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第十四話 迷いは深き執行業務

「次の執行対象者は広川成美、32歳、女、現場は船橋市松が丘だ。」

 いつもの様に河上班長が簡単に説明しながら資料を配る。今回の現場までは、都心を横断して行く形になるので、移動だけで2時間半ばかりかかる。女性の対象者は比較的少ないが、資料の写真を見るといかにもふてぶてしそうで、何か企んでいそうに見える顔だ。

「今回の執行役は神坂、サポート役は仲村だ。」

 すかさず仲村が口を挟む。

「前回は神坂が執行したから、今回は俺じゃないんですか。」

 そんな仲村を河上班長がじろりと睨む。

「前回の執行役はお前だっただろうが。神坂はあくまでサポートしただけだ。だから今回は、お前はサポート役だ。」

「ちぇっ、サポート役って言っても、止めを刺したのは神坂なのに……。」

 仲村はぶつぶつ言うが、さすがに前回厳しく叱責されたのが堪えているのか、それほど強くは要求してこない。まあ、神坂としては、別になるべくたくさん執行したいと思っているわけでもなければ、執行の数を重ねた方が偉いと思っているわけでもないので、仲村に譲っても構わないのだが、でも河上班長の指示なのだから否やはない。

「行くぞ。」

「はい。」

 手早く支度をして出動だ。


 現場は船橋市東部の、かつては広大な軍の演習場が広がっていた地域の一角で、現在は一面住宅地が広がっている。目指す建物はコンクリート造りの3階建てアパートで、かなり古い作りの建物だ。その3階に、目指す執行対象者の部屋がある。

「行け。」

 河上班長の指示を受けて仲村が少し錆の浮いた戸を開けると、神坂は素早く部屋に滑り込む。


 部屋の中はさして広くもなく、玄関から踏み込むと特に遮るものもなく奥の部屋まで見通せるようになっていて、奥の部屋に執行対象者が座っているのが見えた。するすると踏み込んで行くと、気配を察したのか執行対象者が振り返る。資料の写真で見たのとはずいぶん印象が違う。まだ30代はじめということだったが、ずいぶん生活に疲れている風で、もっとだいぶ年配に見える。資料の写真ではふてぶてしそうに見えたが、実物を見ると、やつれた風が目立つ普通の主婦にしか見えず、ちょっとこれから凶悪犯罪に走ろうとしているような印象は受けない。しかしそんな印象に関係なく職務は執行しなければならない。神坂は執行対象者に銃口を向ける。

「広川成美だな。」

 驚愕のあまり顔をひきつらせた執行対象者は、いきなり額を床にこすり付ける。

「勘弁してください、見逃してください。」

 予想もしなかった突然の反応に、神坂は一瞬ひるんで動きが止まる。その一瞬を突いて攻め込んでくるように、執行対象者はさらに訴えかけてくる。

「お願いです。まだ幼い子供がいるんです。私が死んだら誰も子供の面倒を見る人がいなくなるんです。後生ですから幼子のために助けてください。」

 顔を上げた執行対象者の目尻には涙が滲み、すがるような目つきで必死に哀願して来る。


 神坂は激しく迷わずにはいられない。これまでの執行対象者の反応と言えば、憎々しげな視線を向けてくるか、ただ驚いたり逃げようとしたりする程度で、このような反応を見せた者はいなかった。そのことに対する戸惑いもさることながら、本当に強制処分を執行してしまって良いのかという迷いが大きい。本人は確かに凶悪犯罪を計画していて、とにかく強制的に止めさせなければならないとしても、その子供には何の罪もない。何の罪もない子供を天涯孤独の身にしてしまって良いものなのか、これまでに受けてきた長い教育訓練の中でも、そんなことは教わったことがない。一体どう対処すれば良いのかと思うが、強制処分は速やかに執行して直ちに撤収しなければならないのだから、ここで迷っている時間はない。執行が長引けば騒ぎになる恐れだってある。神坂に焦燥感が募る。


 ダン!

 すぐ横で銃声が響いた。つい今しがたまで哀願を続けていた執行対象者が仰向けにのけぞって倒れる。倒れた床に血溜りが広がり、かっと見開いた目から、みるみる生気が失われていく。これで執行対象者が言っていた幼子は天涯孤独の身となった。何の罪もない幼子を襲った酷薄な運命と、それを引き起こした自分たちの行いに神坂は胸が詰まる。


 そんな神坂の感傷など一顧だにしないような、仲村の声が冷たく響く。

「執行完了、撤収するぞ。」

 確かに仲村の行動は正しい。それが自分たちの任務なのだから、そうするのが当然であり、またそれが職務上の義務でもある。だから苦情を言えた義理ではないのだけれど、何の事情も考慮せずに、ただ令状に従って冷酷に処分を執行するだけでいいのだろうか。間違って執行した場合、処分の内容が内容なだけに取り返しがつかない。引き上げる仲村の後に続きながら、神坂の頭の中を、何かまとまりのないものがぐるぐる回っている。


