挿話113 白起(ゼドラ国大将軍)
次の部屋は割かし綺麗だった。
だが――
「ほぅ。そなたは白起殿か」
以前、出会った親衛隊の男と、ひらひらの服に身を包んだ少女が対峙していた。
破壊された壁、そしてその下で服のほこりを叩く男と、振り返る動作がどこかぎこちない少女。戦いは男――確かフェイと言っていたか――の方が優勢らしい。
「白起……っ!?」
少女の方が警戒するように身を引かせる。
自分とフェイに挟まれてる状況を避けたようだ。なかなか状況に手慣れている。
だがその一歩で少女の体がふらつく。どうやらだいぶ消耗しているらしい。そのまま壁際に背中を寄せた。
「どうしました、こんなところまで」
フェイが問いかけてくる。
どうしただと。こんなところだと。
決まっている。
「全ての幕引きをするために。この奥へ」
「それはできない。私はここの守りを任されている」
「すでに何人か通したはずだが?」
「それを分かって言うとは、なかなかに意地悪なものだな。歴史の英雄というものは」
「私は英雄ではない。ただ、その場その場で良しとしたことをしてきただけだ」
「なるほど。私も同じだ。最強とは、その場その場での功夫による積み重ねなのだからな」
「最強。そんなものは空論だ」
「空論だろうとそれを目指す。それが最強へと続くものだよ」
「どうやら交わらないようだな」
「それは残念だ」
「そもそも通りたい私と、通さないお前。交わるはずもない」
「だから争いは起こるのだ。とは、釈迦に説法かな」
「そうでもない。私は私のためにある。ただそれだけのこと」
「邪魔する者は蹴散らすというのか」
「立ちはだかるというなら、それも仕方あるまい」
「…………」
「…………」
沈黙が降りる。
この男。先ほどの巨漢とは違って甘くない。戦は体の大きさではない。なにより今、ここで行われるのは最小の戦。そこには戦術や兵数、気候もなにもない。
ただ純粋な武によってのみ切り開かれる極限の果て。
私はこの男に勝てるのか。
未だなお、飄々とした風体で佇んでいるこの男に。
動くべきではない。
だがそれではどこまでもここを通過できない。この私にはまだやるべきことがある。それに間に合わない。
そう思っていると、
「ふむ、では通るがいい、白起殿」
「なに?」
フェイが身を引いた。
その先。皇帝の寝室へのドアまでの障害が消えた。
罠か。いや、そういう男ではないと、なんとなく直感で分かった。
「いいのか」
「ええ。私はアカシャ皇帝たちの者たちを通すな、と命じられただけです。あなたはその対象ではない」
「……」
「それに、まぁなんですかね。少し疲れたのですよ。この少女との戦いで」
チラ、と距離を取っている少女に目を向ける。
この少女が。一切の脅威を感じない。いや、逆に何も感じなさすぎる。なるほど、また違った方向の手練れということか。
「お遊びが過ぎるな」
「生き埋めよりは可愛いものでしょう」
皮肉を言われた。
けどそれに返す言葉はなかった。そうに違いない。そう思ったからだ。
通してくれるならもはや問答はない。
静かに歩き出す。横の少女。警戒している様子だが、仕掛けては来ない。仮に来たら、一刀のもとに切り伏せるだけだが。
「白起殿」
「なんだ」
もう扉まで到達しようとしたその時に、フェイが呼びかけてきた。
「お主は何を目指す?」
その言葉に、足が止まった。
何を目指す。
そんなもの決まっていた。全ての敵を下す。それが王との約束だった。だがそれは果たされなかった。王が約束を違えた。いや、腰が引けたのだ。40万の死。その重さに耐えきれなかった。
なぜだ。そう叫びたかった。全てを下すということは、全てを殺すということ。それが秦の色に染め上げるという、この白起が生涯を賭けてあまりある一大事業だったというのに。
なぜ、それを分かってくれなかったのか。
この男もそうだ。そして、ここのゼドラ皇帝となった男も。
自分では何もせず、ただ命じるだけ命じてあとは知らんぷり。自分のことも何も分かってくれないのであれば、秦王よりもはるかに格にして下だ。
誰も分かってくれない。
何も分かってくれない。
いつも分かってくれない。
それが私なのか。
誰も、何も、いつも。理解できぬままに消えていく。
『お前は、独り。天に、地に、見捨てられ、死ぬ』
河井の言葉がよみがえる。
違う。
私は分かってくれなくてもいい。理解者など要らない。ただ、私の邪魔をしなければ。
――けどそれは。きっと私を分かってくれるということと同じで。
「違う!」
声にして叫ぶ。
私はそんなに弱くない。そんな寂しくもない。
理解など。共感など。体も心も弱り切ってつく怠慢の極みの発想でしかない。横に並び、訳知り顔で能弁を散らす、身の程知らずの傲慢でしかない。
そうだろう? 分かるということは対等ということ。
決して並ぶことがないから最強。
最も強いものに、並ぶ者があってはならない。
最強に、理解など不要。
『認めない! 僕は、お前を認めない!』
けれど思ってしまう。
あの修羅の中。決して生を諦めない、燃える瞳の少女があるいは。
イリス。
彼女がもし。理解を示してくれるのであれば
……戯言だ。
そんなことを考えてしまうほどに、私は弱っているのか。くだらない。そんなことは、私には不要だというのに。
「白起殿」
「……問題はない」
「そうか」
「何を目指すかと聞いたな」
それは私の中にある言葉。そしてそれは心と違ってはいないはずだ。
「全ての頂に立つ。それが私の最果てだ」
「つまり最強ということか。私と同じ、ということはここでケリをつけた方がいいかな?」
「当然だ。最強とは、孤独であるがゆえに最強なのだから」
視線が絡む。
武人のように角ばっているわけでも傷があるわけでもない。だがこの男の表情。まさに戦場を駆ける最強の戦士と同じ色をしている。そう思った。
やがてフェイは肩の力を抜き、
「やめておこうと言った。私とお主では目指す最強が違う。そしてそれを交わらせる必要のないことだろう」
「…………」
「さらば、白起殿。おそらく二度と見えることはないだろう」
この男は何を言っているのか。いや、おそらく感じている。私が行きつく先。
「……我が罪は……天に通じているのか」
答えはなかった。
分からなくてもいい。もうじきに答えが出る。
そう思った




