7:頭が真っ白です
幼い頃、迷い込んだ暗く深い魔の森の中で出会った、大切な友達のことを、私は忘れた事なんてない。
あれは、辺境伯家が守る国境線を超えてきた隣国の誘拐犯に私が攫われた、6歳の時の事。
幼いながらもすでに武芸の教育がスタートしていた私なのだが、誘拐犯はそんな私を甘く見て、攫った私を胸の中に抱き込むだけで何の拘束もなく、馬に跨り森を駆けていた。
有事の際は、嘗められたフリをして、一撃を与え速やかに逃げること。
6歳の幼子への、更に貴族の娘へ施す教育ではないが、私はそんな教育の申し子である。
当日に珍しく着用していたドレスのスカートの下から、タイミングを見計らい護身用の小太刀を取り出し、誘拐犯の腿をざっくりと突き刺したら、案の定馬上から放り投げられ、誘拐犯は次の瞬間落馬した。
動脈と筋の辺りを狙ったから、血は噴き出すし足は利かなくなるしで、工作員は絶叫の上昏倒し、仲間数人が馬首を止め、駆け寄ってくる。
「―――辺境家のオヒメサマを即時無傷で確保しろッ!」
受け身を取ってごろごろ転がり、顔を上げたら、誘拐犯達三名が目の色を変えてこちらに向かってきた。見た目は夜盗気味な無頼漢に見えるようにしているけれど、その統率された無駄のない動きを見ればそうでないことは幼い自分でもわかる。
辺境伯家を取り込もうとする隣国の騎士団っぽい。
目的が辺境伯家を味方とすることならば、私の命の危機は、ひとまずはなさそうだ。
命は奪われないにしても多勢に無勢だし、自分は幼い子供である。ひとまず、教えられたまま逃げることにした。森は深く暗く、更に陽が落ちてきたので、闇は、私の味方となる。
私は自他ともに認めるかくれんぼの名手だし、向こうはこちらを幼子と侮っているので、なんとかなるだろう。持って生まれたクソ度胸も相まって、森に紛れる私の耳には、誘拐犯達の声はどんどん遠のいて行き、同時に私はどんどん森の深みに嵌っていった。そうして―――……迷った。
「……ここは、どこだろう」
ただでさえ深い森なのに、夜の帳が落ちて一歩先さえ見えない真っ暗闇だ。
月明かりは森の中に差し込みもしないし、人の気配はないけれど、獣の気配はありありだ。
自分を狙う獣の息遣いが聞こえて来る。
誘拐犯は巻いたけれど、これは、生きてうちに帰れないかもしれない。
今日は不必要とも思える淑女教育の日で、めったにないドレスなんて着てるから、武器は、さっき誘拐犯に突き刺した小太刀しか身に着けていなかった。
「困ったなあ」
獣臭が風に乗って鼻についてきた。獣の気配は、数体。すでに、囲まれているらしい。人間だったら何とか手立てはあるけれど、獣で、それももしかしたら魔獣だったりしたら、武器もない非力な自分など、餌になるしかないと思う。
でただで喰われるのもシャクである。一矢報いるためには、何かないか? と、良い枝ぶりの木がないかと暗闇の中で目を凝らしたら、青く光る何かが、闇の向こうからこちらに近付いてきた。
青く鋭い、二つの眼光。
瞬きも出来ずに、見つめるしかなかった。
でも、不思議と、恐れはない。
鋭く冷たく、もしかしたら、自分を狙っている魔獣の目かもしれないのに、その青い目は、どうしてか自分を害することはないと、「自分を」、探していたものだと、どうしてかわかった。
青い光の動きが、止まった。
冷たく凍るような青い目が、光沢を帯びて、震えるように揺らぐのが、わかった。
先刻まで自分を取り囲んでいた獣の気配が一斉に消え、森のしじまが、痛いほどに耳を打つ。
「……あなたは、誰?」
「――――――」
声も、何も聞こえないけれど、わかる。
助けて、くれたことを。
闇の大地に響く、ずんっという重々しい足音と共に姿を現した、小山のような見事な体躯をした青い竜の双眼は、この世の何よりも青く、美しかった。
そう、この、夜の空のような群青色の瞳だ。
こんなところに、「お前」がいるだなんて、思いもしなかった。
どれだけ探したか、そうしてどれだけ諦めたのか、「お前」は、知りもしないだろうな?
