鎖
夢からでる真実は無期限休載となります。
時間が出来れば一話から、ストーリーは変えずに書き直そうと思っています。
ここまで拙著を読んでいただいたにもかかわらず、このようなことになってしまい、誠に申し訳なく思います。
小さな手で姉の手をギュッと握りながら少年は尋ねる。
「姉さんは僕のそばからいなくなったりしないよね?」
それを聞いた姉はほんの少し口元をほころばせ答えた。
「それは無理……かな。いつかは私たちも別々の道を進むことになるだろうから」
少年は裏切られたような目で姉を見つめる。
「でも、それはまだ先のこと。大丈夫、私はまだ一緒にいてあげられるから」
少年の姉は慈愛に満ちた先の表情で彼を見つめた。 黒い喪服に明るい茶髪がかかる。
これはいつのことであっただろうか。 宣昭は記憶の端を探る。
その間にも記憶の物語は進み続けた。
姉と二人で小さな卓袱台に並べられた、種類の少ないおかずをつついている。 それでも幼い宣昭は楽しそうに笑いながら姉に話しかけていた。
金銭面ではとても裕福とは言えない、しかし、そこに映されるのはいつも笑顔の姉弟の姿であった。
――――やめろ――――
何処からか声が響く。 が、その声を無視して物語は進んだ。
「旅行いこっか」
姉は唐突にそう告げのだ。
両親がこの世を去って半年ほど。
その保険金でしばらくは生活できるのだが、それを今使い潰すことをよしとせず、姉は高校を退学しアルバイト漬けの生活へと転身した。
当然、生活に余裕はなく旅行に行く金などどう捻出したのかはまだ幼い宣昭にはわかるはずもなく、久々の旅行に胸を躍らせるだけである。
「ねぇ、どこ行くの?」
「東京、日帰りだけどね」
目を輝かせながら言う宣昭に、姉はニッコリと微笑みながら返す。
「やった!どこ行くの?ディズニーランド?」
「フフッ、ディズニーランドは東京にはないのよ」
楽しげな会話、姉は日々の疲れを微塵も見せずに、笑う。
「ではここで問題です。日本で一番高い建物はなーんだ?」
「もしかして東京スカイツリー?」
「正解!」
「やった!」
宣昭は目をキラキラとさせながら跳びまわって喜びを表す。 それは宣昭が疲れて眠るまで続いた。
――――やめろよ――――
翌日は朝早くに家を出て、電車を何度か乗り換えて4時間ほどかけて墨田区に着いた。
それは正午まであと一時間ほどの頃である。 完成から3年経った今でも休日となればそこそこに人がおり、慣れない二人は人混みに酔っていた。
やっとの事で二人はエレベーターに乗る。 エレベーターは展望デッキに向けぐんぐんと地上を離れて行った。
その時であった。
世界の法則に新たな一文が記され、そして、全てが動き出す。
長大な電波塔がまるで蜃気楼のように霞み、振動する。
地震ではない。 スカイツリーのみが揺れ動いているのである。
徐々にその根元が膨れ上がってくる。
鉄骨がさざなみ立ち、茶色く節くれだったものに変化していく。
全てが変わるのに一分もかからなかった。
グレーの鉄骨が茶色い樹皮に。その先には大人三人は包み込めそうな巨大な葉が空を覆い尽くさんとばかりに広がっている。
中にいた人々がどうなったのか、それを一番よく知っているのは宣昭である。
スカイツリーが文字通り天まで届く木へと変化した時、中にいた人々は皆外に弾き出された。
弾き出された、などと穏やかなものではない。 何せそこに待っているのは地上から300メートルほど離れた天空なのだから。
しかし、節くれだった樹皮に引っかかり助かったものも数人いた。宣昭もその一人だ。
数メートル落下したところでめくれた樹皮に引っかかりなんとか助かった。
落下の衝撃でクラクラする視界の端を何かが過ぎ去って行く。
それは木陰の中でもわかるほど、明るい茶髪であった。
宣昭は慌てて木の淵から顔を覗かせ下を見る。 地面に吸い込まれるような錯覚の中、確かに姉はいた。
姉が自分に向け手を伸ばす、届かないとは分かっている。 しかし宣昭も手を伸ばした。
果てし無く遠い距離。 手は宙を泳ぎ空気を掴むばかりで姉の手は握れない。
「姉さん!」
限界まで手を伸ばす。 やはり、届かない。 視界が滲む。
瞬間、ジャラジャラと耳障りな音が響いた。 丁度自分の右手から聞こえてくるその音は、途切れることなく続いている。
「え?」
涙をぬぐい、見てみると手のひらのあたりから鎖のようなものが、蛇口から出る水の如くとめどなく飛び出してくる。
それが今は小指ほどの大きさにしか見えない姉の元まで行くとその左手に巻きついた。
途端とてつもない重みが宣昭の右手にかかる。
子供の細い腕が軋み、ミシミシと嫌な音を立てる。 腕を引っこ抜かれるような痛みが宣昭を襲った。
獣の泣き叫ぶような声が幼い口から漏れ、苦悶の表情を浮かべながらも手から出る鎖を必死に握っている。
宣昭の姉は困惑していた、どうして自分が助かっているのか、と。 しかし彼女にもその理由がすぐにわかった。 当然だ。 自分を助けた鎖の先を追っていけばまだ幼い弟の姿が遥か彼方ながらも見て取れたのだから。
しかし、誰にでもわかること。 いや、その時の宣昭には分かっていなかったかもしれないし、仮に分かっていても関係のないことではあるが。
まだ高校に通っている年とはいえほぼ大人の体である彼女を、まだ子供の宣昭が引き上げることは不可能である。
彼女はそっと、巻きついた鎖に指を重ねれると、巻きついたそれをほどくように剥がしていく。
宣昭からは何をしているかも見えない程遠い。 しかし、なぜか宣昭はその時、姉が笑ったような気がした。
「姉さん?」
声が届くはずもない。
しかし、何が起こったかは瞬時に理解した。
右手を引き抜かんが如き力が消え、後にはじんじんとした痛みが残るばかりである。
そして、遥か彼方の姉が再び、落下した。
そこで記憶の物語は終了し、後に残されたのはただの暗闇であった。
たった一人の暗闇。
そこで宣昭は思い出した。 自分が大道に負けたことを。
ではここはどこなのか。 自分は死んでしまったのか?
わからない、それならそれでいいのかもしれないとも思う。
これで姉の元に行けるのならそれは……
その時、宣昭の脳裏にある人の顔が浮かんだ。
(隊長……)
自分が守ると決めた人をもう二度と失うわけにはいかない。
なぜなら、あの人はとても……
頭の中で微笑む彩乃の顔はひどく姉に似ていた。




