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転生姫はお飾り正妃候補。愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳
三章

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第6話 照命

あばばばば遅れまして申し訳ございません((((;゜Д゜))))

砦の空は、橙色に染まっていた。


サフィアは手袋を外し、指先の小さな傷を眺める。

戦は終わった。砦は……どうにか耐えた。

何も得られなかったはずの戦で、それでも「帰る顔」だけは作れた。


ようやく──殿下の元へ戻れる。


胸の奥に、静かな安堵が落ちていく。


「殿下は……どう思われるだろう」


任務を果たした。砦も守った。

これでまた一歩、正妃に近づける──

そう考えるべきなのに、胸の奥がかすかに軋む。


一瞬だけよぎった影を、首を振って追い払う。


殿下のところへ戻る。それだけだ。


手袋をはめ直す指先に、静かな温度が戻っていく。


訓練場では、兵たちが片付けをしながらも笑い声をあげていた。


「指揮官殿、お疲れさまでした! 本当に……お見事でした!」


「皆が踏ん張ったからだ。私一人の功ではない」


言うと、兵たちは胸を張って頷いた。


「いえ、指揮官殿がいなければ砦は落ちてました!

 殿下も、きっとお喜びになります!」


胸の奥がひそかに熱を帯びる。


「都に戻ったら……やっぱり指揮官殿は殿下のすぐ側に?」


「正妃は……指揮官殿しかいません!」


サフィアは眉を寄せた。


「軽々しく言うな。身分の話だ」


叱られても若い兵は怯まず、まっすぐ言い返した。


「でも俺たち、本気で思ってます。

 殿下の隣に立つのは、指揮官殿しかいません!」


胸の奥がきゅっと鳴る。

そこは、自分が信じ続けてきた場所だった。


「……都に戻れば、まず殿下に拝謁だ」


そう言うと、兵たちは誇らしげに頷いた。


「はいっ! 胸を張って戻れます、指揮官殿!」


胸に、細い針のような違和感が沈む。

気づかないふりをして、サフィアは空を見上げた。


アルシオン……やっと会える。


その想いだけが、静かに灯り続けていた。





ラシードは机上に散らした地図と書状の束を整え、手を止めた。

その正面で、セレナは息を整えてから口を開く。


「では、よろしくお願いします」


「承りました、姫殿下」


姫殿下だって。緊張しちゃう……。


清務を設立するにあたって、セレナはラシードに一から手順を乞うことになった。


ラシードは巻物の紐を解く。


「まず最初に見直すべきは、“祓いと清めの流れ”そのものです。

 姫殿下が現場で用いられた仕組みは、祈りと作業が同時に動く形。

 ──だからこそ、人の手足に合わせて再構成する必要があります」


セレナは静かに頷いた。


ラシードは巻物を押し広げ、区画を指で示す。


「検問所、神殿、侍女筋、兵、医師。

 祓いは人の心を整え、清めは病を断つ。

 この二つが交わる地点が最も負担になります。

 まずはその律速を見つけねばなりません」


セレナの表情が引き締まる。

ラシードは続けた。


「そして──ここからが本題です、姫殿下。

 清務を制度として動かす以上、既存の権限と必ず重なります」


「……既存の権限?」


「はい。順を追って説明いたします」


ラシードはひとつ指を立てた。


「一つ目は、殿下のご判断。これはすでに下りました」


指を二本立てる。


「二つ目は、政務筋の検証。

 祓いは後宮と神殿、清めは侍女と検問と軍医。

 複数の手が絡む以上、どこかが必ず“自分の領分が侵される”と感じます」


セレナは筆を握りしめる。


ラシードは三本目の指を立てた。


「三つ目は、その不満を事前にどこまで整えられるか。

 姫殿下の清務は侍女筋を動かします。

 ゆえに──後宮監ナヴァリス殿との協議は避けられません」


「……そうですか……」


ナヴァリスとの協議……

大丈夫かなぁ、言いくるめられそう……。


「はい。後宮の流れに触れる制度です。

 ナヴァリス殿が“知らぬまま動く”ことは、決して許されない」


巻物を閉じ、ラシードは静かに言葉を置いた。


「姫殿下。

 制度は王命で立ちますが──

 動かすのは人です。

 人が納得しなければ、一歩も前に進まない」


「私に、務まるでしょうか……」


「……出来ますよ、姫殿下」


セレナが顔を上げる。


「誤解なされてはなりません。

 “皆を動かす”のは姫殿下のお役目ではありません。

 殿下の命があり、政務が調整し、後宮監が仕組みに沿って人を配する。

 姫殿下が担うのは──ただ一つ」


彼は巻物の一点を指で示した。


「現場の止まる場所を見抜くことです」


「止まる場所……?」


セレナは瞬きを落とす。


「手順が乱れるところ、負担が跳ね上がるところ、

 姫殿下の目で見れば、必ず分かります。

 現場は形だけでは動かない。

 ですが──姫殿下が現場に立てば、人は自然と従います」


「従う……?」


「王都東区が証明しております」


その時の光景が脳裏に蘇る。


「祓いの声を発したとき、兵も、医師も、民も動いた。

 姫殿下が“こうしましょう”と言えば、現場はその形に合わせて整っていく。

 それは、命令だけでは生まれぬ力です」


セレナは息を呑んだ。


「ですから、出来ます。

 姫殿下には、“人を動かす言葉”と“場を見る目”がある。

 制度を機能させるうえで、それが最も欠けてはならぬ資質です」


セレナの指が扇に触れた。


……私のやるべき事は、皆を導く事……?