 事務所に帰ると、すぐに河上班長に呼び止められた。

「神坂。」

「はい。」

 河上班長の表情は硬い。これは、やはり叱られるのだろうと、神坂は神妙な面持ちで河上班長と向き合う。

「どうして引き金を引かなかった。」

「はい、ええと、それは……。」

 つい口ごもる神坂に、河上班長は畳み掛けるように問い詰めてくる。

「どうして引き金を引かなかったのかと聞いているんだ。答えろ。」

「はい、執行対象者に幼い子供がいるので子供のために見逃して欲しいと言われて、執行対象者を強制処分するのは仕方ないとしても、子供は何の罪もないのに天涯孤独にしてしまっていいものかと躊躇われて……。」

 事情を説明する神坂だが、河上班長はあくまで冷徹で職務に忠実だ。

「そんなことは関係ない。いいか、俺たちは与えられた職務を粛々と執行する、それだけでいいんだ。余計なことは考えるな。」

「はい、でも……。」

「できないというのなら辞めろ。それだけだ。」

「はい……、わかりました。」

 わかりましたと言ったものの、そう簡単に割り切れるものでもない。確かに職務と言われると反論のしようもないし、そういう仕事なのだから、嫌なら辞めろと言われるのも仕方ないのかもしれない。個人の感情を持ち込んではいけない仕事なのだとも思う。でも、だからと言って考えるなはないんじゃないか。何も考えずにただ言われたとおりに動くだけだったら、ただの機械と一緒じゃないか。神坂の胸に釈然としないものが残る。


 事務室に戻ると、仲村が上機嫌の態で話しかけてくる。前回執行に失敗し神坂に止めを刺された借りを、今回返したということで機嫌が良いのだろう。そのあたりは、単純と言えば単純だ。ふと、仲村だって執行対象者の声は聞こえていたのだろうから、引き金を引くことに迷いはなかったのだろうかと思う。

「おいどうした、元気がないんじゃないか?」

「うん、今日のことで班長から叱られた。」

 答えながら、いつも突っかかってくる仲村が、珍しく自分を心配するように声をかけてきたことが、なんだか可笑しい。仲村にもこういう面があったのかと、ちょっと見直した。

「そうか。俺もこの前は班長に叱られたし、そんなに気に病むこともないんじゃないか。」

「うん、そうだね。そういえば仲村君は、八つ当たりしてたっけ。」

「いやそれは班長に叱られる前までだろう? その後は結構殊勝にしてたと思わないか?」

「ああ、そういえばそうだったかな。」

 そういえば仲村とはいつもつまらないことでやり合ってばかりで、あまりこうして普通に話したことはなかった。話してみればこれまで抱いていた印象と違って別段殊更に反目するようなこともなく、そんなに嫌な奴というばかりでもないようだ。


「そういえば……。」

 不意に仲村が話を変える。

「課長が呼んでたぞ。戻ってきたら来るようにって。」

「えー、そんな大事なことは早く言ってよ。」

 肝心の業務指示を伝えるのを忘れるとか、しょうがない奴だと思う。でも、どうせ行っても課長にも叱られるだけだろうから、あまり気は進まない。仲村の無駄口のおかげで、少しでも叱られるのを遅らせられて良かったかもとも思う。まあ、どっちにしても叱られるのに変わりはないのだが。


「失礼します。」

 多少気後れしながら、神坂は佐久間課長の部屋を訪ねる。仕方がないこととはいえ、叱られるのは気が重い。

「お呼びと聞きました。」

 佐久間課長はいつも通りの穏やかな風だ。そんなに厳しく叱られないで済むかもしれないと、淡い期待を抱く。

「引き金を引くのを躊躇したそうですね。何かありましたか?」

 同じ説明を繰り返すのも気が重いが、神坂は、罪のない幼子のことを思って、引き金を引いて良いのかどうか迷ったことを説明する。

「そうですか。では聞きますが、執行を躊躇っている間に執行対象者が幼い子供の母親を殺害したとしたらどう思いますか。」

 話し方は穏やかだが、なかなか厳しい問いかけだ。これは神坂に対する、考えが浅いという叱責に他ならないだろう。口ごもりながらも、佐久間課長の言いたいことを肯定するしかない。

「はい、確かに考えが浅かったと思います。何の罪もない人が犯罪に巻き込まれて、その子供が不幸に陥るくらいなら、例え執行対象者の子供が不幸になったとしても、ちゃんと執行した方が良かったと思います。」

 確かにあの瞬間には、そこまで考えを巡らすことはできていなかったと思う。そういう意味では、あの場での逡巡はやはり間違っていたのだろう。では、もしあの場でそれに気付いていたら、迷うことなく引き金を引けていたのだろうか。それが正しかったとしても、それだけで割り切れるものでもないようにも思う。神坂の迷いは深い。


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