第53話 反転
53.反転
「雪村、大祐くん! よくやってくれた!」
現地調査の次の日、僕と雪村くんは特事に顔を出した。そして、武士園会長の熱烈な歓迎を受けていた。
「あ、ありがとうございます」
会長の勢いに押されて、僕はそう答えるので精一杯だった。
「相変わらず、声でけぇな」
「めでたい日じゃ、それくらい良かろう」
「まぁ、結果は上々だな」
会長はしきりに頷いている。
「特に大祐くん! 今回大活躍だったそうじゃな」
「そ、そんな……」
「謙遜しなくともよい」
会長は、太い手を僕の肩に置いた。
「祓うのも、救うのも、容易いことではない」
「……はい」
「だが君はやり遂げた。大したもんじゃ!」
その声が、身体の奥まで届く。
「今のその気持ち、忘れんでくれ」
僕は何も言えず、無言で頭を下げた。
代わりに、雪村くんが口を開く。
「だが、懸念材料もあるぜ」
「うむ……やはり相手組織の情報が……」
「それもそうだが、その事じゃねぇよ」
会長が何かを言いかけた時、はるかさんが会議室に入ってきた。
「二人とも、お疲れ様」
はるかさんは不眠不休で働いているはずなのに、それを感じさせない。いつも通りの凛とした振る舞いだ。
「神代さんを含め、救出した人全員が今日退院したわよ」
手元の書類を捲りながら告げた。
「身柄は特事管轄のマンションへ移送済み。護衛二名を配置しているわ」
「よかった……」
僕は、ほっと息を吐いた。
あの人は、もう大丈夫だ。守ってくれる人がいる。ゆっくり傷を癒していけばいい。
「ノートの解析も進んでるわ」
「本当ですか」
「これでA.Vのことを、深く知ることができそうよ」
はるかさんは微笑んだ。
神代さんが書き続けたノート。それはきっと、A.Vを止める鍵になると信じている。
「はるか、頼んでおいた件は?」
「進んでいるわ……今のところ気になる報告はないけど……」
「分かった、ならいい」
何のことか僕には分からない。だけど、雪村くんの表情がいつもより固いのが気になる。
「どうかしたの?」
「いや、気にするな」
それ以上、雪村くんは何も言わなかった。
その後、会長に慈祈掌のことを根掘り葉掘り聞かれて、大変だったが悪い気はしなかった。
「共に闘う覚悟に感謝する——ありがとう」
最後に会長はそう言って、帰って行った。
それだけで、少しだけ報われた気がした。
「さて、俺たちもそろそろ帰るか」
どうやら今日の用事は終わったらしい。
それなら——
「雪村くん、僕は神代さんのところに行ってくるよ」
「ん、何でだ?」
「昨日、約束してたから……」
実際には今日行くとは約束していないが、何となくそんな気分になった。
「……分かった、俺も行く」
「え?」
「はるか、車を回してくれ」
「ええ……手配するわ」
意外な展開に、僕は目を見開く。
「行くぞ」
雪村くんが立ち上がった。
特事からそれほど離れていない場所に、そのマンションはあった。
ここまでの道中、雪村くんは目を閉じて考え事をしていた。少し気まずい空気だったが、到着するとさっさと車を降りていった。
新しく綺麗な建物。日当たりの良さそうな立地。入り口はオートロックで、管理人もいると聞いている。保護対象者の住まいとしては、とてもいい環境に思えた。
僕たちはエントランスに向かう。
静かだった。
管理人室を覗くと、中には誰もいない。
ふと——雪村くんが足を止めた。
「雪村くん?」
声をかけても、答えない。
視線だけが、ゆっくりと動いている。
エントランスの天井。
階段の入り口。
非常口の方向。
「……血の匂いだ」
雪村くんが、低く呟いた。その声を聞き、胸の奥が嫌な音を立てた。
「……え?」
「行くぞ」
雪村くんはオートロックを素早く操作し、エレベーターに向かって走った。
僕も慌てて、後を追う。
「大祐、何階だ?」
「ご、五階……」
エレベーターのボタンを、雪村くんは乱暴に押した。その背中を見て、僕の心臓が騒ぎ出す。
たった数十秒の永遠が過ぎ、ようやく五階に到着した。
扉が開いた瞬間——それは漂ってきた。
血の匂い。
そして、人が廊下に倒れている。僕たちはすぐに駆け寄る。
「ここの管理人だな」
「だ、大丈夫ですか?」
雪村くんが首筋を手で確かめている。
「気絶しているだけだ」
「良かった……」
雪村くんはスマホを取り出し、はるかさんに連絡を入れている。その間に僕は、管理人さんを壁にもたれかからせた。
廊下には血痕が落ちている。それを辿ると、廊下の奥に続いていた。その部屋の扉がわずかに開いている。
「か、神代さん……」
心臓の鼓動がうるさい。
「大祐、俺の後ろにいろよ」
スマホをしまった雪村くんが、躊躇なく踏み込んだ。僕は、言われた通り後ろに続いた。
そして——
目に飛び込んできた光景に、僕は一歩後退りした……
部屋の真ん中。
椅子が二つ並んでいる。
その椅子に——
スーツ姿の男性二人が、縛り付けられていた。
——神代さん……ではない。
二人とも、ぐったりと頭を垂れている。首筋から、血が流れていた。床には、赤い水溜まりが出来ている。
「——っ!」
声にならない声が、僕の喉から漏れた。
雪村くんが、男性の一人に駆け寄った。
「生きてる」
状態を確認すると、短く言った。
「もう一人もだ。だが、この出血量……長くは持たない」
僕の足は重く、動かなかった。
「大祐」
「……う」
「治してやってくれ。切られた場所を塞ぐだけで良い」
雪村くんの声は、僕の意識を引き戻した。二人に手が届く距離まで、足を引きずるように歩いた。
そして、両手を伸ばし二人同時に触れる。かなり生命力が削られているのを感じた。
僕は手のひらに意識を集中し、力を流し込んだ。祈りを込めて。
手のひらが熱くなる。
僕の熱が流れ込んでいく。
それが生きている証。
ちゃんと受け取ってくれる。
血の流れが、ゆっくりと止まっていく。二人の呼吸が安定していく。
今この短時間では、完全に治せない。でも、命は拾える。
やがて、二人の気の流れが安定したのを確認して、僕は手を離した。
息がきれる。胸が苦しい。だけど、そんなことはどうでもいいと思える。
身体の奥から湧き上がってくる熱に、支配されていた。
「この二人は神代の護衛だ」
「じゃあ、神代さんは誰かに……」
「大祐……」
その時、男の一人が目を開けた。
「……雪村、さん……」
ひどく嗄れた声。
「喋るな、今は安静にしろ」
「か、神代、が……」
その一言に、僕の心臓が止まりかけた。
「神代、が——」
その先を言いかけた、その時——
部屋の中で、スマホの着信音が鳴り響いた。
誰のものか分からない、黒いシンプルなスマホ。
それは、机の上に堂々と存在感を出している。
雪村くんが、迷わず通話ボタンを押し、そのまま机に置いた。
わずかな沈黙の後、聞きたくなかった声が流れ出す。
『やぁ、ご機嫌よう。穢祓師の皆さん』
その声は、昨日と何も変わらない。
手のひらに、温もりも残っている。
昨日まで信じていたものを失った。
僕の世界が反転し、壊れる音が聴こえた気がした——




