第31話 時の過ぎゆくままに
第31話 時の過ぎゆくままに
昼休み特有のざわめきと、笑い声で満ちた教室に、雪村くんの声が響いた。
「今日は、みんなで遊園地に行くぞ」
その瞬間、教室が静まり返る。
「……は?」
「え、今なんて?」
「遊園地?」
教室がざわつき始める中、僕は思わず聞き返した。
「え……今日? 放課後ってこと?」
雪村くんは、いつも通りの顔で頷く。
「ああ」
それ以上の説明はない。
「やったー! ダーリンとデート!」
教室に遊びに来ていた百合さんが、一番に反応した。
「ちょっと百合、遊びに行くって決まったわけじゃ——」
桜さんが止めるより早く、周囲の女子が色めき立つ。
「雪村くん、それ本当?」
「遊園地、私も行きたい!」
質問が一斉に飛ぶ。雪村くんは少しだけ困ったように笑ってから、肩をすくめた。
「悪いな。今日は遊ぶ相手が決まってんだ」
「えー! そうなの?」
「……次、遊ぼうぜ」
雪村くんは、他に何も付け加えなかった。
「それに、お前たちはレッスンがあるだろ」
「それは、あるけど……」
「なら、そっちが優先だろ? 楽しみにしてるぜ」
強く断るわけでも、詳しく説明するわけでもない。そのまま、話題はレッスンへ移っていた。
不満そうな声を残しながらも、誰もそれ以上は踏み込まない。ひとしきり盛り上がった後、女子たちは席に戻っていった。
「……相変わらずだね」
隣で狛人くんが小さく呟いた。どこか感心したような響きだった。
「慣れてるよね」
そう返しながら、僕はふと声をかける。
「狛人くんも……来る?」
狛人くんの目が、小さく揺れた。
「……僕も?」
「いや、今回はダメだ」
そう答えたのは雪村くんだった。そして、先ほどと同じく理由は語られない。
「そっか」
狛人くんは、口を開きかけて、結局何も言わなかった。
彼がどう思っているか分からないが、一緒に行ってみたかった。僕が肩を落としていると、思いがけず恭介くんが助け舟を出してくれた。
「雪村、如月くんもアレが視えます」
「……そういえば、言ってたな」
「今回、目は多い方が良いと思いますよ」
雪村くんは僅かに考えてから、結論を口にする。
「……分かった、お前も一緒に来い」
雪村くんと恭介くんの雰囲気から遊びではないと思ったが、僕は密かにガッツポーズをしてしまった。
放課後、僕たちは防衛省特別事象防衛対策局——特事に集まった。会議室のスクリーンには、遊園地の全体図が映し出されている。すでに準備は整えられていて、僕たちの到着を待っていた。
狛人くんは初めて入る特事を、黙って見回していた。
何を考えているのか、その表情からは読み取れない。ただ、拳が固く握られていた。
「今回の案件は、遊園地内、および周辺で確認されている異常な穢れ反応の調査と対処よ」
局長である、綾瀬川はるかさんは、感情の乗らない声で説明を続ける。まるで天気予報でも読み上げるような口調だった。
「発生源は特定できていない。A.Vとの関連性も今のところ不明」
原因不明——その厄介な言葉に、喉の奥がひりついた。
対処の仕方も、決着のつけ方もまだ見えていないということに他ならない。
僕はスクリーンに映る遊園地の地図を見つめた。
昼間は笑顔と歓声で埋まっている場所。それが夜になると別の顔を見せる。
指先が、いつの間にか机の縁をなぞっていた。
「分かっているのは、夜になると穢れが大量発生するということだけ」
「集団発生……ですか?」
恭介くんのペンが、資料の上で止まった。
「ええ。ただし、性質が均一じゃない」
「……どういうことですか?」
僕は、思わず口を挟んでしまった。はるかさんの視線が、僕の方へと向いた。
「ええ。怒りだけじゃない。悲しみ、後悔、焦り……」
「つまり、方向の違う感情が、同じ場所に留まっているってことじゃないかな」
狛人くんが、要点を口にしてくれた。そのおかげで、何となく理解できる。
遊園地という場所に、それだけ多くの想いが集まっているということ。その事実に、みぞおちの辺りが重くなった。
「今夜は調査と同時に、大規模な祓いを行う予定よ」
「まかせろ、今日一日で終わらせる」
雪村くんが力強く断言した。はるかさんはその言葉を受けて頷いた。
「閉園後、まずは恭介くんが穢場で封界。そして各自、配置につき対応してもらう」
はるかさんは一気に説明した。
恭介くんは頷き、資料の隅に何かを書き込んでいた。
「我々も全員現地入りして、みんなのサポートを行うわ」
遊園地を半日貸し切りという規模の大きさに息を呑んだ。
「……遊園地、か」
百合さんは、楽しげに呟く。ちゃんと説明を聞いていたか怪しいほど、彼女はずっと機嫌が良さそうだった。そして、桜さんの様子も、どこか浮ついている——
遊園地に到着したのは、まだ陽が高く、影がまだ短い時間だった。
ゲートをくぐった瞬間、世界が変わる。
人の声と、スピーカーから流れる明るい音楽。アトラクションの駆動音が、リズム良く空気を振るわせている。売店から漂うポップコーンの甘い匂い。子供たちの笑い声が、何重にも重なって弾んでいた。
「すご……久しぶり!」
百合さんは、弾んだ声をあげた。目を輝かせ、視線があちこちに飛ぶ。
「最後に来たの、いつだろう」
