動き出す運命
だが限界はすぐに訪れた。
突然崩れるように倒れたのである。
立とうとしても立つことはできず、惨めに地面を這い蹲ることしかできない。
見上げると、男はとても悲しそうな残念そうな顔で、しかし声は愉悦に満ちている。
「あらぁ、もう限界? もう立てないの? 残念、残念だわぁ。もう、終・わ・りなのねぇ」
そう嘯き、男はレイピアを抜き放つ。
いままで回避に徹していただけに、男がどれほどの強さなのか未知数だ。
しかし今クーリアは度重ねた猛攻で、体力も尽き戦うことどころか立つこともままならない。
男はクーリアをレイピアで刻んでいく。致命傷はわざと避け、じわじわいたぶるように。
男のその顔は愉悦にゆがんでいた。
クーリアはそれを見てとても醜いな、と思った。
その悪意はあまりにも醜悪で、悪臭を放っている。
人間じゃない。そんな息をするように悪意を撒き散らすものは人間じゃない。
それはただの醜悪な人の皮を被った悪魔だ。
そんなことを考えていたからだろう。
そうつぶやいたのは。
だからそれは意図したものではない。それは無意識に、ふと唇からこぼれたのだ。
「・・・・・・醜いね」
その言葉に男の表情が消える。
「今、なんて? 今なんていったのお譲ちゃん?」
はっとして口をふさぐがもう遅い。
「私が、この私が醜いって? 」
男の体がわなわなと、震える。
失言だったと思っても、もう遅い。その言葉は男の耳に入ってしまったのだから。
だからこれは不測の事態。美しさにこだわっていたものに醜いとは言ってはならない。
なぜなら、
「小娘が。ふざけやがってッ!! 俺が醜いだと? ゆるさねぇゆるさねぇゆるさねぇ!! ただじゃあころさねぇぞッ!? ゆっくりじわじわ嬲ってやる。醜く泣いて許しを請うまで、死んだほうがましだと思うような、地獄の責苦を味あわせてやるッ!! 」
こうなるから。
こういうものこそ感情が振り切ったらまずい。
導火線のない爆弾と同じだ。
一度火がついたら消すことは叶わない。その爆弾は導火線がないから。
だからすぐに爆発してしまう。
爆発してしまったらつけている仮面は四散し、本性が現れる。
それは等しく醜い。人間の本性など等しく醜く、見るに耐えるものではない。
なればこそ人間は仮面をつけ、本性を隠す。
だがこの男の本性は一際醜く、吐き気を催す。
美しく飾り立て、隠していたそれはより一層醜悪に感じる。
男は抜き身のレイピアを手で弄びながら、ゆっくりと近づいてくる。
その顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
精神に負担をかけるようにゆっくりと、ゆっくりと近づいてくる。
それはクーリアが逃げることなど疑っていないかのようだ。
だがそれは違った。
疑っていないのではなく、気にしていない。
逃げたら逃げたでいいそう思っているのだ。
どうせ自分から逃げられないと、捕まえてみせるという自信すら感じる。
だがクーリアはもう死に体だ。逃げるどころか動くことすらままならない。
そして男は目の前まで来る。
クーリアを見下ろし、口角を凶悪に吊り上げる。
次の瞬間男は無造作にクーリアの横腹を蹴り抜いた。
「――――ガッ・・・・・・八ッ!? 」
当然の激痛。一瞬何をされたのかわからなかった。
地面を転がってようやく横腹を蹴られたのだと理解した。
「っくくくく、ひゃーっははははは。弱い。弱いなぁ小娘! 避けろよ!! 抵抗しろよ!! あー、無理かお前もう動けねぇもんなぁ!? ひゃははははははは!!」
その言葉はクーリアに届かない。
あまりの痛みに耳がおかしくなっている。
横腹はまるで焼き鏝を当てられたように熱い。
「・・・ごほっ、がはっ」
血反吐を吐く。もう口が血で真っ赤だった。
「おーおー汚いねぇ。痛い? 苦しいかい? 大丈夫安心して。まだまだまだまだ続くからね!! ひひひひひひ! 」
そういいながら男は、クーリアの頭を踏みつける。
そこから先は見るに耐えない暴虐の嵐だった。
顔を殴り、踏みつけ、地面にたたきつける。レイピアで腕を貫かれ、足を貫かれる。締め上げ、木に投げつける。幾度も幾度も。それは終わることのない拷問。
それは耐えうるものではなかった。常人ならばその苦痛に発狂し、許しを請い死んでいるだろう。
だが常人ではないとはいえ、クーリアはまだ子供。その苦痛に耐えていられるほど強くはない。
ならばそれは必然で、必要だった。守るために。
心を止め、そして閉ざした。壊れぬようにと。
それは最後の意地、この悪魔をこれ以上喜ばせはしないという最後の抵抗、死したとしても我が心は穢させたりはしないという誇りだった。
だがそれ以上クーリアにはどうすることもできない。精も根も尽き果てたクーリアには。
ならばもうそれは絶体絶命で、奇跡が起こらなければ、どうにもならない。
奇跡を願うことすらできない。
だが起こらないからこそ奇跡。
奇跡など都合よく起きはしないと知っているから。
願った程度で起こるのならばこの世に不幸はない。
だからこそ、それは奇跡と呼ぶにふさわしい。
そうクーリアにとって、奇跡以外の何物でもなかった。
―――その光は輝きを増す。
もう立てず、息をするのもつらい
―――輝きは増していく、治まる気配はまったくない。
だけど大丈夫、閉じた心では何も感じないから。
―――輝きが増すと同時に、それは鳴動する。
もう痛みは気にならない。体中痛いけど、心まで響かないから。
―――そして光ははじけた。
それは何かが始まる予感なのか、それとも何かが終わる予感なのか、それはわからない。しかし何かが起きる。それだけはわかった。
明らかに絶体絶命、九死に一生も得ることもなく、崖にかかった指は今にも離れそうなそんな状況。なのにクーリアはそんな状況にもかかわらず、ふとそんな予感めいたものを感じた。いやそれはもはや確信と言ってもよかった。
だが何も感じない。何も思わない。閉ざした心、死に体ではどうすることもできない。
ただ運命に流されることしかできない。
その先がたとえ死だとしても。
「ひひひ、いいねぇその目、その顔。ゾクゾクくる、ゾクゾクくるねぇ。はぁあ、イっちゃいそうだ」
男は恍惚とした表情でクーリアを踏み続ける。
――――始まる――――
それは突然の出来事。
軋みをあげながら動く歯車の音を聞いた。
クーリアに光が集まり、男の足は消し飛んだ。
「あ? あぁあああああ!!? 俺の足が、足がぁああああああああ!!! 」
――――動き出す――――
男は痛みにのた打ち回る。
クーリアはその様を何の感情も浮かばない瞳で見続ける。
その間にも光はどんどんクーリアに集まっていく。
光は魔力だった。純粋な魔力。
集まり続ける魔力は飽和し暴走していく。
眩いほどの光と甲高い音が辺りを包む。
そしてその光、魔力は爆発し、光と暴風を撒き散らす。
光が収まり、夜の闇が辺りを包む。
残されたのは、足を失った男だけ。
クーリアはどこにもいなかった。