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転生姫はお飾り正妃候補。愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳
三章

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第2話 和

政務殿の長卓には地図と報告書が積まれ、傾いた陽が影を濃くしていた。


「姫様、やりますねぇ」


ラシードが柔らかい笑みを浮かべていた。


「元老院の石頭どもを、たった数言で黙らせるとは。見ていて爽快でしたよ」


セレナは肩をすくめた。


「びっくりするほど、皆さまご自分に正直でしたから」


「欲で動く者ほど扱いやすい。理想や正義で動く者の方が手強い」


「……たしかに」


セレナは一瞬だけ視線を横に流した。


長卓の向こう、報告書の山を前に立つアルシオンが、

それでも――わずかに息を吐いた。


張りつめていた空気が、ほんの一筋ほど緩んだように見える。


小さな安堵を悟られぬよう、セレナはすぐに視線を落とした。


その端で、卓の地図が目に入った。


……あ。


「宰相殿。王宮に戻る道中、新しい検問所を見かけ立ち寄りました」


ラシードの指が止まり、アルシオンが顔を上げる。


セレナは地図を広げ、一本の線をなぞった。


「記録板には荷駄が通過したと記されていましたが――その先の倉庫には物資がありませんでした」


ラシードの目が細くなる。


「……北の砦の町ですか」


「ええ。なので迂回路で物資が届くよう指示しました」


アルシオンが眉を寄せる。


「また抜かれたか」


ラシードが顎に指を置く。


「その区間を担当している商家に覚えは?」


セレナは考えて口にする。


「確か……リーファ・ザルクと」


「北方補給の中継を担う古い商家。問題の多い相手です」


アルシオンの指先が卓を軽く叩く。


「……ラシード」


ラシードが姿勢を正す。


「この件、表沙汰にするな。兵站局にも報告不要だ。裏で調べろ。“誰が抜いたか”掘り起こせ」


「承知しました」


セレナが息を呑む。


「殿下、それほどまでに……?」


「報告すれば誰の耳に届くか分からん。兵站も商会も戦で肥え太った。戦の終わりを望まぬ者がいるかもしれん」


アルシオンは地図を指で叩く。


「国の血管を詰まらせる者がいるなら戦より厄介だ。放置すれば国が腐る」


その時――扉が開いた。

甘い香油とともに、絹の裾が床を滑る。


「まあ……殿下。ずいぶんお忙しそうですこと」


セレナとラシードは頭を垂れ、一歩退いた。


「戦を……おやめになるのですね?」


ザリーナ王妃が進み、視線がセレナを射抜く。


「――戦は王国の誇り。それを止めるよう促すとは……これだから“外の姫”は、情に走る」


空気が凍りついた。


――その時。


「王妃陛下。口を慎まれよ」


アルシオンがゆっくりと一歩前へ出た。


「終戦は私の決断だ。彼女はそれを助けただけだ――国のためにな」


王妃の目が細まり、すぐ微笑に戻る。


「まあ……殿下がそうおっしゃるなら。せいぜい“外の理屈”で王国を救ってみせてくださいな」


王妃は微笑を残したまま踵を返した。

絹の裾が翻り、甘い香油だけが室内に残る。


その背を見送りながら、セレナは息を詰めた。


「殿下……ありがとうございます」


「気にするな。あの方はいつもこうだ」





夜の砦は静まり返っていた。

焚き火の火が風に揺れ、帷幕の布を赤く照らしていた。


サフィアは剣を膝に置き、深く息を吐いた。

冷えた空気が鎧の隙間から静かに染み込む。


……今日も、何も起こらなかった。


敵は動かず、遠い山の向こうで煙が上がるだけ。

張りつめた沈黙の方が、胸を締めつけた。


早く来ればいいのに。

こんな膠着戦、いつまで続くの……。


指先に力が入り、剣の柄がかすかに鳴った。


これが終われば、私はようやく――


殿下の隣に立てる。

あの方の誇りを守った“私”として……。


微笑もうとしたが、すぐに消えてしまう。


なのに……どうして、こんなに寒いの。


外で兵が咳き込んだ。

その短い音が夜気に滲み、サフィアの背筋を揺らした。


彼女は剣を見つめ、低く囁いた。


「あと少し。

 ……もう少しだけでいいから、持って」


その声は焚き火の音に紛れ、夜へ溶けていった。





元老院の承認はまだ降りていない――

自らの利益と退路を計算し終えるまでは、老臣たちは頷かない。


ラシードいわく、

「元老院の決はまだ先でしょう。ですが——

 こちらが先に終戦の形を整えてしまえば、

 否とは言えなくなります」


——だからこそ、先手を打つ必要があった。


机上には封蝋の文巻が積まれていた。


ラシードは筆を走らせ、慎重に言葉を選んでいた。

「……終戦布告前の信書、相手国宰相宛て。文面ひとつで受け取りが変わります。

 穏やかに、しかし確かに“終わり”を伝えねば」


セレナは隣で紙面を覗き込み、息を潜めていた。


筆先が止まり、ラシードが首を傾げた。


「この一文――“戦の終息を以て、神の御心を果たす”……抽象的すぎますな。

 もっと“和解”の象徴が欲しい」


セレナは少し考え、筆を取った。


「……こんな言葉を添えてみては」


『慈しみとまことは相まみえ、正義と平和は口づけを交わす。

 ゆえに我ら、この道をその証として築く。』


ラシードがその文を読み上げ、わずかに目を見開いた。


「……見事な文。どこかの聖典ですか?」


「ええ、まあ……そんなところです」


聖書だけど、誰も知らないはずだしいいよね?


