↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/8

第1話:好きな人の憧れ

挿絵(By みてみん)

――春/県立高校・通学路


春の風が、制服の袖をやわらかく揺らしていた。


駅へ続く坂道には、新しい鞄を肩にかけた生徒たちが並び、まだ慣れない革靴の音が舗装路へ小さく重なっている。


道沿いの桜は少しだけ葉を混ぜ始めていて、散り残った花びらが風に乗って足元を滑っていった。


岩山剛志は、肩に鞄をかけ直しながら、隣を歩く少女へ目を向けた。


木下藍子。


小学生の頃から同じ道を歩いてきた、家の近い幼馴染だった。


「高校生って、もっと大人っぽい感じすると思ってた」


藍子が前を向いたまま言った。


「でも、実際なってみると普通だよね」


「まあ、昨日まで中学生だったしな」


剛志がそう返すと、藍子も「それもそうか」と笑った。


その笑い方も、歩く速度も、昔から変わらない。


学校が変わっても、制服が変わっても、隣にいる距離だけは不思議なくらい同じだった。


その時だった。


「いたっ!」


少し前を歩いていた小さな男の子が、歩道の段差につまずいて転んだ。


剛志は反射的に駆け寄る。


「大丈夫か?」


手を差し出すと、男の子は少し照れくさそうに頷き、その手を取って立ち上がった。


「ありがとう!」


母親も何度も頭を下げる。


「すみません、ありがとうございます」


「いえ」


剛志は少し照れくさそうに頭をかき、そのまま藍子の隣へ戻った。


藍子は小さく笑う。


「ほんと、変わらないね」


「え?」


「ううん。なんでもない」


藍子はそう言って微笑み、そのまま駅前へ歩き出した。


駅前の大型スクリーンでは、朝のニュースが流れていた。


『昨日発生したダンジョンブレイクにおいて、現役インサイダー・獅子堂焔氏と御剣宗司氏が多数の市民を救助――』


画面の中で、炎を背に走る男の姿が映る。


瓦礫の中から子どもを抱き上げ、崩れかけた壁を片腕で支える。


その横では、白刃を抜いた別の男がモンスターの前へ立ち塞がっていた。


通学中の生徒たちが思わず足を緩める。


「焔さんだ」


「御剣さんもいる」


小さな歓声が、朝の人波へ混ざった。


藍子も立ち止まり、画面を見上げた。


その横顔に、剛志の視線が自然と止まる。


藍子の目は、まっすぐスクリーンへ向いていた。


怖いものを見ている顔ではない。


誰かを心からすごいと思っている時の、息を忘れたような顔だった。


「……やっぱり、かっこいいよね」


藍子がぽつりと言った。


「獅子堂焔さん?」


「うん。もちろん御剣さんもすごいけど」


藍子はスクリーンから目を離さないまま、胸の前で鞄の紐を握った。


「誰かを守れる人って、かっこいいなって思う」


その言葉が、剛志の中へ静かに残った。


スクリーンの中では、焔が崩れた建物の前で市民を誘導している。


泥と煤に汚れているのに、背中だけはやけに大きく見えた。


「守れる男、か」


剛志が小さく呟く。


「うん。自分が怖くても、前に出られる人」


藍子はそう言ってから、少し照れたように笑った。


「なんか、言い方くさいかな」


「いや」


剛志は首を横に振る。


「いいと思う」


藍子は「そっか」と笑って、また歩き出した。


剛志も隣に並ぶ。


春の風が二人の間を抜け、鞄についた金具を小さく鳴らした。


学校までの道すがら、剛志は何度か藍子の横顔を見た。


二人は昔から一緒にいた。


転んだ時には手を貸し、雨の日には一本の傘を二人で使い、近所の駄菓子屋ではどちらが当たりを引くか競った。


そんなことが、二人にとっては当たり前だった。


けれど、その日の藍子は少し違って見えた。


誰かへ向けられた憧れの眼差しが、妙に引っかかる。


自分も、あんなふうに見られたい。


ふとよぎったその思いよりも、強く剛志の中に残ったのは――藍子が口にした「守れる人」という言葉だった。


学校へ着く頃には、朝の高揚感も少しずつ落ち着いていた。


教室では、新しいクラスメイトたちがぎこちなく自己紹介を交わしている。


机の配置も、窓から見える景色も、中学とは少し違う。


それでも、昼休みになると藍子はいつものように剛志の席へやって来た。


「剛志、お昼どうする?」


「購買行く」


「じゃあ私も」


その距離感は、あまりに自然だった。


一緒にいても、誰も特別に冷やかさない。


二人が並んでいることは、昔から当たり前だったからだ。


購買へ向かう廊下には、入学したばかりの一年生があふれていた。


誰もが新しい友達を作ろうとしていて、笑い声も少しだけ高い。


