第十二話「捜査の始まり」
翌朝。
シロガネは宿で目を覚ました。
窓の外で、街がいつものように動き始めている。市場の声、行商人の呼び声、馬蹄の音。
——日常だ。だが昨夜はヒーローの仕事をした。……最高の夜だった。
シロガネはベッドから起き上がった。
身支度を整え宿を出た。
街の中央通りに出ると、すぐにそれが聞こえてきた。
「聞いたか!? 昨夜のシルバー・フィスト様の話!!」
シロガネは、串焼きの屋台に立ち寄った。
塩味の鶏肉を齧りながら、聞き耳を立てた。
「聞いた聞いた!! 誘拐犯を百人爆散させたって話だろ!?」
——いや、四人だ。
シロガネは内心でツッコミを入れた。
「百人どころじゃねえ!! 俺が聞いたのは馬車を十台一気に止めて、全員爆散だってよ!!」
——1台だ。1台。
「俺の従兄弟が隣の街道で見たって言ってたぜ!! シルバー・フィスト様が山の上から飛び降りて、馬車を空中で蹴り砕いたってよ!!」
——山なんてなかった。馬車も蹴ってない。
「いやそれだけじゃねえぞ!! シルバー・フィスト様の目から光線が出て、悪人を一掃したらしい!!」
——光線は、出ない。
——たぶん。
シロガネは内心で、慎重に否定した。
——あの兜は目の部分が光るだけだ。光線ではない。……今度やってみるか。
「もっとすげえ話聞いたぞ!! シルバー・フィスト様の翼には自分の意思があるらしい!! 戦いの時に、勝手に動いて敵を切り裂くんだとよ!!」
——翼は、自分の意思では動かない。俺の魔力で動いている。
「シルバー・フィスト様って本当に人間なのか? 身長五メートルって聞いたぞ」
——二メートル五十だ。倍も盛るな。
「いや、七メートルだって俺は聞いたぞ」
——もう止めろ。
「うちの婆ちゃんが言うには、月夜にしか現れないらしい」
——昼間も変身できる。前にやった。
「シルバー・フィスト様は、敵の罪を目で見ただけで判断できるらしいぞ!!」
——尋問しなきゃわからないことだ。今回は状況証拠でクロだと判断した。
「シルバー・フィスト様は、夜が明けるまでに百人の子供を救出したって!!」
——六人だ。六人。百人の子供が攫われていたら、それはそれで大問題だ。
「実は、シルバー・フィスト様は神様の使いって話もあるぞ。光と一緒に現れて、悪を裁くのは、神の使徒の証だってよ」
シロガネは、ここで初めて、咳き込みそうになった。
——神様の、使い。いや、神様にはお願いして転生させてもらった立場だ。使い、ではない。……いや、見方によっては、神様から能力をもらっているから、使いと言えなくもないか? いや違う、これは無理矢理だ。
シロガネは内心で頭を振った。
盛られすぎだ。
だが——
シロガネはそっと、頬を緩めた。
——むしろ、いい。伝説は、こうやって、できていくものだ。
「シルバー・フィスト様!! ばんざーい!!」
「ばんざーい!!」
街の人々の歓声を聞きながら、シロガネは口元の緩みを必死で抑えた。
——危ない、危ない。人前で、笑いそうになった。
シロガネは咳払いをして、串焼きを齧り終えた。
そして、ギルドへ向かった。
ギルドに入ると、いつものようにサラがにこやかに迎えた。
「シロガネ様、おはようございます」
「ああ」
「今日も、塩漬け依頼ですか?」
「ああ」
「掲示板、見てください。今日もFランクの依頼、いくつかあります」
シロガネは掲示板に向かった。
その時、ギルドの扉が開いた。
リナ、メイファ、エルネが入ってきた。
リナは、いつもより少し真剣な顔をしていた。
「サラ」
リナがまっすぐカウンターに歩み寄った。
「誘拐組織の捜査依頼を、正式に受けたいわ」
サラの目が見開かれた。
「リ、リナ様!? まだ赤狼団の件で怪我から——」
「もう動ける」
リナは即答し、続けた。
「直接戦うわけじゃない。情報を集めるだけ。それなら、あたしたちにもできるわ。シルバー・フィストが、昨夜、誘拐犯の一団を潰した。組織のことも、いくつか分かっている。あたしたちは、その情報を辿る形で、捜査をしたいの」
サラがしばらく考えてから、頷いた。