「姫殿下が見るべきは“人の動き”だけです。

 それ以外は、我らが整えます」


「……私は、一人じゃあないのですね……」


呼吸が少しだけ、楽になる。


そして──


コン……


控えめなノックが、室内の空気を震わせた。


「え……?」


ラシードの眉がわずかに動く。

次の瞬間。


「……王妃様が、お通りになります」


女官の声が、廊下の向こうで静かに響いた。

空気がぴん、と張る。


ラシードはすぐに書状を揃え、姿勢を正した。


「続きは後ほどに。

 姫殿下、そのままお控えください」


扉の前に、女官が跪く影が揺れた。

奥から近づく衣擦れが、静かに響いた。


セレナは内心でそっと息を呑み、背筋を正した。


次の瞬間──白い扉の前で金の装飾が淡く揺れ、ザリーナが姿を現した。


優美な目元の奥に、鋭い光だけが潜んでいた。


ザリーナは視線をラシードに向けるでもなく、まっすぐセレナへ歩み寄った。


「……あら、姫様。

 政務殿に足を運ばれているとは、熱心なことでございますね」


微笑みを崩さぬまま、セレナを見下ろす。

その気配の鋭さに、侍女たちは息を呑んで動けなくなる。


セレナは扇を胸元に寄せ、丁寧に一礼した。


「お声をかけていただき……光栄に存じます、王妃殿下」


その柔らかな返答に、ザリーナの瞳がわずかに細くなる。


ザリーナは扇を胸に当て、言葉を落とす。


「ええ……あなたがどれほど政務殿に通われているのか、後宮でも噂になっておりますから。

 顔を見に来たのですわ、姫様」


ザリーナの視線が鋭くセレナを射抜く。


「……姫様。

 後宮の務めを忘れてまで、政務に関わってはおりませんわよね?」


セレナは扇を胸元にそっと寄せ、静かに答えた。


「……後宮の務め、でございますか」


一度まぶたを伏せる。

埃をかぶった台帳、形だけの祈祷、巫女長の姿──

そんな光景が頭をよぎる。


だが、顔を上げた時には、もう表情を整えていた。


「はい、忘れてはおりません。

 正妃候補として──王宮に注力させていただくこと、お許しくださいませ」


その言葉に、ザリーナの扇の動きがぴたりと止まる。

沈黙が広がる。


そして、ゆっくりと絹のような笑みが浮かんだ。


「……まあ。“自覚”をお持ちなのはよいことですわ、姫様」


ザリーナはさらに一歩近づき、囁きを落とす。


「──後宮の務めを……取り違えませんように。姫様」


それだけ告げ、背を向ける。

裾が揺れ、王妃の影が廊下に消えていく。


ラシードは静かに息を吐き、口を開いた。


「……姫殿下」


セレナが顔を向ける。


「殿下は、姫殿下を必要としておいでです。

 それだけは、取り違えなきよう」


セレナは扇を指でなぞり、胸のざわめきをそっと整えた。





夜の政務殿には、灯火のゆらぎだけが残っていた。

巻物を並べた机の上で、ラシードが筆を止める。


「……やはり、合いませんな。荷の重さと受け帳の記載が」


扉の向こうから入ってきたアルシオンが眉を顰めた。


「どこでだ」


「倉庫筋です。検問所はやはり問題なし。札も記録も正確でした」


ラシードは巻物をめくりながら淡々と続ける。


「しかし受け帳には“すべて届いた”と記されているのに、

 現物は半分も残っておりません」


「……到着後に抜かれた、ということか」


「はい。しかし、中継を担うリーファ・ザルク家は記録が杜撰で隙は多いものの――

 今回は“減らした証拠”まではありません。

 数量が消えたのは、倉庫に入ってからのみと見てよいでしょう」


「倉庫の管理は?」


「王妃派の豪族、ベネフ家です。

 帳面の形式も他と異なり……“手”が入った跡があります」


その瞬間、アルシオンの表情がわずかに険しくなった。


「……王妃の所領の倉庫か」


……王妃が直接手を汚すとは思えない。

だが、その名の下で不正が起きている以上、見過ごせはしない。


「まだ確証はないが――最も黒いのはベネフ家だな」


政務殿の灯が静かに揺れた。


「……証を積め。王妃領の倉庫記録を、もう一度洗い直せ」


「承知しました、殿下」


外では夜風が塔の旗をひっそりと鳴らしていた。





清務の協議は、思ったより滑らかに進んだ。

ナヴァリスと向き合った時は、もっと衝突するかと思っていたのに──杞憂だった。

ただ一つ意外だったのは、あの秩序の男の口から、王妃派を外すべきだという判断が淡々と出てきたことだ。


