4.理想と現実
「…………」
言葉を発する気にもなれず、クレアは系図を閉じて棚にしまう。
もしかするととんでもないものを見てしまったのかもしれない。八百年前の、敵国同士の王族の婚姻――
それ以上に――普通の人間と思っていたルカは、レディエンスで唯一不老不死を許された王族の血を持っている。
思えば、クライストの王制が大幅に変わり始めたのも、八百年余り前のことだった。系図は元々非公開にされていたが、国王の顔すら出さずに政治を始めるようになったのも――
「……だめだ」
わからない。
情報が足りない。それに、間違いなく今、自分は混乱している。
ここにきてようやく、クレアはルカの事を知ったつもりでいた自分に腹を立てる。よく考えれば、ルカは自分の過去について一切、話した事がない。そう、あの鍵が父の形見だ――そのくらいしか聞いていない。
縋る思いで、懐から銀の鍵を出す。
本当は全部夢だった、だからこの鍵の紋章は――
そう思って裏返しても、鍵には孔雀が住んでいる。鳩では、ない。
「――ッ」
小さな鍵を、資料室の隅に投げた。なにがなんだかわからない。そのまましばらくそこに座り込んで、まとまらない思考を巡らせる。
落ち着いてくると、なんて事をしたんだろう――と、投げた鍵を探し始めた。
難なく見つかった鍵を懐にしまう。ルカは未だにこれを探しているのだろうか、恐らく探しているのだろう。
返さなければならないと思ったが、返してしまえば、彼を問いたださずにはいられなくなる。
自分の理想が崩れるのも、このままでいるのも恐ろしかった。
そっとドアを開ければ、王室の隣にあるルカの私室は真っ暗だった。随分と図書館に長居してしまったせいか、もう城門すら閉まっている。
今夜は、仮眠室に寝泊まりするしかないな――そんな事を思いながら、クレアはこっそり持ち出していた短剣を戻そうと、ゆっくりと歩く。
分厚い絨毯の敷かれた床は、ちょっとくらい速足で歩いても滅多な物音は立てない。月明かりもあってか部屋の様子が少しずつうかがえるようになると、目的の場所――小さな棚の中に、短剣をしまう。
私室とは言っても、ここはルカの家のようなもの。今いる場所はリビングに値する。ルカは――隣の部屋で眠っているはずだ。
「――八百年も、何をしていたの」
小さく呟き、部屋を出ようとする。と、廊下から足音が響くのに気が付き、慌ててドアを閉めた。
「――ルカぁ?起きてるんー?」
――最悪な事に、足音の主は耳慣れた声でドアをノックする。どうしよう、とも思ったが、この相手ならばごまかしも多分効く。
そっとドアを開くと、目の前には茶色の髪をざんばらにカットした青年、ケイマがいた。
「――寝ちゃってるよ」
「あ、そーか。わりわり。じゃあ、明日にする」
声を潜めて呟けば、ケイマもつられて小さな声で答え両手を合わせる。彼が去って行ってすぐ、クレアは溜息を吐いた。
「――クレアか?」
唐突過ぎた。背後からの声に、クレアはびくりと肩を震わせた。