何を言われているのか理解できないように、大きく目を見開き凍り付いた刀鍛冶が、震える唇を何とか開き、絞り出すように問うてきた。
「――ば、罰ゲームか何か、デスカ? お貴族様のお遊びの」
「違う。貴公が研磨した私の剣を見て決めた。どうか私と婚姻を結んで欲しい」
雷に撃たれた様に全身を震わせた刀鍛冶の手から、金槌が滑り落ちた。ごとん! と金槌が石床を砕く音が、鍛冶場に響き渡り、全員が言葉を無くしているのがわかる。
ここにいる全員が、私と「お前」のことを知らない。
「お前」であるはずの、刀鍛冶も。
私だって、私の「はーちゃん」を生き返らせることが出来るものがいるとしたら、「もしかして」「お前」かもしれない、という考えが浮かばなかったと言えば嘘になる。
でも、「もしかして」にずっと、ずっと裏切られてきたから、また「お前」ではないだろうと、頭から希望は消し去ってきた。
それなのに、全く希望を持たず、「もしかして」も捨ててきた今日、「お前」が私の目の前にいるなんて、サプライズもココまで来たら、神の領域だ。
「私は、貴公に手を取ってもらうまで、この場を動く気はない」
「お前」ときたら、私のことをキレイさっぱり忘れているみたいだけれど、絶対に逃がしはしないよ? 「お前」だって、あの時、絶対に私を逃がす気はないから、所在を知らせる「鈴」代わりに、「はーちゃん」を私に預けてくれたんだろうし―――。
「お前」が、どうやって竜人になったのか、そんなことはどうでもいい。
重要なのは、「お前」が、私の前にまた現れた事だけだから。
自分が出来得る限りの微笑みを向けたら、アスと呼ばれた刀鍛冶がどっと脂汗を流し、その場に倒れ伏し、昏倒した。
「む、むむむ……無理、デス―――! この剣ッ! 竜の逆鱗を鍛えた魔剣じゃないですか!!」
「そうだ。流石にわかるか?」
土間とお友達になりながら滂沱の涙を零し叫ぶアスに、カナーンはにっこりと笑って見せた。
この剣をくれたのは「お前」だから、この剣が「お前」の逆鱗で出来てるってことは、流石にわかるのだな。
「竜が! 逆鱗を渡す意味を、ご存じないのですか?!」
「知らない。何か、意味があるのか?」
私を含めた、ギャラリー全員首を傾げるなか、アスの魂が抜けていくのが見て取れた。
はーちゃんをくれたのは「お前」だけれど、あの時は、「お前」は人語を話せなかったから、言葉は、交わしていないんだよなあ。
鍛冶屋の夫婦はもとより知らないにしても、バートラムとか、幼馴染のアレクシスとベンヤミンは知ってるかもしれないと振り返ると、彼らも一様に首を振ってきた。
そもそも、あの誘拐騒ぎの時に、何処とも知れない黒い魔の森から城まで私を送ってくれた「お前」のことを、私は誰にも教えていない。
竜は、この世の中で一番高貴な生き物で、人とは交わらない、と、触れてはいけない、と、そう教えられてきたから。「お前」との大切な出会いは、自分の記憶の中だけに、宝物のように大切に、隠してきたんだ。
「りゅ、竜が逆鱗を渡す意味はッ!」
「もったいぶらずに早く教えろ」
はーちゃんは「鈴」代わりだけではないというその意味を、早いトコロ聞かせて欲しい。
ギリギリと歯噛みするアスの顔を、膝をついて覗き込んだカナーンに、アスは、決死の覚悟で死地に赴くような顔をして大きく口を開いた。
「番への求婚です!! 逆鱗を受け取り、竜の番認定を受けている貴方様と結婚だなんてッ?! 俺は、竜に嚙み砕かれて死ぬ気はありません!! 無理です!!」
うん?
番って、番って―――アレ……?
土間に倒れ伏すアスの隣に、とすっと倒れ伏して、カナーンは真っ白になった頭を起動させた。
今、「お前」に求婚してるのは私なのだが、ずっと昔の「あの時」に、「お前」は私に、はーちゃんを渡してプロポーズしていた、ってことで、合ってるのかな?