ナヴァリスは巻物を指でなぞりながら、静かに告げた。


「王妃殿下の侍女が入れば流れは止まります。

 彼女らは“書かれた順”でしか動けず、現場の判断に従いません」


「どうしてですか?」


「姫様が指示しても、王妃を優先する者では動きが乱れます」


あまりにも平然と言われて、返す言葉が詰まった。


つまり、要領よく動けないってこと……?

そんな露骨に言っていいの?

王妃に睨まれている私としては助かるけど……本当にいいのかしら。


ナヴァリスは別の記録板を叩いた。


「そして、姫様。

 最も問題なのは……姫様が“後宮の雑務”に縛られている点です」


セレナの眉がぴくりと動く。


「雑務……?」


「後宮台帳の整理、侍女の交代印、物資受領。

 本来、正妃候補の職務ではありません。

 後宮監である我々が担うべき領分です」


「その雑務を押しつけたのは、あなたでしょう……?」


「当時は姫様が最も適任でした。

 ですが今後は違います。

 清務を担う方に、後宮の台帳仕事は不要です」


ナヴァリスはまったく悪びれず、微動だにしない。


私の扱い……酷すぎじゃない?


ナヴァリスは後宮台帳を開き、指先でいくつかの欄を区切るように叩いた。


「……姫様。後宮雑務の再分配について、具体を提示いたします」


セレナが扇を傾けると、ナヴァリスは続けた。


「後宮台帳の整理は侍女長ルダへ。

 受領印と物資管理は後宮監補佐の二名へ戻します。

 交代印と侍女配置は、従来どおり私の管轄下でまとめます」


「……では、私は?」


ナヴァリスはわずかにセレナを見やった。


「姫様に残るのは“決裁印”のみです。

 清務に関わる人員・物資の最終許可──それだけでよい」


「……それは、正妃候補の役目として受け取ってよろしいのですか」


ナヴァリスは一拍だけ沈黙し、淡々と答えた。


「よろしいかと。

 姫様はもはや、後宮の手を動かす方ではなく、

 後宮を通して物事を動かす方です」


セレナは小さく息を呑んだ。


「……わかりました」


清務に集中できるのはありがたいけれど……

もう少し早く言ってほしかった……。


その時、控えめなノックとともに女官の声がした。


「姫様。殿下がお呼びです。政務殿にてお待ちとのこと」


セレナはナヴァリスへ軽く一礼する。


「続きはまた後で。

 ……色々助かりました」


ナヴァリスは深く頭を垂れはしないが、揺るがぬ声で返した。


「姫様の働きがあれば、清務は形になります」


セレナが退室し、扉が静かに閉じた。





「入れ」


扉が開き、セレナが静かに姿を見せた。


一礼した彼女に、アルシオンは机から離れて歩み寄った。


「……姫。来てくれてありがとう」


また……言われた。


胸の奥がかすかに熱を帯びる。


アルシオンはふっと笑みを落とし、本題へ戻った。


「清務のことだ」


地図の上に手を置く。


「ラシードと後宮監から報告を受けた。

 流れの下描きがようやく形になり始めた、と」


セレナは小さくまばたきを落とした。


「だが、制度として固めるにはまだ足りない。

 祓いと清め、侍女筋と検問所、神殿と医師……

 書面の上では動いても、実際の手は別だ」


アルシオンの指が一点を叩く。


「現場がどこで止まるか──それは、姫。お前にしか見えん」


セレナの胸がかすかに揺れた。


「私……ですか?」


「ああ」


即答だった。


「王命で制度は立てられる。

 だが、動かすには――東区を見たお前の目が要る」


橙の光が二人の影を重ねる。


「頼めるか」


セレナは胸奥の震えを押しとどめ、静かに頷いた。


「……はい。行ってまいります」


アルシオンは小さく息を吐いた。


「ありがとう、姫」


アルシオンは視線を外さぬまま、低く告げた。


「出立は三日後。……同行はカリムに任せる」


ほんの僅かに言葉が途切れる。


「気をつけて行け。……頼んだ」


「……承知いたしました……」


声にした瞬間、胸の奥で鼓動が跳ねる。

悟られまいと、そっとまぶたを伏せた。


灯火が頬をかすめて揺れる。

呼吸が触れそうな距離の中で、何かが確かに揺らいだ。


だが次の瞬間、アルシオンは背を向けた。


「……行け」


扉へ歩き出したセレナの背に残る熱だけは、消えなかった。

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