第17話 大事なものを失う前に
17.大事なものを失う前に
「やっぱり、さっきの穢場は、恭介くんのだったんだ」
「えぇ、封界する者によって、雰囲気が変わるでしょう?」
確かに桜さんのそれと感じ方が違っていた。まだまだ分からないことが多い。狛人くんにも多少の説明をしたが、多くを語れない。
「……やはり、この学園はかなり特殊なんだね」
「はい、如月くんもあまり他言しないようにお願いしたいと思います」
「……こんな話、信じてもらえないよ……」
二人が話し込んでる中、僕にできる事を考える。男たちの怪我の具合は、それなりに重そうだ。治せるなら、治してあげたい。
——だが、手を伸ばそうとした瞬間、躊躇する。過去のトラウマと再会することになるかもしれない。
誰かに強制されている訳でもなく、頼まれている訳でもない。それでも自分と向き合うことを覚悟したのだから、逃げたらきっと後悔する。自分にとっての大事なものを失う前に、僕は動き出す。
「……狛人くん、僕のことが……」
「ん、どうしたの?」
「僕のことが……怖いと思ったら……言ってね」
不思議そうな顔をした狛人くんをそのままにして、男たちの真ん中に立つ。初めての試みだが、何となくイメージができている。両手を広げて、穢場のような光が広がるイメージ。
僕は目を閉じる。視覚を閉じると、内面への意識が高まる。自分の中にある、力の欠片を束ねて外に解き放つ。体が熱くなるのを感じた。
すると、今まで手のひらだけでしか出なかった光が、身体中から放たれる。視界に入る全ての者と光で繋がった感覚を覚える。……たぶん、これなら治せる。そう確信した僕は、いつものように想いを乗せた。
「——っ!」
狛人くんの息を呑むような声が聞こえた。どうやら僕の試みは成功したようだ。体がしだいに重くなっていくが、同時に喜びも感じる。
達成感を感じつつ、僕は目を開けた。狛人くんの顔をみるのが怖い。過去の映像がフラッシュバックする。だが、彼も普通の人ではないような気がする。少しだけ期待を込めて口を開く。
「狛人くん。これが…僕の力。怖い……よね」
沈黙——その後に。
「す……」
(……す?)
「すごいよっ!大祐くん、すごいっ!」
こっちが唖然とするほど、なぜか狛人くんは感激している。彼は僕の手を取り、跳ねながら全身で感動を表現してくれている。こんなテンションの彼は見た事がない。
「ホントにすごいね!それも穢れ、とかいう力なの?力を使って疲れないの?痛くないの?それから——」
すごく興奮しているのが分かる。そして質問が途切れない。どういう気持ちなのかは分からないが、少なくとも悪い印象ではなさそうだ。心の傷跡が塞がっていくような気がする。心地の良い疲れが体を包み込む。恭介くんが僕の肩に手をのせて言う。
「大祐くん、よかったですね」
「……うん」
「あなたは——何も失っていないということです」
その言葉を、すぐには理解できなかった。
でも——胸の奥で、何かが確かにほどけた……
狛人くんがある程度落ち着いてきたので、ようやくまともな会話が成立するようになってきた。
「僕もある程度みえる人だから、大祐くんの気持ちはわかるよ。……誰にも言えないよね?」
「……やっぱり、そうなんだ」
「うん、そんな凄い力はないけど。……穢れがみえる位だから」
誰にも言えない気持ちはよく分かる。この学園にいる人たちは、皆同じような境遇を過ごしてきたのかもしれない。前に雪村くんが、優しい檻だと言っていた意味が、今日少し理解できた。
ふと、恭介くんをみると、足元に転がっていた錠剤の包みを拾い上げていた。雨に濡れ、文字の一部が滲んでいる。
「……やはり、同じものですね」
「同じ、って?」
「最近、学園の周辺や街で確認されているドラッグで、理性を刺激する効果があるそうです」
