第十三話 油断と動揺と
執行課第3班は新人の訓練のための部署だが、既に訓練も最終段階の実地訓練が重ねられるようになっている。こうなるとやっていることは正規の実働部隊である第1班、第2班とさして変わらない。令状が出て、それが3班に回ってくると、速やかに出動して執行対象者に対して強制処分を執行してくることの繰り返しだ。令状が出るのを待っている間は、基礎体力や格闘技の訓練、そして射撃や突入の訓練を繰り返す日々が続く。実働部隊との違いと言えば、関東近郊の日帰り圏の事案のみが対象になっていることと、班のメンバーだけで出動することはなく必ず班長が同行することくらいだ。
やっていることがやっていることなだけに、似たような任務の繰り返しであっても仕事の単調さに飽きが出てくるということにはならないが、それでも慣れから来る油断が心配される時分だ。それを体現するように、仲村が調子に乗って言う。
「もうすっかり慣れたな。もうどんな凶悪犯だって一発で仕留められるぜ。」
なかなか突っ込みどころ満載だ。一応ペアなのだから、神坂としては調子に乗ってミスされても困るので釘を刺しておく。
「何調子に乗ってるの。一回一回現場も対象者も違うんだし、何が起こるかわからないんだから、慣れたなんて思って油断しちゃ駄目でしょう。」
しかし、仲村はそんな心配をまるで気にしない。
「そんなに心配することもないさ。女は無駄に余計な心配するからな。これまで訓練を重ねて、実践の場数も踏んできてるんだから、どんな現場だってこなせるさ。」
「何よ、女って。関係ないでしょう? それに、対象者は既犯者ではあるけれど、もう刑期を終えて出所しているんだから、凶悪犯って言い方はしちゃ駄目でしょう?」
「何を細かいことをぐちぐちと言ってんだ。意味は通じてるんだからいいだろう。そういう細かいことばっかり言ってるから、だから女は、って言われるんだよ。」
「いやいや細かくないし。立派な人権侵害でしょ。」
「別に人権侵害とか言いたてるほどのものじゃないだろう。どうせ殺処分っていう究極の人権侵害をやってるんだから。」
自分の仕事を人権侵害と言ってしまうとか、神坂は開いた口が塞がらない。はなから言うことをまともに聞く気はないようだ。折角ミスしないように言ってあげているのに、言っても聞かない上に、一々癇に障ることを言ってくるのではちょっと手の施しようもない。癇に障ることがあってもうまく受け流そうとは思うが、なかなか難しいことだ。まあ、仲村がミスしても、自分がサポートしてやればよいのだと思うことにしよう。
そうこうするうち班長がやってきた。しばらく間隔が開いたから気が逸るのか、仲村は身を乗り出すようにして自分をアピールする。
「はい、はい、今度の執行役は俺ですよね。」
神坂はそんな反応に眉をひそめるが、河上班長はさすがだ、眉一つ動かさない。
「一々騒ぐな。同じ人間に続けて執行役はさせないのが原則だから、そんなに騒がなくても今回はお前だ。」
そう言うと机の上に資料をばさりと広げる。
「今回の現場は町田市成瀬だ。執行対象者は新嶋源三、男、61歳だ。」
61歳と言えば普通の会社員ならもう定年退職している年齢だ。そんな歳にもなって凶悪な犯行に走ろうとするなど、一体何を考えているのか皆目見当がつかない。
「61にもなって何を考えているのか……。」
そう言いながら資料の写真を見ると、意外にも60過ぎには見えないような精悍な印象だ。少なくとも楽隠居になりそうな印象は微塵も感じられない。そんなことを思いながら資料を見ていると、河上班長から声がかかる。
「行くぞ。」
