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暁降ち  作者: 木之本 晶
本編
2/21

予期せぬ出逢い



 先に恋に落ちたのは、きっと自分の方だった。

 もっとも、最初の出会いの時点では、生まれた想いは淡すぎて気付くのに時間がかかったけれど。




***************************



 夜闇を紡いだ見事な漆黒の髪は、ヴィーフィルド皇王家直系の証である。

 その黒髪と、極上の紫水晶の双眸を持つ青年――ヴィーフィルド皇国皇太子ファナルシーズは、持ち込まれる数々の縁談にうんざりしていた。

「なぜ私にばかり縁談が来るんだ」

 半ば八つ当たり気味に再従兄に文句を言ったが、至極最もな返事が返ってきた。

「私は先ごろ結婚して子供がいますし、ヴィランドの跡取りギルトラントはまだ十にもなっていません。有力な臣下といえばサリアネス侯爵家のジークフリート、セライネ伯爵家のウォルセイド、オルソール子爵家のロハルシュがいますが、いずれも結婚、婚約していますから。しかもジークフリートとロハルシュにいたっては子供ができて長い。そんな中でとっくに成人した皇太子が婚約もしていないとなれば、格好のカモですよ」

 身も蓋も無い言い様だが、反論も言い訳もできない事実だった。

 ヴィーフィルド皇国筆頭公爵家の後継者であるライシュタット卿ジェレストールは、ヴィーフィルド皇族傍系特有の本物の黄金も顔負けする金髪を、溜め息と共に揺らした。やぐされている皇太子に手っ取り早い解決策を提示してやる。

「さっさとオルティーヌ嬢を娶ればいいでしょう」

 目下、皇太子妃最有力候補は、東の大河ルトニ中流近くに領地を持つファヴァイナ侯爵家の令嬢オルティーヌである。

「あいつは嫌だ。フィオと親友同盟なんておぞましいものを結んでいるんだぞ! 世界にあいつしか相手がいなくなっても、あいつだけはごめんだ」

 わがままな、とジェレストールは内心で呟いた。

 ファナルシーズは当年とって十七。もうすぐ十八になる。ヴィーフィルド皇国では十六が成人の年と定められているので、成人して二年近い時間が経過したことになる。別段、后を娶るのに年齢制限があるわけではないが、早いに越したことはない。

 それでなくても、東の新興国・デルフィニアとの度重なる戦役に、将として出陣しなければならぬことは決定事項なのである。もしもの事態のためにさっさと世継ぎの子供を作ってくれと考えている臣下は、両手両足の指を使って全てを一往復させてもまだ足りないほどいるのだ。単純に皇太子の子供の顔を見たいという願望も、中には含まれているが。

「デルフィニアという脅威をお忘れではありますまい、殿下。先代国王は非常に好戦的な人物で、半年前に代替わりした小僧も軍の拡張に熱心と聞き及んでおります。先代皇王陛下はかの国との衝突から来る過労で亡くなられたのですよ」

「わかっている。だがめぼしい令嬢がいないのだ。仕方がない」

「候補はいます。貴方が嫌がっているだけです」

「だがオルティーヌを皇太子妃に据えてみろ、折角ヴィシュアールに行かせたフィオが皇城に舞い戻ってくる羽目になるぞ!?」

 フィオ、とはフィオルシェーナの愛称、ファナルシーズの双子の妹であり、先頃降嫁した元皇女、現ヴィシュアール公爵夫人のことである。成人前にして『歩く悪夢生産機』『ヴィーフィルド最凶の娘』とまで渾名された少女だが、運よく引き取り手(?)が見つかり、これ幸いと父皇王は相手に娘を押し付けた。それも後継者不在で浮いていた皇族領ごとだ。

 当然反発はあるものと思われたが、婿が宰相の息子、嫁が「あの」とつく皇女の組み合わせでは、どこからも文句は出なかった。むしろ全皇族が泣いて宰相の息子に感謝した。よくぞあの火の玉娘を娶ってくれたと、現ヴィシュアール公爵はほとんど崇められている。ジェレストールなどは最有力婿候補だったため、一番安心したのは彼だったのではないだろうか。