「……承知しました。書類を準備します」
リナは、書類を待つ間、シロガネに気づいた。
「あら、シロガネ」
「ああ」
シロガネは振り向かずに答えた。
リナはシロガネの隣に来た。
「相変わらず、Fランク?」
「ああ」
「あたしたちは、誘拐組織の依頼を受けるところよ」
「……そうか」
シロガネは、少し間を置いて答えた。
俺はただのFランク冒険者だ。
組織のことには、興味のないふりをする。
「シルバー・フィストの話、聞いた?」
リナがさらりと聞いた。
シロガネは静かに頷いた。
「街で、噂になっている」
「ね、すごいわよね。あの方」
リナの声が、少し柔らかくなった。
「悪を、ただ砕くだけじゃない。誰を生かして、誰を殺すか、ちゃんと判断してる。あんなヒーロー、聞いたことないわ」
シロガネは、内心で身震いした。
いかんな。表情に出すな。
シロガネは無表情を保った。
「そうか」
「あんた、興味ないの?」
リナがじっとシロガネを見た。
「街中の人が話してるのに、あんただけ反応薄いわよ」
シロガネは少し考えた。
——どう答える。
興味あるふりをすれば、リナが何か聞いてくる。
興味ないふりをすれば、それも怪しい。
——あいまいに流すか。
「すごい人だ、と思う」
シロガネは慎重に答えた。
「だが、俺には関係ない」
「関係ない?」
リナが眉を上げた。
「あんた、街で人が困ってたら助けに行く男よね? それなのに、誘拐された子供たちのことには関係ないっていうの?」
シロガネは答えに詰まった。
——確かに、矛盾するな。
リナの観察眼は鋭いな。
シロガネは少し、慎重に言葉を選んだ。
「俺はFランクだ。Fランクができることは限られている」
「……そう」
リナは、それ以上、追及しなかった。
ただ、じっとシロガネを見ていた。
メイファが、おっとりとリナの袖を引っ張った。
「リナ様〜、書類できたみたいですよ〜」
「ああ、そうね」
リナはサラの方を向いた。
そして、書類にサインをして、それを受け取った。
「行くわよ、二人とも」
リナはメイファとエルネを連れて、扉に向かった。
その時、リナは振り返って、シロガネに声をかけた。
「シロガネ」
「ああ」
「もし何か気づいたことがあったら、教えて」
「気づいたこと?」
「街で、誘拐に関係ありそうな話。怪しい人。怪しい馬車。なんでもいい」
リナの目が、まっすぐシロガネを見た。
「あんたは街中を歩き回ってる。塩漬け依頼でいろんな人と話してる。あたしたちが知らないことも、知ってるかもしれない」
シロガネは少し考えた。
——情報源として認識されたか。まあ、悪いことではない。
シロガネは静かに頷いた。
「気づいたら、伝える」
「ええ。よろしくね」
リナは、ふっと笑った。
そしてギルドを出ていった。
シロガネはリナの背中を見送った。
——あの女、本当になかなかだな。
俺の動きを自然に把握しようとしている。
——だが、利用できるなら利用させてもらおう。
シロガネは内心でそう思った。
そして掲示板に向かった。
その日もシロガネは塩漬け依頼を順番にこなした。
ジェナさんの庭の手入れ。ベルトル商会の荷物運び。
そして、孤児院に着いた時——
ティムとレイが、いつもの三倍の勢いで、シロガネに飛びついてきた。
「シロガネおにいちゃん!! 聞いた!? 聞いた!?」
「シロガネ、にいちゃん……!」
ティムの目が、輝きすぎていた。レイも、いつもより興奮していた。
「何があった」
シロガネは少しだけ屈んで聞いた。
「シルバー・フィスト様が!! 昨日の夜!! 子供たちを救ったんだ!!」
「俺その話聞いたんだ!! 救われた子供の一人がこの街に住んでて、シルバー・フィスト様の話を街中の子供にしてくれたんだ!!」
「すげえんだよシロガネおにいちゃん!! 名乗りも変身も、すごくすごくかっこよかったんだって!!」
「『俺は悪を砕く白銀の鉄槌!!』って、言ったんだって!!」
「シロガネ兄ちゃんの話してくれた『変身ヒーロー』そのものだよね!!」
シロガネは、内心で身震いした。