「理性の抑制……それは他の麻薬にも当てはまらない?」狛人くんが疑問を口にする。
「その通りです。ただし、使用する目的が違います。普通は現実逃避や快楽を求め、薬に手を染めます」
恭介くんが賢いのは知っているが、狛人くんも同等のレベルでやり取りしている。
「それに対して、このドラッグは理性を……放棄するんですよ」
「……っ!、それはヤバいね……」
正直に言って理解が出来なかった。勉強はそれなりに得意だと思っていたが、二人の会話の内容がいまいち理解できない。素直に教えてもらうことにする。
「二人とも、何がそんなにヤバいの?」
「大祐くん。……理性の抑制とは、抑えられているだけで、まだ自分を保ってる状態です」
恭介くんは、淡々と続ける。
「ですが、放棄は違います。理性そのものを手放してしまうこと……つまり薬を飲むだけで、弱い者は容易く堕ちてしまう」
背筋が冷えた。理解できてしまったからだ。そして理解したくなかった。そんな物に何の意味があるんだろう。怒りや嫉妬、劣等感。普段は必死に押さえ込んでいる感情を、肯定してしまえる。そんな逃げ道を、この薬は用意している。
気持ち悪い。それなのに、どこかで——納得してしまいそうになる自分が、もっと怖かった。
「このドラッグは、これこそが本当の自分だと思い正当化する、たちの悪い自覚が芽生えるそうです」
「危険だけど、使えると感じる人は多そうだね」と狛人くんは暗い顔で言った。
さっきとは別の意味で理解できない。いや、したくない。
「そんなもの……誰が……」
「近くに元締めがいます」恭介くんは即答した。
「個人ではありません。流通、改良、供給……ここまで統一されているのは、組織的です」
「じゃあ……今日の人たちは……」
「末端でしょう。使い捨てに近い」
その言葉が、妙に軽く聞こえた。命や人生を語っているはずなのに、事務的で感情がそぎ落とされている。
——それが現実なのだ。
「穢れは、人の感情に左右されます。でも——ここまで使いやすく加工されているのは異常です」
「檜山くん、それは……誰かが、意図的に……?」
「ええ。堕ちる人間を、増やしている」
僕は無意識に拳を握りしめていた。助けたと思った。でも、これは終わりじゃない。むしろ、始まりなのだと、はっきり分かってしまった。しかし、たかが一介の中学生に何ができるのか。
「……僕たちに、できることはあるのかな」
絞り出すように聞くと、恭介くんは静かに微笑んだ。
「ありますよ」
「え……」
「あなたは、もう関わってしまった。なら、選択肢は一つです」
その言葉に、覚悟が揺れる。
「……雪村くんも、この件を?」
「もちろんです」
恭介くんは錠剤を袋に戻し、ポケットへしまった。
「元締めは、必ず見つけます」
「……危険じゃない?」
「危険でない穢祓師などいません」
さらりと言い切られて、言葉を失った。そのとき、遠くでサイレンの音が聞こえてきた。誰かが通報したのだろう。現実が、ゆっくりと追いついてくる。
「……警察のほうが、先に反応しましたか。これは少し面倒な事になりそうですね。ここは私に任せて、お二人はこの場から離れてください」
恭介くんが遠くを見つめながら言う。
「檜山くん、最後に教えて……そのドラッグの名前は?」狛人くんが真剣な顔をして聞いた。
「——A.Vと呼ばれています」
僕と狛人くんは顔を見合わせた。去り際、僕はもう一度だけ振り返った。倒れた男たち。散らばった錠剤。濡れた地面。
(……知らないままじゃ、いられない)
そう思ってしまった自分が、少し怖い。でも——それ以上に、目を逸らす方が怖かった。
「行こう、大祐くん」
狛人くんの声に、僕は前を向く。夕暮れの街は、何事もなかったかのように光っている。
けれど、その裏側で——誰かが、こちらを見ている気がする。それを、もう僕は見ないふりができなかった。




