうに退いた身です。今はこうして、執事としてお役に立てればと思っております」


 ……いや。口ではそう言ってはいるが、この爺さん……とんでもなく強いな。

 立ち姿だけで分かる。前線を退いたと言うがその辺の騎士など束になっても敵うまい。

 白銀の影恐るべし。執事まで規格外か。


「そしてこちらは」


 セバスチャンが隣の女性を示した。


「孫娘のリーゼにございます。同じくこちらで、メイドとしてお仕えいたします」

「……リーゼです」


 リーゼと名乗った少女は深々と頭を下げた。

 その動きは洗練されていた。さすが一流のメイド──と思いきや。


「ほ、ほ、ほ、本日よりっ、シロガネ様にお仕えいたします! 誠心誠意、つ、務めさせていただ……いただきみゃっ……」


 ……噛んだ。

 思いっきり噛んだ。

 リーゼの顔が見る見る赤くなる。


「も、申し訳ございませんっ! わたしその……っ」

「おい落ち着け。そんなに緊張しなくていいぞ」

「で、ですがっ! シルバー・フィスト様に、いえ、組織の恩人であらせられるシロガネ様にお仕えするなど……光栄の極みです……!」


 リーゼはがちがちに緊張していた。

 ……ふむ。クールな見た目に反してずいぶんと初々しい。あるいは生真面目すぎるのか。

 まあ無理もない。俺は一応、組織の恩人ということになっているからな。気負っているのだろう。


「気楽にやってくれ。俺はそんな大層な人間じゃない」

「い、いえっ、そんな、滅相もございませんっ」


 リーゼがぶんぶん首を振った。

 その様子をリナたちが微笑ましそうに見ていた。


「ふふ……可愛い子ね」

「初々しいです〜」

「……新たな観察対象」

「エルネ。お前は対象を増やすな。見境ないのか……?」


 さて。せっかくだ。新しい住人にもこの文明的な屋敷を案内してやろう。

 俺はリーゼをまず台所へ連れて行った。これから彼女もここを使うことになるだろうからな。


「ここが台所だ。好きに使ってくれ」


 リーゼが台所に足を踏み入れる。

 その瞬間。


「……っ!?」


 彼女の足が止まった。

 クールな表情が崩れ目が見開かれていく。先ほどまでの緊張もどこかへ消し飛んでいた。


「こ、これは……っ」


 リーゼはふらふらと調理台に歩み寄り震える手で蛇口のレバーに触れた。水が出る。倒せば湯が出る。


「すごい……! 湯が……ひねるだけで出てくるなんて! しかもこの冷たい箱は……食材が腐らない……? 火加減も自在に……」


 リーゼの声が上ずっていた。


「な、なんという……これはもはや芸術です……っ。完璧に計算された動線。無駄のない配置。すべての機能が調和している……こ、こんな台所、見たことがありません……!」


 ……おお。さすがプロのメイド。この台所の価値が即座に分かるらしい。メイファとはまた違った専門家としての感動のしかただ。


「リーゼさん、これすごいですよね〜!」


 メイファが嬉しそうに駆け寄る。


「はいっ! こんな設備は王宮の厨房でもありえませんっ。シロガネ様は一体……」


 リーゼがきらきらした目で俺を見た。先ほどまでの緊張とは別の意味で頬が紅潮している。


「気に入ったなら何よりだ。存分に使ってくれ」

「はいっ! ありがとうございます!」


 台所ひとつでここまで喜んでもらえるとは。作った甲斐があったというものだ。


 こうして俺たちの拠点に新たに二人の住人が加わった訳だ。


 賑やかになってきた。


 ……だがこの夜。


 俺は知ることになる。


 リーゼの生真面目さがとんでもない方向に暴走することを。


───────


 その夜。


 俺は自室のベッドで一日の疲れを癒していた。


 改築は大成功だった。明日からはいよいよ本命の温泉づくりに取りかかれる。……すごく、楽しみだ。

 そんなことを考えていると。


 こんこん、と扉が叩かれた。


「シロガネ様。夜分に失礼いたします。リーゼです」

「ん? ああ開いているぞ」


 扉が静かに開いた。

 リーゼが入ってくる。


 ……ん?


