8:恋愛音痴の初恋は意外と早い
王都とは名ばかりの果ての果て。城下の下町の更に裏路地に佇む、鍋に二本の剣がクロスした微妙な絵面の看板に掲げた鍛冶屋の土間で、真っ白になった頭が起動したかと思ったら、カナーンの頭は、次の瞬間にショートした。
ソコまでは、何とか覚えているのだが、目が醒めて、今目の前に見える視界がその鍛冶屋の土間ではないことに気付き、流石に眉が寄る。
豪奢な天蓋付きの寝台の上で、大の字で眠っていたらしいカナーンは、ぱちぱちと目を瞬かせて、「あれ?」と呟いた。
周囲を見回さなくとも、ココが何処だか直ぐにわかった。
ココは、アスガルド辺境伯家の王都のタウンハウスの自室で、すぐ傍に感じるこの気配が、家族にも等しい、ヤツのモノだということも。
「知恵熱だってよ、お嬢」
カナーンが生まれた時からの傍付きで、幼馴染にして副官のバートラムの声に、カナーンは顔をゆっくりと向けて、更に眉を寄せ半眼を向けた。
「幼馴染の副官とはいえ、若き令嬢の寝所に突っ立ってるってのは、ないんじゃないかバート?」
「寝言は寝て言え。ああ、お嬢! まだ熱が下がってないから起き上がるなって」
「―――熱、あ、この目が回ってるのが、そうか?」
言われてみると、確かにちょっと頭を起こしただけで視界が歪む。
発熱なんて、いつ以来だろうか?
ああ。「お前」に黒い魔の森から城まで私を送ってもらって、魔の森の毒気に当てられて発熱した、あの時、以来―――だな。
今回はいきなり発動した恋愛脳のお陰で、熱発がでたなんて、本当に笑うしかない。
アスガルド辺境伯家の次期当主である私が、相手が「お前」とはいえ、こうも簡単に「恋」に堕ちるだなんて、思ってもみなかった。そもそも、一瞬で恋した「お前」は、私の事をすっかり忘れているみたいだから、この先どうしたものか、皆目見当がつかない。だからこその発熱、なのだろうが……。
「は。知恵熱とは、上手い例えを持って来たもんだな、バート」
「お嬢の知恵熱の原因を耳にした王太子殿下は笑い過ぎで顎が外れたらしいし、現場を目撃した王都二大貴公子様方はお嬢初の恋愛ごとに卒倒して、向こうもたぶん、今頃ぶっ倒れていると思うぞ。どうする気だ?」
どうする気、と言われましても、バートラムが何を言いたいのかが、本当にわからない。
「どうする気って言われてもなあ。ギルは後で殴るにしても、ベンとアレクはどうして倒れるんだ? 私と付き合いが良いにも程があるだろう」
「―――お嬢が鈍すぎて、俺はお二人が不憫でならん」
「はい?」
バートラムはがしがしと頭を掻きながら、こっちに呆れ顔を向けて来るけれど、わからんものはわからんのだから仕方がないだろう。
今は、それよりも考えなければいけないことがあるんだ。
もう二度と逢えないと思っていたのに、もう一度出会えんたのだ。
私の事を覚えていない「お前」が「NO」と言っても、何としてでも「お前」を私の伴侶に迎えるために、私が今やらねばならぬ事は、ひとつしかない。
「アスのところに行かないと」
「―――何しに?」
「口説きに」
「はい?」
さっきのカナーンの生返事を真似したようなバートラムの気の抜けた疑問の声に、カナーンはギラリと目を輝かせて言い切る。
「王都に滞在中に、なんとしてでも口説き落とす」
「あのなあ、お嬢……」
ああああ!! っと、燃えるような赤髪が飛び散る程に頭を掻きむしりながら、一応言葉を選んで、バートラムが声を振り絞った。
「流石に、人外は止めとけって。おまけに、お嬢ってアレでショ? 竜に逆鱗貰ったとかなんとか……もう、一生結婚できない躰になったんですよねえ?」
「五月蠅い。その逆鱗をくれたのがアスだ」
「はい?」
その生返事、お互い禁止にしようか、バート?
「……アイツが、アスが、私に『はーちゃん』を、自分の逆鱗をくれた、私の初恋の相手である、魔の森の竜だ」
「はい?!」
おお……。今度は最強に強い生返事(?)が来たな。
「お前にだけは、ちょっとだけ話した覚えがあるんだが、覚えてないか? 私が誘拐されて行方不明になった時に、私を魔の森で助けてくれたのが魔の森の主みたいな竜で。あの時の印象だと、小山位の大きさだったと」
「―――竜ッ?! 竜に番認定されて逆鱗貰って、更にお前がッ竜に初恋?! ないないないない―――っ!! て、あれ?」
ないないないない―――ッ!! っと、あろうことか主従の誓いを交わした主君の、それもうら若き乙女の寝台に飛び乗ってきたバートが、顎が外れる程に大口を開けて、間抜けな顔で首を傾げた。
「お前を助けたのが本当に本物の魔の森の竜なら、あの鍛冶屋、どうして人型になってんだ? 竜人族は竜の眷属であっても、種族的には、別種―――だよな?」
「知らん」
「挙句、お前の事なんか知らないって感じがアリアリだっただろ?」
「そこが聞きたいから、もう一回行ってくる」
「待て待て待て待て―――!!」
さっきは優しくも、「まだ熱が下がってないから起き上がるな」なんて言ってくれたというのに、今度は襟首を掴み上げてゴンゴン躰を揺さぶってくるバートラムを、流石に殴ろうかどうか、カナーンは考えあぐねていた。
「魔の森の竜は、私と添い遂げるために人型の、アスになったと思う。大方、その対価として記憶を取られたんだろうな」
「なしてそんな突飛なことをスラスラと……?!」
そうとしか思えないし、そうだ、と魔の森の竜が、私に教えてくれる。
どうして? と聞かれても、それに答えられる返答はないのだけれど、わかる、としか言えない。何故ならば私たちは―――。
「突飛でも何でもない。魔の森で出会ったあの時、我々は互いに一目惚れだったんだ」
「小山位の大きさの竜と?!」
「そう。小山位の大きさの竜と。私が今までの生きてきた中で、あんな男前には出会ったことはない」
「竜だけど」
「男前の竜だ」
ああああ”!! っと声にならない叫びを上げて、バートラムがゴロゴロと転がって、寝台の下に落ちた。
「―――お前……あの時、何歳だっけか?」
「6歳」
「……剣にしか興味のない恋愛音痴と思ってたら、殊の外マセてたんだなお前」
「任せろ。意外と一途なんだ私は」
ふんっと鼻を鳴らして顎をしゃくると、バートラムが何故かさめざめと涙を零し始めた。
「何故泣く?」
「コレが泣かずにいられると?!」
ウザくて面倒だから、バートラムはもう放っておくことにして、カナーンは寝台横にうつ伏せで死に体になっているバートラムを跨いで、ひらりと寝台を飛び降りた。
これから、アスを口説きに出向くのである。
王都に滞在できる時間が限られているから、「お前」と一緒に辺境領に戻るためには、一分一秒を無駄にするわけにはいかないのだ。




