第十二話 人呼んで『暗殺課』
ダン!
銃声が響くと、執行対象者は血潮を撒き散らしながら床に転がる。
「執行完了、撤収します。」
そう言い残して神坂は踵を返す。サポート役の仲村は、ちょっとつまらなそうな表情を浮かべて後に続く。
「ちぇっ、外したら俺が執行してやったのに。」
「そう? じゃあ今度外したらお願いね。」
これまでの神坂なら間違いなくカチンと来ているところだが、少しは意識を改めることができたようで、仲村の余計なひと言も軽く受け流すことができるようになってきた。もっとも、そう簡単に気持ちが切り変わるわけではなく、内心はカチンと来ているが、それを表に出さないようにしているのだが。でもそうしているうちに仲村の減らず口にも慣れて、一々カチンと来なくなるかもしれない。
今日の車の運転当番は仲村だから、神坂は帰る間はただ乗っていれば良い。神坂は後席に身を投げ出して、ふーっと大きく息をつく。もう執行したのも3回目、突入した回数はその倍にもなるから少し慣れてきたが、それでも終わった後の疲労感は結構深い。激しい動きをするわけでもなければ、かかる時間も僅かなものなのだけれど。
「やっぱり半端ない緊張があるから疲れるんだよね。」
そんな風に呟きながら、疲労感に身をゆだねて目を閉じる。閉じたまぶたの裏に、ついさっきの強制処分の執行シーンが浮かぶ。善良な市民を凶悪な犯罪から守るためには仕方のないことではあるものの、やはり気持ちの良いものではない。
余り思い出したくないにもかかわらず浮かんでくる気持ちの良くない光景に悩まされながら車の揺れに身を任せる。そんな時ふと気になったことがある。そういえば強制処分ってこれまで全部殺処分だけだったよね。気になったら黙っていられない。隣の河上班長に尋ねてみる。
「班長、これまでの強制処分って、全部殺処分でしたよね。」
河上班長はそれがどうしたとでも言いたげな調子で返してくる。
「そうだ。」
「どうして他の処分はないんですか? 経験を積ませるために新人には殺処分だけをやらせることになっているんですか?」
「それは、最初から全部殺処分だからだ。」
「はい?」
「少なくとも俺の経験では、回ってくる任務は全部殺処分だ。他の処分の令状が回ってきたことはない。」
「え? でも『今回は殺処分だ』って言っていませんでした? それって他の処分もあるっていうことなんじゃなかったんですか?」
「今回は殺処分だ。次回も殺処分だ。その次も、その次も、全部殺処分だ。嘘は言っていない。」
「えっ、えっ、えぇーっ? それって騙されてたようなもんじゃあないですか。」
「嘘は言っていないから騙したわけじゃあない。錯覚は誘ったがな。」
そう言いながらも河上班長は眉一つ動かさない。これでは表情から何かを読み取るのは無理だから、錯覚するのも当然だ。
全然気づかなかった自分の迂闊さと、純真な新人を騙すようなことをした班長への不満に頬を軽く膨らませながら、神坂は追及する。
「でもどうしてわざわざ錯覚するような言い方をしたんですか?」
「それは、新人にいきなりお前たちの仕事は人殺しだ、なんて言ったら全員その場で辞めてしまうだろう。さすがにそれではまずいからな。ある程度経験してから気付けば、いまさら辞めないだろう。」
確かに、最初にそう言われていたら、果たしてそのまま続けていたかどうかはわからない。でも今となっては、衝撃は衝撃だが、だからやりたくないとか、辞めたいとか、そんなことは思っていない。自然に慣らされていたということか。それに、無理なら辞めろと言われても、自分でこの仕事をすることを選択したのだからまあそれはいい。
「それはそうと、全部殺処分っておかしくないですか? 殺処分にしなければならない程凶悪で差し迫った危険があるケースがあるとしても、そこまで行かない、もう少し軽い処分で済むようなケースの方が多いんじゃないんですか?」
しかし、神坂の思いを余所に、河上班長の答えは冷たい。
「そんなことは知らん。我々は令状に従って粛々と処分を執行するだけだ。」
もちろんそんな答えでは神坂は納得できない。
事務所に戻った神坂は、納得のできる説明を求めて佐久間課長の部屋を訪ねる。
「失礼します、神坂です。」
「はいどうぞ。」
相変わらず佐久間課長の声は優しげだ。佐久間課長なら神坂の疑問に真摯に答えてくれるのではないか。
「お尋ねしたいことがあります。」
「はい、何ですか?」
「どうして令状はいつも殺処分なんですか? 河上班長に聞いたら、全部殺処分だって言ってました。殺処分にするほどではないケースの方が多いんじゃないかと思うのですが?」
神坂の疑問に、佐久間課長はどう答えるか考えるようにちょっと間を置くと、相変わらず柔和な表情のままで話す。
「殺処分にするほどではないケースというと、神坂さんはどんな場合を考えていますか?」
「はい、ええと、計画している犯罪の程度がそれほど凶悪ではないケースとか、犯罪の実行がそれほど差し迫っていなくて、時間的に余裕のあるケースとか、そんな場合はいくら凶悪犯罪を計画していても、命まで奪う必要はないんじゃないかと思います。」