 なんだその格好は。

 昼間のメイド服ではない。薄い寝間着のようなものを身につけている。肩が露わで──いや待て。

 リーゼはつかつかとベッドに近づいてくる。その顔は昼間の緊張とは打って変わって無表情。だが頬はほんのりと赤い。


「シロガネ様。本日よりお仕えするにあたり──『夜のお務め』も、誠心誠意務めさせていただきます」



「…………は?」



 夜の。

 お務め?


「ななな、なんの話だ!?」

「メイドとして主にお仕えするのがわたしの務め。であれば──夜のお相手も当然含まれます。どうぞご遠慮なく」


 リーゼがベッドに手をかけた。

 そして──寝間着の肩紐に指をかけするりと落とそうと──


「待て待て待て待て待てぇっ!!!!」


 俺は跳ね起きて全力で制止した。

 心臓が爆発しそうだ。


「何をしてんだ!?」

「何をと申されましても……夜のお務めを……」

「しなくていいよ! ホントにしなくていいから!!」

「……ご不満でしょうか。わたしでは力不足でしょうか」


 リーゼがしゅんと肩を落とす。


「い、いや、君に不満があるとかそういうことじゃない! 違う、違うんだ……っ!」


 俺は顔が燃えるように熱いのを感じた。


 ……まずい。これはまずい。

 前世でも女っ気の欠片もなかった俺だ。そんな俺の部屋に夜年頃の娘がしかも薄着で迫ってくるなど──心臓がもつわけがない! ええい、俺はチキンと呼ばれてもどうでもいい!

 こんな、なし崩し的に女性と関係を持つなど、ヒーローとは呼べない!!


 きっと! ちょっと惜しい気もするが、それは気のせいだ!

 俺はヒーロー、俺はヒーロー! クールでかっこいい 白銀の鉄槌、シルバー・フィストなんだ!!


 そこまで自分に言い聞かせて、ようやく口が回るようになった。あぶねぇ!!

 よく見たら、リーゼも緊張でガチガチじゃないか……。こりゃ、勢いで手を出してたら本当にヤバかったやつだ。


「あのなリーゼ。メイドの務めにそんなものは含まれていないぞ。少なくとも俺は――怖がっている君にそんなこと求めていない」

「ですが、お屋敷にお仕えする女中は主の夜のお相手も……と祖父から……」


「セバスチャぁぁぁぁぁあああンッ!! あのやろう!!」


 あの爺さん! 孫娘に何を教えているんだ!!


「いいかリーゼ。よく聞け。お前は立派なメイドだ。掃除も洗濯もきっと完璧にこなすだろう。だが──夜の務めなどしなくていい。お前はお前の仕事をまっとうしてくれればそれで十分だ」

「……よろしいのですか」

「ああ。それに……そのなんだ。そういうことはその……ちゃんと好いた相手とするべきだ。務めとかそういうことでするもんじゃないだろう?」


 俺は顔を赤くしながらしどろもどろにそう言った。

 ……我ながら何を言っているんだ。

 だがこれは本心だ。こんな清楚で生真面目な娘が、務めだからと見ず知らずの男に身を捧げるなどあっていいはずがない。

 リーゼはしばらくきょとんとしていた。

 そして──ふっとその表情が和らいだ。


「……シロガネ様はお優しいのですね」

「お優しいとかそういうのはいいから。とにかく寝間着を直して自分の部屋に……な?」

「……はい。失礼いたしました」


 リーゼは寝間着を整え丁寧に頭を下げた。

 扉のところで一度振り返る。


「シロガネ様」

「な、なんだ?」

「……明日からはメイドとしての務めに誠心誠意励みます。どうぞよろしくお願いいたします」


 その頬はまだ少し赤かったが──その目は昼間の緊張も先ほどの無表情も消えて。

 どこか晴れやかに見えた。


「……ああ。頼む」


 リーゼが退出し扉が閉まる。

 俺はベッドにばったりと倒れ込んだ。


 ……はぁ~~~。


 心臓がまだばくばくいっている。


 ……新生活初日からとんだ試練だった。


 明日、セバスチャンにはひとこと言ってやらねばなるまい。孫娘への教育を考え直せと。

 そんなことを思いながら──俺はその夜なかなか寝付けなかった。




なろう版はここまでです。

諸事情によりカクヨムに移行しました。

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