声をかけられて顔を上げれば、もう仲村は事務室を出て行くところだ。神坂も慌てて資料をまとめて後を追う。
現場は東京の一部が神奈川に向かって割り込むようになっている地域で、都県境がすぐ近い。あたりは普通の民家が並んでいる、新興住宅地と言ったところだ。高層の建物は少なく、比較的落ち着いた街並みだ。近くを私鉄の線路が通っており、都心に通勤している人が多いせいだろうか、平日の昼間である今はしんと静まり返っている。そんな一角に目指すアパートはあった。装飾の乏しい簡素な造りのアパートだ。
「よし、執行対象者は在室だ。かかれ。」
河上班長の号令とともに、神坂が素早く戸を開ける。それを待ちかねたように、仲村が室内に踏み込んで行く。神坂も拳銃を抜くと後に続く。室内はドアなどで仕切られていないため、踏み込むとすぐに奥にいた執行対象者が見えた。
「新嶋源三だな。」
仲村が確認しながら執行対象者に拳銃を向ける。
「強制処分を執行する。」
仲村がそう宣告するのと同時に、執行対象者が叫ぶ。
「げえっ!」
間髪を入れずに仲村が引き金を引いた。だが、それと同時に執行対象者が飛び退く。眉間を狙ったはずの銃弾は、執行対象者が飛び退いたために狙いが外れ、首筋を引き裂いた。
ぶしゅっと音が聞こえるように、銃弾が命中した首筋から血潮が飛散する。ばばっと音を立てて、飛び散った血液で壁や天井が紅に染まる。
「ぎゃあっ!」
執行対象者は悲鳴を上げながら、ごろごろと床を転がる。転がるたび、ぱっ、ぱっと血が飛び散って、部屋中至る所が血に染まる。
「畜生、おとなしくしろ!」
叫びながら仲村が2発目を発砲する。しかしのたうちまわる執行対象者に狙いが定まらず、今度は背中側から左の脇腹をかすめるように命中した。これも致命傷にはならず、さらに血が噴き出して、室内はもう目も当てられない惨状だ。執行対象者から吹き出した血は所構わず飛び散って仲村も襲う。ズボンの裾、上着の左腕、更には顔面にまで血が飛び散る。一歩引いて後ろに立つ神坂の所にも飛んでくる。あっと思ってかわしたが、かわし切れずに2、3滴の赤い染みがじわりと滲む。
「くそっ、これでもか!」
仲村が3発目を発砲する。しかし動揺したのか狙いが定まらない。銃弾は執行対象者にかすりもせず、奥の壁を貫通して小さな穴をあける。
神坂ははっとする。銃弾が壁を貫通すると、下手をしたら隣の部屋の無関係な住人に被害を及ぼしてしまう恐れもある。
「仲村君! 壁を撃っちゃダメ。」
「うるせい、壁なんか撃っちゃいねえ!」
動揺が激しい仲村は、壁を貫通したことに気付いていないのか、それとも隣の部屋に人がいるかも知れないことなど考えもしないのか、続いて銃撃しようと銃口を向ける。しかし、激しい動揺からか、傍目からもわかるほどに銃口が浮いている。このまま撃たせれば、また壁を撃ち抜いて隣室を銃撃しかねない。そう思った瞬間、神坂は引き金を引く。銃弾は確実に心臓を貫通し、転がり回っていた執行対象者はふいに動きを停めた。細かく痙攣する体からは、血液が脈打ちながら湧き出して、真紅の染みが広がっていく。
仲村は拳銃を構えた姿勢のままで、既にこと切れた執行対象者を睨み付けるようにして固まっている。強制処分の執行に失敗したことが悔しいのかもしれないが、既に仕事は終わったのだから、速やかに撤収しなければならない。
「仲村君、撤収するよ。」
神坂が声をかけると、仲村は睨み付けるような表情のまま振り返る。まるで神坂を睨むような形だが、その表情にかすかに怯えるような色も見える。危うく失敗するところだったことで、動揺しているのが表れているのかもしれない。
「お、おう。」
