第十三話 主人公をどうするか?基本的な問題
さて、物語を書く上で絶対に必要なのが、主人公 です。
男性、女性、またはどちらでもないとか、基本的なことから出生まで。
ただ、ここで書きたいのは、そういうお話ではありません。
主人公の基本的な性格をどうするのか?
物語で譲れるものと譲れないもの、
どれをどの程度受け入れられるか?
上記が、重要なのは主人公の行動規範を決めるためです。
現実の人生と同じく、物語とは選択の連続です。
流されるばかりの主人公にしても良いのですが、
ほとんどの人がここでは踏ん張ってほしい!
と思う瞬間では立ち上がることも必要です。
漫画がなぜ流行るのか?
現実で逆らえない事柄に、主人公とその仲間は、
強い意志で立ち向かう姿を描いたものが多いから。
英雄気質の主人公が多く、彼ら彼女らが描く未来は壮大です。
可能性は無限大!
主人公とその仲間の絆を描く場面ですら、
厳しい現状への理解とそれでも夢や理想を追い求める姿を
描き出し読み手を引き込むストーリー展開。
伊達に漫画が売れているわけではない。
そこで問題。
ラノベは文章表現が基本であり、
漫画のように表情やアクションを直に映像として魅せることはできない。
例えば仲間が落ち込んでいるシーンでも、
絵にすればそれとない一コマで表現できる。
でも文章にするとなかなかに難しい。
色々考えてみれば、漫画のようなさりげない一コマを描くのが難しい。
何せ文章にすると、落ち込んでいる描写をそのまま伝えることになる。
漫画がさりげなく一コマで流して、
大事なシーンで「ああっ、あの場面!」と思い起こすという驚きを
演出できるのに対して、ラノベ側はもう少し回り道をせざる負えない。
作品にとって、わざとらしさはかなり致命的!
できるだけ、隠したい部分はさりげなく表現し流す。
これは重要だけど難しい。
主人公の性格もこういう時の反応に困る部分も。
ガサツだが人情深い!という特徴があるなら、
たとえ感情や行動に大きく出なくとも
察することができるという能力を発揮しなければならない。
しかし、こういう時には仲間が困っているという表現が仇になる。
真正面から「困ってます!悩んでます!」と
主張するような演出をするのは愚の骨頂。
むしろ、読み手が気づかないような仕草で、
分かるという能力が主人公を見直すきっかけになる
それにはどうしても読み手が気づかない演出が必要、
そして、読み手側もちゃんと考えて
「そういえば!」と思えなければ共感されないでしょう。
もちろん、鈍感主人公でも良いとは思います。
ですが、鈍感すぎる設定は、お話を難しくしてしまう。
むしろ分かっていて鈍感を装い、
最後にすべてを明らかにしていく展開のほうが華々しいかもしれません。
さて、今まで色々な主人公を見てきた作者さんなら
自作の主人公をどうするか?
大体決まっているとは思います。
ここであえて提案することは、自分を主人公として考えることです。
自分を主人公にすると面白くなくなる!
そう主張する声も分かります。
確かに作品によって現実になったら?
と考えれば、現実で妥協ばかりの人生が多いのが普通の社会です。
英雄的行動などできないし、
死に直結していては安全策で何もしないだろう。
でも、私たちが一番知っている主人公は自分自身であり、
最も慣れ親しみ苦しんだ冒険は、今を生きるこの人生なのです。
感動を得て、退屈を得て、泣き叫んで、笑って、
苦しみ、別れて、悩み、幸福を感じる。
それらを体現するものが、自分という主人公です。
もっとも私たちが描きやすく、
自分自身が共感する主人公は自分なのですよ!
私たちは、今までの人生を経験している。
そして、皆それぞれに自分の経験を作品に反映しています。
例えば知識チート、自分の現代知識を応用していませんか?
科学や化学、または現代のネットの知識も
自分自身の延長線で考えられたもの。
読み手が、少なからず共感するエピソードは、
「ああそんな手があったか!」と驚いたり
「そんなことあったわ!」とか身近に転がっているネタを
驚く展開で披露した場合です。
そして、英雄ものでもそうです。
なにも力を持っていなくてもいい。
その場面で、その状況で、あなたは何を選ぶのか?
それこそがリアリティであり、共感を呼ぶネタと言えるでしょう。
皆さんにも、譲れないものがあると思います。
それを素直に表現することが大事です。
それはこの時代を生きる皆が思っていることと
そう変わらないと思いますし、
違ったとしても「そういう選択もあるなあ」と思ってもらえる。
「自分にはできない」それも現実的な答えです。
たとえ、力があっても行動しない人はしないし、できないのです。
そして、力がなくても譲れないと思う人は行動します。
まあ犯罪はダメですからね!
なぜ自分を主人公にしてはいけないのか?
私にはよくわからないですね。
むしろ自分を主人公に採用できないのであれば、
どんな主人公も採用できないのではと思います。
どんなに考えても、作者さんの分身が作品の主人公になると思います。
それはとても自然なことです。
作者さんが知らないことを物語の主人公が知ってるわけがない。
まあカッコいい理想的な自分や可愛い主人公な自分、
思いっきり泥臭い自分などという修飾が色々付きはしますが。
自分ならこうする!
でもこのキャラはこうはしないだろうなあ、
と思えるのは、
人生経験からそういうタイプの人を見てきたからでは?
客観的な人物の行動の推察は、
やはり他の作品や
実際にいる自分の身の回りの人々が関係してくると思います。
まあ、他の誰かを主人公に見立てることはよくあるかもです。
しかし、所詮は推察にすぎません。
残念ながら人は、他の存在を自分と比較して推測しています。
自分とどれだけ違うかが、基本にあり、
その人を完全に理解することはありえません。
まあ知らなくてもいい、キャラができてくれれば!
そうですね、その通りです!
そして、ちゃんと動いてくれれば最高ですね!
しっかりした人物像があれば勝手に動くという現象が起こるかも?




