第18話 火花のように
18.火花のように
昨日はあれほど世界が軋んでいたのに、今日は何事もなかったように時間が流れている。まるで嵐の翌日に残った水たまりが、静かに光っているように。事件があった方がいい訳ではないが、相当な覚悟を決めていた分、肩透かしをくらった気分だ。狛人くんも同じ気持ちらしい。今日は1日そわそわしていたように感じる。
恭介くんは今日も涼しい顔をして過ごしていた。あの後、現場はどうなったのだろう。尋ねても詳しく教えてもらえない。納得のいかない気持ちを抱えながら、時間は過ぎていく。
「よっ!ちょっと麻衣、聞いてよー」
お昼休みに明るい声で百合さんが入ってきた。鎌苅百合——隣のクラスのギャルだ。最近よくうちのクラスで見かける。神楽さんと仲がいいようだけど、みんなともよく話している。彼女が来ると教室の空気が変わる。
「また来たの?」と神楽さんが笑う。
「ご飯食べながら、話そーよ!」
「はい、はい」
返事はそっけないけど、神楽さんも嬉しそうだ。彼女たちの話は盛り上がってる。
「よー、みんな飯食ってるか?」
このタイミングで雪村くんも教室に入ってきた。さらに教室内は盛り上がる。もうスターの貫禄だ。
「おはよう!っていうか、もうお昼だよ」
「ねぇ、昨日の返事聞いてないんだけど……」
「雪村くん、これ私が作ったんだけど、一口食べない?」
今日も変わらず人気者の雪村くんは、差し出されたお弁当から、卵焼きをつまみ食いしながら、愛想を振り撒きまくっている。平和な光景だ。
「また遅刻?遅いじゃん」
百合さんが顔だけ振り向いて、雪村くんに声をかけた。
「よう、百合。また俺の麻衣に会いにきたのか?」
「麻衣は、うちのものなんだけど?」
「私は雪村くんのものよ」神楽さんは真顔で即答。
「……麻衣、……やめときな」百合さんも真顔で反応。
(……言葉がないよ、雪村くん)
僕が内心でそう呟いている間も、教室の空気は相変わらず賑やかだった。
「相変わらずだね、ゆっきーは。ほんと人気者」
「ん、そうか?」
「うん、モテモテ!」
自信満々に言い切る百合さんに、周囲がクスクス笑う。あたりの反応を見て、雪村くんは気にした様子もなく肩をすくめた。
「あと、ゆっきーってさ」
百合さんは椅子から立ち上がり、少し体を寄せた。そっと桜さんの様子を伺うと、ソワソワして落ち着かない。
……少し寒くなってきたかも。
「めっちゃ軽いよね」
「ひでぇな」
「でもさ、顔は好き」
あまりにもあっさり言うので、周囲が一瞬静かになった。桜さんの動きも止まった。
「急にどしたの?」神楽さんが笑いながらつっこむ。
「顔はマジでタイプ。でも、性格は……うーん」
「おいおい」雪村くんも短くつっこむ。
その言い方は冗談めいているのに、不思議と本音が混じっている気がした。
「百合、最近俺への当たり強くね?」
「だって事実じゃん?」
百合さんはそう言って、悪びれずに笑う。その様子を、桜さんは少し離れた席から見ていた。表情は柔らかいけれど、どこか落ち着かない。視線が、百合さんと雪村くんの間を行き来している。この人は本当に分かりやすい
「……桜さん、大丈夫?」
小さく声をかけると、桜さんははっとしてこちらを見る。
「あ、ごめんなさい。ちょっと、びっくりしてしまって」
困ったように笑う。それから、何事もなかったかのように弁当箱に目を落とす。けれど、その動きは、いつもより少しだけ遅れていた。
「百合さん、距離が近いから……」
ぽつりと零すように言う。確かに、百合さんは雪村くんとの距離が近い。肩が触れるほどで話し、視線も遠慮がない。けれど、それは好意というより、警戒心の無さと興味が入り混じった距離に見えた。