——まずいな話しすぎたか? いや、気付くわけがないか。
それにしても——俺の名乗りが子供たちを通じて、街中の子供に広がっている。
シロガネは、表面では落ち着いた様子で、ティムの頭に手を置いた。
「そうか」
「シロガネおにいちゃんも聞いた!?」
「街で噂になっているからな」
「すげえよなあ!! 俺、シルバー・フィスト様みたいになりたい!!」
ティムが目を輝かせた。
レイはシロガネの服の裾を握った。
「シロガネ、にいちゃん」
「ああ」
「シルバー・フィスト様って……ほんとうに、いるの?」
レイの目が不安そうに揺れた。
シロガネはレイの前に膝をついた。
そして低い声で、はっきりと答えた。
「いる」
「ほんと?」
「ほんとうだ」
シロガネはレイの目をまっすぐ見た。
「シルバー・フィストは、どこかに、必ずいる。子供を傷つけようとする悪が現れたら、必ず、現れる」
レイの目が、潤んだ。
「……シロガネにいちゃんが、そう言うなら、ほんとうだ」
シロガネはレイの頭を撫でた。
そして、内心で静かに頷いていた。
——大丈夫だ、レイ。ピンチの時にはお前の前にも現れる。
ティムがシロガネの隣にぴったりと座った。
「シロガネおにいちゃん、今日もヒーローのお話して!」
「いいぞ」
シロガネは芝生に座った。
子供たちがシロガネの周りに集まってきた。
そして、シロガネはまた、いつものようにヒーローの話を始めた。
――――――――
その夜。
シロガネは、また、街道沿いの森に潜伏していた。
夜目を凝らして、街道を見渡す。
——昨日と同じ場所だ。
組織が、また馬車を出してくる可能性は低いが——
念のため、見ておく。
シロガネは、枝の上で動かなかった。
数時間が過ぎた。
何も来なかった。
シロガネは静かに移動した。別の街道の見回りに切り替える。
街道を変えてしばらく歩いた頃。
別の馬車が見えた。
護衛が三人。御者が一人。馬車の中に、子供の気配。
——いた。
シロガネは、また、街道に立った。
問答もそこそこに、変身した。
「シルバー・ビィィィィッッッンム!!」
護衛の三人と御者を瞬殺した。子供たちを七人救出した。
今回は——リーダー格らしき男がいなかった。末端の四人組だった。
情報はもう手に入っている。
——今回は、全員爆散させてもいいか。
いや、待て。証拠が必要だ。一人だけ生かそう。
シロガネは御者を生きたまま縛った。
そして、子供たちを街まで送った。
街道に肉片を残してシロガネは森に消えた。
翌朝。
街はまた、シルバー・フィストの話で持ちきりだった。
二日連続の活躍。
「シルバー・フィスト様すげえ……!」
「子供たちをまた救ったらしいぞ!!」
「今回は二百人爆散させたらしいぜ!!」
三人だ。一人は捕まえた。
「子供を千人救出したらしい!!」
七人だ。
「シルバー・フィスト様はもしや伝説の英霊が降臨してるんじゃ……?」
転生者だ。違う。
「俺は目からビームを出して大穴を作ったって聞いたぞ!」
ビームはノリでやったら目から出た。穴が空いたのは賊の腹だ。
シロガネは串焼きを齧りながら静かに歩いていた。
口元には、ほんの僅かな笑みが浮かんでいた。
いい流れだ。だが、組織はまだ動きを止めていない。
末端を潰してもまた別の末端が動く。
——大元を、叩かなければ。
シロガネはギルドに向かった。
塩漬け依頼を選ぼうと掲示板に近づいた。
その時——
「シロガネ」
声が、かけられた。
リナだった。
メイファとエルネはいなかった。
リナが一人で、シロガネに歩み寄ってきた。
「ちょっと、話せる?」
リナの声はいつもより低く真剣だった。
シロガネは少し内心で構えた。
——何の話だ。
「ああ」
「ギルドの外に、出ましょ」
リナは、シロガネを促した。
シロガネはリナに従ってギルドを出た。
街の片隅、人の少ない路地。
リナはシロガネに向き直った。
「そんなに構えないでよ。聞きたいことがあるだけ」
リナの目がまっすぐシロガネを見た。
シロガネは内心でさらに身構えた。
——まずいか? 正体がバレたか?
