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穢祓師 ―穢れを祓い、絆を紡ぐ学園異能譚― Xblades  作者: 早谷 蒼葉
第三章 孤独な闘い

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第26話 ダーリン

26.ダーリン


 全ての穢れが消え去った。もう、この空間には人に害を成すものは何もない。


 先ほどまで、確かにここには濃密な悪意が渦巻いていた。息を吸うだけで胸が重くなるほどの、あの不快な感覚。だが今は、それが嘘だったかのように静かだ。


 穢場封界(けがればふうかい)が役目を終える。歪んだ床が、割れていたガラスが、天井すら自然な状態に戻っていた。


「……現実なんて、こうしてあっさり書き換えられるんですよ」


 恭介くんが、眼鏡を直しながら呟く。その声には何の感情もなく、ただ事実を述べただけの響きしかなかった。


 ほどなくして、ビルの外から足音が増える。規則正しい足取り。迷いのない動線。特事の人たちが入ってくると、空間の空気がまた変わった。彼らは武装はしていないが、その佇まいには、現場を制圧するだけの慣れがあった。


「穢れの痕跡は無いな」

「監視用カメラ、回収完了」

「目撃者、全員意識不明状態。搬送します」


 短いやりとりにプロの仕事を見た。まるで災害現場の後処理のようだ。こうやって、雪村くんたちのフォローを、裏で行ってくれていたんだと感心した。


 その中心にいたのは、綾瀬川さんだった。スーツの袖を軽くまくり、タブレット端末に目を落としている。現場を見回す視線は鋭いが、決して冷たいわけではない。


「……ずいぶん派手にやったわね」


 そう言いながらも、少し笑っている。責める色もない。


「今回暴れたのは桜だぜ」雪村くんも笑いながら、軽い口調で返す。

「まったく……あなたは」


 綾瀬川さんは小さく息を吐いて、また笑った。そのやり取りから、長い付き合いを改めて感じた。信頼しているからこそ、余計な言葉はいらない——そんな距離感。


 綾瀬川さんの視線が、ふと僕に向いた。


「大祐くんも大丈夫だった?」

「は、はい」


 呼ばれただけなのに、背筋が伸びる。


「今回あなたの力で、百合さんは救われたと思うわ」

「綾瀬川さん、僕は……」

「ふふ、綾瀬川さんは止めて。はるかでいいわ」と微笑みながら言う。

「はい……はるかさん、僕は傷を治しただけです」


 ぎこちなく話す僕に、はるかさんは軽く首を振った。


「謙遜はいいわ。事実を言っているだけよ。あなたは百合さんを救った。あなたにしか出来ない事ね」

「あ、ありがとうございます」


 その言葉は、僕の胸に深く染み込んだ。緊張も、少しずつほどけていく。


「百合は?」雪村くんが、短く聞く。

「医療班が付き添ってる。外傷は問題なし。精神的なショックはあるでしょう……そっちが問題ね」

「百合は強いぜ、大丈夫だ……ひなのは?」

「ひとまず一日の検査入院をさせる。A.V(アーヴィー)を常用していたわけじゃないなら、後遺症も出ないと思うわ」


 その言葉を聞いた瞬間、ようやく現実に足が着いた気がした。


「ほかの男たちは?」

「特事で一時収容ね」はるかさんは、迷いなく言い切る。


 僕はずっと気になっていたことを聞いてみることにする。


「彼らは警察に捕まらないんですか?」

「A.Vに関しては、まだ法律が追いついてないの。だから警察じゃ手が出せない」

「だから、特事で収容なんですね……」

「ええ、嫌な役目だけど、必要な事よ」


 はるかさんは少し、目を伏せた。


「この件は氷山の一角。A.Vの流通は確実に広がってるわ」

「元締めは?」

「まだ……何も。煉くんからも報告は無い。けど、必ず尻尾を掴むわ」


 雪村くんは、それ以上踏み込まなかった。


「任せる」

「ええ、あなたは——」


 一瞬、言葉を選ぶような間があった。


「……あの子たちを、日常に戻してあげて」


 その言葉は、命令ではなく、託すような響きだった……


 あれから二日間、百合さんは学校に来なかった……


 しかし、その次の日にはひなのさんと共に、元気な顔を僕たちに見せてくれた。その元気な様子に安心する。


 ひなのさんは、あの日より少し痩せたように見えたが、すっきりとした顔をしている。二人が普通に話しているのを見るのは初めてだが、互いを信頼している様に感じる。あの日のことが二人の絆を強めたのかもしれない。