桜さんは、少し考えるように間を置いてから小声で言った。最後の方はほとんど聞こえないくらいだった。
「……え?」
思わず聞き返すと、桜は一瞬だけ視線を伏せた。それから小さく息を吸って——「よし」と気合を入れてから、百合さんの方を見た。まっすぐな美しい姿勢で、彼女の正面に立つ。
「百合さん、ちょっと距離近すぎないかな?」
「え、そう?」
百合はきょとんとした顔で「普通じゃない?」と首を傾げる。
「普通じゃないよ」桜は即答した。自分でも驚いたのか、少し目を丸くする。
「……ごめんなさい——でも」
教室の空気が、二人のために止まった気がした。
「異性とは、普通、ああいう距離で話さないでしょう?」
「そうかなぁ」
百合は腕を組んで考えている。話はまったくかみ合ってない。
「だって、ゆっきーだよ?」
「だからでしょ」今度は桜が一歩も引かない。
「誰にでもああいう態度だからって、何をしてもいいわけじゃないわ」
百合は一瞬だけ目を瞬かせ、それから、にっと笑った。
「へぇ」
「なに?」
「桜ちゃんて、思ってたより言うじゃん」
挑発でも、悪意でもない。ただ、面白がっているだけの笑い。
「言うよ」
「ふーん」
百合さんはわざとらしく、桜さんとの距離を詰めた。
「じゃあさ、聞くけど」
「うん」
「桜ちゃんは、ゆっきーのこと好きなの?」
教室のあちこちで、空気がざわついた。
「おーい、二人とも俺の取り合いすんなよ」
雪村くんが冗談っぽく口を挟む。
「雪村さんは黙ってて」
「ゆっきー、うるさい」
「……すみません」
さすがの雪村くんも、二人に同時に怒られて小さくなっている。とても貴重な場面を目の当たりにしてしまった。
対峙している二人の間の空間が歪んでいるような気がする。百合さんは気にした様子もない。桜さんは笑顔を崩さない。でも、逃げなかった。顔を真っ赤にして答える。なぜか僕も顔と体が熱くなってきた。
「……す、好き……です……よ…………それなりに?」
「へぇ、少しだけ正直だね」百合は少しだけ目を細める。
「百合さんほどじゃないと思うよ」
ぴしっと言い返す。しかし、まだ熱の余韻が残っている。
「百合さんは、雪村さんの顔が好きなんでしょ?」
「うん」
「それだけ?」
「今はね。けど……それだけではない事は分かる」
百合さんは軽く肩をすくめた。色々と想像ができる言い方だ。百合さんは本当に楽しそうだ。
「面白いじゃん。どんな人が本気にさせるのか」
「……人を試すみたい」
「試してるよ?」百合さんはあっさり認める。
「桜ちゃんは違うの?」
「……違うよ」
桜は、少しだけ間を置いてから言った。
「私は……ちゃんと向き合いたい」
百合さんは一瞬、言葉を失ったようだった。それから、ゆっくりと笑う。
「そっか」と百合は一歩引いた。
桜さんは驚いたように百合さんを見る。彼女はくるっと振り返り、教室の出口に向かった。二人は一瞬だけ視線を交わし、どちらともなく、ふっと笑った。
空気はピリついているのに、不思議と嫌な感じはしなかった。桜さんは少し頬を赤くしながらも、視線を逸らさなかった。
日常は、今日も続いている。でもその中で、二人の譲れない想いは、確かに火花のように散った。それは喧嘩でも、恋でもない。ただ、表に出ただけ。
僕はその光景から目を離せなかった。教室はいつも通り明るくて、笑い声も絶えない。それなのに、僕の胸には小さな熱が残っている。
火花は消えたわけじゃない。
まだ——燃え広がってないだけ。
僕の胸の奥で、その熱はまだくすぶっている。