 彼女は既に一子を身籠り、幸せ――もとい、充実した結婚生活を送っている。

 苦い思い出を呼び起こすはずの名前が出ても、ジェレストールは涼しい顔だ。既に彼自身結婚して子供が生まれている。継嗣を誕生させているのだ、誰からもうるさく言われないので、あくまで皇太子への忠告である。

「ご心配なく。そうなったら領地に戻りますから」

「そう都合よく帰れると思うなよ!」

 睨み合っていたファナルシーズとジェレストールは、正午の鐘を合図に皇太子執務室を出た。

「殿下、ガルダニアの情勢が不安定だとお聞き及びでしょうか」

「ああ。国王と王弟のアーレウス公が事あるごとに対立しているそうだな。国王は懐柔策として王女を弟本人か、弟の息子と娶わせるつもりのようだが……」

 執務室を出ていきなりこんなことを話し出したのには、わけがある。

 皇太子と筆頭公爵家の総領の組み合わせだ。大抵の者は道を譲って頭を垂れる。しかし独身の皇太子を狙う令嬢は、そんなことはしない。

 ファナルシーズ一人であれば確実に呼び止められたであろう。回廊の其処此処から向けられた目に、ファナルシーズは背筋が寒くなるのを感じた。

 基本的に身分の低い者が上位の者に話しかけるのは慣例に反し、大変な無作法とされる。これを覆すことができるのは、かの有名な諫言の常套句『我が王に申し上げるセリエ・レ・イエラ・ベルタンジェス』のみだ。死を覚悟しての諫言でもない限り、許されることではないのである。

 それを無視しかねない令嬢達に、心底ファナルシーズはうんざりしていた。

「……近衛騎士団の予定は、どうなっている?」

「ファース?」

 うっかり幼少時の愛称を呼んだジェレストールは、そうと気づかず眉根を寄せた。

「ウォルセイドはいるか? なら奴を連れてセライネ領へ遠乗りに行こう。こんなところに閉じ込められて女狐共の相手をするのにはうんざりだ」

 ジェレストールはこめかみを揉んだ。思い立ったが吉日とはよく言うが――

「あのな」

「うるさい。大体、今私がやっている執務のほとんどは本来なら父上が直接決裁を下すべきものなんだぞ。レステアまで馬術訓練だ。ちょうど豊饒神祭も終わっている」

 季節は秋の終わり、もうじき冬に差し掛かる。件のレステア――セライネ伯領はこの皇都リーヴェルレーヴから北に位置し、ヴィーフィルド北方のヴィライオルド公領に近い。

「だからってこの寒い中――」

「ぬくぬくと奥方の膝枕を堪能したいなら残っていろ」

 こう言われてはジェレストールとて引き下がれない。

「いいでしょう。その代わり私は陛下には何も申し上げませんからね」

「むしろ言うな。引き止められるだろうが」

 小声で囁きあう青年達は、歩く速度を上げた。



 ヴィーフィルド皇国の歴代皇王の居城・リーヴェルレーヴ城は、『竜の牙』と呼ばれる峻厳な山の麓に、扇状に展開している。

 中心はもちろん国政の場である一の郭。この郭の『竜の牙』寄りに皇王一家の居住区・後宮が高い壁に仕切られて存在する。

 二の郭は貴族の館が存在する。ここに居を構えることを許された貴族は、ヴィーフィルド貴族のごく一部に過ぎない。趣向を凝らした邸宅が立ち並ぶこの区域を城下の方へと通り抜けると、そこは三の郭だ。