 お互いに言いたいことを言って、それでも友達のままでいることができるのは凄いと思う。人生でそんな相手に何度出会うことができるだろう。


 大変だったが、平和な日常が戻ってきた——


 今日、百合さんは昼休みも、そして放課後も僕たちの教室にやってきた。


「やっほー、みんな。もう帰るところ?」

「百合。お前、今日何回目だ?」

「何回でもいいじゃん! みんなに会いたいんだよ……」


 二人のいつものやり取り。そこに恭介くんも参加する。


「百合さん、一日過ごしてみて、体調はどうですか?」

「うん、大丈夫だよ! きょーちゃん、ありがと! つーか、きょーちゃんのあの能力すごいよね」


 本当によく口が回る。元気そうで、なおさら安心した。


「まぁ、百合さんは少し元気が無い位の方がいいかもね」


 珍しく、桜さんが意地悪な言い方をした。


 百合さんはそれに応えず、桜さんをニヤニヤしながら見つめている。


「な、なによ……その顔?」

「うち知ってるよ」ニヤニヤ顔のまま、百合さんは言う。

「え……なにを?」


 彼女は満面の笑顔で、桜さんに告げた。


「あの時うちのこと、友達だって言ったよね?」

「——!」

「ちゃんと聞こえてたんだよー」

「あれは……その……」


 真っ赤になって、慌てふためく桜さん。そんな彼女を見るのも珍しい。その様子を眺めながら、微笑む百合さん。今日はとてもいい日だ。


 ふと、百合さんは真顔になる。


「うちね、めっちゃ嬉しかったんだ」

「……そう」

「大事なんだって、気付いたの——桜のこと!」

「——え」


 百合さんが桜と呼んだ。それは、頑なに拒んできた手を、自ら掴んだ瞬間だった。百合さんはちゃんと変わっていた。進もうとしている。


「私だって……そう思ってるわ」

「うん、ありがと!」

「だから……」


 桜さんは、少しだけ言葉に詰まる。だが、それは一瞬だった。


「だから……もっと頼ってね——百合」


 二人の気持ちが通じ合ったと思えた。過ごした時間はまだ少ないが、そんな事は関係ない。突然始まることもある。


「うん! ごめんね、桜!」百合さんはもう一度、確かめる様に彼女の名前を呼ぶ。


「美しいですね」


 恭介くんですら、この感想だ。僕は笑ってしまった。


「それでね、桜」

「何?」

「これからは……ライバルとしてよろしく!」

「……は?」


 ほのぼのした空気が一気に冷えた。本当に百合さんは読めない。


「さ、ゆっきーたちも帰ろ!」

「ちょっと、待って!どういう……」

「あははー」

「待ちなさい、百合!」


 百合さんは笑いながら教室を出ていく。桜さんがそれを追いかける。


「僕らも、行こうか?」

「だな」

「えぇ」


 狛人(はくと)くんは「今日はまた、一段と元気だね」と呟いた。彼はいつも的をえた事を口にする。周りをよく見ていると感心する。


「そうだね!」


 僕はそう応えて、雪村くんたちを追いかけた。


 みんなに校舎の入り口で追いついた。百合さんはひなのさんと帰るらしい。桜さんに問い詰められているが、百合さんは軽やかに笑い飛ばしている。


 やがて……桜さんも諦めたようだ。何となくみんなで二人を見送るような形になる。


 百合さんが、雪村くんに振り向いた。


「ね、ゆっきー」

「あ?」雪村くんの気の抜けた返事。

「これからは、ゆっきーじゃなくて——ダーリンって呼んでいい?」

「……は?」

「ゆ、百合ー!」と桜さんが反応する。


 またもや、桜さんを煽る様な事を口にした彼女は、笑顔のまま走っていく。ひなのさんも笑っている。


「まったく……好きにしろよー」


 雪村くんは、大きな声で彼女の背中に声をかける。


「雪村さんまで!」桜さんの顔はもう真っ赤っかだ。


 少し離れたところで、百合さんは再び振り向いた。さっきよりも少し真剣な表情だ。


 そして——


「ねえ、聞いて!うちは……ダーリンのことが——」

「まさか……」


 百合さんは、大きな声で叫ぶ。


「ダーリンのことが——」

「百合!」


 彼女は一度、大きく息を吸う。


「大、大、大っ好きだよー!」


「あぁ……もうっ」


 周りに人がいるのも気にせず愛を叫ぶ。桜さんの呟きは空に溶けていった。


「ダーリンは——うちの王子様だったんだよーーーー」

「ははっ、ホントおもしれー女だな」

「やれやれ……」

「うぅ、百ー合ー!」


 雪村くんは爆笑し、恭介くんはため息。桜さんは怒り、僕は笑う。こんな日々が続けばいいと思う。きっと百合さんも同じ気持ちだ。


——だって、並んで歩く二人の背中は、あんなにも喜びに満ちているのだから。

 


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