仲村は硬い表情のままで答えると、ようやく拳銃を下ろして動き出す。表情が少し緩んだ。興奮と動揺で顔が引きつっていただけで、別に神坂を睨むつもりはなかったようだ。
事務所に帰る道中では黙り込んでいた仲村だが、黙り込んでいるうちに動揺が収まってきて、動揺が収まってみると自分が担当だった今回の執行対象者を神坂に執行されたのが悔しくなってきたのだろうか、事務所に帰った途端、猛然と神坂に食って掛かってくる。
「おい、何だって勝手に手を出したりしたんだよ。今日の執行役は俺だぞ。お前はサポート役だっただろ。」
そんなことを言われても、と神坂は思う。
「だってサポート役だよ。仲村君が苦戦してたからサポートしただけじゃない。別に文句を言われるようなことはしてないよ。」
しかし、もちろんそんなことでは仲村は収まりはしない。
「文句おおありだぞ。何が苦戦だよ。もう少しで仕留められるところだったのに、勝手に手を出して、人の獲物を横取りしやがって。」
「横取りなんかしてないよ。それに、獲物なんて言い方しちゃ駄目だよ。」
「横取りじゃないか。人がちょっと外した隙を突いて横から割り込んでさらって行ったんだろう。汚いことしやがって。」
「汚いって、何よ、その言い方。仲村君が外してたから手助けしたんでしょう。」
「外してたって何だよ。急所は捉え損ねたけど、外してなんかいないだろ。」
「いやいや、3発目はかすりもしてなかったよ。」
「畜生、たまたま外れただけで鬼の首を取ったようなこと言いやがって。1発外れたくらいで一々手なんか出すなよ。まったく、横取りするだけじゃ飽き足らなくて、俺のこと貶しにかかるのかよ。一々汚い奴だな。」
もう仲村は興奮状態で、何を言っても突っかかってくる。むしろ、言えば言うほど激昂してくるようだ。
そもそもの発端はサポート役の神坂が執行対象者を撃ったことにあるのだが、仲村の場合はそれこそ自分の手柄を横取りされたように思って文句を言っているのかもしれないにせよ、複数の人間が同時に射撃するのは危険を伴う可能性もあるから、そういう意味では文句を言われても仕方ない面もあるかもしれない。自分はどうして撃ったんだったかと思い返してみて気付いた。
「あのさあ、外れた弾が壁に当たったの気付いてた?」
「え?」
「壁を貫通して、隣の部屋に人がいたら危害を及ぼす危険があると思ったから私が撃ったんだよ。それわかってる?」
「……。」
仲村もさすがに状況がわかったようで言葉に詰まる。凶悪犯罪の被害者を出さないための強制処分の執行で、他に被害者を出してしまったら話にもならない。仲村もそのあたりの認識はしっかり持っているから、それに気付けばもう余計なことを言ってくることもない。神坂としてはわかってもらえて少しホッとする。何かと突っかかってくる仲村だが、一緒に仕事をするペアなのだから、それ以上に余計な確執は抱え込みたくない。
そこへ河上班長が顔を出す。
「仲村、今日のざまは何だ。」
「あ、はい……。」
「どんなに訓練を重ねても、ちょっとしたはずみで1発目を外すことはある。だから必ず1発で仕留めろとは言わん。しかし外した時こそ冷静になって、2発目で必ず仕留めるようにしなければならん。」
「はい……。」
「それなのに今日のお前は、動揺して2発目も外し、3発目も外すとは何をやっているのか。神坂がサポートしてくれたから良かったが、こんなことをしていたら逃亡を許す破目にもなりかねないぞ。反省しろ。」
「……はい。」
河上班長の厳しい言葉に、仲村は返す言葉もない。さすがの仲村も今回はずいぶん反省させられそうだ。これをきっかけに、自分に突っかかってくるのが少しは減るといいなと、そんなことを密かに期待する神坂だった。