 身元の証明ができなければ入ることができない二の郭、爵位がなければ門前払いの一の郭とは違い、三の郭には多くの身分の者が出入りしている。

 ここには近衛騎士団を始めとして、国内の多くの騎士団の宿舎がある。

 ヴィーフィルド皇族特有の髪の色を神術で変えたファナルシーズとジェレストールは、その近衛騎士団の宿舎に躊躇うことなく堂々と足を踏み入れた。

 勝手知ったる建物の中である。二人は迷わず目当ての部屋の扉を開けた。

「ウォルセイド、暇だな」

「……決め付けないで下さい」

 褐色の髪と若草色の瞳を持つ青年――セライネ伯爵家の後継ウォルセイドは、まるで自分の部屋であるかのように入ってきた二人を見て、がっくりと肩を落とした。

「大きな演習の予定はないし、まだ出陣の必要も無い。暇じゃないのか」

「俺は一応、聖騎士で中隊の隊長なんですがね。で、何しに来たんですか」

「レステアへ行く。一緒に来い」

 ウォルセイドは顔色を変えた。

「何を仰っているんです!? 皇太子ともあろう御身が、そんな軽率な行動をなさるべきではありません! それ以前に勝手に人の領地に気軽に遊びに来るのはやめて下さい」

「だからお前にこうして誘いをかけに来たんだ。里帰りがてら、護衛しろ」

 ウォルセイドはいつになく不機嫌な主の様子に、何かあったなと察した。

 ファナルシーズ、ジェレストール、ウォルセイド、ここにはいないがサリアネス家のジークフリートとオルソール家のロハルシュ、そして今はヴィシュアール公爵となった宰相の息子ルーネイスは、親同士の関係から幼馴染兼腐れ縁である。全員、いずれは皇王となるファナルシーズの側近として育てられてきたが、幼馴染ゆえに互いの気持ちの変化には敏感になっていた。

「……離れで我慢していただけるのなら」

「急だからな。馬小屋でも十分だ。一週間もすれば帰る」

「げ、一週間も居るんですか」

 つい本音が出てしまったウォルセイドである。まさか自国の皇太子を馬小屋に泊めるわけにもいかないが、今回ばかりは何か嫌な予感がするのだった。

(何だろう、何か忘れているような……)

 ウォルセイドは首を捻ったが、思い出せなかったので潔く諦めた。

 後々になって、「あんなに苦労するくらいなら!」と、彼はこのときの自分の潔さを深く後悔することになる。



 セライネ伯領レステアまでは、騎馬で三日ほどの道のりである。

 往復で半月ほど城を空けることになるわけだが、城主はまだファナルシーズではなく、父皇王リダーロイスだ。皇都を出て半日以上経過したところで、ファナルシーズは父に手紙代わりの青鳥(しらせ)を飛ばした。

 青鳥とは、人語をそのまま運ぶ鳥である。美しい光沢を持つ青い背中から名付けられた。銀三粒もしくは金一粒で広大なヴィーフィルドの端から端までを飛び続ける、不思議な鳥だ。その生態は謎に包まれているが、伝令手段として重宝されていた。

 刈り入れ時の金色に染まった農地を横目に、ファナルシーズ、ジェレストール、ウォルセイドの三人はセライネ領へ馬を駆った。

「転移神術で行けばよかったのでは?」

「馬鹿、ファースは何でもいいから解放感を味わいたかったんだ。縁談攻勢で色々と溜まってたからな」

「だから早く決めておけと言ってやったんじゃなかったのか」

「どうにも食指が動かないらしいな。少なくとも持ってこられた縁談の中では」

 ゆったりと駆けて三日目の昼過ぎに、彼等はセライネ伯爵家の本邸に着いた。

 出迎えたのは伯爵家の家令である。皇都の伯爵邸へも赴いたことのある家令だが、若君が連れてきた客人の一人が筆頭公爵家の嫡子、今一人は皇太子だとは気付いていない。セライネ伯爵家は名門だが、家令までが皇族の顔を見分けられるほど地位の高い家柄でもない。

