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穢祓師 ー負の感情が穢れとして視える僕は、命を削る治癒の力で、人の心を治すー  作者: 早谷 蒼葉
第一章 世界のはじまり

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第7話 自分の物語

第7話 自分の物語


 保健室に静寂が戻っていた。


 雪村くんの問いだけが、まだ胸の中に残っている。


 その中で、僕は呼吸を思い出した。


 雪村くんが出て行ってから、誰も口を開かない。時計の秒針だけが、規則正しく鳴っている。カーテンが窓の隙間から入る風に、静かに揺れた。


 僕はまだ、自分の手を見ていた。


 胸の奥に、まだ残っている。


 男の孤独、恐怖——


 自分のものではないはずの感情が、まだそこにある。


 静かに、霧ヶ峰さんが声をかけてくれた。


「……まだ苦しい?」


 頷くしかなかった。


 霧ヶ峰さんは何も言わず、少し目を伏せた。


 しばらくして檜山くんが、眼鏡を押し上げた。その仕草で、沈黙の終わりを確信する。


(けが)れというのは——」


 檜山くんが口を開く。


「人の負の感情が、形を持ったものです」


 僕は、路地裏での会話を思い出す。


「怒り、悲しみ、嫉妬、後悔——誰の中にもある感情だよね……」

「そうです。それらが積み重なると、あなたが見たものになる」


 路地裏での空気の重さ。人混みの気持ち悪さ。


 それが全部……


「それを感じてしまうのは、あなたの才能です」


 檜山くんは続ける。


「感じすぎてしまう……と、言った方が正確かもしれません」


 胸の奥の澱みが、ふいに重くなった気がした。


「あなた自身が、穢れに引き寄せられているんですよ」

「僕が……穢れに引き寄せられている……」

「それがあなたの——力です」


 その言葉で、足先から冷えていくのを感じた。


「真田くん、大丈夫? 顔が真っ青だよ……」


 霧ヶ峰さんの声は遠く、僕の意識には届かない。


「僕は、どうすれば……」

「そのために、この学園があります」


 檜山くんの声に少し力がこもる。


「だから——この学園に集められているんです」

「……集める?」

「保護、という意味もあります」


 保護……僕は護られる対象だったのか。肩の力が抜けていく。


「なんか……監視されているみたいだね」

「もちろん、その側面も否定できません」


 檜山くんは、わずかに間を置いた。


「あなたの才能は素晴らしい。それを潰してしまうのは……惜しいと思います」


 雪村くんの言葉が蘇る。


——優しい監獄みたいなもんだな。


 霧ヶ峰さんが、噛み締めるように呟いた。


「放っておくと、壊れちゃう人もいるから……」


 その声には、知っている人間の実感が滲んでいた。


「みんなは……何をしているの?」


 僕は聞かずにはいられなかった。


「穢れへの対処です」


 檜山くんは淡々と答えてくれる。


「被害を受けた人の保護や祓い、様々です」

「それを、他の人たちは知ってるの?」

「いいえ……知っても、どうにもできませんから」


 その言葉は冷たくはなかった。ただ、事実を言っていた。


 そして——


「そのために、僕たちがいます」


 檜山くんも霧ヶ峰さんも、僕をまっすぐ見ていた。その重さを、僕はまだ受け止めきれない。


「この学園も……私たちの組織も、みんなを護るためにあるわ」


 霧ヶ峰さんの言葉が、ようやく意識まで届いた。


 まだ意味は分からない。だけど、息をするのが少し楽になった。


 しばらく沈黙が続いた。二人とも僕を待ってくれている。


 口の中が乾いている。


 それでも、答えを聞かずにはいられない。


「……怖くないの?」


 僕はやっとの思いで口にすることができた。


 二人は何も言わない。


 わずかな沈黙。


 その時——保健室のドアが開く。


 そこには、雪村くんが立っていた。


 紙パックのジュースを持って、何事もなかったように入ってくる。


 二人にジュースを投げ、最後に僕へ差し出す。


「大祐、飲め」


 それだけ言って、さっきのベッドに腰を下ろした。そして、紙パックにストローを刺しながら、言葉を放つ。


「怖ぇよ」


 短い言葉が、保健室の沈黙を揺らした。


「……えっ?」

「痛ぇ時もあるし、面倒くせぇし……死ぬやつだっている」


 雪村くんはジュースを一口飲んだ。


「お前だって、しんどかったろ?」


 霧ヶ峰さんが小さく息を吐いた。檜山くんは窓の外に視線を向けている。


「けどな、みんな自分の物語を背負ってんだ」


 雪村くんが、初めてこちらを向いた。


「だから、立っていられる」


 その目は、真っ直ぐに僕から動かない。


「お前が決めることだ」


 雪村くんがそっけなく言った。強制でも、命令でもない。


「今すぐ答えを出す必要はありませんよ」


 檜山くんが続けた。


 少し俯いていた霧ヶ峰さんが、ゆっくりと立ち上がる。


「でも……知っちゃったからね」


 その声色は、どこか暖かい響きを持っていた。




 保健室を出ると、廊下は随分と薄暗くなっていた。


 窓の外には、まだ生徒たちの姿が見える。


 笑い声が聞こえる。部活が終わり、友達と並んで歩く姿。


 普通の学校に見えた。


 ガラス一枚で隔てられた、見えているのに届かない世界。


 だけど、今は……


 二人組の女子生徒が、向こうから歩いてくる。お喋りに夢中で、笑顔が溢れている。


 僕たちとすれ違った時、彼女たちの肩に、一瞬だけ黒い靄が視えた。


 足が止まる。

 息が詰まる。


 靄はすぐに消え、何事もなかったように彼女たちは歩いていく。


 僕だけが立ち止まっていた。


「大祐、帰るぞ」


 雪村くんの声で、我に返る。廊下の先で三人が振り向いていた。


 僕を待っている。


——ずっと、一人だった僕を。


 三人の背中を追うように、僕は大きく足を踏み出した——


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