「なんだ」
シロガネは慎重に答えた。
リナは、しばらく黙った。
そして、口を開いた。
「昨夜のシルバー・フィスト様について、何か知ってる?」
シロガネは、少し息を吐いた。
——直接的な質問ではない。ただ、情報を集めているだけか。警戒しすぎているな。
シロガネは慎重に答えた。
「街で、噂を聞いただけだ」
「他には?」
「他には、何もない」
「ふうん」
リナは、シロガネをじっと見ていた。
「あんた、この街に来てから、ずっと塩漬け依頼をやってるわよね?」
「ああ」
「街中を、歩き回ってる」
「ああ」
「いろんな人と、話してる」
「ああ」
「だったら——」
リナは、目を細めた。
「シルバー・フィスト様の正体について、何か手がかり、聞いたことない?」
シロガネは少し考えた。
直接的な質問だ。焦るな。落ち着いて答えろ。
「噂しか、聞いていない」
「噂、ね」
リナはシロガネを見た。
「あの方、不思議よね。誰も正体を知らない。でも、街中で、誰もが知ってる」
リナは、ふっと笑った。
「あんたは、どう思う? あの方、誰だと思う?」
シロガネは、少し考えた。
そして、慎重に答えた。
「……俺には、わからない」
「ふうん」
リナは、ふっと笑った。
それから、ふと、シロガネを見上げた。
「ねえ、シロガネ」
「ああ」
「あたし、最近、あんたのこと、ちょっとだけ、見直したわ」
シロガネは、内心で身震いした。
——何だと?
「あんたは、変な男よ。最初は背が高すぎて怖い印象もあったけど、Fランクで塩漬け依頼ばっかりやってるんだもの。お婆さんに茶を出されて、長い話を聞いて、孤児院の子供たちにヒーローの話をして」
リナの目が、少しだけ、柔らかくなった。
「そういう男って、あんまり、いないわ」
「……そうか」
シロガネは慎重に答えた。
「だから、ね」
リナは、シロガネをまっすぐ見た。
「もし、何か、シルバー・フィスト様について気づいたことがあったら、あたしに教えて。あたし、あの方に、お礼が言いたいの」
「お礼?」
「ええ。廃村で、助けてもらった。あたしも、メイファも、エルネも。みんな、あの方のおかげで、生きてる」
リナの声が、少し震えた。
「でも、あの場では、何も言えなかった。声も出なかった。だから、もう一度、お会いして、ちゃんと『ありがとう』を伝えたいの」
シロガネは、しばらく黙った。
リナは、シルバー・フィストにお礼を言いたい。
それだけ、なのか。
他に、目的はないのか。
シロガネはリナの目を見た。
リナの目はまっすぐで、嘘はなかった。
ただ純粋に、お礼を言いたいだけの目だった。
シロガネは少しだけ、心が動いた。
――目の前にいるのがシルバー・フィスト本人だと、リナは知らない。リナのお礼は俺に向けられているのに、リナはそれを知らない。
シロガネは、内心で少しだけ不思議な気持ちになった。
目の前で、リナが直接、シルバー・フィストへのお礼を言いたいと言っている。
シロガネは慎重に答えた。
「気づいたら、伝える」
「……ありがとう、シロガネ」
リナは、ふっと笑った。
それから、踵を返した。
「じゃあ、また」
「ああ」
リナはメイファとエルネのところに戻っていった。
シロガネはリナの背中を見送った。
リナの背中が街の角に消えるまで、見送った。
そして、ふっと息を吐いた。
——なんだ、この、奇妙な気持ちは。リナはシルバー・フィストにお礼が言いたいだけだ。なのに、なぜ、俺は……一体何を感じているんだ?
シロガネは自分の胸に手を置いた。
そこに何か温かいものがあった。
四十二年間、感じたことのない、温かさだった。
シロガネは、首を振った。
——余計なことを考えるな。ヒーローの仕事に集中しろ。『黒の影』を潰すこと。それが俺の、今すべき仕事だ。
シロガネは、ギルドに向かって、歩き出した。
その夜。
シロガネはまた街道に出た。
組織をまた一つ潰すために。
シロガネの胸にいつもの「ヒーローへの興奮」だけではない、何か別の感情が、静かに灯り始めていた。