 今回は神術で適当に容姿を変えているから、尚更である。

「旦那様は領内の見回りに出ておられます。奥方様は孤児院へ慰問を。若奥様はお坊ちゃまとご一緒にお休みになられておいでです。お客人様のお部屋は、二階の『青の間』と『緑の間』でよろしゅうございましょうか」

「ああ、構わない。失礼の無いようおもてなししてくれ」

「畏まりましてございます」

 もともと急に決めたことなので、凝ったもてなしなど期待していないし望んでいない。ファナルシーズがここへ来たのは気晴らしのためなのだ。伯爵家には迷惑をかけてしまうので、そこだけは申し訳なく思っているが、できるだけ放っておいて欲しかった。

「申し訳ないが、よろしく頼む」

「もったいないお言葉でございます」

 事情を知らない人からの言葉が妙に気になるのは、お忍びの疚しさである。

 客間へ案内されながら、ファナルシーズは誰にも聞こえないよう溜め息をついた。



「着いてすぐ遠乗りですか!」

 文句たらたらのウォルセイドを従えて、ファナルシーズは早速、周辺に散歩に出ていた。セライネ伯爵領レステアは、昔から軍馬の産地であり、野生の馬も多く生息している。

「セライネ伯爵に見つかったら面倒だ。夕食の時間に戻る」

「父上に雷もらう私の身にもなって下さい」

「私が悪いと言ってやる」

 特にすることもなく夕方になり、急かすウォルセイドに負けて、ファナルシーズはようやく伯爵邸へ向かった。

 別にウォルセイドは真剣に皇太子の心配をしているわけではない。

 強大な神力を持つ上、騎士として最高位の聖騎士の叙任も受けているファナルシーズの身の安全を心配するなど、ただの馬鹿である。単純に、ウォルセイドは館にいる妻と生まれたばかりの息子と過ごす時間を少しでも長く取りたかっただけだ。近衛騎士団の中隊長ともなればそうそう休みなど取れないので、非常に貴重な機会なのだった(ちなみに今回は、ジェレストールが何か奥の手を使って近衛騎士団長を黙らせたらしい)。

 すっきりとしない気分のまま厩舎に馬を入れに行ったとき、ファナルシーズは思いがけない出会いをした。

「お兄様、お客様ですか?」

 後ろからの声に、ファナルシーズ達は振り向いた。

 夕日を背に負って、一人の少女が馬から降り立ったところだった。

(……お兄様?)

 その呼びかけには一瞬、寒気を覚えたファナルシーズである。何を隠そう、彼がこの世で一番聞きたくない単語だ。双子の妹を思い出すからである。

 隣でウォルセイドがあっと声を上げた。

「イリア! 今日、帰る日だったか」

「ひどい。お忘れだったの?」

 ウォルセイドは問いかけの眼差しを少女と主の双方から受けて、かなり適当な紹介をした。

「妹のイリアーナです。イリアーナ、あー……とりあえず客だ」

 ぞんざい過ぎる紹介の仕方より、ファナルシーズには気になるところがあった。

「妹? お前に妹がいたのか」

 初耳である。名門セライネ伯爵家の現当主に娘がいたとは、聞いたことがなかった。

「事情がありまして、離れて育てていたのです」

 話している間にも、少女は近づいてくる。

 少女の若草色の瞳が真っ直ぐにファナルシーズを見た。

「レステアへようこそ。歓迎いたします」

 向けられた無邪気な笑みが、ファナルシーズの目には不思議に眩しく映ったのだった。

「ところで、お客様。わたくしの目に狂いがなければ……」

 ファナルシーズの心臓が跳ねた。

(まさか、ばれたか!?)

 いやそんなまさか。皇族特有の黒髪は変えているし、神力も抑えている。どこにも皇族だと知れる要素はないはずだ。

 ましてや初対面の(言い方は悪いが)田舎娘相手である。

 しかしそんなファナルシーズの胸中をよそに、少女の瞳がきらりと光った。


「その馬、あの『疾風の矢』シヴァの血統ではありませんか?」


 違う意味で心臓に悪い思いをした。

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