ラシードは深く頷いた。


「信仰の句で理を包む……姫様、あなたは実に怖い」


セレナは微笑み、乾きゆく墨を見つめた。


平和のためだもの。神様だって許してくれるはず。


セレナは視線を紙面に落としたまま、ぽつりと呟いた。


「……サフィアは……無事なのですよね……?」


ラシードは筆を止め、短く頷いた。


「ええ。前線は落ち着いています。……今のところは」


その“今のところ”が、セレナの胸に静かに沈んだ。


「そうですか……」





政務殿。


ラシードが巻物を束ね、静かに言う。


「……殿下、外交信書の草案は整いました。明朝には封蝋を」


アルシオンは頷き、机上の書面へ視線を落とした。


書面の末尾に、一節が記されている。

――正義と平和は口づけを交わす。 


ラシードが微笑を含んで口を開く。


「その一節、姫君が添えられたものです」


「そうか。まるで神託だな」


「姫様は、書き終えた後でこう仰いましたよ。

 “これから自分は何をすればいいんでしょうね”と」


アルシオンの手がわずかに止まる。


「……何を、すればいいか」


低く繰り返し、息を吐く。


「それを考える者が、この国にどれほどいる」


「だからこそ、殿下の隣に姫様がいるのは幸運なのです。

 あの方は、“終わりの先”を見ておられる」


アルシオンは短く笑い、書面へ視線を戻した。


「……終わりの先、か。

 なら俺も、そこを見ておかねばな」


「……ちなみに。

 姫様は、筆を置かれた後で、

 サフィア将の安否を確認されました」


アルシオンの視線が、封蝋から離れる。


「命を案じる声でした。

 政ではなく――人としての問いでした」


アルシオンは何も言わず、しばし沈黙した。

やがて、低く息を吐く。


「……そうか」


封蝋の上に置かれた指が、

わずかに力を帯びた。





後宮の事務机には台帳が山積みで、

空欄の多い紙面が並んでいた。


結局私って、役目がないから埋めるものがないのよね。


戦を止めさせた責任感が胸の底で渦を巻く。


もう少し……視野を広げて……そうだ。


セレナは立ち上がり、扇を取った。

歩き出そうとした瞬間、背後から足音が追う。


「姫様、どちらへ向かわれるんですか?」


息を切らせたリサが慌てて追いつく。


「ナヴァリスに会いに行くの。少し、話したいことがあって」


回廊に出ると、黒衣の影が立っていた。

巻物を抱えたナヴァリスが静かに頭を下げる。


「——姫様。珍しいですね、わざわざこちらへ」


「少し、お時間を。話したいことがあるのです」


「……承りましょう。話とは?」


セレナは息を整え、真っ直ぐに言った。


「王都に出て、隔離施設を見て回りたいのです」


「……姫様が、ですか」


「はい。状況を、自分の目で確かめたいのです。

 王都に戻った直後、一か所だけ訪れましたが……

 まだ感染対策が行き届いているとは言えなくて」


あれだけ伝えたのに……全然実行されていないんだもの。


ナヴァリスは眉を寄せる。


「……それはお控えください。身分ある方が感染地に赴くのは危険です」


「危険なのは承知です。でも、分かる人間が指示を出すべきでしょう?

 後宮に籠もって何もしないより、アウレナのために動きたいのです」


隔離施設のことを思うと、

胸の奥に小さな火が灯る。


ナヴァリスは無言のまま見つめた。

その沈黙が、答えを測るようだった。


その時、背後から声が飛ぶ。 


「セレナ様が行かれるなら、私も同行します!」


振り向けば、リサが拳を胸に当てていた。


「わ、私も!」「姫様だけに危険なんて負わせません!」


いつの間にか侍女たちが集まり、

声が次々と重なった。


セレナは瞬きを落とした。

目の奥が、少しだけ熱くなる。


「皆、ありがとう。でも、無理はしないで……」


侍女たちはそれでも頷き続ける。


ナヴァリスは小さく息を吐き、目を伏せた。


「……止めるほど焚きつけてしまうとは。

 姫様は本当に、風向きを変える方だ」


セレナは首を傾げる。


「では、許可してくださるのですね?」


「ええ。ただし私の指揮下で。記録も護衛も私が整えます」


「感謝します、ナヴァリス殿」


でも……侍女たちを連れて行くなんて——あ、そうだ。


「みんな、石鹸はまだ余ってる?」


ナヴァリスが眉をひそめた。


「……石鹸?」


「ええ。手や衣を清めるものです。教育座で作った分があって。

 役に立つはずです」


リサが目を輝かせる。


「まだいくつか部屋にあります!セレナ様、あれも持って行きましょう!」


後宮に来てすぐ、失敗だらけで作り始めたものだ。


温度を誤れば分離し、焦げれば全て台無し。

何度も失敗して、ようやく形になった頃——


侍女たちが教えてほしいと言い出し、

今では教育座の一課になっている。


「後宮ではもう広まっているんですよ。

 妃候補の方々の間でも評判で」


「……なるほど」


セレナは扇を胸に抱き、息を整えた。


「よし……準備をしましょう」


侍女たちは足早に散っていく。


その背を見送り、ナヴァリスが呟いた。


「……姫様は、ご自身の意思とは別のところで、

 すでに国の形を動かしておられる」


セレナは肩越しに微笑む。


「まさか。私はただ——できることをしているだけです」


午後の光が回廊を照らし、石床に影を伸ばした。

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― 新着の感想 ―
福嶋莉佳先生の作品、「都合のいい私を、…」の文章が校正や表現がとてもしっかりしていて快く読めたことから、この作品に飛んできました。 なるほど、「転生姫は…」は更に緻密な構成で描かれた力作だと感じました…
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