「うん、じゃあそういうケースでは、例えばどんな処分が考えられるかな?」
質問しに来たのに、次々質問を返されて何だか妙な感じがしないでもないが、それでも神坂は生真面目に答える。
「そういう場合は、対象者を拘束すれば犯行を阻止できると思います。」
「そうですね。でもずっと拘束することはできませんね。解放すればまた犯行に走ってしまう恐れが高いですね。」
「ええと、取り調べて、刑事処分にできるんじゃないでしょうか。凶器準備集合罪とか未遂罪っていうのもありますよね。」
「うん、でもそれは警察の仕事です。私たちには取り調べる権限も、検察に送致する権限もありませんよ。」
「……。」
「そもそも私たちが強制処分を執行するのは、警察の捜査を待っていた場合凶悪犯罪が実行されてしまう危険性が極めて高い場合に、それを防ぐための緊急避難的な意味での措置です。そうでない場合は通常通り警察が捜査、取り締まりを行えば良いのですから、必然的に執行課が執行する強制処分は殺処分になります。」
なるほど、そういう位置付けの仕事だというのなら理解できる。基礎訓練の時に河上班長が言っていた、走って追いかけるのも、格闘して取り押さえるのも、実際の現場ではあまり必要がないというのはそういうことだったのかと合点がいく。でもその意味するところは……。
「ということは、私たちの仕事は執行対象者を殺処分することだけっていうことですか?」
「そういうことになるね。」
佐久間課長はあっさりと肯定したが、そこは否定して欲しかった。
「つまりその、私たちは、世に蔓延る悪を闇から闇に葬り去る、必殺仕事人みたいなものだってことですか?」
「必殺仕事人とはずいぶん昔のものを知ってるね。でもまあ言ってしまえばそういうことです。だから執行課の仕事については省内でも秘密扱いにしているんです。まあでも幹部層を中心に知っている人は知っていて、口さがない人たちは陰でこっそり呼んでいるよね。そう、うちの部署は人呼んで『暗殺課』、ということなんだよ。」
つまり、神坂たちは政府公認の殺し屋ということなのか。
「暗殺課ですかぁ? じゃあ私たちは暗殺者? ヒットマン? 殺し屋? 何だかとても人前では話せないような仕事なんですね。」
犯罪被害者を出さないため、世のため人のためと思って就いた仕事なのにと思うと、ちょっと幻滅する。しかし、佐久間課長はそのような反応は予想していたのだろうか、神坂のちょっと投げやりな態度を責めもせず、むしろ表情を引き締めて答える。
「確かに、世間一般の人に直ちに理解してもらうのは難しいから、公言をはばかられる面があるのは否定しません。でもだからと言って、この仕事が卑しむような仕事だということにはなりません。人の命を奪う仕事であるのは確かですけれど、では、同じように人の命を奪う警察の狙撃担当の人は殺し屋ですか? 死刑執行を担当する刑務官は殺し屋ですか?」
急に畳み掛けるように問いかけてくる佐久間課長の言い様に、神坂は気圧されてたじたじとなりながら答える。
「い、いえ、違うと思います。」
「そうですね。ではそういう人たちの仕事と、私たちの仕事と、何か違いがありますか?」
そう言われてみればそうだ。警察の狙撃担当の人は、結果的に殺害する場合が多いにしても、可能なら極力殺害は避けるということだから少し違うと思うが、刑務官の場合は命令に従って否応もなく執行するのだから執行課員とその立場は同じだ。刑務官の場合は、複数の刑務官が同時にボタンを押すことで、誰が直接対象者の命を奪ったのかわからなくする配慮があるのに対して、執行課員の場合は何の配慮もないという違いはあるけれど。
「いえ、違いはないと思います。」
「そうですね。では、執行課員は別に殺し屋ではありませんね。」
「はい。」
神坂は、どうも自分の見方は表面的な見方に過ぎなかったと思う。こうして順を追って説明してもらえば、そんなに忌み嫌うような仕事ではないことに納得できる。
「確かに一見すると政府公認の殺し屋のように見えてしまうことも仕方ない面はありますが、そういうものではないことは理解してください。主に人質の生命を守るために、避けられない場合には犯人を射殺する命令が下る警察の狙撃担当の人と同じで、凶悪犯罪から善良な市民を守るために、避けられない場合に私たちに命令が下るんです。その意味と目的を忘れないで、自信と誇りを持って、手遅れにならないよう迅速に職務を遂行してください。」
「はい、わかりました。」
納得はしても、やはり胸を張って公言できることではないけれど、市民の平穏な生活を守るために、誰かがやらなければならないことなのだ。改めて考えると、この仕事を忌み嫌うことは、自分は肉食を好むのに屠畜をする人を残酷だと言って嫌悪するのと似たような、考えの浅い理不尽なことだと思う。まあ、そうは言っても心理的な負担はやはり残るのだけれど。