藍子は人波に押されそうになり、剛志の袖を軽く掴んだ。


「ごめん、ちょっと混んでる」


「大丈夫か?」


「うん」


触れられた袖のあたりだけが、なぜか熱を持った。


剛志は前を向いたまま、歩幅を少しだけ落とす。


藍子が歩きやすいように。


それに気づいたのか、藍子は嬉しそうに笑い、そのまま隣を歩いた。


それでも、朝に見た光景がふと頭をよぎる。


瓦礫を支える焔の腕。


怯える人々の前へ立つ御剣宗司の背中。


そして、その姿を見つめていた藍子の横顔。


剛志は、拳を軽く握った。


まだ何も守れそうにない、普通の高校生の手だった。


◇


――夕方/帰り道


放課後の空は、薄い茜色に染まり始めていた。


部活動の掛け声が校庭から響き、体育館の方ではバスケットボールが床を叩く音が続いている。


剛志と藍子は、いつものように並んで帰っていた。


「剛志はさ、部活どうするの?」


藍子が聞く。


「まだ決めてない」


「運動部とか入りそうなのに」


「そう見えるか?」


「うん。体大きいし」


剛志は少しだけ肩をすくめた。


自分では意識していなかったが、確かに同年代の中では体格がいい方だった。


けれど、それだけだ。特別に何かができるわけではない。


「藍子は?」


「私はまだ迷ってる。バイトもしてみたいし」


「バイトか」


「うん。お金貯めたいしね」


駅へ続く道に、朝と同じ大型スクリーンが見えてきた。


今度は昼のニュースの再放送らしい。


焔と宗司の映像が、また流れていた。


藍子の足が、ほんの少しだけ遅くなる。


剛志はそれに合わせて立ち止まった。


画面の中で、焔が記者の問いに答えていた。


『怖くないのですか』


その問いに、焔は少しだけ笑う。


『怖いですよ。けれど、俺が退いたら、その後ろにいる人が危ない』


たったそれだけの言葉だった。


けれど、人波の中で聞くには十分すぎるくらい重かった。


藍子は小さく息を吐く。


「……こういう人、すごいね」


剛志は何も返せなかった。


返事を探しているうちに、藍子がこちらを見た。


「剛志も、こういうの似合いそう」


「俺が?」


「うん。昔から、困ってる子とか放っておけないでしょ」


藍子は何気なく言っただけだった。


けれど、その一言で足が止まりそうになった。


昔から。


その言葉が妙に嬉しかった。


藍子は、ちゃんと自分を見てくれていた。


そう思った瞬間、言葉にならない熱が広がる。


剛志は口を開きかけて、結局何も言えなかった。


言えば、何かが変わってしまう気がした。


「……そうか?」


「うん」


藍子は迷いなく答えた。


夕方の光が、その横顔をやわらかく照らしている。


その瞬間だった。


剛志はようやく気づいた。


自分は、藍子とただ一緒にいたいだけではない。


藍子に笑っていてほしい。


藍子が憧れるような人間になりたい。


そしていつか、自分の言葉で伝えたい。


好きだと。


けれど、今の自分では足りない。


何も持っていない。


守れる男には、まだ遠い。


「……インサイダーって、普通高校からでもなれるのかな」


思わず漏れた声に、藍子が首を傾げる。


「え? 急にどうしたの?」


「あ、いや」


剛志は慌てて視線を逸らした。


「ニュース見てたら、ちょっと気になっただけ」


「へぇ。剛志がインサイダーかぁ」


藍子は少し考えてから、ぱっと笑った。


「なったら絶対びっくりする」


その笑顔を見た瞬間、剛志の中で何かが静かに形を結んだ。


驚かせたい。


かっこいいと言わせたい。


そして、守れる男になってから告白したい。


少し単純で、不器用で、それでも剛志にとっては何より真剣な願いだった。


「……そっか」


剛志は顔を上げた。


「じゃあ、びっくりさせるくらいじゃないとな」


「なにそれ」


藍子が笑う。


剛志もつられるように笑った。


けれど、その笑顔の奥では、さっきまでとは違う思いが静かに根を下ろしていた。


春の夕風が、駅前の人波を抜けていく。


空には、遠く薄く、滅亡時計の数字が浮かんでいた。


誰も長く見上げない。


それでも秒は進み、世界は今日もどこかで軋んでいる。


剛志はもう一度、自分の手へ目を落とした。


まだ何も守れない手。


けれど、いつか。


藍子が見上げた英雄たちみたいに、誰かの前へ立てるようになりたい。


その始まりが、たった一人の女の子への想いだったとしても。


剛志にとっては、それで十分だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。