桜さんも周囲を見回している。落ち着いた様子を装っているが、視線は自然とアトラクションに引き寄せられていた。足取りも軽い。
僕は——一人だけ、違う速さで生きているような気がした。
「……異常反応、今のところはありませんね」
恭介くんはすでに仕事モードで、園内マップを確認していた。アトラクションの配置、通路、死角を把握しようと視線を走らせていた。その目は行き交う人波ではなく、マップから離れない。
「やはり……ここが一番都合が良さそうですね……」
誰に向けた言葉でもないが、準備が進んでいることに安心する。
「閉園後が本番だ。それまでは下見と——」
「遊びたい!」
雪村くんの言葉を遮るように、百合さんが即答する。恭介くんが、ほんのわずかに眉を動かした。
「……少しだけだぞ」
雪村くんが、ため息まじりに許可した。
「やったー!」
百合さんは両手を上げて跳ねた。結果的に遊ぶことになったが、誰もそれに異を唱えなかった。
「ダーリン、一緒にジェットコースター乗ろ?」
「しょうがねえな。行くぞ」
「うんっ!」
ジェットコースターに並ぶ間も、百合さんは落ち着かない。
発射の合図で発進。その後に急加速。
「きゃーーーーっ!」
百合さんの、楽しそうな悲鳴が響き渡る。
僕と狛人くんも乗ってみたが、胃が浮く感覚の合間にも、今夜のことを考え続けていた。
終点に着くころには、気づけば肩に力が入っていた。
その後も園内を歩いていると、百合さんが売店の前で急に立ち止まった。
「ねぇ、これ! 絶対食べるやつでしょ!」
指差した先には、やたら大きいカラフルな綿菓子。桜さんが呆れたように息を吐く。
「……本番前に糖分摂りすぎじゃない?」
「大丈夫! うちの雷は糖分で動くから!」
全く根拠のない理論に笑いが漏れた。
「雪村さん、次は私と観覧車乗らない?」
桜さんは、ためらいがちに言った。
「わかったよ、ほら——」
雪村くんが桜さんの手を取り、観覧車に誘った。その時、桜さんの肩が、微妙に揺れていたのを見た。
僕たちは、そのゴンドラを下から見送った。あの中で何を話しているかは分からない。
傾き始めた陽が、ゴンドラの窓を橙色に染めていく。ゆっくり上昇していくその光を見ていると、胸の奥がじんわりと熱を持った。
(……幸せそうだな)
突然笑い声が、ふっと消え、園内の音が遠のいた気がした。
そして次の瞬間には、また音楽と賑やかさが戻る。周囲の人たちは誰も気づいていない様子だ。
気のせいだと思おうとした。けれど、背筋に走った冷たさは、確かに本物だった。
——これからだ。
今から闘いが始まる。これは、その夜に備えた束の間の休息だった。
僕は、そう自分に言い聞かせながら、再び園内に視線を向けた。
やがて、閉園時間が近づく。アナウンスが流れ、客足が少しずつ減っていく。僕たちは園内に残り、みんなを見送っている。みんな笑顔で帰途につく様子は、見ていて微笑ましい。中には疲れた顔を隠す余裕のない大人もいたが。
僕たちの目の前で、子供が親の手を引いて、名残惜しそうに振り返っている。
「……また、ここに来られるといいな。みんなで」
僕の口から自然と言葉が溢れた。僕に出来ることがあるのなら、全力を尽くしたいと思った。
「そろそろ、準備だ」
雪村くんの声で、空気が引き締まる。インカムを装着し、それぞれが配置につく。
恭介くんと狛人くんは、なるべく中央寄りで園内全体を見渡せる位置へ。
百合さんと桜さんは、それぞれ単独で別のエリアへ。
僕は雪村くんと共に移動することになった。
照明が落ち、遊園地は静まり返った。昼間あれほど賑やかだった場所が、嘘みたいだ。残るのは広すぎる空間と、夜の気配だけ。
人がいなくなった広い敷地は、逆に寂しさを感じさせる。
今から始まる事を考えると、当然なのかもしれない。
この場所は、もう普通の遊園地ではない。予感が、確信に変わっていく。
「恭介、穢場を転界してくれ」
雪村くんがインカムで、恭介くんに指示を出した。
『分かりました』
一つ疑問が湧き、雪村くんに尋ねる。
「恭介くんの穢場で、どこまで封界するの?」
「何いってんだ、大祐」
「え?」
「分かってねえな。恭介の穢場は——」
『護りなさい——穢場封界』
恭介くんの凛とした声が、インカム越しに響く。空気が重さを増した。
「全部丸ごとだ」
雪村くんの言葉を待っていたかのように、光のドームが園全体を覆う。この広大な敷地、その全てを。音が吸い込まれ、視界が僅かに歪む。世界の輪郭が、薄紙一枚分だけずれたような感覚。
外の世界が遠ざかった。
今、この遊園地は外界と隔たれている。この世にあって、この世にない場所になる。僕はその光景に圧倒され、何も言えなくなった。
まだ何も起きていない。けれど——確実に、始まっている。
その時、視界の端で何かが揺れた気がした。消えていたはずの照明が、一瞬だけ息を吹き返したような——目を向けた時には、もう元の暗さに戻っていた。
どこか遠くで、子供の笑い声が聞こえた気がした。もう、園内に人は残っていないはずなのに。
時の過ぎゆくままに、夜は静かに形を変えていく。
鼓動だけが、やけに大きく聞こえた——
僕は拳を握ったまま、その瞬間を待った。




