序
星の輝きさえ隠されし 深く暗き夜の底
咲き誇るは千の願い 舞い散るは億の祈り
女神は大いなる祝福を以って 暁の前に聖女を贈る
其は蒼き闇より生まれし無限 幾何に散じて生命を呼ぶ
聖女は尊き光を以って 力と世界をその身に抱く
見よ、栄光は暁の下 我等は運命の先を知る
――『皇国年鑑』第三百二巻 〈聖アルスリーアの覚醒〉より
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「お父様とお母様の馴れ初めを聞かせてください」
突然娘に請われて、ヴィーフィルド皇国皇太子ファナルシーズは、危うく茶を吹くところだった。
季節は初夏。皇太子執務室で、二人は親子水入らずでひとときの休憩を過ごしていた。
十四歳の彼の娘――シェランティエーラは、興味津々といった様子で父からの返答を待っている。期待に満ちたその表情に、ファナルシーズはたじろいだ。
「最初はファヴァイナ侯爵令嬢のオルティーヌさんがお妃候補だったんでしょ。どこでどうしてお母様と結婚することになったんですか? ウォルセイド伯父様とは幼馴染だったけど、お母様とは違うって聞きましたよ」
誰から聞いてきたのか、細かい事情を確認してくる娘に、ファナルシーズは偶然手元にあった蜜茶に口をつけることで間を持たせた。
「ねぇ、お父様」
「……」
「お父様」
「……この菓子は料理長の新作だそうだ。甘味は好きだろう、食べてみなさい」
「え、本当に? お菓子は食べるけど誤魔化されませんよ、お父様。答えて下さらないならジェス小父様に聞きに行きます。親の馴れ初めって、子供にとっては一番身近な恋愛で、それでなくても気になることなんですからね」
据わった目をして、てこでも動かない構えを見せた娘に、ファナルシーズは諦めた。
ヴィーフィルド皇国は神の末裔を皇王と戴き、建国以来四千年の歴史を誇る大陸随一の大国である。
ファナルシーズは、その172代皇王リダーロイスの嫡子として生を受けた。
生まれながらに大国の後継者と定められたことに、多少の不満が無いわけではなかったが、それでも彼は国を愛していたし、皇族としての義務を果たすことに否やは無かった。
どこか虚しい気がしたのは事実だが、そもそも特権階級とはそういうものである。彼だけでなく、彼に近しい者達も皆同じような義務を課せられていた。
彼女とは、そんな諦めとも達観ともつかぬ日々を送っていたある日に出会った。
先に恋に落ちたのはファナルシーズの方で、名門とはいえ伯爵令嬢でしかなかった彼女――イリアーナは、一旦は身を引きかけたくらいである。周囲の協力が無かったら、きっと彼女との結婚は実現しなかった。それくらいイリアーナは権力にも身分にも贅沢にも興味を示さない少女だった。
「シェラン、お前もそうだろう。望めばどんな贅沢も許してやるというのに」
「そういうの、好みじゃない。ドレスは着るのが面倒だし、宝飾なんて重たいばっかりだし。それより続きは? お父様」
続きも何も――かなりの騒動があったが、素直に娘に告げてやる必要は無い。
「誠実に求婚し続けた。それだけだ」
間違ってはいないが、かなり適当な説明だった。
今ひとつ納得できないという風に首を傾げながらも、シェランは授業の続きがあるため指定された部屋へと向かわざるをえなかった。
入れ替わりに皇太子執務室に入ってきたのは、ライシュタット卿ジェレストールとカーラルス卿ウォルセイドである。
その顔を見て、ファナルシーズは思わずくすりと笑みを零した。
「何ですか、人の顔を見ていきなり」
「失礼以前に気持ち悪いですよ、殿下」
皇太子であり剣を捧げた主君に対してとは思えないほどぞんざいな――昔のままの口調で苦情を言ってきた二人に、先程の娘とのやり取りを話す。
笑いが二人にも伝染した。
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ヴィーフィルド皇国第173代皇王ファナルシーズ=アリオスは、希代の名君として歴史に名を刻む。
賢君の呼び声高く、堅実な治世を敷きながら譜代の貴族らをうまく宥め、変わりゆく時代に沿って緩やかに変革を行った。また戦となれば自ら剣を取って戦地へ赴き、指揮を執った。
君主としての器と将軍としての才覚に恵まれ、父リダーロイス、娘シェランティエーラと共に大陸中興の三祖と讃えられるに至る彼が、生涯でただ一度、我儘を押し通したことがある。
それは他でもない、セライネ伯爵令嬢イリアーナとの結婚だった。正妃に彼女を迎えた後は、他の女性には見向きもしなかったという――……。




