第7話 帰り道は遠回りしたくなる
07.帰り道は遠回りしたくなる
人通りが多いところまで女子高生を送り、控えめに手を振りながら雑踏に消えていくまで、僕達はその背中を見送った。
夕方の街は、昼間よりもざわついている。人の数も、音も、感情も。
「雪村、彼女のフォローは煉にお願いしました」
「抜け目ないねー、恭介は」
雪村くんは軽く笑いながら答えた。まるでさきほどまでの事が日常の出来事の様だ。実際そうなのだろう。
——でも、僕は確信してしまった。
男の周囲にまとわりついていた、あの黒い靄のようなもの。それが何なのか、どうして自分に見えるのか。その答えはここにある。
聞きたいことは山ほどあるのに、言葉にしようとすると、喉の奥で引っかかってしまう。
そんな僕の様子を察したのか、霧ヶ峰さんがそっとこちらを見て、穏やかに言った。
「真田くん、少し遠回りをして帰らない?」
その問いかけは優しく、僕にとっては救いの言葉だった。だから——
「う、うん。——もちろん、大丈夫だよ」
駅前に近づくにつれて、人の流れはさらに増えていく。ゲームセンターの前では、学生たちが笑いながら立ち話をしていた。
「ここがいい」と雪村くんが突然口を開いた。
「……え?」
「ちょうどいいからさ」
「雪村、あなたは少し言葉が足りませんよ……」
檜山くんが溜息をつきながら言う。短い付き合いなのに、檜山くんのこういう表情を見るのは何度目だろう。
「ほら、説明するには、こういう場所が一番だろ?」
説明——
その一言には期待が持てた。今までの事がすべて理解できるかもしれない。胸がざわついた。
店内に入るための自動ドアが開いた瞬間、電子音と音楽が一気に押し寄せてきた。クレーンゲームの音、リズムゲームの軽快な打音。そして勝敗に一喜一憂する楽しそうな声。
一見すると、ただ賑やかなだけの空間。
けれど——
(……やっぱり、見える)
さっき路地で見たものより、かなり薄いが数が多い。というより店舗の天井全面を曇ったような黒い雲が覆っている。僕を苦しめていた原因で、いつも避けていた事実を突きつけられた。
——体が少し重い。
「ここは分かりやすい」
雪村くんが、何気ない口調で言った。
「人の感情が集まりやすい場所だ。期待、苛立ち、焦り、負けた悔しさ……そういうのが、全部あそこに溜まってるだろ?」
「……うん」
「真田くん。あなたが見えているものは、私たちが“穢れ”と呼んでいるものです」
檜山くんが、静かに口を開いた。
「け、けがれ?」聞き慣れない言葉に、思わず聞き返す。
穢れ。それはどこか古めかしい響きを持っていた。
「はい。人のマイナスの感情から生まれ……そして、力として形成されたものが、穢れとして発現します」
まるで現実感のない話で、いまいち頭に入ってこない。
「なぁ、大祐。おまえだって、怒ったり、悲しんだり、嫉妬や後悔をしたことがあるだろ?人間のそういう気持ちは、めちゃくちゃ強い。自分を動かす源泉になる力だ」
「……それは理解できるよ」
「穢れは、生きていれば自然に生まれる。それに飲み込まれるか、制御できるかだけの違いで、ようするに自分自身の問題なんだよ」
どんな人にでも穢れが存在するのならば、みんな上手に付き合っているということだろうか。さっきの男からは見たことのない位の穢れが溢れていた。それほどの想いに突き動かされていたということなのだろう。
そもそも、そんなものがなぜ僕に見えているのだろうか。もしかすると、理解しようとしても無駄なのかもしれない。
僕が情報を整理していると、霧ヶ峰さんは優しい声で落ち着かせてくれる。
「もちろん感情は悪いものじゃないわ。誰にも当然にあるものだから。ただ、穢れは悪いもの、というより……放っておくと危ないもの、かな」
危ない——
さっきの男の顔が、頭に浮かぶ。
「溜まりすぎると、人は堕落する」
雪村くんが、淡々と言った。その声には、感情がほとんど乗っていなかった。
「自分の感情に飲まれて、自分で自分を止められなくなる。さっきの男も、あのまま放っておいたら、確実に堕落していた」
僕は、無意識に拳を握っていた。
「……じゃあ、さっき雪村くんがやったのは……」
「祓い」
雪村くんはそう言って、人目を気にするでもなく、右手を軽く持ち上げた。
そして——指先に、小さな炎が灯った。
それは、激しく燃え上がる火ではない。ろうそくの先に灯るような小さな炎。
揺らめきながら、けれど確かにそこに存在する光。
次の瞬間——
雪村くんが指先の炎を天井に弾いた。炎は、靄……穢れを一瞬で覆い尽くし、音もなく溶かしていく。
その場にいた人たちには見えなかったのか、誰も反応しない。しかし僕の周囲の空気が、すっと軽くなった。
「……っ」
胸の奥に溜まっていた息が、自然と抜けた。気持ち悪さが、嘘みたいに消えている。
「これが……祓うってこと……?」
「そう。そして俺たちは穢れを祓う者、穢祓師と呼ばれている」
雪村くんは、何事もなかったかのように指を下ろす。炎は、跡形もなく消えた。
「堕ちたものは祓える」
その一言が、重く響いた。
「真田くん」霧ヶ峰さんが、優しく声をかけてくる。
「見えてしまうのは、辛かったでしょう?」
「……正直、はい」
誰にも言えなかった。見えるせいで、近づけない場所もあった。
「でもね」
霧ヶ峰さんは優しく微笑む。
「見えるということは、守れる側に立てる、ということでもあるの」
守れる側——。
雪村くんが、僕の肩に軽く手を置いた。
「大祐。お前はもう、こっち側の世界に片足突っ込んでる」
校長先生の言葉が、脳裏によみがえる。
「仲間をつくりなさい」
それは、ただ友達を作れ、という意味じゃなかったのかもしれない。
(……僕は、戻れないのかな)
でも、不思議と怖くはなかった。
むしろ——やっと、分かってくれる人たちに出会えた気がして。
ゲームセンターの明かりの中で、僕は静かに息を整えた。




